阪神電気鉄道のダイヤ改正

阪神電気鉄道のダイヤ改正(はんしんでんきてつどうのダイヤかいせい)は、阪神電気鉄道(阪神)が実施したダイヤ改正

参考文献や出典によって判明できるもののみ記載し、実施時期が不明なものは記述を割愛する。駅名・路線名・車両名については時系列で記載し、本線系のみならず、当時存在していた国道線系のダイヤ改正についても判明分のみ記述している。

相互直通運転先の山陽電気鉄道のダイヤ改正および2009年より実施している近畿日本鉄道(近鉄)のダイヤ変更(および2010年9月まで自社で鉄道を直接運営していた神戸高速鉄道東西線のダイヤ改正)については、阪神と関係している内容のみごく簡潔に記述している。

1950年代[編集]

1954年9月15日改正[編集]

前月の高校野球輸送で暫定運用を開始していた阪神初の大型車3011形がこの日より本格運用を開始し、阪神間ノンストップ特急が登場[注 1]。運転時間は昼間時のみ。大型車導入に伴い車両限界とともに建築限界が拡大され線路および架線柱等の鉄道施設移設や、プラットホームを削り取る工事を実施し車両側に於いても3011形以前の小型車には扉部分下部にステップを設ける等の安全対策を施した。

1959年4月改正[編集]

このダイヤ改正より、夜間にも特急列車の運転を開始したが、この特急は5年前に新設された特急列車とは異なり、主要駅に停車する特急列車としたことから、特急とは別の列車種別である夜間特急として運転することとなった。夜間特急の両端を含む停車駅は梅田駅甲子園駅西宮駅芦屋駅御影駅三宮駅元町駅とした。

1960年代[編集]

1960年9月改正[編集]

1958年より就役していたジェットカー(青胴車)が増備でこのダイヤ改正までに32両となり、阪神本線普通列車を一部を除きジェットカーでの運用に切り替えたため、阪神本線では普通列車を含む全列車でスピードアップを行うなどの白紙ダイヤ改正となった。普通列車は、早朝から朝ラッシュ時終了直後までおよび夕ラッシュ時から深夜までの一部の列車(旧型車であるが加減速度は高めの1000系列「センコウ」を使用)を除き、すべてジェットカーで運用することとなった。1000系列は阪神本線で使用していた編成の一部が伝法線運用に回された他は、順次余剰廃車となった。

一方、特急用車両3011形や赤胴車を使用して運転していたノンストップ特急は、列車種別こそ特急のままであったが、停車駅を増やして阪神間ノンストップ運転を廃止した。特急列車の新たな停車駅は西宮、芦屋、御影、および従来の特急列車で唯一の停車駅であった三宮とし、所要時間は30分であった。

その他、西宮発着の急行は区間急行に改称された。

1963年2月改正[編集]

この年より各列車種別とも昼間時10分間隔での運転から12分間隔の運転に変更した。西宮駅での普通列車と特急・急行列車との接続は改善された一方で、昼間時の各列車種別は1時間当たり1本減便となった。なお、特急列車はこの改正で夕方にも設定された。

1963年12月1日改正[編集]

この日より尼崎センタープール前駅が常設駅に格上げされ、併せて待避線も設けられた結果、普通列車の特急列車待避実施駅をそれまでの尼崎より同駅に変更した。これにより特急列車は梅田 - 元町間を29分運転とした。

尼崎センタープール前駅に待避線が設置されたことから、同年2月まで実施していた昼間時各列車種別10分間隔での運転に復帰させることは可能ではあったが、当時既に伝法線と阪神本線とを直通する列車の運転を計画していたこともあり、計画中の同列車のダイヤを円滑に挿入するため、前回改正のダイヤを踏襲する形で12分間隔のままとした。この昼間時各列車種別12分間隔のパターンダイヤは、以後の改正で停車駅数と列車種別数の増減などの変遷を経て、1998年2月15日改正まで継続された。

1964年5月21日改正[編集]

この日より伝法線の千鳥橋駅 - 西九条駅間が延伸開業したことにより、小幅なダイヤ改正を実施した。なお、伝法線は延長開業1日前の5月20日付で路線名を西大阪線に改称した。

1965年9月15日改正[編集]

この日より阪神本線と西大阪線とを直通する特急列車として、梅田発着の特急列車とは別の列車種別である西大阪線特急(「西大阪特急」とも称す)が1時間当たり一挙に5本が設定された。ただし、西大阪線特急の運転時間帯は昼間時のみであった。設定当時、西大阪線特急を利用して西九条駅で大阪環状線に乗換え天王寺駅方面(大阪下町地区)に行けることをアピールするダイヤ改正告知のポスターを作成して利用促進に努めていた。

しかし、西九条駅での大阪環状線からの乗換客は、梅田駅(国鉄では大阪駅)における乗換客の数とは異なり、当時でも余りいなかったどころか、西大阪線と阪神本線西宮以西の間を乗り通す乗客ですら、阪神が予想していたほど獲得できなかったため、阪神本線の特急列車が時折混雑することがあるのに対して、西大阪線特急は設定当時は2両編成での運転が原則であったとは言え、その本数自体も旅客数に対して過剰だったことも相俟って、設定当時より乗車率が相当に低かった。

西大阪線特急は阪神本線では特急の通過する尼崎に停車していた代わりに、特急列車の停車駅である芦屋と御影は通過していた(この他に西宮駅にも停車)。西大阪線内は途中無停車であった。

昼間時の西九条駅では、原則として西大阪線特急が1番線を、普通が2番線を使用して折り返していた。また、元町駅では1面2線の線路配線であったが、同駅は竣工当時湊川方面への延長が構想されていたことから、それに対応するためにホームは当時でも現在とほぼ同じ長さであり、しかもホームの先にも線路が続いていたため、昼間時には1つの番線を特急と西大阪線特急とで2列車が停車する縦列停車を実施して対処した(残る1線は普通列車のみ停車)[注 2][1]。その他、西大阪線特急と普通列車との縦列停車も一部のみ実施していた[2]。なお、この改正以前にも元町での縦列停車が実施されていたのかまでについては不明である。

