花山院通定

 
花山院通定
時代 南北朝時代 - 室町時代前期
生誕 不詳
死没 応永7年4月14日1400年5月8日
別名 号:如住院
官位 従一位右大臣
主君 光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 花山院家
父母 父:花山院兼定、母:九条光経の娘
兄弟 基定通定、定助、行伊、永伊、行雅、尊雅
忠定
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花山院 通定(かさんのいん みちさだ)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿権大納言花山院兼定の子。官位従一位右大臣花山院家12代当主。光明天皇(北朝2代)から後小松天皇(100代)にわたって北朝のち統一朝廷に仕えた。

経歴[編集]

貞治2年(1346年)に叙爵して以降累進し、侍従左近衛中将を経て、応安3年(1370年従三位となり、公卿に列する。その後も伊予介権中納言を経て、永徳元年(1381年)権大納言に任じられる。明徳元年(1390年右近衛大将を兼務。応永元年(1394年内大臣に任じられる。応永2年(1395年)右近衛大将を辞す。右大臣に任じられ、従一位に進む。後に出家している。

系譜[編集]