豊橋鉄道渥美線

豊橋鉄道 渥美線
高師緑地を縦貫する渥美線(1800系1809「桜号」、南栄 - 高師間)
高師緑地を縦貫する渥美線
1800系1809「桜号」、南栄 - 高師間)
概要
起終点 起点:新豊橋駅
終点:三河田原駅
駅数 16駅
ウェブサイト 豊鉄渥美線
運営
開業 1924年1月22日 (1924-01-22)[1]
最終延伸 1927年10月11日 (1927-10-11)
所有者 渥美電鉄→名古屋鉄道
豊橋鉄道[2]
路線諸元
路線総延長 18.0 km (11.2 mi)
路線数 単線
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 160 m (520 ft)
電化 直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度 最高70 km/h (43 mph)[3]
最急勾配 30パーミル
路線図
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渥美線(あつみせん)は、愛知県豊橋市新豊橋駅から田原市三河田原駅までを結ぶ豊橋鉄道鉄道路線である[1]

渥美半島に延びる鉄道で、同半島の城下町として発展した田原市や開発が進む沿線からの豊橋などへの通勤・通学路線となっている。三河田原駅で豊鉄バス伊良湖岬方面とのバスと連絡している。

本記事では、かつてこの路線を運営していた渥美電鉄名古屋鉄道に合併)についても述べる。

路線データ[編集]

  • 路線距離(営業キロ):18.0km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:16駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
  • 保安装置:名鉄式ATS(M式ATS)
  • 最高速度:70km/h[3]

運行形態[編集]

すべて各駅に停車する普通列車である。23時台の新豊橋発の終電が高師行きで運行される以外は新豊橋駅 - 三河田原駅間の全線通し運行である。新豊橋と三河田原の両駅を8 - 21時台に出発する列車は完全な15分間隔となっており、これ以外の時間帯では間隔は一定でない。終日車掌が乗務しており、ワンマン運転は行われていない。

2008年の新豊橋駅移転前は23時台後半に(三河田原発の回送列車からの)高師発新豊橋行きで、折り返し新豊橋発高師行きとなる列車があった。

営業列車の行き違いは大半が小池駅芦原駅大清水駅杉山駅神戸駅で行われ、植田駅では22時台から行われる。老津駅では通常行われない。新豊橋駅では2つの線路に列車を交互に発着させることができるようにしている。三河田原駅には4線あるが、日中は1本の列車が1本の線路(2番線)で単純に折り返すのみである。

日中は高師駅以北や老津駅以南で非営業列車を運行する余地がないため(通常使わない線路に入線させれば理論上三河田原駅までの運行は可能)、試運転や企画列車は原則として高師駅 - 老津駅間で運行される。

運賃[編集]

利用状況[編集]

輸送実績[編集]

