西武百貨店

株式会社西武百貨店[1]
The Seibu Department Stores, Ltd.

「西武百貨店」時代の西武池袋本店(2006年)
種類 株式会社
略称 西武
本社所在地 日本の旗 日本
102-0074
東京都千代田区九段南二丁目1番30号
イタリア文化会館
本店所在地 171-8569
東京都豊島区南池袋一丁目28番1号
設立 1940年昭和15年)3月14日[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 代表取締役社長:山下國夫[2]
資本金 60億円
売上高 単独:4,761億43百万円(2006年2月期)
連結:5,559億93百万円
従業員数 2,451人(2006年2月28日現在)
決算期 毎年2月末
主要株主 ミレニアムリテイリング 100%
関係する人物 堤清二
坂倉芳明
和田繁明
外部リンク 西武百貨店 - ウェイバックマシン(2007年10月4日アーカイブ分)
特記事項:2009年(平成21年)7月31日時点の情報。連結売上はロフトシェルガーデンのみ。
2009年(平成21年)8月1日にそごう、ミレニアムリテイリングと3社合併し、そごう・西武となり解散。
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株式会社西武百貨店(せいぶひゃっかてん、: The Seibu Department Stores, Ltd.)は、東京都豊島区南池袋に本店を置く、かつて関東地方を中心に百貨店を運営していた企業で、日本の大規模小売店。

かつて日本最大の総合流通グループであったセゾングループの中核企業で、以前は第一勧銀グループ(現在:みずほグループ)の一員でもあった。もともとは西武鉄道と同一のグループであったが、西武グループ創業者堤康次郎の死後、現在の西武グループとセゾングループ(西武流通グループ、後に解体)に分裂した。堤清二がセゾングループの代表を務めた。

2005年12月26日セブン&アイグループ入りし、2009年8月1日そごう、ミレニアムリテイリングと3社合併し、そごう・西武となった。合併とともに店舗屋号が「西武百貨店」から「西武」に変更され、「西武百貨店」という名称は姿を消すこととなった。西武鉄道など西武グループとの資本関係はない。

概要[編集]

ファッションの総合商社[編集]

リニューアル前の西武池袋本店(2007年12月撮影)
田中一光によるデザインの包装紙
買い物袋

西武グループの創業者・堤康次郎の息子の一人である堤清二は、当百貨店を中心とする西武流通グループを康次郎から相続した。

清二は日本の百貨店で最初にパリにオフィスを構え、エルメスイヴサンローラン1962年にはピエール・カルダンと並ぶコンチネンタル・ルックの旗手としてパリで人気を博していたテッド・ラピドスと提携、1975年 - 1976年にかけての第一次アルマーニブームや欧米の高級ブランドをいち早く取り入れ、時をほぼ同じくしてヨーロッパの高級DCブランドを次々に導入。1984年には海外や国内の高級ブランドを一手に取り扱う専門商社「大沢商会」を傘下に収めた。1980年代前半には三越日本橋本店を抜き、売上日本一の百貨店となった。

ソニア・リキエルミッソーニジャンフランコ・フェレルイフェローなどの日本代理店になり、ケンゾーイッセイミヤケタケオキクチメンズビギ)などを最初に導入したのも西武である。シブヤ西武(現:西武渋谷店)に設置されたショップ「カプセル」では、デビュー間もない川久保玲コム・デ・ギャルソン)、山本寛斎イッセイミヤケタケオキクチら、新手のデザイナーらを後押しした。プライベートブランドの開発でも当時、日本ではまだ無名であったラルフローレンと契約し、メジャーブランドに育てた。また「SEED館」の試みは、現在では一般的であるセレクト型編集売場の先駆けでもあった。

