藤井旭

藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022年12月28日)は、日本イラストレーター天体写真家天文宇宙の魅力を広く伝え、多様な天文ファンを先導する存在として国際的に知られる[1][2][3][4][5][6]。50年以上にわたって第一線で活躍を続けた。

人物・経歴[編集]

山口県山口市に生まれる[7][8]。父は岸信介と旧制山口中学校の同級生で、山口県庁の職員を経て釣具店を経営していた[9]。子供の頃は流星観測をしていた[10]山口県立山口高等学校在学中に天文部を創設[8][11]。山口高校卒業後は多摩美術大学デザイン科に進学し、1963年同校を卒業[8][12][† 1]少年マガジンなどの雑誌のイラストを描く仕事に就いていた[8]。その後、東京の光害から逃れるために福島県郡山市に移り住み、それまでやっていたイラスト描きの仕事を辞めて、郡山名物である薄皮饅頭の製造会社に入社して饅頭づくりに励んだ[8]

1969年10月、星仲間である村山定男小山ひさ子、長井保、高橋實とともに、北海道犬チロを台長とする白河天体観測所を開設[8][13][† 2]1975年夏、日本各地で行われている星まつりの草分け的存在となった『星空への招待』を星仲間とともに開催[1][7][8]1978年から1993年まで、小尾信弥古在由秀、村山定男とともに天文雑誌『星の手帖』(季刊)の編集委員を務めた[14]1984年に発刊したベストセラー『星になったチロ』は第31回青少年読書感想文全国コンクール(1985年度)の課題図書となった[15]1995年オーストラリアにチロ天文台南天ステーションを建設[1][8]

20代のうちから天体写真家としてその名を知られ、最晩年に至るまで国内外の天文雑誌に数多の寄稿を行い、著書は400冊に及ぶ[1][6]。その特徴的なイラスト・文体と先駆的かつ精力的な活動によって、星空を見ることの楽しさを広く伝え続けるとともに、多くのハイレベルな天文アマチュアを生み出した[1][2][3][4][5][6][16]。藤井の著作や活動から感化を受けたプロの天文学者も多い[† 3]。こうした「長期・多岐にわたる多大な功績」により、2019年度日本天文学会天文教育普及賞を「満場一致」で受賞[1][8]

2022年12月28日がんによる多臓器不全のため福島県郡山市の病院で死去[2][4][5][23]、81歳没。死去の直前まで、自身の文章・星図星座線[24]・写真・イラストで構成された2023年天文現象解説を精力的に世に送り出していた[4]

著書[編集]

単著[編集]

