身体拘束

身体拘束(しんたいこうそく、英語: Medical Restraint、医療拘束)とは、患者本人の自傷阻止、看護師や医者等を含む周囲への他害を防ぐために行われる行動制限である[1][2]医療拘束とも呼ばれる[3]


概要[編集]

医療用拘束具を使った拘束は落下や自傷など患者本人のため、看護師・介護士など従事者らに身体損傷を与えることを防ぐために行われている。阿保順子北海道医療大学特任教授は医療現場にとって医療拘束の存在なくして成り立たない現実と、最小限としたい理想との葛藤があると述べている。看護師や介護士の現場の声として、従事経験無しの人たちに現場で拘束措置と判断された患者らを一週間看護・介護体験してみることを推奨する声を紹介している[3]

世界保健機関は「精神保健法:10の原則」において、身体的抑制(隔離室や拘束衣など)や、化学的抑制を行う際は、仮に必要と判断された場合でも、以下を条件としなければならない(should)と制定している[4]

  1. 患者と代替手法について、話し合いを継続していくこと
  2. 資格を持った医療従事者によって、検査と処方を行うこと
  3. 自傷または他害を緊急に回避する必要性があること
  4. 定期的な状態観察
  5. 抑制の必要性の定期的な再評価。たとえば身体抑制であれば、30分ごとに再評価
  6. 厳格に制限された継続時間。たとえば身体抑制では4時間。
  7. 診療録への記載

国際連合人権理事会による拷問に関する国連特別報告者の会議や障害者権利条約では、全ての国家に対して、心理社会的障害を持つ者に対する、強制および同意のない介入の絶対的な禁止を、各国に要求している[5]国際連合人権理事会による拷問に関する国際連合特別報告者の会議では、すべての国家に対して、心理社会的障害または知的障害を持つ者に対する強制、および同意のない介入の絶対的な禁止を要求し、拘束や独居監禁も禁止されるべき介入の対象に含めている[6]

日本では、2000年に、高齢者の自立を支援することを目的とした介護保険法による介護保険制度が開始され、高齢者の介護施設での身体拘束が禁止された。厚生省令で基準で、指定介護老人福祉施設は、そのサービスの提供にあたり、生命や身体を保護するため緊急やむをえない場合以外の身体拘束は、行ってはならない。

精神科医療においては精神保健福祉法第36条の規定にて

  1. 精神科病院の管理者は、入院中の者につき、その医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができる。
  2. 精神科病院の管理者は、前項の規定にかかわらず、信書の発受の制限、都道府県その他の行政機関の職員との面会の制限その他の行動の制限であつて、厚生労働大臣があらかじめ社会保障審議会の意見を聴いて定める行動の制限については、これを行うことができない。
  3. 第一項の規定による行動の制限のうち、厚生労働大臣があらかじめ社会保障審議会の意見を聴いて定める患者の隔離その他の行動の制限は、指定医が必要と認める場合でなければ行うことができない。

第37条にて

  1. 厚生労働大臣は、前条に定めるもののほか、精神科病院に入院中の者の処遇について必要な基準を定めることができる。
  2. 前項の基準が定められたときは、精神科病院の管理者は、その基準を遵守しなければならない。
  3. 厚生労働大臣は、第一項の基準を定めようとするときは、あらかじめ、社会保障審議会の意見を聴かなければならない。

と定められている。

なお第37条において、厚生労働省では基準として

切迫性
利用者本人又は他の利用者等の生命、身体、権利が危険にさらされる可能性が著しく高いこと。
非代替性
身体的拘束その他の行動制限を行う以外に、代替するサービスの方法がないこと。
一時性
身体的拘束その他の行動制限が、一時的なものであること。

を定めている。

精神保健福祉法において、身体的拘束は、措置入院緊急措置入院応急入院医療保護入院の患者に対して行うことが想定されているが、任意入院患者に行うことができる(退院制限がされている必要もない。ただし現実には、拘束を要する状態であり、かつ、任意入院に同意する能力があって退院を要求しない状態であるのは例外的であろう)。なお、医療観察法の入院では、別に基準が定められている。

身体拘束に関連する傷害に関するシステマティック・レビューは、12の観測研究からし、身体拘束が死亡、転倒、傷害の重傷度、入院期間を延長させるリスクを高めることをした[7]

是非[編集]

前述のように、身体拘束は、精神保健指定医の診察を受けた上で指示を受けた上で実施する必要があるが、実際は、指示を受けないまま、身体拘束が過剰に実施されたとされる事例もある。