独自の「イメージ戦略」を打ち出し、「おいしい生活」、「不思議大好き」など糸井重里らによる名キャッチコピーでも知られた。また、パルコロフト無印良品コンラン卿と提携した家具・インテリア専門館「ハビタ館」、世界中のレコードが入手できるといわれた「WAVE」、西武が設立に関わったFMラジオ局「J-WAVE」、大型書店「リブロ」、洋書や近代思想、コンテンポラリーアートの画集などを幅広く手掛け、青山ブックセンターと並び称された「アール・ヴィヴァン」、高級スーパー「ザ・ガーデン自由ヶ丘」、日本初の総合スポーツ専門館「西武スポーツ館」、リボン館PAO館などの異業種へと次々に参入し、セゾン美術館銀座セゾン劇場渋谷パルコ劇場パルコ・クアトロ東京テアトル、パルコ出版など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。これらは「セゾン文化[3]」と呼ばれ一世を風靡し、西武百貨店のブランド力を強固なものにすることに貢献した。

ブランド力を生かして北海道から四国まで店舗網を拡大するとともに、同じセゾングループの西友が西武百貨店のブランド力を生かし「西武」を名乗った百貨店型店舗を運営した。電鉄系百貨店としては最も全国に広く展開していた(西友運営の「西武」は1998年 - 2000年にかけてLIVINに改称)。

一方、日本百貨店経営協議会(JMA)事務局により、地方百貨店の系列化も目指した。

有数の百貨店グループから日本最大の流通グループへ[編集]

1992年、和田繁明が会長に就任。堤清二のもと管理機能が不在となり、あらゆる弊害が顕在化している現状を痛烈に批判した『西武百貨店白書』を公表し、その中で「百貨店は構造不況」だと指摘している。

バブル崩壊に伴う過去の不動産への過剰投資が重荷となり、パルコやコンビニエンスストアファミリーマートなど、セゾン文化の中で養われた独自ブランドを手放し、さらには最大の収益力を誇る池袋本店を不動産投資信託化して1000億以上の資金を調達するなどして再建に取り組んだ。しかし、1999年頃には「和田との交渉には応じない」とまで言われるほど銀行側との折り合いが悪くなり、和田は突如退任を余儀なくされ、一度身を引いた。その後は銀行からの要請もあり、2000年民事再生法の適用を申請し経営破綻したそごうに特別顧問(のち社長)として和田が就任。和田は、西武百貨店の経営手法を多く取り入れつつも、西武百貨店とそごうの資本提携は行わずにそごうの経営再建を進めた。当時、本部社員が大量に十合に出向したのち、一旦退職しそのまま十合でそっくり再雇用という形態で人材を流出させており、後年の西武百貨店とそごうの経営統合まで視野に入れていたとみられる。

西武百貨店の再建にやや明るい兆しが見えて来た中で、西洋環境開発の不良債権処理を巡ってセゾングループの経営危機が表面化。傘下にあった西武百貨店にも再び経営不安がささやかれた。再建は2,200億円の債権放棄を軸とする「私的整理」という形で進められた。このとき西武百貨店を救済したのが、西武百貨店の経営手法を取り入れて経営再建したばかりのそごうを傘下に収めていた株式会社十合であった。2003年から2004年にかけ後藤高志第一勧業銀行みずほ銀行)らの支援で十合が西武百貨店の第三者割当増資を段階的に引き受け、さらに株式交換を行う形で西武百貨店を完全子会社化し、株式会社十合がミレニアムリテイリングに商号変更したことで、そごうと西武百貨店の経営統合が実現。高島屋に次ぐ国内2位の巨大百貨店グループが誕生することになった。この事業持株会社方式の経営統合が、双方の屋号を維持しながら経営の合理化を実現した点で、後に行われた大手百貨店同士の経営統合に少なからず影響を与えている。

その後、再建を確かなものとするために、ミレニアムリテイリングは野村プリンシパル・ファイナンスなどを引受先とする増資を行い、事業持株会社として株式上場を目指していたが、野村プリンシパル・ファイナンスと西武百貨店の間で上場時期を巡る意見の対立が顕在化したことに加え、敵対的買収防衛策の観点から、2005年12月にミレニアムリテイリングの代表であった和田がセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りを決めた(和田自身は健康上の問題から2007年に引退)。この結果、かつてのセゾングループに匹敵する、国内最大級の流通グループが誕生した。

セブン&アイ・ホールディングス傘下に 3社合併で新会社誕生[編集]

2006年6月、セブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収して完全子会社(百貨店事業の中間持株会社化)となり、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となった。