輸送量は堅調である。他の中小私鉄路線で見られるような通学定期の減少があまりなく、非常に健闘している。

渥美線の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別輸送実績
年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日
貨物輸送量
万t/年度
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
1975年(昭和50年) 168.3 271.4 343.0 782.7 6,949 20.7  
1976年(昭和51年) 147.6 262.0 329.1 738.7 6,334 22.7  
1977年(昭和52年) 147.5 276.1 321.6 745.3 6,301 21.6  
1978年(昭和53年) 136.9 288.7 310.3 736.1 6,124 22.1  
1979年(昭和54年) 137.6 284.3 319.1 741.1 6,051 21.4  
1980年(昭和55年) 135.3 276.5 330.7 742.5 6,168 14.9  
1981年(昭和56年) 131.9 270.4 335.8 738.2 6,229 10.1  
1982年(昭和57年) 129.6 243.5 319.9 693.0 5,837 8.3  
1983年(昭和58年) 120.4 244.5 313.9 678.8 5,611 5.2 貨物営業廃止
1984年(昭和59年) 114.7 229.9 295.3 639.9 5,284 0.0  
1985年(昭和60年) 107.3 223.8 307.4 638.5 5,321 0.0 急行を廃止
1986年(昭和61年) 107.3 225.5 323.9 656.7 5,521 0.0  
1987年(昭和62年) 109.3 223.4 322.9 655.6 5,604 0.0  
1988年(昭和63年) 111.2 233.1 333.7 678.0 5,976 0.0  
1989年(平成元年) 112.0 239.7 345.2 696.9 6,194 0.0 神戸駅開業
1990年(平成2年) 112.0 256.5 366.6 735.1 6,682 0.0  
1991年(平成3年) 112.8 269.2 388.7 770.7 6,957 0.0  
1992年(平成4年) 108.9 274.6 400.4 783.9 7,225 0.0  
1993年(平成5年) 104.0 276.1 410.0 790.1 7,258 0.0  
1994年(平成6年) 100.6 283.6 403.9 788.1 7,268 0.0  
1995年(平成7年) 99.4 277.3 402.0 778.7 7,176 0.0  
1996年(平成8年) 98.9 272.6 406.1 777.6 7,302 0.0  
1997年(平成9年) 99.1 264.9 403.2 767.2 7,133 0.0 架線電圧昇圧 全車両冷房化
1998年(平成10年) 98.6 266.5 394.4 759.5 7,184 0.0  
1999年(平成11年) 93.5 263.8 386.2 743.5 7,007 0.0  
2000年(平成12年) 90.7 272.7 383.2 746.6 7,072 0.0  
2001年(平成13年) 91.9 273.9 377.9 743.7 7,036 0.0  
2002年(平成14年) 88.9 274.0 371.5 734.4 6,988 0.0  
2003年(平成15年) 84.5 279.5 369.6 733.6 6,996 0.0  
2004年(平成16年) 88.3 271.4 363.1 722.8 6,967 0.0  
2005年(平成17年) 98.7 271.0 361.8 731.5 7,068 0.0  
2006年(平成18年) 101.9 271.5 361.9 735.3 7,097 0.0  
2007年(平成19年) 109.2 271.5 365.9 750.5 7,225 0.0  
2008年(平成20年) 114.5 289.2 378.6 782.3 7,551 0.0  
2009年(平成21年) 115.3 284.6 359.8 759.7 7,232 0.0  
2010年(平成22年) 115.0 283.2 352.3 750.4   0.0  
2011年(平成23年) 123.3 307.8 346.7 777.8   0.0  
2012年(平成24年) 127.1 243.8 340.3 711.2 7,126 0.0  
2013年(平成25年) 136.6 270.9 348.5 756.0 7,428 0.0  
2014年(平成26年) 143.6 264.2 341.7 749.5 7,259 0.0  
2015年(平成27年) 147.3 281.0 341.7 770.0 7,329 0.0  
2016年(平成28年) 150.8 289.0 334.5 774.3 7,324 0.0  
2017年(平成29年) 154.7 289.2 335.6 779.5 7,361 0.0  
2018年(平成30年) 156.6 289.4 328.9 774.9 7,363 0.0  
2019年(令和元年) 161.3 286.6 320.0 767.9 7,256 0.0  
2020年(令和2年) 141.4 167.5 183.8 492.7 4,864 0.0  

営業成績[編集]

