防衛省市ヶ谷地区

座標: 北緯35度41分34秒 東経139度43分43秒 / 北緯35.692716度 東経139.7286691度 / 35.692716; 139.7286691

防衛省市ヶ谷地区
防衛省正門
防衛省正門
位置
地図
所在地 東京都新宿区市谷本村町5-1
座標 北緯35度41分34秒 東経139度43分43秒 / 北緯35.692716度 東経139.7286691度 / 35.692716; 139.7286691
概要
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防衛省市ヶ谷庁舎。左からA棟・D棟・E1棟
航空写真(国土地理院撮影)

防衛省市ヶ谷地区(ぼうえいしょういちがやちく、Ichigaya Area)または防衛省市ヶ谷庁舎(ぼうえいしょういちがやちょうしゃ、Ichigaya Building)[注釈 1]は、日本東京都新宿区市谷本村町5-1に所在する防衛省施設。陸上自衛隊においては市ヶ谷駐屯地(いちがやちゅうとんち、JGSDF Camp Ichigaya)、海上自衛隊においては市ヶ谷地区(いちがやちく、JMSDF Ichigaya Area)、航空自衛隊においては市ヶ谷基地(いちがやきち、JASDF Ichigaya Base)と呼称される。「市ヶ谷」は「市谷」と記述されることもあり、表記はまちまちである。

概要[編集]

防衛省本省(内部部局)のみならず陸上・海上・航空の3幕僚監部、そしてこれらを更に統べる統合幕僚監部も所在する日本の国防の中枢である。駐屯地司令は陸上自衛隊中央業務支援隊長が、基地司令は航空自衛隊航空中央業務隊司令が兼務している。

庁舎A棟地下には自衛隊の指揮命令中枢である中央指揮所が設置されている。庁舎B棟から伸びる防衛省市ヶ谷無線鉄塔(通信鉄塔)は、建物部分を含め220メートルの高さがある。

敷地内に弾道ミサイル攻撃対処用ペトリオットPAC-3の展開基盤が整備されており、空自中部高射群が分遣隊(第1高射隊市ヶ谷分遣班)を常駐させ対応している。また、庁舎A棟の屋上にヘリポートとして「市ヶ谷場外離着陸場」が設置されており、ICAO空港コードRJAI」として登録されている[1]

防衛省が実施している「市ヶ谷台ツアー」に参加することで、一般人でも一部見学することができる。

2016年(平成28年)8月に防衛研究所が、同年9月に統合幕僚学校国際平和協力センターが防衛省目黒地区からこの年新設された庁舎F棟[注釈 2]に移転入居した。

沿革[編集]

1907年(明治40年)当時、市ヶ谷台に位置する陸軍士官学校本部と正門。「市ヶ谷台上」とも称されていた通り陸士は台地に置かれ、この丘は現在の防衛省市ヶ谷地区にも残り陸士跡に建つ防衛省市ヶ谷庁舎も丘の上にある。手前の坂が当時の武窓用語における「極楽坂」と「地獄坂」。関東大震災罹災により陸士校舎郡は次掲の近代的なものに逐次建替えされている
第二次世界大戦敗戦直後の市ヶ谷台の陸軍省(1937年6月に陸軍士官学校本部として建設。陸士の座間移転後は陸軍予科士官学校本部となり、さらに予士の朝霞移転後は陸軍省がこれを使用した)。旧陸士本部・大講堂等は戦後長らく陸自が使用していたが、防衛庁本庁市ヶ谷庁舎(現防衛省市ヶ谷庁舎)の新建設に伴い、解体・移設を経て一部が復元され市ヶ谷記念館として現在も残る

日本陸軍

自衛隊

陸上自衛隊市ヶ谷分屯地

陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・航空自衛隊市ヶ谷基地

主要な所在機関(防衛省本省)[編集]

内部部局及び三幕共同部隊[編集]

施設等機関[編集]

特別の機関[編集]

外局[編集]

  • 防衛装備庁内部部局
    • 長官官房
    • 装備政策部
    • プロジェクト管理部
    • 技術戦略部
    • 調達管理部
    • 調達事業部

駐屯部隊・機関(市ヶ谷駐屯地)[編集]

防衛大臣直轄部隊・機関[編集]

陸上総隊隷下部隊[編集]

所在部隊(市ヶ谷地区)[編集]

防衛大臣直轄部隊[編集]

所在部隊(市ヶ谷基地)[編集]