1970年代
  • 『天体写真の写し方』(誠文堂新光社 1970年)
  • 『星の一生』(あかね書房 科学のアルバム 1970年)
  • 『広角レンズによる星野写真集』(1971年)
  • 『星雲星団ガイドブック』(河出書房新社 1971年)
  • 『星座アルバム』(誠文堂新光社 1972年)
  • 『星空の四季』(誠文堂新光社 1973年)
  • 『星空をさがそう』(あかね書房 科学アルバム 1973年)
  • 『星座ガイドブック』(誠文堂新光社 1974年)
  • 『星雲・星団を見よう』(あかね書房 科学アルバム 1975年)
  • 『ふじい旭の新星座絵図』(誠文堂新光社 1976年)
  • 『星の旅』(河出書房新社 1976年)
  • 『科学のアルバム』(あかね書房 1976年)
  • 『藤井旭の天体写真教室』(誠文堂新光社 1976年)
  • 『星座図鑑』(河出書房新社 1977年)
  • 『藤井旭の天体望遠鏡ABC教室』(誠文堂新光社 1978年)
  • 『全天星雲星団ガイドブック』(誠文堂新光社 1978年)
  • 『星座の散歩道』(サンポウジャーナル サンポウ・ブックス 1978年)
  • 『藤井旭の四季の星座教室』(誠文堂新光社 1979年)
  • 『天体写真の撮り方』(朝日ソノラマ 現代カメラ新書 1979年)
1980年代
  • 『藤井旭の月面観測教室』(誠文堂新光社 1980年)
  • 『天体観測図鑑』(河出書房新社 1981年)
  • 『宇宙への招待』(河出書房新社 河出文庫 1981年)
  • 『星空の散歩』(河出書房新社 河出文庫 1981年)
  • 『太陽のふしぎ』(あかね書房 科学のアルバム 1982年)
  • 『彗星』(あかね書房 科学のアルバム 1982年)
  • 『惑星をみよう』(あかね書房 科学のアルバム 1982年)
  • 『星 ほうき星のひみつ』(あかね書房 1982年)
  • 『月を見よう』(あかね書房 科学のアルバム 1982年)
  • 『藤井旭の星雲星団教室』(誠文堂新光社 1982年)
  • 『藤井旭の宇宙学入門教室』(誠文堂新光社 1983年)
  • 『豪華天体写真集』(河出書房新社 1983年)
  • 『星になったチロ』(ポプラ社 ポプラ・ノンフィクション 1984年)
  • 『天体望遠鏡のつくりかた』(ポプラ社 天文シリーズ 1984年)
  • 『たいよう』(小学館 小学館こども文庫 1984年)
  • 『だれでもできる天体観測』(ポプラ社 天文ブックス 1984年)
  • 『春・夏の星座』(岩崎書店 カラー版自然と科学 1984年)
  • 『秋・冬の星座』(岩崎書店 カラー版自然と科学 1984年)
  • 『星空日記』(河出書房新社 1984年)
  • 『ハレーウォッチング』(日経サイエンス社 1985年)
  • 『大彗星ハレー全情報』(角川書店 Kadokawa books 1985年)
  • 『天文ガイド版星座早見』(誠文堂新光社 1985年)
  • 『せいざの見つけ方1 ふゆのせいざ』(実業之日本社 1986年)
  • 『チロ天文台の仲間たち』(実業之日本社 ノンフィクション物語 1986年)
  • 『星の旅』(河出書房新社 河出文庫 1986年)
  • 『星座の見つけ方』(誠文堂新光社 1986年)
  • 『新透視版星座アルバム秋冬編』(誠文堂新光社 1987年)
  • 『新透視版星座アルバム春夏編』(誠文堂新光社 1987年)
1990年代
  • 『太陽と月の星ものがたり 太陽と月の神話を楽しもう』(誠文堂新光社 1994年)
2000年代
  • 『全天星座百科』(河出書房新社 2001年)
  • 『星座・天体観察図鑑』(成美堂出版 2002年)
  • 『はじめる星座ウォッチング』(ソフトバンク クリエイティブ 2008年)
2010年代
  • 『改訂新版 全天星座百科』(河出書房新社 2013年)
  • 『白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台』(誠文堂新光社 2015年)

共著[編集]

  • 『天文学への招待』(河出書房新社 1969年
  • 『星座への招待』(河出書房新社 1972年)
  • 『すばらしき星空の餐宴』(大和書房 1979年)
  • 『すい星のふしぎ』(ポプラ社 天文ブックス 1985年)
  • 『やさしい星座の見つけ方』(ポプラ社 天文ブックス 1985年)
  • 『わく星たんけん』(ポプラ社 天文ブックス 1986年)

企画・構成[編集]