最近では、営業収益の変動は少なく、比較的良好な運営状態といえる。

渥美線の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別営業成績
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 貨物運輸収入
千円/年度
運輸雑収
千円/年度
営業収益
千円/年度
営業経費
千円/年度
営業損益
千円/年度
営業
係数
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
1975年(昭和50年) 243,363 ←←←← 321,504 9,170 574,037 38,641 27,194 639,872      
1976年(昭和51年) 281,390 ←←←← 359,780 11,592 652,762 52,064 30,190 735,016      
1977年(昭和52年) 288,888 ←←←← 375,306 13,679 677,874 61,639 13,821 753,335      
1978年(昭和53年) 316,442 ←←←← 403,076 12,568 732,087 66,561 15,845 814,494      
1979年(昭和54年) 338,470 ←←←← 436,749 11,220 786,439 70,655 16,696 873,792      
1980年(昭和55年) 374,413 ←←←← 495,106 8,464 877,983 59,709 15,902 953,595      
1981年(昭和56年) 371,049 ←←←← 500,216 6,493 877,758 47,293 13,480 938,532      
1982年(昭和57年) 385,806 ←←←← 541,397 3,886 931,089 39,623 15,034 985,746      
1983年(昭和58年) 371,305 ←←←← 530,411 2,214 903,929 24,614 14,282 942,825      
1984年(昭和59年) 372,296 ←←←← 537,148 1,784 911,227 0 12,943 924,170      
1985年(昭和60年) 358,759 ←←←← 563,183 1,979 923,921 0 12,470 936,391      
1986年(昭和61年) 362,167 ←←←← 595,933 1,750 959,850 0 11,967 971,817      
1987年(昭和62年) 160,268 202,630 595,483 1,342 959,723 0 11,087 970,810      
1988年(昭和63年) 162,085 216,868 520,166 1,255 1,000,374 0 11,392 1,011,766      
1989年(平成元年) 165,246 224,636 658,010 1,316 1,049,208 0 12,520 1,061,728      
1990年(平成2年) 165,321 247,200 708,621 1,253 1,122,395 0 16,192 1,138,587      
1991年(平成3年) 165,949 256,767 753,357 1,223 1,177,296 0 16,980 1,194,276      
1992年(平成4年) 160,449 265,503 774,250 1,322 1,201,524 0 16,259 1,217,783      
1993年(平成5年) 154,090 267,782 791,882 1,292 1,215,046 0 16,432 1,231,478      
1994年(平成6年) 147,965 277,354 782,522 1,254 1,209,095 0 15,355 1,224,450      
1995年(平成7年) 145,660 273,111 779,641 1,294 1,199,706 0 17,305 1,217,011      
1996年(平成8年) 143,254 274,457 795,706 1,174 1,214,591 0 15,966 1,230,557      
1997年(平成9年) 139,996 265,102 796,366 1,116 1,202,580 0 17,472 1,220,052      
1998年(平成10年) 140,439 262,161 786,456 1,089 1,190,145 0 15,510 1,205,655      
1999年(平成11年) 138,009 259,496 772,878 1,115 1,171,498 0 16,161 1,187,659      
2000年(平成12年) 135,237 267,117 769,992 1,134 1,173,480 0 16,093 1,189,573      
2001年(平成13年) 136,050 268,567 760,794 1,066 1,166,477 0 17,250 1,183,727      
2002年(平成14年) 129,957 269,126 754,767 893 1,154,443 0 15,300 1,169,743      
2003年(平成15年) 120,999 276,959 758,996 876 1,157,830 0 20,455 1,178,285      
2004年(平成16年) 127,555 270,871 750,060 904 1,149,390 0 30,117 1,179,507      
2005年(平成17年) 143,381 270,391 754,956 901 1,169,629 0 29,178 1,198,807      
2006年(平成18年) 150,404 262,203 756,499 883 1,169,989 0 29,774 1,199,763 1,012,537 187,226 84.4
2007年(平成19年)                      
2008年(平成20年)                      
2009年(平成21年) 174,665 270,750 733,741 53 1,179,209 0 34,007 1,213,216      
2010年(平成22年)                      
2011年(平成23年)                      
2012年(平成24年) 197,505 250,884 703,631 69 1,179,089 0 37,351 1,216,440 1,181,791 34,649 97.2
2013年(平成25年) 207,295 269,297 744,929 51 1,221,572 0 30,097 1,251,669 1,185,408 66,261 94.7
2014年(平成26年) 213,913 256,316 738,333 22 1,208,584 0 28,709 1,237,293 1,172,313 64,980 94.7
2015年(平成27年) 488,233 ←←←← 729,029 13 1,217,275 0 25,554 1,242,829 1,170,658 72,171 94.2
2016年(平成28年) 501,220 ←←←← 705,211 16 1,206,447 0 29,751 1,236,198 1,145,119 91,079 92.6
2017年(平成29年) 507,306 ←←←← 708,535 2 1,215,843 0 26,701 1,242,544 1,165,776 76,768 93.8
2018年(平成30年) 506,229 ←←←← 709,644 0 1,215,873 0 29,493 1,245,366 1,184,328 61,038 95.1
2019年(令和元年) 512,301 ←←←← 687,283 1 1,199,585 0 34,350 1,233,935 1,229,466 4,469 99.6
2020年(令和2年) 392,885 ←←←← 384,970 0 777,855 0 27,281 805,136 1,119,202 △314,066 139.0

車両[編集]

運用中の車両[編集]