西大阪線特急の設定により、平日は1時間に20本、休日は1時間に甲子園発着の不定期準急が5本設定され、その運転日には1時間に25本と言うラッシュ時並の列車密度となったため、その影響を受け、特急列車は再び全線で30分運転にスピードダウンとなった。

なお、ジェットカーはこの改正で普通列車運用以外にも休日昼間時の不定期準急運用にも進出したため、初めて優等列車運用を受け持つようになった[3]

1967年7月2日改正[編集]

1967年7月2日実施の神戸市内の高架化工事完成により御影駅 - 岩屋駅間で線路が移設され、またそれによる新在家車庫の廃止と代替として日本初の高架式車庫である石屋川車庫の開設によるダイヤ改正を実施した。

この改正で車庫入出庫関連の回送および社員専用列車、また一部の普通列車がこれまでの新在家駅発着から石屋川駅発着に全面的に変更された。なお、石屋川駅と新在家駅は当時は両駅とも普通列車のみの停車であった。また、尼崎駅と新在家駅で当時一部の普通で実施していた増解結作業については、尼崎駅実施分は変更はなかったが、新在家駅実施分については線路配線および信号設備の関係上、石屋川駅ではなくその1つ手前の御影駅で実施することに変更した。そのため、解結作業を終えた単行および2両編成の車両による回送を御影駅→石屋川駅間で設定することとなった[注 3][4][5]

1968年4月7日改正[編集]

この日より神戸高速鉄道東西線が開業し山陽電気鉄道本線との相互直通運転を開始した。山陽側は当時存在していた急行を含む全種別が阪神に乗り入れていたが阪神側は一部の急行を除き特急による乗り入れが中心となった。この当時の神戸高速鉄道は阪急神戸本線とも直通運転を実施していたため阪急側も阪神と同じく須磨浦公園駅までの直通運転を、他種別の乗り入れを行わない阪神と異なり特急中心であるが当時設定していた全列車を乗り入れさせた。

阪神の列車は神戸高速鉄道および山陽線内を、山陽の列車も阪神電鉄線内では列車種別に関係なく各駅に停車するのが原則[注 4]

当初計画では他社車両の乗り入れ区間を神戸市電の路線の終端部を基準としたため阪神側の東端は新在家を、山陽側の西端は電鉄須磨までの予定であったが前者は前年の高架化および線路移設工事に伴う車庫廃止と、折返設備設置駅の関係で大石駅発着に計画を短縮し、後者は観光客誘致を目的に須磨浦公園駅発着に延長した[注 5]

この改正で途中駅発着列車のみ行っていた普通車の行先表示板掲出を全列車に拡大。これは神戸高速鉄道開通により元町以西に直通する列車が多数設定され普通列車は乗り入れないことを明確にする目的、および阪神電鉄線内の各停発着駅増加に対処する為である[6]。乗り入れる普通運用もごくわずかに設定されていたものの、多くの普通列車が神戸高速鉄道東西線に乗り入れるのは23年後の1991年4月7日改正からである。

この他、元町駅が事実上の途中駅構造に変更され縦列停車が出来なくなり本線上を長く塞いでしまうことで、折返時間が確保し難くなった西大阪特急は三宮発着に変更された。同時に休日ダイヤで設定されていたジェットカーによる不定期準急の運用が消滅。

1969年12月14日改正[編集]

この日に国道線の西灘駅 - 東神戸駅間が廃止されたことにより、東神戸駅発着を西灘駅発着にするなどの国道線系のダイヤ改正を実施した。

1970年代[編集]

1970年11月24日改正[編集]

本線の特急・急行の一部が6両編成で運行される。

1973年11月26日改正[編集]

本線の特急・急行の全列車が6両編成で運行される。

1974年3月17日改正[編集]

国道線の上甲子園駅 - 西灘駅間の廃止に伴うダイヤ改正を国道線系のみ実施した。国道線系はこれが最後のダイヤ改正となった。

国道線はこの改正までは野田 - 上甲子園間は昼間時24分ヘッド、上甲子園 - 西灘間は昼間時48分ヘッドであったが、この改正以降も残存する野田 - 上甲子園間については昼間時36分間ヘッドに減便した。

その他、北大阪線と甲子園線についても一部時刻変更を実施した。

なお、阪神本線系の改正はこの時点ではなされなかった。

1974年12月1日改正[編集]

3月の国道線系に続き阪神本線系のダイヤ改正を実施した。

この改正で昼間時に多数設定されていた西大阪線特急が一挙に全面的に廃止され、本線と西大阪線との直通運転が一旦休止となった。また、西大阪線特急の廃止により、昼間時の尼崎駅 - 三宮駅間および西大阪線では1時間当たり5本の減便となったが、西大阪線特急の利用客数が元々少なく、しかも輸送力過剰だったことと、この列車に前後して特急列車が続行していたことで、減便の影響は本線・西大阪線ともに小さかった。なお、この列車の廃止に伴い、西大阪線西九条駅は1線のみの使用となった。

また、この改正では当時早朝と深夜に阪神本線のみで運転されていた社員専用列車も廃止された。

1977年4月30日改正[編集]

1975年5月6日付で国道線系の路線が全面的に廃止となったため、本改正の記述以降については、すべて阪神本線系のダイヤ改正について記述することとし、また相互直通運転事業者については、高速神戸駅 - 新開地駅間で線路を共用している阪急神戸高速線を含み、本項で記述の必要性のあるダイヤ改正についてのみ記述する。

