陸奥明

陸奥 明(むつ あきら、1894年明治27年)12月25日[1] - 1971年昭和46年)8月4日)は、昭和期の作曲家。本名菅原陸奥人。歌手の菅原都々子の実父。

来歴[編集]

青森県上北郡三本木村(現・十和田市)出身。東洋音楽学校を卒業する。卒業後は「河合丸目郎(かわい まるめろう)」の芸名で浅草オペラで歌手として活躍するも、1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災で浅草が壊滅し歌手を断念する。1938年(昭和13年)、娘の養父である作曲家・古賀政男の尽力により、テイチクから作曲家デビュー。戦中、戦後と作詞家・島田芳文と組み、多くの作品を発表した。

主な作品には、戦時期の「里恋峠」、「大陸列車」、「あゝ草枕幾度ぞ」、「軍国舞扇」、戦後の「あゝ高原の紅あざみ」、「佐渡ヶ島エレジー」、「月がとっても青いから」、「雪の渡り鳥」、「お座敷小唄」などがある。また、河合朗という名で作詞も行い、「明朗通信」のヒット曲がある。

1971年(昭和46年)8月4日、76歳で死去した。

代表曲[編集]

  • 『明朗通信』(昭和13年7月)[河合朗作詞、歌:桜井健二日本橋きみ栄
  • 『夢の浮島』(昭和14年1月)[島田芳文作詞、歌:松島詩子
  • 『早春再来』(昭和14年2月)[島田芳文作詞、歌:服部富子
  • 『青春の丘』(昭和14年5月)[島田芳文作詞、歌:北廉太郎
  • 『パラオの娘』(昭和14年8月)[島田芳文作詞、歌:美ち奴
  • 『里恋峠』(昭和14年9月)[島田芳文作詞、歌:田端義夫
  • 『大陸列車』(昭和15年7月)[島田芳文作詞、歌:塩まさる
  • 『街の戦友』(昭和15年11月)[島田芳文作詞、歌:小野巡
  • 『誉れの馬車』(昭和15年11月)[島田芳文作詞、歌:鶴田六郎
  • 『あゝ草枕幾度ぞ』(昭和16年4月)[徳士良介作詞、歌:東海林太郎
  • 『軍国舞扇』(昭和16年10月)[藤田まさと作詞、歌:東海林太郎、台詞森赫子
  • 『雪の満州里』(昭和16年11月)[島田芳文作詞、歌:ディック・ミネ
  • 『あゝ高原の紅あざみ』(昭和27年7月)[島田芳文作詞、歌:菅原都々子]
  • 『アリラン悲歌』(昭和28年5月)[島田芳文作詞、歌:菅原都々子]
  • 『スペイン夜曲』(昭和28年7月)[島田芳文作詞、歌:菅原都々子]
  • 『月がとっても青いから』(昭和30年5月)[清水みのる作詞、歌:菅原都々子]
  • 『雪の渡り鳥』(昭和32年11月)[清水みのる作詞、歌:三波春夫
  • 『鴛鴦道中』(昭和34年3月)[藤田まさと作詞、歌:三波春夫]
  • 『お吉物語』(昭和35年5月)[藤田まさと作詞、歌:天津羽衣]
  • 『名古の子守唄』(昭和39年5月)[島田芳文作詞、歌:鈴木三重子
  • 『お座敷小唄』(昭和39年8月)[作詞者不詳、歌:松尾和子和田弘とマヒナスターズ

脚注[編集]

出典[編集]