青木貞治

 
青木貞治
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 元亀3年12月22日1573年1月25日
別名 又四郎、吉継
主君 徳川家康
氏族 青木氏
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青木 貞治(あおき さだはる)は、戦国時代武将徳川氏の家臣。

略歴[編集]

永禄11年(1568年)、徳川家康今川氏真の領地である遠江国に侵攻し、松井宗恒の守る二俣城を奪った。当初は鵜殿氏長が城代として置かれていたが、甲斐武田氏から攻撃される危険性が高まると、中根正照が城主となり、貞治も松平康安と共に入城する。元亀3年(1572年)10月、二俣城は武田信玄に攻められ、貞治らは奮戦するが降伏・開城した(二俣城の戦い)。開城後、貞治は正照と共に浜松城に帰還した。

元亀3年12月22日(1573年1月25日)の三方ヶ原の戦いにおいて、貞治は二俣城開城の恥を雪ごうとし奮戦し、討ち死にした。