大物駅 - 姫島駅間の高架化工事進捗によるダイヤ改正を実施した。前回の本線系の改正で西大阪線特急が廃止され、昼間時の減便がその分実施されたことにより、列車密度が緩和されたため、特急列車のスピードアップが実施され、梅田駅 - 元町駅間で最速29分運転となった。千船駅の待避設備使用再開と暫定設備であった千船信号所の廃止も直後に実施されているが、この時にダイヤを改正したかまでは不明である。

1979年6月18日改正[編集]

普通列車の運転両数を変更するなどの小規模な改正を実施した。

この改正までは、普通列車は早朝 - 朝ラッシュ時は4両編成、昼間時 - 夕ラッシュ時 - 夜間は3両(一部4両)編成で、深夜は2両編成で運行していた普通列車を、昼間時における普通列車乗客の増加に伴い、早朝から夜間までは全列車4両編成で、深夜のみ2両編成で運転することにした。これにより朝ラッシュ時終了後の尼崎と御影での分割と普通列車の奇数編成は廃止(夜間→深夜以降時間帯の分割のみ全列車2両の分割に変更して継続。なお、列車により梅田側2両を解放する(正当解放車)場合と元町側2両を解放する(反対解放車)場合とがあることについては変更なし)され、それに関連して御影→石屋川間での単行運転の回送列車についても設定がなくなった[7]。これにより、普通の4両編成での組成は2両+2両にほぼ統一され、中間2両の先頭車の向きが不統一だった列車が解消された。

普通列車以外の阪神本線列車と支線区については、ごく小規模の変更に留まっている。

1980年代[編集]

1981年12月4日改正[編集]

この改正では平日朝ラッシュ時に片道1本のみの設定ではあるが、久方振りに列車種別の新設を実施した。その新しい列車種別は区間特急と称し、しかも折返設備のない芦屋発梅田行きとして設定された。設定当時の区間特急の停車駅は芦屋駅、西宮駅、甲子園駅、梅田駅とした。区間特急を芦屋駅始発としたのは、当時芦屋浜にシーサイドタウンとの名称での団地群が開発され、その入居者への利便性の向上、および芦屋駅からの着席機会の確保を理由としたものであった。この区間特急で使用される車両は、尼崎車庫から石屋川車庫まで回送され、同車庫で折返して芦屋駅まで回送すると言う非常に手間の掛かったものであった。また、車両の表示幕には当時「区間特急」が用意されていなかったため、表示幕取付車両では特急と同じく「特急」を表示したが、特急とは異なる様式の区間特急専用の列車種別表示板(丸形の「特 梅田行」と表示されたもの)を別に用意して、それを掲示する(これは表示幕未装備車にも掲示)ことで、前面に限ってではあるが、特急と区別できるようにした[注 6]。なお、区間特急を朝ラッシュ時に設定したことから、この列車が走る部分のみ、運転間隔を12分間隔から14分間隔に変更した。

その他の列車種別および阪神本線以外の路線でも、一部時刻の変更が実施された。

1983年12月改正[編集]

休日昼間時の梅田駅 - 西宮駅間の急行を、三宮駅まで延長して新たに列車種別を新設、快速急行とした。車両側で設定する列車種類選別装置では、西大阪線特急の休止で空いていた『N』を充てた。快速急行の停車駅は、梅田駅 - 西宮駅間は急行列車と同じく野田駅・尼崎駅・甲子園駅で、西宮駅 - 三宮駅間は下りが無停車・上りが青木駅に停車した。特急列車とは続行運転とし、下りは特急列車より三宮駅に先着したが、上りは三宮駅を特急列車より先に発車し、青木駅に停車し特急列車を待避した。これは、当時12分ヘッドの阪神と15分ヘッドの山陽とでダイヤパターンが合っていない中でダイヤは改正前そのままで無理矢理快速急行のスジを当てはめた為であった。

快速急行の新設により、ほぼ休止状態であった[注 7]三宮駅3番線を恒常的に使用するようになった。

1984年3月25日改正[編集]

山陽電気鉄道の日中15分間隔運転開始ならびに急行廃止、および武庫川線の洲先駅 - 武庫川団地前駅間延長開業の準備によるダイヤ改正を実施した。阪神側では、日中の特急列車の神戸側における発着駅が基本的に須磨浦公園駅および新開地駅となり、高速神戸駅発着の特急列車は日中以外の時間帯での設定のみとなった。武庫川線の武庫川団地駅延長開業は同年の4月3日からであるが、運転ダイヤはこの時点で用意されていた。なお、武庫川線はこれまで単行運転であったのが2両編成となったため、阪神から単行の列車が消滅した。このダイヤ改正で8000系が運転を開始した。

1987年7月1日改正[編集]

梅田駅直上にある阪神百貨店本店の閉店時刻が19時へと延長されたのに伴い、梅田発尼崎行き準急2本を19時台に設定。

1987年12月13日改正[編集]

快速急行の運転を平日日中にも拡大。また快速急行の上りは特急列車に続行する形とし、三宮駅発は特急列車の後となり、青木駅停車を取り止めた。これにより阪神間直行列車は倍増した。このダイヤ改正で普通列車が全列車4両編成での運転となったため、尼崎駅と御影駅で実施していた解結作業は廃止された。本線上での増結・解結作業は22年後の2009年3月20日改正まで見られなくなった。

1990年代[編集]

1991年4月7日改正[編集]

特急列車の運転時間を拡大し、土曜日を除く平日に梅田駅0時発の特急列車を元町行きとして設定した。

また、夕方ラッシュ時の普通列車については、引上線の設置されていない元町駅での折り返し時間がダイヤ上長くなり、このままでは本線を塞ぐ時間が増大し他列車の運転に支障を来たすことから、長くなった折り返し時間を利用する形で神戸高速鉄道東西線への乗り入れを開始し、高速神戸駅まで運転するようになった(夕ラッシュ時終了後は元町駅発着に戻していた)。ただし、このダイヤ改正以前にも、普通列車の神戸高速鉄道東西線への乗り入れはごく少数設定されていた。後に普通列車の最大運転区間を1駅先の新開地駅まで延長している。

