織田信成 (フィギュアスケート選手)

織田 信成
Nobunari ODA
フィギュアスケート選手
2009年中国杯の表彰式で
生誕 (1987-03-25) 1987年3月25日(37歳)
出身地 大阪府高槻市[1]
親族 織田憲子(母)
身長 164 cm[1]
出身校 高槻市立第二中学校
大阪府立阿武野高等学校
関西大学
関西大学大学院
所属事務所 トラロックエンターテインメント[2]
選手情報
代表国 日本の旗 日本
開始 1990
引退 2013
復帰 : 2022年9月
ISUサイト バイオグラフィ
指導者情報
元役職 関西大学アイススケート部監督
ISUパーソナルベストスコア
総合262.982013 ネーベルホルン杯
SP87.652009 GPファイナル
FS175.642013 ネーベルホルン杯
大会成績
主要国際大会 1 2 3
四大陸選手権 1 0 0
グランプリファイナル 0 2 2
世界ジュニア選手権 1 0 0
合計数 2 2 2
国内大会 1 2 3
全日本選手権 1 4 1
全日本ジュニア選手権 1 1 1
日本の旗 日本
フィギュアスケート
主要国際大会
四大陸選手権
2006 コロラドスプリングス 男子シングル
グランプリファイナル
2006 サンクトペテルブルク 男子シングル
2009 東京 男子シングル
2010 北京 男子シングル
2013 福岡 男子シングル
世界ジュニア選手権
2005 キッチナー 男子シングル

織田 信成(おだ のぶなり、ラテン文字:Nobunari Oda、1987年〈昭和62年〉3月25日[3] - )は、日本フィギュアスケート選手(男子シングル)。大阪府高槻市出身。最終学歴は関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修修士課程修了。学位修士 (文学)[4]。関西大学アイススケート部前監督。兄はベーシストの織田信治。

主な成績に2010年バンクーバーオリンピック7位、2006年四大陸選手権優勝、2008年全日本選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝、2009年、2010年GPファイナル2位、2006年世界選手権4位など。

アマチュア引退後は、トラロックエンターテインメントに所属し、プロスケーター、スポーツ解説者、TVタレント指導者などで活動している[2]。2017年4月1日付で母校関西大学スケート部監督に就任した[5]

2019年9月9日、同日付で関西大学アイススケート部監督兼コーチを退任したことを関西大学が発表した[6]

2023年12月現在、トラロックエンターテインメントのホームページのアスリートタレント一覧には記載されていない。

人物[編集]

大阪府高槻市出身。大阪府立阿武野高等学校卒業。卒業後は関西大学文学部英語英文学専修に進学[7]。2010年4月2日、関西大学学長表彰を受彰した[8]。同月22日、中学時代の同級生だった女性と婚姻届出[9]。10月1日、第1子の男児が誕生[10]2011年3月19日に大学を卒業、4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学した[11]。 2013年1月5日には第2子の男児が誕生[12]2015年3月23日に大学院を修了[13]。2016年11月7日には第3子の男児が誕生[14]。2019年10月、自身が出演する情報番組で 第4子の女児が誕生したことを報告した[15]

祖父はアマチュア古代史研究家の織田重治。父・信義は大阪通管工業所の創業者で[16]織田信長から数えて17代目の末裔(旗本高家の織田信高の系統)にあたる[17]と自称しているが、家系図が二代にわたり途切れている事から事実ではない(後述)。

織田信高の系統と海外でも紹介されているが[18]、これは家系図が二代にわたり途切れている事が伝えられていないからである。また、家系図はDNA的証明を表すものではなく、養子、不倫子、強姦子など多種要因で夫妻以外の遺伝子で子供が育つことは多々あり、何の証明にもなっていない。その一方、デヴィッド・ウィルソンが2004-2005シーズンのフリープログラムに『座頭市』は信長にちなんだという[19]。また、2010年1月には愛知県清須市の「清須越四百年事業」のPR役として信長も居城とした清洲城名誉城主に就任している(任期は1年間)[20]

涙もろい一面
非常に涙もろく、現役時代から人目憚らず号泣するシーンが数多い。2005年10月のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流し続けている[21]。その後も、飲酒運転で摘発された際の会見でも涙を流して釈明し[22]、現役引退後には、損害賠償請求訴訟を提起してハラスメントを受けたと涙を流して主張した(結局そのような事実はなかった)[23]
特に2005年12月のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親コーチの織田憲子が笑いながらそれを宥める姿が全国に大きく放映され、織田を一躍有名にした。
他にも、2013年12月の全日本フィギュアスケート選手権鈴木明子が28歳の最高齢で同大会初優勝を果たした時を初め、翌2014年2月開催のソチオリンピックで良きライバルだった髙橋大輔に中継で声を掛けた際、さらに浅田真央がほぼノーミスのフリーを滑りきった時や2017年4月に浅田の現役引退表明にコメントを求められた際、そして2018年2月の平昌オリンピック羽生結弦が五輪2大会連続金メダル宇野昌磨銀メダル獲得のワンツーフィニッシュ達成時など、思わず泣き出す場面がテレビでそれぞれ放送されている。
その「泣き虫キャラ」がすっかり定着した織田は、2014年4月にフジテレビ系列「アウト×デラックス春の面会スペシャル」の放映出演時に、織田自ら「僕よく皆さんに『いい人ですね』って言われるけど、ただよく泣くだけ。全然良い人じゃない」などと泣きながら困惑。当番組の司会矢部浩之が「もう泣き止みなさい」と親のように声を掛けると、織田は「だから僕は表舞台から消えたいんです…たとえコーチをしても大会には帯同しない」と、裏方に廻りたいと打ち明ける。その言葉に対してマツコ・デラックスが「ダメよ、あなたは表舞台に出る人なの!」と説得すると、織田は「そう言って頂けるのが凄い嬉しくて…もう本当に生きてるだけで十分なので」と余計に涙が止まらなくなっていた[24]