渥美線の車両

現在はすべて元東京急行電鉄7200系1800系と改称され、3両編成で運用されている。全車両ともワンマン運転には対応していないので、すべての列車に車掌も乗務する。

渥美線では、1968年の大改番以降、車両形式4桁のうち千の位と百の位で車体長(全長)を表している(7300系を除く)。すなわち、1800系は「18m車」ということを表している。また、付随車は電動車の形式に1000を加えた2000番台を附番する慣例であり、1800系の制御付随車はク2800形となる。

運用終了車両[編集]

渥美電鉄創業期の車両はデホハ1形3両、デハ100形3両、ワ500形4両、ト700形4両いずれも新造車であった[4]

過去に運用された車両は電気機関車やデワ10形電動貨車(元デハ100形電車)等の貨車を含めて多数存在する。

1967年以降、電車の塗色がそれまでの緑色とクリーム色からクリーム色に赤帯に変更され、1500V昇圧までつづいた。塗装変更の理由は1967年1月27日に発生した踏切事故の原因が沿線の木々と車体の緑色が保護色となり車から見えなかったのではないかという議論が起きたからだという[5]

以下に1970年代以降に在籍した車両のうち全長13m級以上の旅客電車を全て挙げる。

なお、600V時代の車両の多くは他社から譲受けた車体に国鉄型の走行機器を組合わせて使用していた(ただし1700系と1730系は当初原型の走行機器のまま運用し、後年国鉄型に交換した。7300系、モ1710形、1600系、モ1400形、ク2400形、ク2310形、ク2300形は国鉄型走行機器を採用していない)。


カラフルトレイン[編集]

「カラフルトレイン」として、1800系の各編成を、渥美半島を代表する花をテーマにしたイメージ色にカラーリングし、その花のヘッドマークを掲出して運行している[7]

車両
1801号 ばら
1802号 はまぼう
1803号 つつじ
1804号 ひまわり
1805号 菖蒲
1806号 しでこぶし
1807号 菜の花
1808号 椿
1809号
1810号

車両運用[編集]

日中は7編成使用され、残りは高師駅及び車両区で検査・留置されている。日中に車両交換が行われる場合は高師駅で行われる。

なお、車両交換は事故、車両故障などの非常時をのぞいて、必ず上り列車(新豊橋行き)で行う。これは、高師駅下り列車に対する場内・出発信号機が下り本線進入・進出の1進路のみに対して、上り列車に対する場内・出発信号機は上り・下り本線進入・進出の2進路に対応しているためである。

夜間滞泊は車両区のある高師駅のほか、新豊橋駅、三河田原駅でも行われる。このときだけ三河田原駅の5本の線路が全て埋まる。

車両区の火災による車両不足[編集]

2001年(平成13年)4月16日午前1:00頃、高師駅構内の車両基地が放火と思われる火災で焼失した。1800系電車が3本留置されていたが、このうち1801Fのモ1801とモ1811の2両が焼けて解体された。このため、部品取り用の先頭車2両を営業用として整備して、焼けたモ1801とモ1811の車籍が付けられた。ク2801は無傷だったためそのまま使用されている。この火災の影響で車両区内が停電し、1809Fの営業運転開始が遅れた。運用は7本でやりくりしていかなければならず、車両不足が発生した。

2008年7月、上田電鉄から廃車予定だった7200系モハ7251-クハ7551の2両を譲受、モ1860-ク2810に改番し、残りの部品取り用の先頭車両を整備したモ1810と組み合わせた。クハ7551は側面方向幕があったが、上田電鉄(当時は上田交通)入線時に撤去されている。豊橋鉄道入線時には軌条塗油器つきのパイオニア台車だったがTS-815型に交換され、軌条塗油器も撤去された。これにより3両編成×10本の陣容となり車両不足は解消した。

サイクルトレイン[編集]

渥美線の新たな利用方法として、有料で1車両に10台まで自転車を持込むことができるサイクルトレインが運行されている[8]トライアスロン伊良湖参加者や、渥美サイクリングロードを走るサイクリング利用者のために設定された。利用日等制限がある日がある。

  • 平日の10:00〜14:59、土日祝日の全列車
  • 利用料 1台 100円
  • 乗車位置が決まっている。

歴史[編集]