その他、区間特急の1本増発や、全列車種別の増発や見直しが行われた。

なお、時期は不明であるが、区間特急の表示幕について、特急と兼用の「特急」で表示されていたものが、特急と区間特急との区別を明確にして誤乗を防止するため、幕の交換で「区間特急」が入ったものに変更されたが、この当時は区間特急での表示は単に列車種別のみを表示するものであったため、行先までは表示できなかった。ほぼ同時期に区間特急の表示板もこれまで「特 梅田行」としか表示されていなかったものが、同じ理由で「区間特急 梅田行」に変更している。この時、8000系以降の車両で使用できる車掌台窓上から表示可能な「区間特急 梅田行」の表示板も新たに作られた。

1993年12月改正[編集]

阪急神戸本線、山陽電気鉄道本線が同年7月18日に土曜ダイヤを導入したことに合わせて、遅れて阪神でも土曜ダイヤを新設した。

1994年3月20日改正[編集]

この時は実質的には修正程度の改正であったが、JR神戸線との対抗上、快速急行の全列車を魚崎駅に停車させ、六甲アイランドから大阪・神戸方面への自社の利便性を向上させた。

しかし、1995年1月17日5時46分に発生した兵庫県南部地震阪神・淡路大震災。以下同)で多数の車両の破損およびそれによる41両の廃車、主に西宮駅以西で線路や駅施設が被災し、石屋川車庫も全壊するなどの壊滅的被害を受けたことで、復旧工事を直ちに開始し、その間は臨時ダイヤで運用していた。

なお、1995年3月頃に曲線通過速度の向上によって特急列車の梅田 - 三宮間の所要時分を1分程度短縮するダイヤ改正を実施することを神戸新聞で発表していたが、上記の阪神・淡路大震災が発生したことで、ダイヤ改正と速度向上の計画は全面的に中止となった。

1995年6月26日改正[編集]

阪神では同日までに線路や施設が全面的に復旧したため、同日より細部を除き震災前のダイヤを踏襲して阪神間の運転を再開した。特急列車が26分運転に戻った他、区間特急が魚崎駅に停車するようになった。また、夕方ラッシュ時の準急列車の一部を急行列車に変更した。

同年8月13日には神戸高速鉄道東西線も復旧したため、須磨浦公園直通についても細部を除き元のダイヤに戻した。また、同年11月1日より5500系が運用を開始した。

1996年3月20日改正[編集]

前年の阪神・淡路大震災では地上設備や駅などの施設を早急に実施していたが、残っていた震災によって廃車した車両の補充についても、年を跨いだものの早急に行えたことから、震災発生よりわずか約1年2か月でダイヤ改正を実施した。

前々回の1994年3月20日改正の時刻をほぼ踏襲してはいたものの、朝ラッシュ時の区間特急と区間急行を各2本増発し、準急列車の最大運転区間を御影駅までだったのが三宮駅まで延長運転するようになり、朝ラッシュ時に1本増発した。

本改正で9000系の運転を開始した。またストアードフェアシステムスルッとKANSAIが同日よりスタートし、阪神でもそのサービスが開始された。

1998年2月15日改正[編集]

梅田駅 - 山陽姫路駅間で直通特急運行開始、および阪神電鉄線内での運転間隔縮小による増発を目的とした白紙ダイヤ改正を、神戸高速鉄道や山陽電気鉄道とともに実施した。

当初は日中は30分間隔で、1時間あたり、山陽姫路行き直通特急「姫路ライナー」(逆方向の梅田行きは「大阪ライナー」)・須磨浦公園行き特急・高速神戸行き特急がそれぞれ2本ずつ運転された。合わせて、日中の運転間隔を10分に変更した(西大阪線は12分間隔のまま)。直通特急は、運転開始当時は山陽側は5000系(ただし6両編成のみ)と5030系、阪神側は8000系(ただし8523Fを除く)と9000系のみの限定運用であった[注 8]

この改正では直通特急の運転開始および運転間隔縮小により10分間隔化が行われた一方で、快速急行以下の列車の運転形態を見直した。快速急行は夕方の時間帯のみ運転することとなり、それ以外の時間帯では運転区間を梅田駅 - 西宮駅間に短縮した上で急行に格下げすることとなり、阪神間直行列車の運転本数を削減した。これによりこのままでは魚崎駅の停車回数が減少することから、特急列車を同駅に停車することで対処することとしたが、直通特急「姫路ライナー」「大阪ライナー」については同駅を通過することとなった。このため特急列車は梅田 - 三宮間28分運転となった。

普通列車についても運転形態が見直され、毎時6本の列車のうち、4本は日中でも神戸高速鉄道東西線の高速神戸駅(一部新開地駅)まで乗り入れることとなり、普通列車も終日同線へと乗り入れることとなった。残り2本は高速神戸駅に1線しか設置されていない阪神用の引上線が30分間隔で折り返す特急と重複して使用ができないため、快速急行の大幅減便で浮いた三宮駅3番線で折り返すこととした。これにより元町駅折り返しの列車は大幅に減少し、同駅発着列車は早朝と深夜が中心となった。

よって、昼間時の阪神本線のダイヤパターンは以下の通りである。

  • 直通特急
    • 梅田 - 山陽姫路 2本
  • 特急
    • 梅田 - 須磨浦公園 2本
    • 梅田 - 高速神戸 2本
  • 急行
    • 梅田 - 西宮 6本
  • 普通
    • 梅田 - 高速神戸 4本
    • 梅田 - 三宮 2本

この改正で赤胴車の表示幕が交換され、山陽姫路駅までの乗り入れに対応したものとなったと同時に、これまで種別と行先との一体形表示幕における区間特急の表示についても改善され、種別のみの表示から「区特 梅田」と種別と行先との両方が収録されたものとなった。これにより区間特急での表示板使用が廃止された。