技術・演技[編集]

勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばあった。他方、規定に反してザヤックルール違反やコンビネーションを跳び過ぎて、高難度ジャンプの得点が無効になってしまうことが、過去に公式試合で9回もあった[25]。そのため、織田が出場していない大会の、外国のTV中継中においてすら「ザヤックルール違反と言えば日本のOda」と話題にされた。日本のフィギュアファンの間では他選手であってもザヤックルール違反を俗に「オダる」と呼ばれることもある。

身体の柔軟性が高く、またスピンはバリエーションが豊富である。演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しいとされていた[26]。3回転アクセルは2005年世界ジュニア選手権の公式練習で初めて成功した[27]

経歴[編集]

母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた[28][17]。しかし、小学生の頃はスケートを続けているとお金がかかって親に負担がかかってしまう為、スケートを止めたいと思っていた[29]
1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。2001-2002シーズンは左腕を骨折したため競技会に出場しなかった[30]

2004-2005シーズン、城田憲子の紹介でカナダのリー・バーケルのもとへ渡る[30]。初めのうちは英語も分からず苦しんだが、ジェフリー・バトルらとの練習を通じて成長した[31]世界ジュニア選手権で優勝[32]。同大会男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の髙橋大輔以来2人目。女子シングルの浅田真央とともに日本勢のアベック優勝となった。

シニアデビュー以降[編集]

2006年スケートアメリカより

2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦。グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝を果たし、本田武史、髙橋大輔に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となった。トリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されたものの、採点ミスが明らかになり2位に訂正される(詳細は第74回全日本選手権を参照)。この結果、代表選考ポイントでも僅差の2位となり、トリノオリンピック出場を逃した。年が明けてからは四大陸選手権を制し(同大会での日本人男子シングルの優勝者は本田武史以来2人目)、世界選手権でも4位入賞。日本男子シングル出場枠を1から2に増やした。また練習面で、体力面で他の選手に劣るという指摘を受け、松本整の下で筋力トレーニングに取り組み始めた[33]

2006-2007シーズン、スケートアメリカで優勝し、NHK杯では髙橋大輔に次いで2位。2年連続で進んだグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。世界選手権ではSPで14位と出遅れたが、プログラムを『ミッション:インポッシブル』に変えて臨んだFSでは冒頭の3回転アクセル-3回転トゥループ-3回転ループから次々にジャンプを成功させて追い上げ[34]、総合7位に入った。同時に、髙橋大輔が2位になったため、2人の順位合計により、翌2008年大会の日本男子シングル出場枠は最大の3枠となった。2007年1月に開催された第62回冬季国体群馬大会スケート競技に出場し、SP・FS共に1位で優勝。

2007年3月の誕生日で20歳になったが、同年7月27日の未明、大阪府高槻市内ミニバイク酒気帯び運転により警察に摘発された。織田は「前日に大阪市内で関西大学アイススケート部の顧問(同大学の学生センター長)などと酒を飲んだりサウナで過ごしたりしながら競技活動と学業の両立を相談した後に、『(自宅のある高槻方面への)電車で寝過ごして時間も経っていたので、酔いもさめた』という自己判断でミニバイクを運転していた」とコメントし[35]、涙の謝罪をした[22]。後に、道交法違反(酒気帯び運転)で略式起訴され、罰金10万円の有罪となった(略式命令)[36]。この摘発を受け、日本スケート連盟は、織田の大会への出場停止(国際大会5ヶ月、国内大会3ヶ月)と特別強化指定選手5ヶ月間解除の処分を通達し、スケートカナダエリック・ボンパール杯への派遣を中止した[37]。この一連の問題に対しては、一学生の学業相談に際して、教授らがポケットマネーで酒やサウナを共にしたことに対しても、大学側の特別扱いとして批判が起きた[38]。飲酒運転に対する大学からの処分としては、社会的制裁を受けていることと河川敷清掃をしたことから、厳重注意に止まった[39]。復帰戦として注目された11月の西日本選手権は、「調整の遅れ」を理由に欠場。代わって12月の全日本選手権での復帰を予定していたが、開催直前に「過度の精神的重圧」などの理由で欠場した。[40]。これらにより、四大陸選手権世界選手権の出場権利を得られず、年明けの各アイスショーにも参加しなかった。

