第3回スーパーボウル

第3回スーパーボウル
Super Bowl III
1 2 3 4

NYJ 0 7 6 3

16
BAL 0 0 0 7

7
開催日 1969年1月12日
スタジアム マイアミ・オレンジボウル
開催地 マイアミ
MVP ジョー・ネイマス(QB)
優勝予想 コルツ(18点)
国歌斉唱 アニタ・ブライアント
コイントス トム・ベル
審判 トム・ベル
ハーフタイム "America Thanks" with Florida A&M University
入場者数 75,389人
アメリカにおけるテレビ放送
ネットワーク NBC
実況と解説 カート・ガウディアル・デロガティスカイル・ロート
視聴率 36.0
占有率 71
CM広告料
(30秒)
5万5千ドル
 < 第2回 スーパーボウル 第4回 > 

第3回スーパーボウル(Super Bowl III)は1969年1月12日フロリダ州マイアミマイアミ・オレンジボウルで開催されたアメリカンフットボールの試合。NFLAFLの1968年のレギュラーシーズン、プレーオフを勝ち上がったボルチモア・コルツニューヨーク・ジェッツがチャンピオンシップを争った。

この試合はアメリカのプロスポーツ史上最も大番狂わせの1つとして知られておりAFLのジェッツがNFLのコルツを16-7で破りAFL勢として初勝利をあげた。

過去2回の大会は「AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム」が正式名称であったが、今大会よりAFL創設者でカンザスシティ・チーフスオーナーでもあったラマー・ハントの発案による「スーパーボウル」が正式名称となった。

それまで3年間に渡ってAFLとNFLの統合に向けて話し合いが進んでいたが過去2回のスーパーボウルでAFLのチームが大差で敗れていた。この試合でパス28回中17回成功、206ヤードを稼いだジョー・ネイマスがタッチダウンパスこそあげなかったもののMVPに選ばれた。

AFLとNFLの統合後、コルツ、ジェッツは共にAFCに加入したので、どちらかのチームがNFCに移動することがない限り、今後両チームがスーパーボウルで対戦することはない。

背景[編集]

第1回、第2回大会を連覇したグリーンベイ・パッカーズは高齢化、怪我、ヴィンス・ロンバルディヘッドコーチの引退により1950年代以来となる負け越し(6勝7敗1分)でシーズンを終えた[1]

ボルチモア・コルツ[編集]

プレシーズンゲームでネイマスの少年時代のあこがれだった偉大なQBジョニー・ユナイタスが右ひじを負傷したため、この年アール・モラルが先発QBを務めた。モラルはQBレイティング93.2とリーグトップの成績でシーズンを終えてMVPに選ばれた[1]。彼の活躍もありヘッドコーチのドン・シュラはユナイタスが怪我から回復後もモラルを先発QBとして起用し続けた。チームは10連勝も果たしその間4試合では完封勝ちし相手に与えたタッチダウンはわずか7つ、13勝1敗でシーズンを終えた。プレーオフではミネソタ・バイキングスを24-14で破りウェスタンカンファレンスのタイトルを獲得、シーズン中唯一敗れた相手であるクリーブランド・ブラウンズとのNFLチャンピオンシップゲームを34-0で勝利した[2]。シーズン終了後多くのアメリカ国民はコルツは史上最強チームであり、第1回スーパーボウル第2回スーパーボウルを連覇したヴィンス・ロンバルディグリーンベイ・パッカーズよりも強いのではないかと考えた。オフェンスはNFL2位の402得点をあげ、WRのジミー・オーアは29回のキャッチで743ヤード(平均25.6ヤード)を獲得、6TD、ウィリー・リチャードソンは37回のキャッチで698ヤード(平均18.91ヤード)、8TD、TEのジョン・マッキー[3]は45回のキャッチで644ヤードを獲得、5TDをあげた。またRBのトム・マットはチームトップの662ヤードを走り9TD、レシーブでも25回のキャッチで275ヤードを獲得、1TDをあげてプロボウルに選出された。またテリー・コールジェリー・ヒルの2人のRBが合計で778ヤードを走りレシーブでも236ヤードを稼いだ。

ディフェンスはリーグ最少の144失点(当時NFLタイ記録)でトータルランディフェンスはNFL3位の1,339ヤードしか相手に許さなかった。ババ・スミスはNFL最高のパスラッシャーであると見なされておりラインを統率した。またLBのマイク・カーティスもNFL最高のLBと見なされていた。ディフェンスバックもボビー・ボイドが8インターセプト、リック・ボルクが6インターセプト、レニー・ライルズが5インターセプト、ジェリー・ローガンが3インターセプトをあげる活躍を見せた。コルツは当時NFLで唯一ゾーンディフェンスを導入しており、ゾーンディフェンスに慣れていないNFLの他のチームに対して優位に試合を進めていた。(AFLではゾーンディフェンスが一般的となっておりジェッツとの対戦ではこれは有利な点とは言えなかった。)