1998年7月1日改正[編集]

平日朝ラッシュ時の梅田行き急行が岩屋駅に停車[8]

1998年9月28日改正[編集]

西大阪線のダイヤ改正。出来島駅の高架化完成により大物駅 - 福駅間が複線に復帰、この時点で昼間時は10分間隔となった。

1999年4月11日改正[編集]

一部の時間帯を除き、急行が福島に新規停車。

地上駅時代の福島駅跡地に「ラグザ大阪」が開業、1997年3月8日に開業のJR東西線に設けられた新福島駅により福島駅の利用客が減少していたこともあり、テコ入れのためであった。

2000年代[編集]

2001年3月10日改正[編集]

直通特急を増発。平日の朝夕ラッシュ時は全て直通特急とし、日中は30分間隔で、1時間あたり、山陽姫路行き直通特急「姫路ライナー」(逆方向の梅田行きは「大阪ライナー」)2本・須磨浦公園行き特急1本の運転とし、昼間時の高速神戸駅折返し特急は設定されなくなった。この増発された直通特急は高速神戸駅折り返しの特急と山陽特急がドッキングされた形であったために西元町駅・大開駅に停車する直通特急(種別幕が黄色)が新設された。

直通特急・特急が全て尼崎駅・魚崎駅に停車するようになった。

平日朝の上り梅田行き区間急行が廃止され、代わりに同時間帯に尼崎発梅田行きの普通が増発された。廃止された区間急行の代替として、鳴尾駅に上り準急が停車するようになった(鳴尾駅はそれまでは準急は下りのみ停車)。

その他、梅田駅 - 甲子園駅間の運転であった平日夜間と土休日日中の急行列車を西宮駅発着に延長し、急行列車は全列車が福島駅・武庫川駅に停車するようになった。また、高速神戸駅発着の特急列車が昼間時に設定されなくなったことから、三宮駅発着の普通列車を高速神戸駅発着に延長し、昼間時の普通列車は車両交換を伴う列車を除き高速神戸駅発着にほぼ統一された。これにより三宮駅3番線の使用頻度は激減した。

このダイヤ改正で9300系が運転を開始した。また、西宮東口駅が廃止され、香枦園駅を香櫨園駅に改称(読みはそのまま)した。

2002年3月4日改正[編集]

香櫨園駅上りホームの延伸工事の完成により、石屋川発梅田行き準急列車が香櫨園駅に停車するようになった。

2006年10月28日改正[編集]

翌年3月のJR神戸線さくら夙川駅開業を意識し、香櫨園駅に梅田行き区間特急を新規に停車させ、代わりに準急は通過とした(準急は打出駅に新規停車)。

一方、直通特急の愛称(「姫路ライナー」および「大阪ライナー」)を廃止した。平日朝ラッシュ時の尼崎発梅田行き普通が廃止され、代わりに甲子園発梅田行き区間急行が復活した。翌2007年10月5日より、近鉄直通対応の1000系が運用を開始した。その後9000系の近鉄直通対応改造工事が開始された。

2009年3月20日改正[編集]

西大阪線西九条駅から大阪難波駅までの延伸工事が完成し、近鉄との相互直通運転を開始したことによる白紙ダイヤ改正となった。近鉄側ではこの時はダイヤ変更ではなくダイヤ改正との呼称を使用していた。

九条駅ドーム前駅桜川駅・大阪難波駅(近鉄難波駅から改称)が新規開業、西大阪線を阪神なんば線へ改称。

阪神本線、阪神なんば線とも白紙ダイヤ改正が行われ、快速急行は近鉄に乗り入れ、基本は三宮 - 近鉄奈良間の運転となった。よって2001年改正以降あまり使われていなかった三宮駅3番線が再び頻繁に使用されるようになった。準急列車は休止となった一方で、阪神なんば線には上記の近鉄直通の快速急行の他、同じく近鉄直通の区間準急と準急が設定された(ただしこの2種別は阪神電鉄線内では各駅に停車する)。平日朝ラッシュ時は12分間隔として基本的に上りは乗車する優等列車は梅田駅へ先着するよう変更し、混雑の平準化を図った。また夕方ラッシュ時も10分間隔での運転に変更された。

直通特急に関しても、本数の増減こそほぼなかったものの、大きな変更があり西元町駅大開駅に停車する直通特急が阪神三宮駅 - 山陽須磨駅各駅停車に改められほぼ終日運転になった。また、平日の朝梅田行き7本のみ甲子園駅を通過するが、それ以外の直通特急と特急は同駅に終日停車するようになった。

急行列車が福島を通過とし、今津に終日停車とした。区間特急と急行を今津に停車させることで、快速急行と合わせ阪急今津線との接続機会を増やした。

なお、この改正で阪神の最大運転両数が阪神なんば線に限り最大10両編成となったため、尼崎駅のみではあるが、本線上での増結・解結作業が復活した。ただし1987年以前とは異なり、対象列車は阪神本線直通で8両および10両編成の快速急行となり、また自社車両以外にも近鉄車の増結・解結作業も実施するようになった。

その後、2010年10月1日より、神戸高速鉄道の運営形態変更により、同東西線は阪神神戸高速線となった(施設は神戸高速鉄道所有ではあるものの、運営は阪神となった)。直後の同年12月25日より5550系の運転を開始した。1000系を増備し、これら新型車によって2000系(2011年)、8701形(2009年)、5311形(2010年)が引退。

2010年代[編集]

2012年3月20日改正[編集]

近鉄側が白紙ダイヤ変更を実施したことにより、その変更と連動する形での改正となった。同日は山陽電気鉄道もダイヤ改正を小幅ながらも実施している。

阪神本線では主に早朝・夜間において、阪神なんば線では平日日中において、それぞれ大きな変更があった[9]