2008年4月、ニコライ・モロゾフのコーチ就任を発表[41]。アイスショーにも復帰した。2008-2009シーズンが始まると、ネーベルホルン杯カールシェーファーメモリアルと立て続けに優勝。国内でも西日本選手権を制し、グランプリシリーズ復帰戦となるNHK杯でも優勝。全日本選手権でも優勝した。世界選手権では、SPでフェンスに激突し、FSでジャンプの回数規定違反を犯しながらも、初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプを成功させ総合7位になった[42]。同大会で6位だった小塚崇彦との順位合計が13となり、翌2010年バンクーバーオリンピックの出場枠「3」を辛うじて確保した。

バンクーバー五輪出場・7位入賞[編集]

2009-2010シーズン、エリック・ボンパール杯中国杯グランプリシリーズで連勝。グランプリファイナルでは2位と好成績を残しオリンピック日本代表に内定した。[43]バンクーバーオリンピックでは、SPでは4位と好発進だったが、FSで後半靴紐が切れたことによる演技の一時中断と、転倒による計3点の減点が響いて7位入賞に留まった(髙橋大輔が3位入賞・銅メダル獲得、小塚崇彦は8位入賞)。世界選手権ではSPですべてのジャンプに失敗し28位となり、FSに進めなかった。

2010-2011シーズン、スケートカナダスケートアメリカともに2位に終わる。グランプリファイナルではSPでは初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプに成功し1位となったが、FSでは2度のジャンプの転倒があり3位。総合では2位となった。世界選手権ではSPで2位につけながらも、FSでまたもジャンプの回数違反を犯し、総合6位に終わった。

2011-2012シーズン、かねてからの左膝蓋骨靱帯炎の治療と、膝以外の使える筋肉を使ってのトレーニングを続けながら挑んだグランプリシリーズ初戦の中国杯では2位に入ったが、第2戦のエリック・ボンパール杯では7位と沈み、3年連続グランプリファイナル進出はならなかった。全日本選手権は左膝の故障のため欠場。

2012-2013シーズン、左膝の治療とトレーニングがほぼ完了。挑んだグランプリシリーズスケートカナダ3位、ロステレコム杯5位となり、GPファイナル進出は叶わなかった。世界選手権代表をかけた全日本選手権では、SPでは転倒があり5位。FSでは4回転を決めたが、3回転アクセルの1度目で手をつき、2度目に転倒。総合で4位となり、世界選手権出場を逃した。2013年1月の第68回冬季国体(東京)に出場し、SP・FS共に1位で国体2度目の優勝。

2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯ではSP、FSともに4回転ジャンプに成功。FSと合計スコアの自己ベストを更新し、2位に大差をつけ圧勝。スケートカナダでは、SPは2位発進するも、FSではジャンプのミスが響き、総合3位。NHK杯はSPは3位、FSは健闘し総合2位となった。GPシリーズ総合ポイントランキングは7位だったが、髙橋大輔が怪我により欠場したため繰り上げとなり、3シーズンぶりのグランプリファイナル進出が決定した。グランプリファイナルではSP、FS共に3位で、総合3位に入った。ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権ではSP冒頭の4回転が3回転になるなどし、5位とやや出遅れた。FSではほぼノーミスの演技を行い3位と健闘したが総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場は逃した。

現役引退後[編集]

2013年全日本選手権の終了直後、日本スケート連盟は2014年四大陸フィギュアスケート選手権中華民国の旗 中華民国)の日本代表選手の一人として織田を選出した。しかし「(織田自身のコメントに拠れば)これからは若い選手に頑張って欲しい」という意向から、四大陸選手権の出場権を辞退(代替選出の選手は無良崇人。結果は優勝)。全日本選手権のエキシビション(12月24日)で演技を終えた直後、織田選手自身がリンク上からマイクを通じて、現役を退くことを発表した[44]。その後に開かれた引退会見では、「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」という自作の句を披露した。

現役を引退した直後のソチオリンピックの開催期間中、『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビが平日の夕方に放送中のローカルワイドニュース番組)で自身初の「スポーツコメンテーター」を担当[45]。その後もスポーツ関連番組やバラエティ番組のゲストとして、自身現役時代の体験談や、ライバル・新旧の日本代表選手に関するエピソードを語る機会が多い。 2014-2015年シーズンの開幕以降は、スケート大会の実況解説者として活躍が増えている。

またアイスショーやレギュラー番組など出演の傍らで、メダルウィナーズオープンフィギュアスケートジャパンオープンのプロアマ混合大会に出場。ジャパンオープン2016においては、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションを成功させ、非公認ながら現役時代のパーソナルベストを超える178.72点の得点を出した[46]

ジャパンオープン2018においても、4回転トウループ-3回転トウループ、更に3回転アクセル-1オイラー-3回転サルコウの難しいコンビネーションジャンプを決め、新ルールによりジャンプの回数が1回減っているにもかかわらず、現役時代のパーソナルベストを超える176.95点の得点を出した。

2017年4月11日、関西大学梅田キャンパスにて関西大学アイススケート部監督就任会見を行った。

2019年9月9日、「多忙が理由」との理由で大学側より関西大学スケート部監督の退任が発表された[47]

2021年10月1日、YouTubeチャンネル「織田信成の“滑るけどスベらない”チャンネル」を開設。初回に配信された動画では、2013-2014シーズンの浅田真央のFSに自ら挑戦した[48]

損害賠償請求訴訟[編集]

