能令速満

能令 速満(のうりょう そくまん、1812年 - 1886年)は、日本宗教家浄土真宗僧侶

概略[編集]

1812年文化8年)、肥後国に生まれる。熊本県宇城市小川町延福寺浄土真宗本願寺派)第8世住職。能令速満勧学和上。幼名は達栄。熊本県上益城郡六嘉(現・嘉島町)の仏誓寺、到徹(肥後徹の祖・環中の高弟)に師事。名を環徹と改める[1]

明治維新後、尊崇する浄土論「能令速満足」の語にちなみ、姓名を能令速満と改めた。宗学の研鑚に励み「勧学」となる。あわせて子弟の薫陶にも務める。詩歌、俳諧、築庭などの分野にも秀でていた。長男の達善(延福寺第9世住職)は司教に。孫の実円(延福寺第10世住職)は、九州仏教学院という学寮を創設し千名を超える門弟を輩出した[2]

著書[編集]

  • 正信偈録
  • 本典会読記
  • 浄土論試記
  • 楽集記
  • 詩歌集、ほか

出典[編集]

  1. ^ 下益城郡教育支会編纂『下益城郡誌』臨川書店、1922年、284-285頁
  2. ^ 小川町史編纂委員会 編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年

参考文献[編集]

  • 下田曲水編『肥後名僧伝』熊本県教育会、1927年、123-124頁