阪神本線では夜間に三宮発の快速急行を1本増発し、三宮発快速急行の最終列車を繰り下げ。また、土曜・休日の快速急行は初発から3列車を阪神神戸高速線新開地駅発に変更[注 9]。区間特急の停車駅に野田駅を追加。平日朝5時台の梅田発の普通列車の発車時刻と行き先を変更。

阪神なんば線においては、平日日中は各駅停車としていた快速急行は、大物駅 - 千鳥橋駅間の各駅を通過に変更した。代わりに同時間帯は区間準急の阪神なんば線方面への延長を実施した。阪神なんば線西九条駅 - 尼崎駅での快速急行の全列車通過運転は、当初計画では2013年から実施する予定であったが、近鉄側での白紙ダイヤ変更の実施により、当初の計画を変更して1年前倒しで実施した。

ダイヤ改正には間に合わなかったものの、同年6月2日より、三宮駅の改良工事が完成し、この過程で2番線は元町・神戸高速線方面、3番線は折返しホームであったものを、配線変更(2番線を折り返しホームとする頭端式2面3線)によって入れ換えたため、完成以降は3番線折返し列車は2番線折返しに、元町およびそれ以遠に直通する列車は2番線発着から3番線発着に、それぞれ変更された。

その後2014年4月1日より、三宮駅を神戸三宮駅に改称した。2015年には新型ジェットカー5700系が登場。5131・5331形を置き換えた。

2016年3月19日改正[編集]

このダイヤ改正は阪神および山陽のみならず、乗り入れる近鉄側も同時にダイヤ変更を実施した。

朝・夜間において列車の増発、または一部列車の運転区間延長、などが主な柱[10]。区間特急を御影駅発とし運転区間を延長、停車駅に魚崎駅・尼崎駅を追加。快速急行を増発ないし運転区間延長。阪神なんば線内においては、平日朝に快速急行を増発。平日日中の尼崎行き区間準急が普通に変更された。武庫川線においては、1本増発し最終列車を約20分繰り下げた。

2019年10月1日より、梅田駅は大阪梅田駅に、鳴尾駅は鳴尾・武庫川女子大前駅に改称された。

2020年代[編集]

2020年3月14日改正[編集]

この改正では、快速急行の運用に大きな変化が見られた[11]

土曜・休日では、快速急行はほぼ全ての列車において阪神本線においても8両編成での運転を開始したことで、武庫川駅・甲子園駅・今津駅・西宮駅・魚崎駅・神戸三宮駅においてはホーム延伸部分の供用を開始したほか、尼崎駅での連結・切り離し作業がほぼ省略され[注 10]、神戸三宮駅 - 近鉄奈良駅間の所要時間が平均4分短縮、同区間における最速列車の所要時間は79分から76分へと3分短縮された。ただ、これによりホーム有効長の関係で8両編成の停車が不可能な芦屋駅は土曜・休日の快速急行が通過に変更された。また、平日は早朝と夜間に、土曜・休日は夜間に、それぞれ増発と運転区間延長を実施したほか、平日日中に限り、今津駅にも新規で停車を開始した。

快速急行以外では、平日の朝7時前後の上り西宮発大阪梅田行き急行2列車を、青木発大阪梅田行き区間急行に変更し運転区間を延長(青木駅から甲子園駅までの停車駅は急行と同一)。

その他、普通列車は、上りは平日の朝ラッシュ時間帯において、御影駅で区間特急とも接続させて御影駅での混雑緩和を図ったほか、下りは深夜の大阪梅田発西宮行き1本を石屋川行きに変更し運転区間を延長、運転間隔を調整した。また、平日6時台に青木始発の梅田行普通列車(石屋川 - 青木間回送)が設定された。

阪神なんば線では、土曜・休日の日中の尼崎行き区間準急が普通に変更され平日と同様のパターンダイヤになったことで、尼崎行きは快速急行以外ではほぼ全てが普通列車となった。

土曜・休日ダイヤにおいて、山陽普通(S特急を含む)が阪神神戸三宮駅(回送で大石駅)まで入線する回数が午前中の3往復に削減された。

ダイヤ改正前、23時台に神戸三宮行き下り阪神普通が、同駅始発のS特急と接続していたが、S特急が高速神戸始発に変更となったため、阪神普通も高速神戸まで延長運転して、そこで接続することになった(平日ダイヤでは従来通り阪神神戸三宮で接続)。

同年5月から6月にかけて、5500系の2両編成化・ワンマン運転改造車が武庫川線に投入され、ジェットカーが同線で初めて運用されるようになった。これにより旧来の塗装の赤胴車が廃止され、以後の赤胴車は阪神本線系用の新赤胴色鋼製車(8000系・9300系)および近鉄直通対応のVVVFステンレス車(1000系・9000系)のみとなった。

2021年3月13日改正[編集]

阪神なんば線延伸開業以降、ダイヤ改正は3〜4年ごとに行われてきたが、今回は前回から1年後の改正(阪神としては「一部変更」としている[12])となった。

近年のライフスタイルの変化に加え新型コロナウイルス感染症蔓延拡大により、特に深夜帯における利用者の減少が顕著(24時以降は、2021年1月では前年同月比で約70%減少[12])であることから、メンテナンスの作業時間確保も兼ねて、乗り入れ他社との調整の必要がない阪神本線の終電を繰り上げることとなった。なお、阪神なんば線、武庫川線及び神戸高速線ではダイヤの変更はない[12]

大阪梅田駅では、24時30分発の普通尼崎行きを廃止し、平日ダイヤでは24時20分発の御影行き急行が、土曜・休日ダイヤでは24時16分発の普通石屋川行きが、それぞれ最終となる。これにより、大阪梅田駅から大物駅の各駅で、下り最終列車の発車時刻が10〜14分繰り上がる。