1990年代イギリスでは、患者を鎮静させる目的で拘束された患者へ抗精神病薬の大量投与が筋肉注射で行われたため、死亡する可能性が発覚し、全ての集中治療室 (ICU) において、緊急時の鎮静のためのプロトコルが作成された[8]。第一選択薬の傾向はロラゼパムであり、鎮静作用のある非定型抗精神病薬は、循環器副作用のため適さないと考えられている[8]

大阪府貝塚市の精神科病院に自宅前で倒れていたアルコール依存症の男性がで2008年1月17日から入院していた。しかし、看護師らが見ていない間に男性患者が動いたことと、ベルトの一部の拘束が緩かったために身体が左横にずり落ちていて、腹部の拘束帯だけで宙づりになっていた状態で死亡しているのが、同年1月21日明け方に発見される事故が起きた[9]。その際に、当該病院に勤務する複数の看護師が、指示を受けないまま身体拘束が行われ、厚生労働省へ提出する資料も改竄されていたとの証言もでていた[10]。今回の直接的な逮捕容疑としては、担当医師の指示で看護師が患者を拘束した際に拘束ベルトの締め方がゆるかったことで死亡させたことへの過失の容疑であった。死亡患者の遺族は、医師と看護師が巡回を怠った注意義務違反が死亡事故の原因として、病院を相手に約1億1000万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした[9]。 厚生労働省が調査した統計によれば、日本の精神科病院で、身体をベッドにくくりつけられたり、拘束具で縛ったり、保護室に収容される身体拘束をされた患者数は、2014年(平成26年)6月30日の時点で1万682人である[11]。そのうち医療保護入院は8,977人、都道府県知事らが決める措置入院は232人だった。都道府県別では北海道1,067人、東京都1,035人、千葉県が888人である。施錠された保護室への隔離は、1万94人で、医療保護入院患者8,377人、措置入院患者549人である[12]。2017年4月30日朝、神奈川県横浜市に住んでいる、兄のマンションに遊びに来ていたニュージーランド国籍の男性が、突然大声を出して、患っていた双極性障害の症状で外に飛び出そうとした。男性の兄は、バスケットボールで鍛えた大柄の体を押さえられなかったため、110番通報した。神奈川県警察の警察官8人が弟を押さえ、精神科病院に搬送された[13]。翌日に活動的になる躁病として入院し、手首、足首、腰を拘束され、10日後に心臓発作を起こし、その7日後に死亡した[14]。彼の兄は、暴力的でなく強制的な拘束が必要となるような症状ではなかったとし、心臓内科医は静脈血栓塞栓症の典型的な兆候を示していたことと、強い薬への反応が死因になりえると主張した[14]。遺族は、日本の精神科病院における、長期的な身体拘束を止める活動を行うようになり[14]ニュージーランド政府を通じて日本国政府に働きかけを行っている[15]

2021年10月には精神科病院に入院中の男性統合失調症患者が精神保健指定医の判断のもとで行われた身体拘束によるエコノミー症候群で死亡した際に、家族が病院に損害賠償を求めた訴訟で、1審金沢地裁判決は医師の裁量を認めて違法ではないと病院側の主張を認めたが、2審判決は、身体的拘束を命じた精神保健指定医の判断は裁量を逸脱していたとして、患者の死亡結果に対して全責任を負うとして慰謝料等の支払いを命じた。最高裁は病院側の上告を退け、約3500万円の支払いを認めた2審名古屋高裁金沢支部判決が確定した。精神保健指定医による身体拘束の判断が違法とされたのは初めてのことだったため、民間の1186の精神科病院でつくられる公益社団法人「日本精神科病院協会」は2021年11月26日に記者会見を開催し、「判決は到底容認できない」「患者の安全を確保しつつ、適切な治療のために必要」などとする声明を発表した[16]。加盟する精神科病院からは「身体拘束をためらってしまうことで、拘束が必要な患者を今後は受け入れられない」とする声が上がった。日精協の山﨑學会長は、「身体拘束は精神保健福祉法の規定にもとづき、厳格に管理されています。」「現場も患者さんの状態もわからない裁判長に、こんな判断を出されてしまうと、身体拘束が必要な患者さんを受け入れられないことになります」「判決は、看護師を8人揃えておけば合法になるとしていますが、1人の患者さんのために8人を常に用意することはできません」「判決を下した裁判官たちは精神科病院を見学しているんでしょうか? 拘束の現場を見て、どんな拘束行動が行われているのか基本知識を得て、判決を出したのか。非常に疑問を感じます」「人員が揃わなければ、拘束が必要な患者さんは全部お断りすることになると思います。そうしたとき、患者さんをたらい回しにしたとか、入院を拒否したとして、病院が叩かれるわけです。判決には断固抗議の姿勢を示します」と判決の影響の大きさと実態無視だと糾弾している[16]。2審判決の賠償判決の根拠が「身体拘束の開始日に、看護師8人で対応した結果、暴力等が見られなかったことなどから、身体的拘束の要件に当たらない。」であったことに「夜間・休日はおろか、通常の勤務体制でも、こうした手厚い人員体制を常にとることは到底不可能で、精神科医療の現場の実態とかけ離れた判断と言わざるをえない。」と指摘している[16]

