胎内川

胎内川
胎内川と胎内リゾート(2021年9月)
水系 二級水系 胎内川
種別 二級河川
延長 39.1 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 143.4 km²
水源 藤十郎山胎内市
水源の標高 1,332 m
河口・合流先 日本海(胎内市)
流域 日本の旗 日本 新潟県
地図
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胎内川(たいないがわ)は、新潟県胎内市を流れる河川二級水系の本流。

概要[編集]

国道290号鼓岡大橋(胎内市栗木野新田) 2007年5月5日撮影

新潟県胎内市下荒沢の飯豊山地藤十郎山(とうじゅうろうさん)に源を発する。北西に向かい櫛形山脈を横断し胎内高原を流れ、胎内市荒井浜と胎内市笹口浜の境界を通り日本海に注ぐ。 中流域以降の扇状地では、夏の渇水期に川水が枯れて水無川となることもある。伏流水となり扇状地末端各地に湧水として湧き出る。

胎内川は元来、日本海岸近くで右折北上し、荒川の河口付近で合流していた[1]。 胎内川を荒川から分離する計画は享保年代からあったが、明治21年(1888年)に胎内川放水路(現胎内川)が完成して直接日本海に流れ込むこととなり、残った流路が現在の乙大日川となった[2]

歴史[編集]

1966年昭和41年)の7.17水害1967年(昭和42年)の8.28水害(羽越水害)では流域に被害が発生し、特に後者では当時の中条町黒川村(いずれも現在の胎内市域)で死者39名の甚大なものであった[3]

名称について[編集]

  • 仁治元年(1241年)の古文書「つふらの尼譲状[4]」にて「堂以乃可八[4]」「たいのかハ[5]」との記載
  • 弘長4年(1264年)の高井道円時茂譲状に「堂以乃可八」との記載[4]
  • 建治3年(1277年)の三郎宛の十一月譲状に「多以乃可八」[4]、四郎宛の十一月譲状に「多以乃加八」[4]との記載
  • 鎌倉時代後期の波月条絵図に「太伊乃河」との記載[5][4]
  • 明応9年(1500年)の平子斉藤連署書状に「多以奈川」との記載[4]
  • 慶長2年(1597年)の越後国郡絵図に「たゐな川」との記載[5]
  • 宝暦6年(1756年)、丸山元純の越後名寄の写本に「タイナ川[4]」「イイナ川[4]」との記載
  • 天明6年(1786年)、橘南谿東遊記に「鯛名川」との記載[5]
  • 享和2年(1802年)、三輪長泰の越後国全図に「胎内川[4]」「大名川[4]」との記載
  • 文化3年(1806年)、井上秀栄の越後巡見記に「胎内川」との記載[4]
  • 文化12年(1815年)、小田島允武の越後野志に「胎内川」との記載[4]。明治政府による写本では「タイナヒ」と振り仮名が振られる[4]
  • 文化13年(1816年)、草間文績の越後興地全図に「胎内川」「躰無川」(タイナカワ)との記載[5][4]
  • 文政3年(1820年)、神保泰和の北越略風土記に「たい奈川」との記載[4]
  • 明治35年(1902年)、吉田東伍の大日本地名辞書に「胎内川」(タイナカワ)との記載[4]
  • 明治45年(1912年)、国土地理院の旧版地図「5万分1図中条」に「胎内川」(タイナカワ)との記載[4]
  • 昭和6年(1931年)、藤井尚治は越佐地名考[6]にて「胎内はトイナイのアイヌ語から出てゐるものである事」と述べている[4]が、のちに昭和18年(1943年)の日本古代語寶燈[7]にて「それらはアイヌ語ではなく皆我が国の古代語であることが判った。」と述べている[4]

名前の由来について[編集]

川の上流にある朳差岳雪形鯛頭たいがしら」に因んでいるとする説[5][4]、扇状地域では伏流水となり河口付近で再び現われる事からの連想で「胎内」とついたなどの説がある[8]。また、夏になると川の水が枯れて地下水となることが胎内に似ていることに由来するという説もある[9]

かつては、アイヌ語の「テイ・ナイ」(清い川)、「タイ・ナイ」(森の中を流れる清い川)[9]、または「トイ・ナイ」(toy-nay 泥の川)を語源とするとされ、胎内市が合併でできる際にも『「胎内」はアイヌ語で「清い水の流れ」を意味する』というものがまちだよりに掲載されたこともあった[10]が、近年では、これは誤った言い伝えであると唱えられている[5][4]

漁業[編集]

胎内川漁業組合ではサケ栽培漁業に取り組んでおり、下赤谷養殖場にて採卵し孵化させた稚魚を胎内川に放流している。2009年のサケ漁獲量は1098尾(うちメス536尾 オス562尾)であった[11]

流域の自治体[編集]

新潟県
胎内市

河川施設[編集]

夏井頭首工(2021年9月)

流域の観光地[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 胎内川の流路の変遷”. 新潟県 新発田地域振興局地域整備部奥胎内分所. 2019年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月13日閲覧。
  2. ^ 河川事業の概要”. 新潟県 村上地域振興局地域整備部. 2017年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 胎内市の過去の主な自然災害”. 胎内市防災ガイドブック. 胎内市 (2013年9月). 2020年8月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 高橋範行「胎内川の読み方の変遷」『奥山荘郷土研究会誌 おくやまのしょう』第39号、奥山荘郷土研究会、2014年3月31日、64-74頁。 
  5. ^ a b c d e f g 片野徳蔵「地名考「胎内川」はアイヌ語ではない」『奥山荘郷土研究会誌 おくやまのしょう』第31号、奥山荘郷土研究会、2006年3月31日、36-42頁。 
  6. ^ 藤井尚治『越佐地名考』新潟時事新聞社、1931年、149,156頁。 
  7. ^ 藤井尚治『日本古代語寶燈』日本思想研究會出版部、1943年7月、はしがきp4,p31頁。 
  8. ^ 日本辞典”. nihonjiten.com. 2014年4月10日閲覧。
  9. ^ a b 谷川 2015, p. 93.
  10. ^ 広報なかじょう 2004年11月1日号 p.4 新市名称提案される「胎内市」に!(中条町)(2005年8月30日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  11. ^ 信濃川中流域水環境改善検討協議会「平成21年度モニタリング調査結果について」(PDF)『モニタリング調査』、国土交通省北陸地方整備局、2009年、45頁、2014年4月10日閲覧 

参考文献[編集]

  • 河川大事典(日外アソシエーツ 1991年)
  • 谷川彰英『47都道府県・地名由来百科』丸善出版、2015年。ISBN 978-4-621-08761-9 

外部リンク[編集]

関連項目[編集]