2019年9月に関西大学スケート部監督を退任したことについて、織田は同月29日の公式ブログで「リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになった」と「多忙」による辞任を否定し[49][50][51][52]、10月14日の公式ブログでは織田側から見た経緯を説明した[53]。しかしモラハラを行ったとされる濱田美栄コーチは週刊文春の取材に対し、挨拶し忘れたことはあったかもしれないがモラハラは無かったと反論した[54]

11月18日、織田は濱田に対しハラスメントを行っていたとして1100万円の損害賠償請求訴訟を求めて大阪地裁に提訴[55]、大阪司法記者クラブで代理人弁護士同席のもと泣きながら記者会見を行った。訴状によると、濱田の無視・陰口などの嫌がらせにより精神的な苦痛を受け、40度を超える発熱や筋肉の震えなどで3月26日~4月2日にかけて大阪・高槻市内の病院に入院、以降も恐怖や不安から身体の変調が続いていると主張している[56][57][58][59][60][61][62]。会見の席上では、弁護士が濱田に対する提訴のほか大学に対しても織田に対する救済措置を講じるよう求めたことを明かした[63]。19-20シーズン中の提訴となったことについては「シーズン前に解決したかった。シーズン中にこういうことになってしまったのは残念」と話している[64]

関西大学は織田の提訴に対し「アイススケート競技がシーズンに入り、多くの選手が練習に懸命に取り組んでいる時期に提訴がなされたことは大変残念」とするコメントを発表した[65]。また12月10日には、同月6日に行われた選手の保護者説明会での要望があったとして、織田からの7月1日時点での申し出に対する調査結果を発表した。10月から11月にかけて織田側に調査結果を通知しており、織田の要求については「妥当ではない」と結論付けている[66][67]

12月に行われた1回目の口頭弁論では、濱田側が織田の訴えは事実ではないとして請求の棄却を求めた[68]。翌2020年2月に行われた2回目の口頭弁論で、濱田側はこの訴訟が名誉を傷つける不法行為であると織田を反訴。モラハラの事実が無いにもかかわらず、織田が提訴し、記者会見を行ったことでメディアに大きく取り上げられ、濱田は精神的苦痛を受けており、330万円の損害賠償を求めた。3回目は4月予定が新型コロナウイルス感染症の流行の影響で8月6日に行われた。織田側は反訴状の訴えに対し「事実であるのだから名誉棄損では無い」として、証拠として濱田が選手や指導者に対し暴力や暴言を日常的に行っていることを指摘した。濱田側は「過激な言葉を使ったことはあるけれど、侮辱的ではなく、あくまでも指導の範囲内」であるとしている[69]

2021年3月2日、2月末の第7回弁論準備手続きで双方が相手に求める和解案を提示することが確認されたため、双方への確認が無いままに裁判は和解に向かっていると報じられたが[70]、実際は双方が全面対立したまま、2022年12月1日に結審[71][72]。2023年3月2日の大阪地方裁判所の判決で「認めるに足りる証拠はない」として織田の請求は棄却された。濱田の反訴請求は一部認められ、織田は220万円の賠償を命じられた[73][74]。双方が控訴しなかったため3月17日に地裁判決が確定した[75]

現役復帰[編集]

2022年11月1日、自身のYouTubeチャンネルにて、9月に日本スケート連盟に復帰届を提出し現役復帰したこと、また国民体育大会冬季大会の予選にエントリーしたことを発表した[76]特別国民体育大会では総合9位となり、演技後に翌シーズン以降も現役を続行することを宣言した[77]

2023-2024シーズンでは西日本選手権を優勝したが、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の規程により国内最高レベルの競技大会に出場する6か月前までに競技に復帰する旨を届け出て競技外検査を受ける必要があったにもかかわらず、復帰届を提出したのが7月であったために上位6人に与えられる全日本選手権への出場権を得られなかった。また、特別国民体育大会も本来であれば出場資格がなかったため、JADAは「規則に沿って対応を進めている」と説明している[78]。10月29日に自身のインスタグラムにて、7月に日本スケート連盟から登録期間を過ぎているので除外申請書を世界アンチ・ドーピング機構に提出してほしいと連絡があり除外申請書を提出したものの、8月末に却下されていたこと、日本スケート連盟の許可の下で西日本選手権に出場し、全日本選手権出場の可能性を探っていたが前日に日本スケート連盟から全日本選手権に出場できない旨をリリースすることを告げられたことなどを投稿した[79]

2023年8月26日、全大阪2フィギュアスケート選手権に出場。今季、新たに挑むブノワ・リショーに振付をお願いした「エンジェルズ」でのフリー演技を披露し140.78点で2位となった[80]

2024年1月29日・30日、北海道苫小牧市・nepiaアイスアリーナで行われた第78回国民スポーツ大会冬季大会に出場。ショートプログラムは78.09点の3位、フリーで148.16点の4位で、合計226.25点で3位となる。

主な戦績[編集]

大会/年 2001-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 08-09 09-10 10-11 11-12 12-13 13-14
冬季オリンピック