渥美電鉄
種類 株式会社
本社所在地 愛知県豊橋市花田町東郷12-2[9]
設立 1922年(大正11年)3月6日[9]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業 他[9]
代表者 社長 上林杢左衛門[9]
資本金 1,900,000円(払込額)[9]
特記事項:上記データは1937年(昭和12年)4月1日現在[9]
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渥美半島を縦貫する鉄道として計画され、1921年に渥美電鉄に対し豊橋市大字花田-渥美郡福江町間の軌道敷設特許状が下付され、師団口(のちの高師口) - 三河田原間が1924年中に開業した。豊橋への乗り入れは、市街地であるため土地取得に手間取ったものの、1927年に現在の新豊橋駅まで開業した。

路線は後に黒川原駅まで延伸されたが、資金難から黒川原以西への延長は1934年に断念。渥美電鉄は名古屋鉄道(名鉄)の経営傘下に入った後、1940年に合併され名鉄渥美線となった。

しかし、鉄道敷設法で「愛知県豊橋ヨリ伊良湖岬ニ至ル鉄道」として挙げられ[10]陸軍技術研究所伊良湖試験場などもあることから国鉄線として建設することになり、黒川原 - 三河福江 - 堀切間が新設線として着工されたが、戦局の悪化から建設は中断。三河田原 - 黒川原間が不要不急路線として休止された。豊橋 - 黒川原間は渥美線を国有化する予定であったが終戦により立ち消えとなった。

名古屋鉄道は1954年10月に渥美線新豊橋 - 三河田原間を豊橋鉄道に譲渡し、豊橋鉄道渥美線となった[11]。休止中の三河田原 - 黒川原間については名鉄籍のまま、同年11月に廃止された。

線路敷設予定地と思われるところが愛知県田原市石神町の国道259号線付近にある。伊良湖岬方面に向かう方は左側を、豊橋方面に向かう方は右側を見ると判りにくいが確かに線路敷設予定地と思われるものが見える。

年表[編集]

  • 1921年(大正10年)4月12日 渥美電鉄に対し軌道特許状下付(豊橋市大字花田-渥美郡福江町間)[12][13]
  • 1924年(大正13年)
    • 1月22日 渥美電鉄が高師 - 豊島間を開業[14][15]、直流600V電化。
    • 3月8日 豊島 - 神戸間が開業。
    • 4月25日 師団口(後の高師口) - 高師間が開業。
    • 6月10日 神戸 - 田原(現在の三河田原)間が開業[16][17]
  • 1925年(大正14年)
    • 5月1日 新豊橋(初代) - 師団口間が開業。
    • 6月1日 松山駅を柳生橋駅に、田原駅を三河田原駅に改称[18]
  • 1926年(大正15年)4月10日 三河田原 - 黒川原間が開業。
  • 1927年(昭和2年)
    • 10月1日 豊橋駅前 - 新豊橋(初代)間が開業[18]
    • 10月13日 豊橋駅前駅を新豊橋駅(2代)に、新豊橋駅(初代)を花田駅に改称[18]
  • 1930年(昭和5年)
  • 1931年(昭和6年)5月9日 新豊橋 - 高師間を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更[20][22]
  • 1937年(昭和12年)
    • 10月9日 起業廃止(許可)(1921年4月12日免許 豊橋市渥美郡田原町-同郡福江町間)[23]
    • 12月28日 陸軍病院前駅臨時開業申請[18]
  • 1940年(昭和15年)
    • 4月23日 小池駅移設認可(黒川原方面へ0.1㎞移設)[18]
    • 8月11日 陸軍病院前駅を常設化[18]
    • 9月1日 名古屋鉄道が渥美電鉄を合併、渥美線となる[15]
  • 1943年(昭和18年)11月1日 師団口駅を高師口駅に、兵器廠前駅を町畑駅に改称。
  • 1944年(昭和19年)6月5日 名古屋鉄道が渥美線三河田原 - 黒川原間、および花田駅、高師口駅、町畑駅、空池駅、芦原駅、谷熊駅、天白駅、神戸駅(初代)休止。
  • 1946年(昭和21年)以前 陸軍病院前駅を病院前に改称。
  • 1947年(昭和22年)1月10日 病院前駅を南栄駅に改称。
  • 1954年(昭和29年)
    • 10月1日 名古屋鉄道が渥美線新豊橋 - 三河田原間を豊橋鉄道へ譲渡[11]
    • 11月20日 名古屋鉄道が休止中の渥美線三河田原 - 黒川原間を廃止。
    • 11月21日 花田操車場が新豊橋方から0.2km移転[24]
  • 1959年(昭和34年)1月16日 向ヶ丘駅開業。
  • 1962年(昭和37年)3月15日 芦原駅営業再開[24]
  • 1965年(昭和40年)10月1日 急行を運転開始。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 高師口駅を大学前駅として営業再開。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 谷熊駅をやぐま台駅として営業再開。
  • 1972年度(昭和47年度) 新豊橋駅付近、0.1km短縮[25]
  • 1977年(昭和52年)休止中の町畑駅、空池駅、天白駅、神戸駅(初代)廃止[19]
  • 1984年(昭和59年)2月1日 貨物営業廃止、花田操車場を花田信号所に変更。
  • 1985年(昭和60年)9月1日 急行を廃止。
  • 1986年(昭和61年) 小池 - 大学前間に小池隧道を設置し、新線切り替え(国道259号バイパス建設のため)。
  • 1989年(平成元年)7月10日 神戸駅(2代)開業(神戸信号所から変更)。
  • 1996年(平成8年)4月28日 芦原 - 植田間で、愛知県道31号東三河環状線との立体交差のための高架線路に切り替え、梅田川橋梁も架け替えられる。開業記念式典は5月24日に実施[26]
  • 1997年(平成9年)7月2日 架線電圧を1500Vに昇圧、名鉄7300系(計28両)に全車置き換え、全車両冷房化、「なのはな号」と「なぎさ号」が登場。最高速度を60km/hから75km/hに向上[6]
  • 2000年(平成12年)12月22日 元東急7200系の1800系営業運転開始(当時2編成)[27]
  • 2002年(平成14年)3月31日 7300系で最後まで残った7304F(初代なのはな号)が引退。
  • 2005年(平成17年)1月29日 大学前駅を愛知大学前駅に改称。
  • 2008年(平成20年)6月5日 新豊橋駅移転[11]
  • 2011年(平成23年)9月 土休日にサイクルトレイン運行開始。
  • 2013年(平成25年)
  • 2017年(平成29年)7月 平日にもサイクルトレイン運行開始。