セブン&アイグループ入り後しばらくは、そごうとともに独立色が保たれていたが、2009年2月、百貨店では極めて珍しいイトーヨーカドーセブンイレブンで扱われているプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」が池袋本店の食品売り場(デパ地下)に導入され、最終的に両社の全店舗に導入された[4]。日経によると、百貨店の売上不振の原因が高額商品に偏りすぎているため、日常的なアイテムであるPB商品を導入して品揃えを増やして、売り上げを高めるためと報じている。

2009年8月1日、そごうを存続会社として、西武百貨店とミレニアムリテイリングを吸収合併し、そごう・西武が誕生した。

2006年2月期の西武百貨店全店における国内百貨店事業単体の営業利益率は、4.18%で百貨店業界2位であった(1位は大丸の4.4%、3位は阪急百貨店の4.06%)[5]

沿革[編集]

西武百貨店池袋店(1960年)
東京丸物を買収し、開店した池袋パルコ
渋谷店(1970年4月)

   3月11日:川崎店 川崎ルフロン内に丸井と一緒に開業

  • 1989年
    6月12日:株式会社西武百貨店関西を合併[10]
    10月:『西武』を廃し「セゾングループ」と改称、独立色はより鮮明となった。
  • 1995年10月:高級スーパーのシェルガーデンを子会社化し、池袋西武の地下二階に「ザ・ガーデン自由が丘」の名称で初めて導入。
  • 1993年
    10月:西武北陸(だるまや西武(現在:福井店)、小松西武、富山西武)を吸収合併。
  • 1996年
    6月:クラブ・オンメンバーズシステム全店導入[8]
    8月:株式会社ロフト設立、分社化[8]
  • 1997年
    10月、情報化促進貢献企業として「通産大臣賞」受賞。
    12月25日:浜松店が閉店。
  • 1998年10月:ロイヤルスカンジナビア社(デンマーク)との間で業務提携。
  • 1999年
    4月:イルムス池袋を池袋西武にオープン(1号店)。
    アメリカ最大の高級百貨店「ノードストローム」社と国内販売権契約。
  • 1999年10月7日:東戸塚店開店。
  • 2000年伊藤忠商事株式会社と事業協力で業務提携。「株式会社有楽町西武」を吸収合併。
  • 2000年9月22日:岡崎店開店。
  • 2001年:株式会社西洋環境開発を清算し、「セゾングループ」が実質的に崩壊する。
    十合と包括的業務提携を締結[8]。株式会社イルムスジャパン設立、分社化。
  • 2002年2月:十合・西武統合商品部(SSMG)発足[8]
  • 2003年
    2月:私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立[11]
    5月:株式会社十合が筆頭株主となる。
    6月:ミレニアムリテイリンググループ発足[8]
    7月:川崎店、函館店閉店
  • 2004年
    9月:ミレニアムリテイリングの完全子会社となる。
  • 2005年
    3月:「株式会社本金西武」を吸収合併(店名は翌年まで維持)。
    9月:そごう心斎橋本店(2009年閉店)の開店に合わせて池袋店を「西武池袋本店」に名称変更[12]
  • 2006年:有楽町西武の構造改善として、「ビューティー館」と「ファッション館」をオープン。
    2月:「だるまや西武」を「福井店」に改称[8]
    3月:「本金西武」を「秋田店」に改称[8]
    6月:ミレニアムリテイリングがセブン&アイ・ホールディングスの子会社となったため、セブン&アイ・グループの1社となる[8]
  • 2007年
    シブヤ西武を約80億をかけて改装。日本最大のブランド数のラグジュアリーゾーンやビューティーゾーンを設け、食料品を扱うデパ地下を再開[13]
    9月14日:所沢西武リニューアルオープン。自主編集売場やビューティーゾーン、食のゾーンを展開。
  • 2008年:「ファッションの西武」の復権を賭け、2010年までに総額400億を掛けて池袋西武構造改善。東京メトロ副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙う。
  • 2009年8月1日そごう、およびミレニアムリテイリングと合併し、株式会社そごう・西武が誕生。
    存続会社はそごうで、西武百貨店とミレニアムリテイリングは、法人としては解散。店名は、「そごう」「西武」を維持。ただし、店舗表記はこれまでの「○○西武」から「西武○○店」に全店舗統一された。以後、「西武百貨店」という表記はほとんど使用していない(ただし、商品券だけは2021年現在でも券面に「西武百貨店」と表記されている[14])。

