西安路

西安路(せいあんろ、シーアンルー、Xī'ānlù)中華人民共和国遼寧省大連市沙河口区にある道路の名称。大連市区の西部に新しくできたショッピング街であり、青泥窪橋と並ぶ賑わいを見せている。

中国・大連の西安路ショッピング街。左にマイカル西安路店と羅斯福モールとマンション、遠くに福佳新天地マンション、右にカルフール西安路店などが見える。

概要[編集]

西安路は中華人民共和国遼寧省大連市沙河口区にある道路の名前で、大連市区の西部に新しくできたショッピング街があり、青泥窪橋と並ぶ賑わいを見せている。

現在は、華北路の終点にあたる沙河口火車站(沙河口駅)から興工街(こうこうがい、簡体字: 兴工街、シンゴンジェ、拼音: xīnggōngjiē)交差点、黄河路(こうがろ、ホワンハールー、huánghélù)交差点、解放広場(かいほうひろば、ジェーファングアンチャン、簡体字: 解放广场拼音: jiěfàngguǎngchǎng)交差点を経て馬欄河(ばらんがわ、簡体字: 马栏河拼音: mǎlánhé)までに至る南北に伸びる道路のことで、距離にして2.1kmの範囲である。

将来的には、馬欄河を超えて大連のメインストリートである中山路に近接する和平広場エリアまで延伸させて、星海広場などのエリアとのアクセスの利便性を高める予定。(現在、西安路エリアから星海広場に行くには、解放広場交差点から太原街を通り、中山路の和平広場を通過する方法で若干迂回する形。)

歩み[編集]

1899年に開かれた大連市の中でも、天津街青泥窪橋と並んで、20世紀初頭からの100年近い歴史を誇る繁華街である。

  • 20世紀前半、ここは「大正通り」と呼ばれていて、現在の路面電車2路線以外に、中山路から五一路を経て西安路で終わる路線もあり、北は金州から沙河口駅まで来る金大道路になっていて、交通便利なところであった。 [1]

戦後大きな変化を始めたのは20世紀の終わり頃からで、1997年マレーシア資本のデパートであるパークソン百盛Parkson)がオープンしたのを皮切りに、

  • 2000年 フランス資本のスーパーマーケット家楽福(カルフール、Carrefour)オープン。
  • 2001年 カルフールが入居する大型ショッピングセンター・錦輝商城(現・錦輝購物広場、サンライズショッピングセンター)がオープン。 [2]
  • 2002年 大連市西部屈指の大型水産品市場である長興市場がオープン。
  • 2003年 長興市場の建物の1~4階にPCやAV製品など数多くの製品を扱う大連電子城(現・長興電子城)がオープン。

と、立て続けに発展を続けていったが、今や大連市の西部エリア最大の繁華街を決定づけたのは、

  • 2005年 アメリカ資本のスーパーマーケット・沃爾瑪(ウォルマート、WALMART)や高級百貨店・友誼商城が入居する福佳新天地広場(福佳新天地購物広場)、そして時を同じくして、旧・日本の資本のスーパーマーケット・麦凱楽(マイカル、MYKAL)が入居する敷地面積約19万m2の天興羅斯福広場(ルーズベルト広場)の2大超大型ショッピングスポットができたことである。

現在の発展[編集]

前述した福佳新天地広場、天興羅斯福広場の2大超大型ショッピングスポットができて、その階上に高級高層マンションが建てられたことで、大連を代表する高級マンションエリアの1つとなり、現在日本人を始めとして多くの外国人が生活している。

西安路にあるショッピングスポット[編集]

西安路にある高級マンション[編集]

  • 天興羅斯福マンション(A~C棟)
  • 福佳新天地マンション(A~G棟)
  • 宝発金鑽(パークソンの階上、2007年~)
  • 民勇2005マンション(民勇嘉泰広場の階上)
  • 科技広場
  • 西安路マンション

これらのマンションには、中国でも最近多く登場しているワンルームマンションを多く備えている。

脚注[編集]

  1. ^ 探偵小説家鮎川哲也著『ペトロフ事件』(1949年)に詳しい。
  2. ^ 李永金市長が天津街と西安路の商業区を視察(2001年) (中国語)

関連項目[編集]