蘆名亀王丸

蘆名 亀王丸(あしな かめおうまる、天正12年9月4日1584年10月7日) - 天正14年11月21日1586年12月31日[1])は、安土桃山時代の人物。蘆名氏第19代当主。

生涯[編集]

天正12年(1584年)、陸奥国会津地方の戦国大名蘆名盛隆の子として誕生。母は伊達晴宗の四女彦姫佐竹義重から蘆名氏へ送られた書状では亀若丸(かめわかまる)と記される。諱は隆氏とされるが定かではない。

ところがこの年の10月6日(1584年11月8日)、父・盛隆が黒川城内で暗殺されたため、わずか生後1ヶ月で当主になった。しかし、天正14年(1586年)に3歳で疱瘡で死去。この後、20代当主の座を巡り、伊達政宗の弟・小次郎と佐竹義重の次男・義広の間で争いが起き、蘆名氏は混迷する。

脚注[編集]

  1. ^ 『会津旧事雑考』。ただし、佐竹義重は11月2日(旧暦)の時点で亀若丸(亀王丸)の死を把握しており、会津と常陸の距離を考えると、同日よりも以前の死去とみられている(垣内和孝『伊達政宗と南奥の戦国時代』(吉川弘文館、2017年) ISBN 978-4-642-02938-4 P74・84)。