7
世界選手権 4 7 7 28 6
四大陸選手権 1 4
世界国別対抗戦 3
全日本選手権 16 6 5 3 2 2 1 2 2 4 4
GPファイナル 4 3 2 2 3
GPNHK杯 1 2 1 2
GPスケートカナダ 3 2 3 3
GPロステレコム杯 5
GP中国杯 1 2
GPエリック杯 1 7
GPスケートアメリカ 1 2
ババリアンオープン 1
ネーベルホルン杯 1 1 1
シェーファー記念 1
ユニバーシアード 2 1
世界Jr.選手権 11 1
全日本Jr.選手権 4 3 2 1
JGPウクライナ記念 3
JGPスケートロングビーチ 4
JGPSBC杯 3
JGPスケートスロバキア 2 2
JGPトラパネーゼ杯 7

詳細[編集]

2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年12月20日 - 23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま 5
77.72
3
178.75
4
256.47
2013年12月5日 - 8日 2013/2014 ISUグランプリファイナル福岡 3
80.94
3
175.02
3
255.96
2013年11月8日 - 10日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 3
82.70
2
170.46
2
253.16
2013年10月25日 - 27日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョン 2
80.82
3
152.18
3
233.00
2013年9月25日 - 28日 2013年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
87.34
1
175.64
1
262.98
2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年2月6日 - 11日 2013年ババリアンオープンオーベルストドルフ 2
72.74
1
178.06
1
250.80
2012年12月20日 - 24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌 5
80.75
3
159.81
4
240.56
2012年11月9日 - 11日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 8
63.18
2
154.74
5
217.92
2012年10月26日 - 28日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダウィンザー 3
82.14
3
156.20
3
238.34
2012年9月27日 - 29日 2012年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
79.64
1
153.69
1
233.33
2011-2012 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年11月18日 - 20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 7
62.95
9
104.25
7
167.20
2011年11月4日 - 6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯上海 4
77.65
2
149.46
2
227.11
2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年4月24日 - 5月1日 2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 2
81.81
9
150.69
6
232.50
2011年1月30日 - 2月5日 ユニバーシアード冬季競技大会エルズルム 1
77.04
1
146.11
1
223.15
2010年12月24日 - 27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 3
77.48
3
160.00
2
237.48
2010年12月9日 - 12日 2010/2011 ISUグランプリファイナル北京 1
86.59
3
156.22
2
242.81
2010年11月12日 - 14日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカポートランド 1
79.28
2
146.81
2
226.09
2010年10月29日 - 31日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダキングストン 1
81.37
3
155.15
2
236.52
2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月24日 - 25日 2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ 28
50.25
- 28
2010年2月12日 - 28日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 4
84.85
7
153.69
7
238.54
2009年12月25日 - 27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪 3
79.60
2
164.70
2
244.30
2009年12月3日 - 6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 3
87.65
3
155.71
2
243.36
2009年10月29日 - 11月1日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 1
83.35
1
156.23
1
239.58
2009年10月15日 - 18日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 2
79.20
1
163.33
1
242.53
2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年4月16日 - 19日 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 3
79.35
4
149.90
3
229.25
2009年3月23日 - 29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 7
76.49
8
141.67
7
218.16
2009年2月2日 - 8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 6
75.04
3
145.22
4
220.26
2008年12月25日 - 27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 1
86.45
1
157.25
1
243.70
2008年11月27日 - 30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 1
81.63
1
154.55
1
236.18
2008年10月14日 - 17日 2008年カールシェーファーメモリアルウィーン 2
72.51
1
139.05
1
211.56
2008年9月25日 - 28日 2008年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
77.91
1
146.76
1
224.67
2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年4月29日 2007年ジャパンオープンさいたま - 1
150.59
1
団体
2007年3月19日 - 25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 14
67.17
6
142.77
7
209.94
2007年1月17日 - 27日 ユニバーシアード冬季競技大会トリノ 2
75.96
2
148.74
2
224.27
2006年12月27日 - 29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 2
81.75
2
153.91
2
235.66
2006年12月14日 - 17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 4
69.15
2
147.71
3
216.86
2006年11月30日 - 12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 2
83.55
2
161.01
2
244.56
2006年10月26日 - 29日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード 1
81.80
2
149.59
1
231.39
2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 1
36.23
3
78.25
5
136.73
4
251.21
2006年1月23日-29日 2006年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス - 1
77.29
2
124.40
1
201.69
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 - 2
79.90
2
138.80
2
218.70
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 - 4
67.13
5
129.92
4
197.05
2005年12月1日-4日 ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪 - 2
74.15
2
142.24
1
216.39
2005年10月27日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ - 7
59.84
2
133.24
3
193.08
2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年2月28日-3月6日 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー 1
121.30
2
64.33
1
132.09
1
196.42
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 4
60.81
3
124.83
3
185.64
2004年11月20日-21日 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大阪 - 4
57.53
1
123.22
1
180.75
2004年9月30日-10月3日 ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念キエフ - 2
59.20
4
108.61
3
167.81
2004年9月9日-12日 ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチロングビーチ - 6
50.07
4
98.00
4
148.07
2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年2月29日-3月7日 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ 8 10 11 11
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 8 4 5
2003年12月11日-14日 2003/2004 ISUジュニアグランプリファイナルマルメ - 8 7 8
2003年11月21日-23日 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都 - 1 2 2
2003年10月16日-19日 ISUジュニアグランプリ SBC杯岡谷 - 4 3 3
2003年9月18日-21日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ - 2 3 2
2002-2003 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2003年3月13日 - 15日 2003年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ 1 1 1
2002年12月19日 - 22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 8 6 6
2002年11月23日 - 24日 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 2 4 3
2002年10月31日 - 11月3日 ISUジュニアグランプリ トラパネーゼ杯ミラノ 10 6 7
2002年10月3日 - 6日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ 3 2 2
2001-2002 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2001年12月21日 - 23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪 16 15 16
2001年11月23日 - 24日 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権東京 7 3 4