駅一覧[編集]

  • 全駅愛知県に所在。
  • 廃止区間の駅名、所在地は廃止時点のもの。
  • 運行されている営業列車は普通列車のみで、全駅に停車する。
  • 2008年6月より、各駅に駅ナンバリングが導入された。
凡例
線路(全線単線) … |:棒線駅(交換不可) ∨・∧・◇:交換可能駅
営業区間
駅番号 駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 駅員配置 所在地
1 新豊橋駅 - 0.0 東海旅客鉄道■ 東海道新幹線CA 東海道本線浜松方面名古屋方面〉(CA42)・CD 飯田線 (CD00)(豊橋駅
名古屋鉄道NH 名古屋本線(豊橋駅: NH01)
豊橋鉄道 東田本線駅前停留場: 1)
豊橋市
  花田信号所 - (0.4)   -
2 柳生橋駅 1.0 1.0  
3 小池駅 0.7 1.7   -
4 愛知大学前駅 0.8 2.5  
5 南栄駅 0.7 3.2  
6 高師駅 1.1 4.3  
7 芦原駅 1.0 5.3   -
8 植田駅 1.0 6.3   -
9 向ヶ丘駅 0.8 7.1   -
10 大清水駅 1.4 8.5  
11 老津駅 2.2 10.7   -
12 杉山駅 2.0 12.7   -
13 やぐま台駅 1.3 14.0   - 田原市
14 豊島駅 1.6 15.6   -
15 神戸駅 1.5 17.1   -
16 三河田原駅 0.9 18.0  
廃止区間(黒川原方面)
廃止区間
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
三河田原駅 - 18.0   渥美郡
田原町
加治駅 1.4 19.4  
黒川原駅 1.4 20.8  
未成区間(福江方面)

未成区間[編集]

渥美電鉄による福江延伸案[28]
黒川原駅 - 大久保駅 - 日留輪駅 - 泉駅 - 清田駅 - 福江駅
  • この他にも途中駅を数駅設ける予定だったと推定される[28]
鉄道省による堀切延伸案[28]
黒川原駅 - 三河大久保駅 - 三河野田駅 - 馬草駅 - 宇津江駅 - 三河泉駅 - 伊川津駅 - 高木駅 - 三河福江駅 - 三河中山駅 - 三河亀山駅 - 伊良湖岬駅