ニューヨーク・ジェッツ[編集]

ニューヨーク・ジェッツは1958年NFLチャンピオンシップゲームでコルツを率いて優勝経験のあるウィーブ・ユーバンクヘッドコーチに率いられ11勝3敗でレギュラーシーズンを終えた。そしてAFLチャンピオンシップゲームではシーズン中、ハイジ・ゲームとして知られる敗戦を喫した相手のQBダリル・ラモニカ率いるオークランド・レイダースとAFLチャンピオンシップゲームで対戦、27-23で勝利した。この試合でドン・メイナードは6回のレシーブで118ヤード、2タッチダウンをあげた[4]。QBジョー・ネイマスはこの年3,147ヤードを投げたがパス成功率は49.2%、15TD、17INTとタッチダウンパスよりインターセプトの方が多かったが彼に率いられたオフェンスはコルツより多い419得点をあげた。AFLチャンピオンシップゲームでも第4Qにインターセプトでレイダースにリードを許したが失敗を帳消しにする3連続パス成功などで68ヤードのTDドライブを決めて残り55秒でジェッツに逆転をもたらした。オフェンスはタレントぞろいで後にプロフットボール殿堂入りを果たすWRドン・メイナードは自己ベストの57回のキャッチで1,297ヤード(平均22.8ヤード)、10TDをあげ、ジョージ・ソウアー・ジュニアは66回のキャッチで1,141ヤードを獲得、3TDをあげた。また強力なランオフェンスがフルバックのマット・スネル、ハーフバックのエマーソン・ブーザーによって行われた。スネルはチームトップの747ヤードを走り6TD、ブーザーは441ヤードを走り5TDをあげた。またキッカーのジム・ターナーは34本のFGと43本のエクストラポイントを成功させ145得点をあげた。

ランディフェンスではAFLトップの1,195ヤードしか相手に許さなかった。ジェリー・フィルビンジョン・エリオットバーノン・ビグスがディフェンスラインを引き締め、ミドルラインバッカーのアル・アトキンソンがLB陣を統率した。ディフェンスバックのジョニー・サンプル(1958年にコルツで優勝経験あり)が7インターセプト、ジム・ハドソンが5インターセプトをあげた。

ジェッツの何人かの選手たちはNFLをクビになっておりドン・メイナードは1958年のNFLチャンピオンシップゲームでコルツに敗れたニューヨーク・ジャイアンツからの加入、オフェンシブタックルのウィンストン・ヒルは5年前の新人時代コルツのトレーニングキャンプ中にカットされていた。

試合前のニュースと話題[編集]

AFLチャンピオンシップゲームが終了した時点でネイマスはインタビューに答えてAFLにはモラルより優れたQBが4人(自身、控えQBのベイブ・パリリサンディエゴ・チャージャーズジョン・ヘイドルマイアミ・ドルフィンズボブ・グリーシー)いるとインタビューに答えた。試合の3日前には「日曜の試合では我々が勝利する」と宣言した。この報道を聞いたババ・スミスは「奴はそんなことを発言するべきではなかった。プロはそのようなことは言わないものだ。」と述べた[1]

コルツとジェッツではコルツが圧倒的に有利と見なされており、あるアナリストは両リーグのレベルの差を考えればジェッツはNFLでいえば9勝5敗ぐらいのものであると観測されていた[2]。ネイマスだけでなく、マット・スネルらジェッツの選手たちもブックメイカーがつけた18点差には怒りを覚えていた。ジェッツの選手の大部分はAFLチャンピオンシップゲームで27-23と僅差で破ったレイダースの方がコルツより優れたチームだと考えていた。コルツのゲームフィルムを見てゲームの準備をしたコーチングスタッフやオフェンスの選手たちはコルツディフェンスに対抗するのに自分たちのオフェンスが適していることを発見した。コルツのディフェンスはしばしばブリッツを用いてパスカバレッジに弱点を抱えていた。ジェッツはブリッツが入った場合にカバーされていないタイトエンドやランニングバックへのショートパスが有効であることを見つけた。

テレビ放映とエンターテイメント[編集]