  • 『四季の星座めぐり』(誠文堂新光社 録音資料 1979年)
  • 『天体観測野帖』(誠文堂新光社 切りとる本 1984年)
  • 『ハレー彗星観測ガイド』(誠文堂新光社 1985年)
  • 『万能星座早見』(誠文堂新光社 1985年)
  • 『スターウォッチング』(誠文堂新光社 1986年)
  • 『星座ガイド』(誠文堂新光社 1986年)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 寮では田島征三と同室であった[12]
  2. ^ 白河天体観測所については、藤井の著作、天文雑誌『天文ガイド』などで何度も紹介されていたが、「所在地」については一切情報を出さなかった。
  3. ^ 渡部潤一国際天文学連合副会長)[17]梅村雅之(日本天文学会第50代会長)[8]立松健一(国立天文台野辺山宇宙電波観測所第13代所長)[18]縣秀彦(国際天文学連合国際普及室スーパーバイザー)[19]梅本智文(国立天文台天文情報センター普及室長)[20]大西浩次長野工業高等専門学校教授)[21]阿部新助日本大学理工学部航空宇宙工学科准教授)[22]など。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 日本天文学会天文教育普及賞選考委員会 2020.
  2. ^ a b c 【訃報】 天体写真家・天文著作家、藤井旭さん”. アストロアーツ (2022年12月31日). 2022年12月31日閲覧。
  3. ^ a b 月刊「星ナビ」 [@Hoshinavi] (2022年12月31日). "【訃報】 「星になったチロ」をはじめ多数の天文書を著し、「星空への招待」を企画した、われわれ天文ファンの偉大なる先達、藤井 旭 先生が12月28日に逝去されました。". X(旧Twitter)より2023年1月2日閲覧
  4. ^ a b c d 月刊 天文ガイド [@tenmonguide] (2022年12月31日). "天体写真家でありイラストレーターである藤井旭先生が12月28日逝去されました。81歳でした。". X(旧Twitter)より2022年12月31日閲覧
  5. ^ a b c 東山正宜 (2022年12月31日). “天体写真家の藤井旭さん死去、81歳 著書「星になったチロ」”. 朝日新聞デジタル. 2023年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月31日閲覧。
  6. ^ a b c ROGER W. SINNOTT (2023年1月2日). “Remembering Akira Fujii (1941-2022), Photographer Par Excellence”. スカイ&テレスコープ. 2023年1月3日閲覧。
  7. ^ a b 藤井 2015, p. 304.
  8. ^ a b c d e f g h i j 藤井 2021.
  9. ^ 藤井 2015, p. 12.
  10. ^ 藤井 2015, p. 8.
  11. ^ 藤井 2015, p. 9.
  12. ^ a b 藤井 2015, p. 10.
  13. ^ 藤井 2015, p. 34.
  14. ^ 阿部昭「追悼 古在先生」『天文月報』第111巻第7号、日本天文学会、2018年7月、491頁、2023年1月8日閲覧 
  15. ^ 過去の課題図書 第31回~第40回(1985年度~1994年度)”. 全国学校図書館協議会. 2023年1月3日閲覧。
  16. ^ 藤井旭さん逝去”. Togetter (2022年12月30日). 2023年1月3日閲覧。
  17. ^ 西川拓 (2021年1月23日). “ふくしま宙語:始まりは33人と犬1匹 浄土平が「天文ファンの聖地」になった理由”. 毎日新聞デジタル. 2022年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月8日閲覧。
  18. ^ 立松健一 [@kentatematsu] (2022年12月31日). "数々の名著を書かれ、それらは私が天文学者を志したきっかけの一つでした。愛犬チロのイラスト付きサインをいただいた「星雲星団ガイドブック」は宝物です。". X(旧Twitter)より2023年1月8日閲覧
  19. ^ 縣秀彦「宇宙との出会い・人との出会い」『みんなの地学』第1巻第1号、日本地学教育学会、2020年、16頁、doi:10.18904/minnanochigaku.1.0_16 
  20. ^ 梅本智文 [@tumemoto] (2022年12月30日). "星好きにとっては憧れの存在でした。……初めてお会いできた時に、感激の余りご一緒の写真を撮らせて頂きました。". X(旧Twitter)より2023年1月8日閲覧
  21. ^ 大西浩次 [@koujiohnishi] (2022年12月30日). "小さい頃から藤井旭さんの本を読んで天文の知識を得ました。「天体写真の写し方」「星雲星団ガイドブック」「透視版星座アルバム 」「カラーアルバム星空の四季 」「星座ガイドブック 春夏編&秋冬編」・・・バイブルです。". X(旧Twitter)より2023年1月8日閲覧
  22. ^ 阿部新助 [@AvellSky] (2022年12月31日). "小さい頃から藤井旭さんの書籍を読んで星空を眺めていました。". X(旧Twitter)より2023年1月8日閲覧
  23. ^ 「星になったチロ」がベストセラー…天体写真家の藤井旭さん死去、81歳”. 読売新聞オンライン (2022年12月31日). 2022年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月31日閲覧。
  24. ^ 天文の基礎知識 - 2.星座”. アストロアーツ. 2023年1月7日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]