プログラム使用曲[編集]

シーズン SP FS EX
2023-2024 Nuvole Bianche
曲:ルドヴィコ・エイナウディ,Nathan Wu
振付:宮本賢二
Angels
曲:ロビー・ウィリアムズ
振付:ブノワ・リショー
2022-2023[81][82] L-O-V-E
歌:ナット・キング・コール
振付:織田信成
映画『もののけ姫』より
作曲:久石譲
振付:織田信成
2013-2014[83] 映画『コットンクラブ』より
作曲:ジョン・バリー
振付:デヴィッド・ウィルソン
ウィリアム・テル序曲
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:ローリー・ニコル
映画『ラスト サムライ』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:ローリー・ニコル

Once Upon a Time in the West
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田信成
2012-2013[84] ラグタイム・ミュージック
振付:トム・ディクソン
The New Moon in the Old Moon's Arms
作曲:マイケル・ケイメン
振付:ローリー・ニコル
魔法使いの弟子
作曲:ポール・デュカス
ダフニスとクロエ
作曲:モーリス・ラヴェル
振付:ローリー・ニコル
ニューヨーク・ニューヨーク
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:宮本賢二
2011-2012[85] メンフィス・ソウル・シチュー
振付:セバスチャン・ブリテン
映画『シェルブールの雨傘』より
作曲:ミシェル・ルグラン
振付:セバスチャン・ブリテン
アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ
ボーカル:デンザル・シンクレア
2010-2011[85] Storm
演奏:吉田兄弟
振付:セバスチャン・ブリテン
ピアノ協奏曲イ短調
ピアノ協奏曲ロ短調
作曲:エドヴァルド・グリーグ
振付:セバスチャン・ブリテン
踊り明かそう
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』より
作曲:フレデリック・ロウ
ボーカル:ジェイミー・カラム
振付:坂上美紀
2009-2010[86] 死の舞踏
作曲:フランツ・リスト
演奏:マクシム・ムルヴィツァ
振付:ニコライ・モロゾフ
チャールズ・チャップリンメドレー
作曲:チャールズ・チャップリン
振付:ニコライ・モロゾフ
ソウル・ボサ・ノヴァ
映画『オースティン・パワーズ』より
作曲:クインシー・ジョーンズ
振付:ニコライ・モロゾフ
スマイル
作曲:チャールズ・チャップリン
ボーカル:マイケル・ジャクソン
2008-2009[87] 仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:ローリー・ニコル
ワルソー・コンチェルト
映画『危険な月光』より

作曲:リチャード・アディンセル
振付:ローリー・ニコル
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
振付:ニコライ・モロゾフ
2007-2008[88] 映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
アラウンド・ザ・ワールド
by レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
振付:宮本賢二
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
2006-2007[89] フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
作曲:バート・ハワード
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
交響曲第4番
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:デヴィッド・ウィルソン
2005-2006[90] セビリアの理髪師
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『座頭市』より
作曲:鈴木慶一
振付:デヴィッド・ウィルソン
ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン
スーパーマリオブラザーズ
振付:デヴィッド・ウィルソン
2004-2005 スーパーマリオブラザーズ[90]
振付:デヴィッド・ウィルソン
ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン[91]
2003-2004 映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子[92][88]
禿山の一夜
作曲:モデスト・ムソルグスキー[90]
THE Rock
振付:織田憲子、杉田由香子[92]
Rhythm Delivery[92]
2002-2003 エル・クンバンチェロ
作曲:ラファエル・エルナンデス
映画『マスク・オブ・ゾロ』より
作曲:ジェームズ・ホーナー[90]
トースト・オブ・ザ・タウン
by モトリー・クルー
2001-2002 -

家系詐称[編集]

織田信長の末裔と自称しているのは父親の信義で、信成本人の認識は「祖父が言っていたから」と話しているレベルであるが、過去には事実であるかのように自らテレビなどで自称する場合もあった。

この自称については「曽祖父から遡って4代が不明となっている」など不明な点が多く、証拠となるものは示されていない[93]。2014年7月時点で曽祖父である13代の名前を出すと共に、10代から12代を省略した家系図を公表しているのみである[94]。信成も家系図の空欄の存在を知っており、テレビ番組で述べている。

また旧柏原藩織田家の当主である織田孝一(織田信長の子孫ではないが家系上の末裔)によれば、大名となった各織田家の末裔[95]はどこも、信成がフィギュアスケート選手として有名になるまで信成の家系を認識しておらず、真に信長の末裔であるかどうかは判断できないという[96]

下図の長裕までは信高流の系図『寛政重脩諸家譜』の抜粋であり、誰でも記載できる系図である[97]。説明のために記すが長裕以降を保証するものではない。

仮に系図が真実であれば、血統的には信長の七男である信高の17代目の男系子孫となるが、空欄がある家系図は成り立たないので男系子孫とは認められない。責任が本人にあるかどうかは別として家系詐称にあたる。