出典[編集]

  1. ^ 一般社団法人日本精神科看護協会『精神科看護ガイドライン2011』(PDF)2011年9月、Chapt.2.8。ISBN 978-4862940414http://www.jpna.jp/sponsors/pdf/guideline-2011.pdf 
  2. ^ 声明 - 日本精神科病院協会
  3. ^ a b 精神医療 92号: 特集拘束p18, 『精神医療』編集委員会 - 2018
  4. ^ Division of Mental Health and Prevention of Substance Abuse (1996). MENTAL HEALTH CARE LAW: TEN BASIC PRINCIPLES (PDF) (Report) (英語). 世界保健機関. p. 4. WHO/MNH/MND/96.9。
  5. ^ United Nations (1 February 2013). "89(b)". Report of the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or degrading treatment or punishment, Juan E. Méndez (pdf) (Report) (英語).
  6. ^ United Nations (1 February 2013). "89(b)". Report of the Special Rapporteur on torture and other cruel, inhuman or degrading treatment or punishment, Juan E. Méndez (pdf) (Report) (英語).
  7. ^ Evans, David; Wood, Jacquelin; Lambert, Leonnie; et al. (2003). “Patient injury and physical restraint devices: a systematic review” (英語). Journal of Advanced Nursing 41 (3): 274–282. doi:10.1046/j.1365-2648.2003.02501.x. PMID 12581115. 
  8. ^ a b デイヴィッド・ヒーリー 著、田島治、江口重幸監訳、冬樹純子 訳『ヒーリー精神科治療薬ガイド』(第5版)みすず書房、2009年7月、25頁。ISBN 978-4-622-07474-8 、Psychiatric drugs explained: 5th Edition
  9. ^ a b SMS. “【違法拘束】精神科患者死亡めぐり「貝塚中央病院」元看護師を逮捕|ケアマネタイムスbyケアマネドットコム”. ケアマネタイムス by ケアマネドットコム. 2021年11月26日閲覧。
  10. ^ “患者拘束死で虚偽の報告書 理事長証言、大阪府調査”. 47NEWS. 共同通信 (全国新聞ネット). (2011年2月18日). オリジナルの2015年8月17日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20150817052606/http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021801000062.html 
  11. ^ 佐藤光展 (2017年2月1日). “身体拘束と隔離がまた増えた”. yomiDr. (読売新聞東京本社). https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20170201-OYTET50013/?catname=column_sato-mitsunobu 2017年6月14日閲覧。 
  12. ^ 井上充昌 (2017年3月21日). “精神科で身体拘束、最多1万人超 重症患者増加も要因か”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞). http://www.asahi.com/articles/ASK3P4J5FK3PUTFK00C.html 2017年4月2日閲覧。 
  13. ^ 身体拘束家族の声(5)”. yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞). 2019年9月11日閲覧。
  14. ^ a b c Daniel Hurst, Eleanor Ainge Roy (2017年7月13日). “New Zealand man died after being tied to bed in Japanese hospital, says family” (英語). The Guardian. https://www.theguardian.com/world/2017/jul/13/new-zealand-man-dies-tied-bed-japanese-hospital?CMP=share_btn_tw 2017年7月31日閲覧。 
  15. ^ Karen Brown (2017年7月13日). “Call for answers after NZ man dies in Japan hospital” (英語). RNZ. http://www.radionz.co.nz/news/national/335007/call-for-answers-after-nz-man-dies-in-japan-hospital 2017年7月31日閲覧。 
  16. ^ a b c 精神科の身体拘束で死亡、賠償判決に「裁判官は現場を知らない」日精協が強い抗議(弁護士ドットコムニュース)”. Yahoo!ニュース. 2021年11月26日閲覧。

関連項目[編集]