尼崎駅では、尼崎駅24時8分着・9分発の普通大阪梅田行き(高速神戸駅23時19分発)を尼崎止まりに変更することで、上りは一本早く23時57分発の普通大阪梅田行きが最終となる。これにより、尼崎駅から福島駅の各駅で、上り最終列車の発車時刻が12分繰り上がる。

元町駅では、24時28分発の普通石屋川行きを廃止し、24時18分発の普通石屋川行きが最終となる。これにより、元町駅から新在家駅の各駅で、上り最終列車の発車時刻が10分繰り上げる。

このほか、政府からの緊急事態宣言発出及び沿線自治体からの協力要請を受けて、2021年4月29日から、阪神本線・阪神なんば線では深夜帯で一部列車の行き先を変更ないし運休としたほか、土休日ダイヤでは本線で11時台から14時台の大阪梅田発尼崎行き急行を運休(西宮発大阪梅田行き急行の折り返し運用。期間中は尼崎まで回送)とした[13]。なお、土休日ダイヤの大阪梅田発尼崎行き急行は同年6月5日から全列車運行を再開している。

2021年7月3日修正[編集]

近鉄のダイヤ変更により阪神なんば線の深夜の東花園行き普通2本を大阪難波行きに変更した(阪神電鉄線内の時刻は変更せず)。

2022年12月17日改正[編集]

今回の改正においては、本線・阪神なんば線における平日夕方ラッシュ時間帯における快速急行の尼崎駅での連結・解放作業の解消による所要時間短縮、平日日中時間帯の快速急行の減便、さらに深夜時間帯の減便と終電繰り上げが大きな変更点である[14]

快速急行は、平日夕方ラッシュ時間帯における尼崎駅での連結・解放作業を止めることで、本線でも8両編成での運転として混雑緩和を図る。これにより近鉄奈良駅〜西九条駅間から武庫川駅以遠の本線区間停車駅までの平均所要時間が3〜4分短縮する一方で、ホーム長の関係で芦屋駅には停車できなくなることから、この改正以降、芦屋駅では快速急行は平日朝ラッシュ時のみの停車となった(平日日中以降は全て通過に変更)。一方、武庫川駅・今津駅においては、逆に平日は日中以降全ての列車を停車となった。また、平日日中においては、快速急行は1時間あたり3本(概ね20分間隔)から2本(概ね30分間隔)に減便した(平日は上下とも1日あたり8本を削減。なお、土曜・休日は変更なし)。

平日日中においては、快速急行の減便の代替として、大阪梅田 - 尼崎間の急行のうち1時間あたり1本を西宮駅まで延長し、1時間あたり大阪梅田 - 西宮間4本・大阪梅田 - 尼崎間2本の運行とすることで、大阪梅田 - 西宮間は快速急行と急行とで改正前と同じく1時間あたり6本を確保した。

深夜時間帯においては、利用客の減少が著しいことから、減便と終電繰り上げを実施した。大阪梅田駅発では、最終の山陽姫路行き直通特急は24分繰り上げ22:36発に、最終の神戸三宮行き特急は15分繰り上げ23:45発に、平日のみ運行されている最終の御影行き急行は廃止し24:10発普通御影行きに、24:00発神戸三宮行き特急は甲子園行き急行(甲子園駅で普通御影行きに接続)に、終電でもある尼崎行き普通は10分繰り上げ24:20発に、それぞれ変更した。神戸三宮駅では、大阪梅田方面行きは、24:03発尼崎行き直通特急を御影止まりに、終電でもある24:20発普通石屋川行きを24:15発御影行きに、それぞれ変更した(大阪梅田行き最終は変更なし)。

阪神なんば線においては、平日日中の快速急行が1時間あたり2本に減少するほか、上り・下りとも終電を20分程度繰り上げた。また、平日日中の大和西大寺方面行き区間準急を一部を除いて普通に、早朝と深夜時間帯の尼崎行き普通の一部を区間準急に、それぞれ変更した。

神戸高速線においては、終電を上り・下りとも6〜10分繰り上げた。また、土曜・休日の朝にあった新開地駅発近鉄奈良行き快速急行3本は運転を取りやめ、神戸三宮駅発に変更した。

2024年3月16日(備考)[編集]

自社および乗り入れ先の山陽電気鉄道ではダイヤ改正を行わないが、近鉄側のダイヤ変更により朝の瓢箪山駅5時16分発尼崎行き普通が大和西大寺駅5時00分発大阪難波行き区間準急として運転し大阪難波駅から尼崎行き普通として運転する形に変更した(阪神電鉄線内の時刻に変更はない)。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ただし厳密には途中三宮駅のみに停車
  2. ^ 当時の列車運行図表によれば、昼間時の元町駅の特急停車番線の使用方は、原則として先に到着した西大阪線特急が奥側=車止側に入線し、その3分後に到着する特急が西大阪線特急の手前=折返用の両渡り線側に停車していた。発車時はこの逆で、到着後短い時間で本線特急を先に発車させ、続いてその直後に西大阪線特急を発車させていた。すなわち西大阪線特急は特急と続行運転であった(下り元町行きは尼崎駅より特急に先行、上り西九条行きは尼崎駅まで特急に続行)。
  3. ^ 編成組成の都合上、普通列車の増結車は1両または2両を列車により梅田駅側に増結する場合(これを阪神では「正当解放車」と称した)と元町駅側に増結する場合(同じく「反対解放車」と称した)とがあり、このうち元町駅側に増結車を連結していたものおよび2両編成の場合は、全車両が通常の前進運転が可能であった(ただし片運転台車の場合は保安上、可搬式尾灯を連結面側に取り付けて運転した)。一方、梅田駅側に増結車を連結している場合は、2両編成および単行でも当時少数存在していた両運転台車であった5101形の場合では、元町駅側の増結車と同様に通常の前進運転が可能であったが、それ以外の単行増結車については御影駅→石屋川駅間を連結面側に監視する車掌を乗務させた上で、運転士が反対側の運転台より推進運転を実施した。
  4. ^ これは阪急神戸本線からの直通列車も同様である。
  5. ^ 阪急側は当初の計画通り六甲駅までの運転であったが、山陽乗り入れ車は用地の関係で御影駅手前に設けられた折返設備で折返していた。
  6. ^ 一方、当時は特急で運用する車両の中央部分に取り付けられていた「特急」表示板は、区間特急については省略していた。
  7. ^ レールの錆取りを兼ねて、臨時列車や試運転列車が発着することはあった。
  8. ^ 後に阪神側では2001年に9300系、2007年より1000系が、山陽側でも2017年より6000系の3両編成を2編成連結した編成がそれぞれ営業運転を開始し充当可能形式に追加されている。また8000系8523Fについても後に山陽への乗り入れが解禁されている。
  9. ^ 阪神車(1000系・9000系)が限定で充当された
  10. ^ 土曜・休日でも連結・切り離しする列車は朝・夜間で僅かに存在する。