表彰歴[編集]

出演[編集]

ニュース・スポーツ番組[編集]

情報番組[編集]

バラエティ番組[編集]

ウェブテレビ[編集]

  • 織田信成のフィギュアベマ!!!(2016年10月15日、AbemaTV)- MC
  • フィギュアベマ2~世界フィギュアスケート国別対抗戦直前スペシャル~(2017年4月16日、AbemaTV)[104]- MC
  • フィギュアベマ!!!3(2017年10月20日、AbemaTV)[105][106] - MC
  • 織田信成のフィギュアベマ!!!!4~GPシリーズ開幕前週スペシャル(2018年10月14日、AbemaTV)[107]- MC

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

CM[編集]

イメージキャラクター[編集]

その他[編集]

出版物[編集]

書籍[編集]

  • フィギュアほど泣けるスポーツはない! (KADOKAWA、2008年1月) ISBN 9784048956833

脚注[編集]

  1. ^ a b 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.54
  2. ^ a b トラロックエンターテインメント(会社概要)
  3. ^ 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.34
  4. ^ ■フィギュアスケートで活躍中の織田信成さんも驚愕!?■「関大は卒業できません」~関西大学 平成26年度卒業式・修了式を実施~
  5. ^ 織田信成さん、母校関大のスケート部監督に フィギュア 朝日新聞 2017年4月11日閲覧
  6. ^ “織田氏が関大監督を退任 アイススケート”. (2019年9月10日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14171196.html 
  7. ^ 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.39
  8. ^ 関西大学『関西大学通信第378号 髙橋大輔さんと織田信成さんに学長表彰 (PDF) 』参照。
  9. ^ 4児の父・織田信成、長女を顔出し「そっくり!」「カワイイーーーーー!!!」”. ORICON NEWS (2022年3月4日). 2022年3月4日閲覧。
  10. ^ “織田、「天下統一」の日に第1子/フィギュア” (日本語). サンケイスポーツ. (2010年10月4日). オリジナルの2010年10月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101007213800/http://www.sanspo.com/sports/news/101004/spm1010040503001-n1.htm 2010年10月8日閲覧。 
  11. ^ 関西大学『関西大学プレスリリース№56 平成22年度 関西大学卒業式を挙行 (PDF)
  12. ^ [フィギュア]織田に次男誕生!名前は「信之介」 Archived 2013年1月9日, at the Wayback Machine.
  13. ^ 織田信成、大学院修士課程の修了を報告 入学から4年”. シネマトゥデイ (2015年3月23日). 2015年3月26日閲覧。
  14. ^ 織田信成に第3子男児誕生「男三兄弟になりました」
  15. ^ 織田信成氏、第4子女児誕生を報告 これで3男1女「しっかり働きます」”. スポニチアネックス (2019年10月23日). 2019年10月28日閲覧。
  16. ^ (有)大阪通管工業所(会社概要の創始者略歴、前・代表者略歴)
  17. ^ a b 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.90
  18. ^ icenetworkによるバイオグラフィー”. icenetwork.com. 2007年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月22日閲覧。
  19. ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.183
  20. ^ 清須越四百年事業ニュース[リンク切れ]清須市、2010年1月1日、p.3
  21. ^ 『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.18
  22. ^ a b 毎日新聞2007年7月28日大阪朝刊31面
  23. ^ https://friday.kodansha.co.jp/article/80289?page=1
  24. ^ 織田信成「表舞台から消えたい」デイリースポーツ、2014年4月3日
  25. ^ 2004/2005 ISUジュニアグランプリ JGPロングビーチ、JGPウクライナ。2005年近畿ブロック選手権(プロトコル (PDF) Archived 2014年3月5日, at the Wayback Machine.)、2005年全日本選手権2006年世界選手権2007年世界選手権2009年世界選手権2010年スケートアメリカ2011年世界選手権
  26. ^ 『Cutting Edge』p.29, p.91
  27. ^ 『Cutting Edge』p.33
  28. ^ 『氷上のアーティストたち』p.186
  29. ^ [2014年5月14日 フジテレビTOKIOカケル]
  30. ^ a b 『Cutting Edge』p.36
  31. ^ 『オール・アバウト フィギュアスケート』p61
  32. ^ 未来のフィギュア界を担う!世界ジュニアフィギュアスケート選手権とは”. 【SPAIA】スパイア (2016年9月8日). 2020年11月17日閲覧。
  33. ^ 『Cutting Edge 2007』p.13
  34. ^ [ 2007年世界選手権男子シングルフリージャッジスコア]
  35. ^ 銀盤でファンに償いを 飲酒運転で出場停止の織田信成 (『47NEWS2007年9月19日付「スポーツリレーコラム」)
  36. ^ 読売新聞2007年8月9日東京朝刊29面、同8月10日東京朝刊33面
  37. ^ 織田信成選手の酒気帯び運転に対する処分について(財団法人日本スケート連盟 平成19年8月2日)