廃駅[編集]

廃止区間の駅は上表を参照。

  • 司令部前駅(愛知大学前駅 - 南栄駅間) - 1930年廃止。
  • 町畑駅(愛知大学前駅 - 南栄駅間) - 1944年6月5日休止、1977年に廃止。
  • 空池駅(南栄駅 - 高師駅間) - 1944年6月5日休止、1977年に廃止。
  • 天白駅(豊島駅 - 神戸駅(2代)間) - 1944年6月5日休止、1977年に廃止。
  • 神戸駅(初代、神戸駅(2代) - 三河田原駅間) - 1944年6月5日休止、1977年に廃止。

施設[編集]

線形[編集]

  • 曲線半径160mの急曲線が小池駅 - 愛知大学前駅間の小池隧道内にある。
  • 最急勾配は柳生橋駅 - 小池駅間で東海道本線を乗り越す部分の新豊橋方に30‰(パーミル)がある。

軌道[編集]

  • 軌間は1067mmである。
  • 使用軌条(レール)は、本線では50Nレールを使用する区間が増え、40Nレールを淘汰しつつあり、重軌条化が進んでいる。
  • 枕木は、本線においてはPCマクラギの使用が増え、木マクラギの使用は少なくなった。

分岐器・転轍器[編集]

橋梁[編集]

  • 柳生川橋梁
  • 梅田川橋梁
  • 紙田川橋梁
  • 蜆川橋梁
  • 汐川橋梁

隧道[編集]

駅設備[編集]

  • 行き違い可能駅は、新豊橋小池高師芦原植田大清水老津杉山神戸三河田原の10駅である。
  • 新豊橋、高師は1面2線の島式ホーム、三河田原は2面4線の島式ホーム、その他の行き違い可能駅は2面2線の対面式ホーム、柳生橋、愛知大学前、南栄、向ヶ丘、やぐま台、豊島(いずれも行き違い不可能駅)は単式ホームである。
  • 新豊橋、柳生橋、小池、南栄、高師、大清水、三河田原には自動券売機(交通系ICカードには非対応)が設置されているが、自動改札機が設置された駅はない。全駅にmanaca用簡易改札機が設置され、新豊橋、南栄、高師、大清水、三河田原にはチャージ機が設置されている。
  • 各駅に防犯カメラが設置されている。
  • 新豊橋駅と三河田原駅には接近メロディが導入されている。三河田原駅ではこれに加えて発車メロディも流れる。

車庫・留置線[編集]

  • 高師駅構内に車両区があり、検査等はすべてここで行う。旧ユニチカ専用線の途中まで留置線として使用できる。
  • 留置線は三河田原駅にもあり、大半の車両の夜間滞泊はここで行うことが多い。また、1編成は新豊橋駅2番線で夜間停泊する。
  • 新豊橋 - 柳生橋間の花田信号所にも留置線がある。ここはかつて国鉄との貨物のやりとりをしていた場所だが、現在は留置線跡の大部分が駐車場となっている。

変電所[編集]

  • 柳生橋変電所(出力1000kW)、植田変電所(出力1000kW×2)、杉山変電所(出力1000kW×2)の3箇所の変電所がある。

電路設備[編集]

  • 架線は、シンプルカテナリー方式である。
  • 電柱の木柱→コンクリート柱化工事が進行中であるが、木柱もかなりの本数が残存している。コンクリート柱は、名鉄で採用されているものと同じである。
  • 架線自動張力調整装置(テンションバランサー)が一部区間に設置されている。

信号・連動装置・CTC[編集]

  • 常置信号機として、場内信号機・出発信号機・誘導信号機・入換信号機・遠方信号機が設けられている。
  • 信号機は、2位式(緑色・赤色)となっている。
  • 自動的に列車を停止させることができる装置を設けているので、行き違い可能駅においては、対向列車同士の同時進入が可能である。
  • 高師駅では列車折り返しが可能である(下り列車については場内・出発信号機が下り本線進入・進出の1進路しか無いのに対して、上り列車については場内・出発信号機は上り・下り本線進入・進出の2進路に対応している)。
  • 大清水駅では新豊橋方面のみ列車折り返しが可能である(下りホームから上りホームに移動するための入換信号機が設置されているため)。
  • 連動装置は、第一種継電連動装置および第三種継電連動装置が使用されている。