出典[編集]

  1. ^ 鉄道ピクトリアル1997年7月臨時増刊号(No.640)p.167「阪神電気鉄道 列車ダイヤのあゆみ」(執筆者・川島令三)でこの縦列停車の件が少し触れられている。
  2. ^ 鉄道ピクトリアル2020年10月号(No.978)さよなら阪神赤胴車特集「阪神特急の思い出-3011形の登場から3801系まで」p.64-74(執筆者・川島令三)では、先述の縦列停車(西大阪線特急と普通)とは別に、西大阪線特急と普通との縦列停車の件が少し触れられている。
  3. ^ 鉄道ピクトリアル2022年11月号(No.1005)p.58-66「ジェットカーの思い出」(執筆者・川島令三)に1枚のみではあるが、初代5001形(貫通化改造後)で運用して「準急 梅田-西宮」の表示板を掲出した写真(撮影も川島による)が掲載されている。
  4. ^ 鉄道ピクトリアル1997年7月臨時増刊号(No.640)p.169「阪神電気鉄道 列車ダイヤのあゆみ」および鉄道ピクトリアル2022年11月号(No.1005)p.58-66「ジェットカーの思い出」(いずれも執筆者・川島令三)にそれぞれ1枚のみではあるが、御影駅から石屋川駅に向かって推進運転で回送する5311形の写真(撮影も全部が川島による)が掲載されている。
  5. ^ 鉄道ピクトリアル2022年11月号(No.1005)p.42-44「青胴車、単行解放の記録」(執筆者・吉里浩一)に、夜間の解放の場面のみであるが、この当時の様子が写真で掲載されている。
  6. ^ 鉄道ピクトリアル2022年11月号(No.1005)p.58-66「ジェットカーの思い出」に書かれていた文面によると、この改正まで大半を占めていた全線通しの普通は無表示で運転していた(乗客側も車両の車体色などで区別していた)。しかも当時は車庫所在地駅を除く途中駅折り返しの普通が基本的に設定されておらず、車庫に入庫する列車のみに「尼崎行」「新在家行」(1967年以降は「石屋川行」)の表示板を掲出していただけであった。
  7. ^ 鉄道ピクトリアル2022年12月号(No.1006)p.177 「2022年11月号の訂正・補足」欄で「3両運転と単行解放の終了が1979年6月17日限り」と記述されていたことから、この日にダイヤ改正が実施されていたことが検証できる。
  8. ^ “平日朝ラッシュ時 岩屋駅に停車 阪神、来月1日から”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1998年6月22日) 
  9. ^ 3月20日(火・祝) 全線のダイヤ改正を実施!” (PDF). 阪神電気鉄道 (2012年1月20日). 2019年2月19日閲覧。
  10. ^ 3月19日(土) 全線のダイヤ改正を実施!” (PDF). 阪神電気鉄道 (2016年1月20日). 2019年3月4日閲覧。
  11. ^ 2020.3/14SAT 全線ダイヤ改正』(PDF)(プレスリリース)阪神電気鉄道、2020年3月6日https://rail.hanshin.co.jp/uploads/info/9fa658c4fef9e678766f09d85018670f9e07216e.pdf2020年3月14日閲覧 
  12. ^ a b c 本線で最終列車の時刻を繰り上げます~3月13日(土)から実施~』(PDF)(プレスリリース)阪神電気鉄道、2021年2月12日https://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20210212-syuuden-kuriage-1.pdf2021年2月12日閲覧 
  13. ^ 4月 29 日(木・祝)から一部列車の運休及び行先変更を行います” (PDF). 阪神電気鉄道 (2021年4月26日). 2021年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月27日閲覧。
  14. ^ 2022年12月17日(土)にダイヤ改正を実施します』(PDF)(プレスリリース)阪神電気鉄道、2022年10月12日https://www.hanshin.co.jp/company/press/pdf/20221012-unyu-daiyakaisei-2.pdf2022年10月22日閲覧 

参考文献[編集]

  • 鉄道ピクトリアル1997年7月臨時増刊号(「阪神電気鉄道」特集)、2017年12月臨時増刊号(同)、2020年10月号(「さよなら阪神赤胴車」特集)、2022年11月号(「阪神青胴車の記録」特集)
  • 阪神電気鉄道 阪神電車時刻表 1988年号、1991年号、1996年号
  • 阪神電気鉄道公式ホームページに於けるダイヤ改正発表プレスリリース
  • 阪神電気鉄道 列車運行図表 歴代のダイヤ改正時点でのもの
  • 奥田英夫・正垣修 著「関西の電車 僕らの青春 私鉄編」 2014年4月1日発行 神戸新聞総合出版センター ISBN 9784343007810
  • 川島令三 著「全国鉄道事情大研究 神戸篇」 1992年3月発行 草思社 ISBN 9784794204523

関連項目[編集]