  38. ^ 読売新聞2007年7月28日大阪朝刊23面、毎日新聞2007年7月28日大阪朝刊17面
  39. ^ 朝日新聞2007年9月14日32面
  40. ^ フィギュア・織田信成選手 全日本選手権欠場のお知らせ(財団法人日本スケート連盟 平成19年12月25日) Archived 2014年2月2日, at the Wayback Machine.
  41. ^ 「フィギュアスケート:織田が渡米 酒気帯び運転改めて陳謝」 Archived 2008年4月30日, at the Wayback Machine.毎日新聞、2008年4月26日付
  42. ^ 「男子シングル」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.15-18[巻頭特集 2009世界選手権レポート]
  43. ^ 2009-2010シーズンにおける日本スケート連盟のバンクーバーオリンピック選考基準による。当時はGPシリーズファイナルで表彰台の日本人最高位であれば内定。
  44. ^ フィギュア織田が引退発表 日刊スポーツ 2013年12月24日閲覧
  45. ^ トークでも4回転! 織田信成さん、関テレ「アンカー」でスポーツコメンテーター初挑戦 Archived 2014年1月23日, at the Wayback Machine.(『産経ニュースwest2014年1月23日付記事)
  46. ^ 織田信成さん、引退から3年でまさかの自己ベスト更新「涙の引退は何だったのか」”. デイリースポーツ (2016年10月1日). 2016年10月1日閲覧。
  47. ^ フィギュア織田氏、関大監督を退任 「多忙で時間取れず」 日本経済新聞 2019年9月9日
  48. ^ 織田信成、浅田真央“伝説のフリー演技”に挑戦 「毎日これを…」と涙(2021年10月1日)|BIGLOBEニュース”. BIGLOBEニュース. 2021年11月13日閲覧。
  49. ^ 織田信成『関西大学アイススケート部監督辞任について』”. 織田信成オフィシャルブログ「氷上のお殿様」Powered by Ameba(2019年9月29日). 2019年9月30日閲覧。
  50. ^ 織田信成さん「関大監督退任理由、多忙でなくて嫌がらせやモラハラ」ブログに吐露”. 毎日新聞(2019年9月30日). 2019年9月30日閲覧。
  51. ^ 織田信成氏のモラハラ退任 関大は「事実関係を確認中」(デイリースポーツ)”. Yahoo!ニュース(2019年9月30日). 2019年9月30日閲覧。
  52. ^ 織田信成さん、関大に反論 監督退任は「モラハラ」理由 朝日新聞 2019年9月30日
  53. ^ 織田信成『嫌がらせ・モラハラ行為について』(2019年10月4日)”. 織田信成オフィシャルブログ「氷上のお殿様」Powered by Ameba. 2019年11月18日閲覧。
  54. ^ 「週刊文春」編集部. “織田信成モラハラ告発 疑惑のコーチが反論”. 文春オンライン( 週刊文春 2019年10月10日号). 2019年11月19日閲覧。
  55. ^ 織田信成が初激白 “関大の女帝”のハラスメントで「うつ状態」に…監督辞任の真相”. デイリー新潮(週刊新潮 2019年10月31日号掲載). 2019年11月18日閲覧。
  56. ^ 共同通信 (2019年11月18日). “織田信成氏がモラハラで賠償求め提訴 | 共同通信”. 共同通信. 2019年11月18日閲覧。
  57. ^ 織田信成氏が賠償求め提訴」『Reuters』、2019年11月18日。2019年11月18日閲覧。
  58. ^ 織田信成さんが関大コーチを提訴「悪弊へ一石投じる思い」”. 毎日新聞(2019年11月18日). 2019年11月18日閲覧。
  59. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月18日). “織田信成氏が浜田美栄コーチをハラスメント行為で提訴”. 産経ニュース. 2019年11月18日閲覧。
  60. ^ フィギュア界に激震 織田信成氏が女性コーチをモラハラで提訴 大阪市内で会見/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online(2019年11月18日). 2019年11月18日閲覧。
  61. ^ 「モラハラで監督退任」織田信成さん、関大スケート部女性コーチを提訴 : 国内 : ニュース”. 読売新聞オンライン (2019年11月18日). 2019年11月18日閲覧。
  62. ^ 織田氏、浜田氏からの嫌がらせで「氷の上に立てなくなりました」/フィギュア”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年11月18日). 2019年11月18日閲覧。
  63. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年11月18日). “織田信成氏が提訴・詳報(1)「諦めに近い感情」「学生によりよい環境を」 織田氏が会見会誌:イザ!”. イザ!. 2019年11月19日閲覧。
  64. ^ 織田信成が関西大学コーチを提訴「諦めの気持ちで」”. ライブドアニュース(2019年11月18日). 2019年11月18日閲覧。
  65. ^ 織田信成さん、関大コーチを提訴「モラハラあった」:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年11月20日閲覧。
  66. ^ 「無視された」織田信成さん主張をコーチ否定 関大調査:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル(2019年12月10日). 2019年12月10日閲覧。
  67. ^ 織田信成さんの要求 関大「妥当ではない」と判断 モラハラ訴訟で経緯公表”. 毎日新聞(2019年12月10日). 2019年12月10日閲覧。
  68. ^ 織田信成氏モラハラ訴訟初弁論 コーチ側、請求棄却求める/フィギュア”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年12月26日). 2021年3月3日閲覧。
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]