この試合はNBCニュースによって全米中継された。実況はカート・ガウディ、解説はアル・デロガティスカイル・ロートが行った。またジム・シンプソンパット・サマロールも放送に関わった。NFLフィルムズによるインタビューでガウディはこの試合は自らが経験した試合の中で最も記念すべきものとなったと答えている[5]。ゲームのチケットはソールドアウトとなったが当時のAFL、NFLのブラックアウトの規定によりマイアミではテレビ放送がなされなかった。スーパーボウルのセレモニーに初めて著名人が登場した試合になった。ボブ・ホープが試合前のセレモニーの司会をし、アポロ計画の宇宙飛行士たち(アポロ8号)を称えた。歌手のアニタ・ブライアントアメリカ国歌斉唱を行い、ハーフタイムショーではフロリダ農工大学のバンドが登場した。この試合は完全なビデオテープが現存している最も古いスーパーボウルである。第41回スーパーボウルの前日に行われたNFLネットワークによるSuper Bowl Classic、2010年のAFCチャンピオンシップゲームNFCチャンピオンシップゲーム前日にも放送された[6]

試合経過[編集]

ドライブごとの試合経過
開始 ボール保持 ドライブ TOP 結果 得点内容 得点
Q 時間 地点 P yd yd 得点者 PAT ジェッツ コルツ
1 15:00 自陣23 ジェッツ 5 20 4:05 パント
1 10:55 自陣27 コルツ 11 54 5:22 27ydフィールドゴール失敗
1 5:33 自陣20 ジェッツ 6 21 2:28 パント
1 3:05 自陣42 コルツ 3 3 1:07 パント
1 1:58 自陣4 ジェッツ 3 9 1:44 ファンブルロスト
1-2 0:14 敵陣12 コルツ 3 6 1:05 インターセプト
2 14:09 自陣20 ジェッツ 12 80 5:06 タッチダウン(ラン) 4 Snell キック成功 7 0
2 9:03 自陣28 コルツ 5 34 2:26 46ydフィールドゴール失敗
2 6:37 自陣20 ジェッツ 7 46 2:24 41ydフィールドゴール失敗
2 4:13 自陣20 コルツ 4 65 2:13 インターセプト
2 2:00 自陣2 ジェッツ 3 5 1:17 パント
2 0:43 敵陣42 コルツ 2 1 0:43 インターセプト
前半終了
3 15:00 自陣25 コルツ 1 0:35 ファンブルロスト
3 14:25 敵陣22 ジェッツ 8 8 4:17 フィールドゴール成功 32 J. Turner 10 0
3 10:08 自陣26 コルツ 3 -2 2:04 パント
3 8:04 自陣32 ジェッツ 10 45 4:06 フィールドゴール成功 30 J. Turner 13 0
3 3:58 自陣20 コルツ 3 5 1:34 パント
3-4 2:24 自陣37 ジェッツ 7 61 3:58 フィールドゴール成功 9 J.Turner 16 0
4 13:26 自陣27 コルツ 7 48 2:20 インターセプト
4 11:06 自陣20 ジェッツ 7 45 4:32 42ydフィールドゴール失敗
4 6:34 自陣20 コルツ 14 80 3:15 タッチダウン(ラン) 1 Hill キック成功 16 7
4 3:19 0:05 オンサイドキック成功
4 3:14 敵陣44 コルツ 5 37 0:53 第4ダウン失敗
4 2:21 自陣20 ジェッツ 6 7 2:13 パント
4 0:08 自陣34 コルツ 2 15 0:08 試合終了
P=プレー数、TOP=タイム・オブ・ポゼッションPAT=ポイント・アフター・タッチダウン。 アメリカンフットボールの用語集 (enも参照。 16 7

ジェッツはエースWRのドン・メイナードを先発で起用した。彼はAFLチャンピオンシップゲームのレイダース戦で112ヤード、2TDをあげる活躍を見せたがハムストリングを痛めていた。コルツはこの負傷のことを知らず厳しいマークをつけ、ジェッツは彼をおとりとして起用、ジョージ・ソウアー・ジュニアはシングルカバレッジとなった。ジェッツはランとショートパスを中心としインターセプトを避けるゲームプランを実行した。一方ジェッツのディフェンスは幸運なプレーも味方につけてコルツオフェンスを試合のほとんどで得点させなかった。

前半[編集]

ジェッツが最初に攻撃権を得た。5プレーで15ヤードしか獲得できずパントとなった。しかしコルツのセイフティ、リック・ボルクマット・スネルにタックルにいった際にヒットを受けて脳震盪を起こし試合の大部分を欠場した[1]。コルツは最初の攻撃でアール・モラルからジョン・マッキーへの19ヤードのパスなどで自陣27ヤードから敵陣19ヤードまで11プレーで前進した。しかしその後パスを2回失敗、クォーターバック自らのランプレーもノーゲインに終わりキッカーのルー・マイケルズが27ヤードのFGを狙ったが大きく右に外れた。