店舗[編集]

コマーシャルソング[編集]

  • 「夢の西武」
  • 「女、キラキラ。男、そわそわ。」(1979年)
    • 作詞:糸井重里、作曲・編曲・歌:矢野顕子
    • amsミドリヤ開店時のイメージソング。レコードは非売品であったが1階の総合案内所等で無料配布された(レコード品番はams-2121)。2016年に矢野のオールタイムベストアルバム『矢野山脈』に収録された。
  • おいしい生活」(1982年)
    • 作詞:糸井重里・矢野顕子、作曲:矢野顕子、歌:矢野顕子。アルバム『愛がなくちゃね。』収録。
  • 「オカイモノ」のうた(1993年 - )
    • 作詞:岩崎俊一、草間和夫、作曲:櫻井順、歌:坂本真綾(初代)、森瑛美、後藤玲子、大久保映見、他
    • CMキャラクター「おかいものクマ」のテーマソング。そごうと経営統合後はそごうのCMソングとしても使われるようになった。
    • 2002年CD化。西武百貨店全店で1万枚限定で発売された。

脚注[編集]

[編集]

  1. ^ なお、「西武百貨店・年表」[リンク切れ]においては、「帝都百貨店の吸収は、間違いだった」とされているので、検証がまたれている。
  2. ^ 当初の開店は1973年9月末を予定していたが、直前に放火による火災が発生し、開店が延期された
  3. ^ 現在は3位、1位の伊勢丹新宿店の売上高は、全国法人外商や通販事業等を含めている。2位の阪急うめだ本店も関西地区における阪急阪神百貨店の個人外商の売上高を合算している。

出典[編集]

  1. ^ a b 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 10 
  2. ^ 連結子会社の合併及び商号変更に関するお知らせ』(プレスリリース)セブン&ホールディングス、2009年1月30日https://www.sogo-seibu.co.jp/pdf/090130_info.pdf2020年9月27日閲覧 
  3. ^ 浅田彰【西武/セゾン文化を継ぐ者は誰か】
  4. ^ 日本経済新聞 2009年2月10日 朝刊記事より
  5. ^ 女性8割だけど「ボリューム重視」の理由は・毎日2500食を提供 西武池袋本店の社食 - Wedge Infinity
  6. ^ 合同会社 西友 会社概要
  7. ^ “都市改造へ踏出す、西武デパート開店 面目変えゆく駅前広場 船橋”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 千葉版. (1967年9月22日) 
  8. ^ a b c d e f g h i j 沿革(そごう・西武)
  9. ^ 株式会社クレディセゾン企業情報
  10. ^ 大阪法務局備付「株式会社西武百貨店関西」閉鎖登記簿(1989年6月17日閉鎖)
  11. ^ 「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」成立について(2003年2月26日 西武百貨店)
  12. ^ ミレニアムリテイリンググループ 組織再編と主要人事についてお知らせします。(6月1日付) (2005年5月31日 ミレニアムリテイリング)
  13. ^ 都市生活者の輝きある暮らしを彩る百貨店「シブヤ西武」3月2日(金) 全館リニューアルオープン(2007年2月8日 西武百貨店)
  14. ^ 商品券・ギフトカードのご案内(そごう・西武)

参考文献[編集]

  • 富山市編 『富山市史 第5巻』 富山市、1980年。
  • 因幡町商店街35年史編集委員会編 『因幡町商店街35年史』 天神ビブレ商店会、1984年。
  • 由井常彦編 『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』 リブロポート、1991年。 ISBN 4845706245
  • 由井常彦編 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』 リブロポート、1991年。 ISBN 4845706253
  • セゾングループ史編纂委員会編『セゾンの活動:年表・資料集』 リブロポート、1991年。ISBN 4845706261
  • 立石泰則 『堤清二とセゾングループ』 講談社文庫、1995年。ISBN 4061858866
  • 大津市歴史博物館市史編さん室『図説大津の歴史 下巻』大津市、1999年10月1日。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]