第1高射群ペトリオットPAC-3

防衛大臣直轄部隊[編集]

中部航空方面隊隷下部隊[編集]

共同施設等[編集]

メモリアルゾーン
敷地内に点在していた殉職自衛官慰霊碑や旧日本軍の記念碑など16の碑を、国が約6億円を投じて防衛省東側の約6000平方メートルの一角に集め、整備した。1950年の警察予備隊創設以来、令和3年度追悼式まで殉職した警察予備隊、保安隊、自衛官は1,964柱で、顕彰者の内訳は陸上自衛隊1,086柱、海上自衛隊470柱、航空自衛隊432柱、その他31柱となっている[11]。殉職自衛官慰霊碑は靖国神社の方に向いている。自衛隊殉職隊員追悼式は原則としてここで執り行われる。
市ヶ谷記念館
庁舎A棟のある場所にあった「1号館」の一部を同駐屯地内薬王寺門付近に移設復元したものである。旧1号館は、1937年に陸軍士官学校本部として建設され、陸士の座間移転後は陸軍予科士官学校本部となり、さらに予士の朝霞移転後の太平洋戦争中は陸軍省参謀本部大本営陸軍部)などが置かれていた[注釈 3]。同館大講堂(陸士大講堂)は極東国際軍事裁判の法廷として使用された。1960年からは陸上自衛隊東部方面総監部が使用、1970年に三島事件の現場ともなった[注釈 4]。防衛庁本庁の新庁舎建設・移転に伴い解体されたが、便殿の間(天皇の陸士行幸時に利用した部屋)や校長室(陸軍省時代は陸軍大臣室)を含む本部正面・車寄せや大講堂といった一部分のみを残し、1998年に現在の場所に移設された。
その他
厚生棟内には防衛省共済組合本省支部のほか、ファミリーマートセブンイレブンスターバックスなどの小売・飲食店がある(過去にはサブウェイヤマザキショップがあったが、現在は閉店している)。厚生棟の2階には託児施設が開設された[12][13]

警備[編集]

正門は、24時間体制にて民間警備員らが配置されている。更に、陸海空の3自衛隊の隊員は小銃を携帯した上で交代で警戒に当たっている。

最寄の幹線交通[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『防衛省市ヶ谷庁舎』は防衛省所管国有財産台帳における口座名であり、訓令「防衛省市ヶ谷庁舎の管理に関する規則 (PDF) 」では、その口座の不動産および工作物を「防衛省市ヶ谷庁舎」としている。なお、防衛庁時代の名称は「防衛庁本庁市ヶ谷庁舎」である。
  2. ^ a b 市ヶ谷地区に隣接していた国立印刷局市ヶ谷センターの跡地に建設[2]
  3. ^ 全機関が降伏後の1945年11月30日廃止。
  4. ^ 総監室のドアには、籠城した際に駆け付けた幕僚らに、日本刀「関の孫六」で応戦した三島由紀夫による刀傷が今でもそのまま残されている。この刀傷は「市ヶ谷台ツアー」の見学コースで見られる。

出典[編集]

  1. ^ 陸上自衛隊の航空気象業務実施に関する達(陸上自衛隊達平成18年3月24日達第99-9号、最終改正平成30年3月27日達第99-9-2号) - 陸上幕僚監部
  2. ^ 北関東防衛局広報第90号(平成28年9月) p.4
  3. ^ 朝雲新聞社編集局 編『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年9月20日、92頁。 
  4. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和34年政令第372号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1959年12月21日). 2017年3月24日閲覧。
  5. ^ 目黒地区における駐屯地業務、基地業務等に関する訓令(平成6年防衛庁訓令第46号) 訓令等の検索(防衛省情報検索サービス)2017年5月17日閲覧
  6. ^ 朝雲新聞(平成29年3月30日・第一面)
  7. ^ 「海自が部隊組織改編」朝雲新聞(2020年10月8日付)
  8. ^ 海自が部隊組織を改編(世界の艦船 艦船ニュース)”. 海人社 (2020年10月21日). 2020年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月2日閲覧。
  9. ^ 「3自衛隊が部隊改編」朝雲新聞(2022年4月28日付)
  10. ^ 東京地本公式HP 移転のお知らせ
  11. ^ 令和3年度自衛隊殉職隊員追悼式(防衛省報道資料)より
  12. ^ 庁内託児施設一覧
  13. ^ キッズパオ防衛省市ヶ谷保育園オープン(朝雲新聞社)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]