ATS[編集]

  • 1500V昇圧後の1997年に名鉄と同じ単変周点制御式(点照査型)の「名鉄式ATS」が設置された。車上タイマー方式の自動列車停止装置である。
  • 7300系の車上装置は名鉄時代に設置されたものがそのまま使用されたが、1800系の車上装置は改造によって取り付けられた。
  • 名鉄式ATS(M式ATS)であるため地上子はJR等で使用されているATS-Sxとは異なり、進行方向に向かって右側に設置されている。

踏切[編集]

標識[編集]

標識は名鉄タイプのものが使用されている。

線路わきの柵[編集]

こちらも名鉄タイプのものが採用されている。色も「名鉄ブルー」で同じである。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 渥美半島郷土研究会 1993, p. 9.
  2. ^ 渥美半島郷土研究会 1993, pp. 9–10.
  3. ^ a b 寺田裕一『改訂新版 データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
  4. ^ 『私鉄車両めぐり特輯』3、159頁
  5. ^ 田原市博物館 2014, pp. 3, 29.
  6. ^ a b 「豊橋鉄道 7月2日に1500V昇圧運転開始が決定」『鉄道ジャーナル』第31巻第8号、鉄道ジャーナル社、1997年8月、89頁。 
  7. ^ a b 愛知大学地域政策学部学生有志 2014, p. 73.
  8. ^ サイクルトレイン - 豊橋鉄道
  9. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 山盛洋介『私鉄沿線』春夏秋冬叢書 2004年8月 p.180
  11. ^ a b c 【豊鉄グループの変革】|豊鉄グループ|豊橋鉄道株式会社”. 2015年1月26日閲覧。
  12. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 官報では4月13日「軌道特許状下付」『官報』1921年4月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 中日新聞豊橋支局『東三河駅いまむかし』中日新聞本社 1978年 p.80
  15. ^ a b 田原市博物館 2014, 裏表紙年表.
  16. ^ 渥美半島郷土研究会 1993, p. 94.
  17. ^ 愛知大学地域政策学部学生有志 2014, p. 75.
  18. ^ a b c d e f g 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補 7号 東海 - 鉄道フォーラム
  19. ^ a b 田原市博物館 2014, p. 51.
  20. ^ a b 1930年4月2日変更許可「軌道を地方鐵道に変更許可」『官報』1930年4月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年6月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年5月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1937年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ a b 寺田裕一『データブック日本の私鉄』ネコ・パブリッシング、2002年、p.223
  25. ^ 短縮箇所は(今尾恵介 監修 2008, p. 38)、年は和久田康雄『私鉄史ハンドブック』(電気車研究会、1993年)p.106による。
  26. ^ 徳田耕一「1,500V昇圧準備工事が進行中 豊橋鉄道の現況」『鉄道ジャーナル』第359号、鉄道ジャーナル社、1996年9月、101頁。 
  27. ^ 「カラーレポート」『RAIL FAN』第48巻第3号、鉄道友の会、2001年2月号、裏表紙。 
  28. ^ a b c 田原市博物館 2014, p. 50.

参考文献[編集]

  • 白井良和「豊橋鉄道(田口線・渥美線・市内線)」『鉄道ピクトリアル』第128巻1962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2、1962年、pp. 54-62, 106, 107。 (再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。 
  • 白井良和「豊橋鉄道渥美線」『鉄道ピクトリアル』No. 2241970年11月号、1970年、ページ不明。 (再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 3巻、鉄道図書刊行会、東京、1982年、pp. 44, 45, 157-163頁。 
  • 和久田康雄 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺4頁。 
  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 渥美半島郷土研究会 編『渥美線:まぼろしの「豊橋伊良湖岬間鉄道」をめぐって』渥美半島郷土研究会、1993年3月。 
  • 田原市博物館 編『渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語田原市博物館、2014年。 
  • 愛知大学地域政策学部学生有志 編『聞き取りから知る三河田原駅九〇年史:田原市・愛知大学連携事業<平成ニ五年度>成果報告書』愛知大学地域政策学センター、2014年3月。 

関連項目[編集]