ジェッツの2回目の攻撃でネイマスはハムストリングを痛めているメイナードに向けてロングパスを投げたがオーバースローとなった。しかしこのプレーがきっかけとなりコルツのディフェンスはゾーンディフェンスによるカバーをメイナードに向けるようになりソウアーに対してはレニー・ライルズのマンツーマンカバーとした[2]。ソウアーはこの試合で8回のキャッチで133ヤードを獲得、第3Qには39ヤードのレシーブを決めることとなった。ジェッツは強力な左サイドへのスネルのランでファーストダウンを更新した。ハーフバックのエマーソン・ブーザーはアウトサイドラインバッカーをブロックしこの前進を助けた。コルツディフェンスはネイマスからメイナードへのロングパスによるタッチダウンを警戒していた。コルツがメイナードの負傷について知らなかったのに対してジェッツはライルズが扁桃腺炎で週末調子を崩していたことを知っていた。第1Q残り2分を切ってコルツのパンターデビッド・リーは51ヤードのパントを蹴ってジェッツは自陣4ヤードからの攻撃となった。3プレー後、ソウアーは3ヤードのパスをキャッチしたがライルズのタックルでファンブル、LBロン・ポーターがこれをジェッツ陣12ヤードでリカバーしコルツは絶好の得点機会を得た。しかし第2Qに入って2プレー目、第3ダウン、モラルがタイトエンドのトム・ミッチェルへ投げたパスはアル・アトキンソンにはじかれコーナーバックのランディ・ビバリーがエンドゾーンでインターセプトしてタッチバックとなった[1]。ジェッツは自陣20ヤードからの攻撃でまず4回のマット・スネルによるランプレーで26ヤードを前進した。レフトタックルのウィンストン・ヒルはルーキー時代、コルツのトレーニングキャンプで歯が立たなかった36歳のベテラン、オーデル・ブラーセを圧倒し左のオフタックルへのランプレーが効果的であった。ネイマスはその後3本のパスを通して敵陣23ヤードまで前進、続くエマーソン・ブーザーのランは2ヤードのゲインに終わったがスネルが12ヤードのレシーブで敵陣9ヤードまで前進、最後はスネルが左のオフタックルへの4ヤードランでタッチダウン、ジェッツが7-0とAFLのチーム初のリードを奪った[1]

コルツはモラルからRBトム・マットへの30ヤードのパスで敵陣42ヤードまで前進したが第3ダウンにモラルが投げたパスがジョニー・サンプルに阻まれキッカーのマイケルズが狙った46ヤードのFGは外れた。2プレー後、ネイマスはソウアーに36ヤードのパスをヒットし、敵陣32ヤードまで前進した。ネイマスはその後パス2本を失敗、第3ダウンにはLBデニス・ゴーバッツにサックされて2ヤードのロス、ジム・ターナーが41ヤードのFGを狙ったが失敗に終わった。

その後コルツは自陣20ヤードからスーパーボウル記録となるトム・マットの58ヤードのランなど3プレーで敵陣15ヤードまで前進したがモラルのパスが2ヤード地点でインターセプトされ得点の機会を失った。続くジェッツの攻撃はパントに終わりコルツは敵陣41ヤードからの絶好のフィールドポジションを得た。この後スーパーボウル史上知られたフリーフリッカープレーが行われた。コルツはマットにボールをハンドオフ、ピッチでボールはモラルに戻された。NBCのカメラクルー及びジェッツのディフェンスはこれにだまされWRジミー・オーアはエンドゾーン付近でワイドオープンとなり手をあげて合図をした。しかしモラルはオーアがオープンであることに気がつかずジェリー・ヒルへパスを投げたがこれをセイフティのジム・ハドソンがインターセプトしてジェッツが7-0とリードしてハーフタイムを迎えた。このシーズン、アトランタ・ファルコンズ戦では同じプレーでオーアへのTDパスが決まっていた。このプレーについて後にオーアは俺が第1ターゲットだったがアール(・モラル)は俺が見えなかったと言ったと述べた。センターのビル・カリーも「ジミー(・オーア)がワイドオープンになっていたことは見えていた。何が起きたのかわからないと述べている。」

後半[編集]

第3Qはジェッツが12分間に渡ってボールをコントロール、コルツは7プレーでわずか10ヤードしか獲得できなかった[1]。第3Q開始後最初のプレーでマットがファンブル、ターナーの32ヤードのFGでジェッツが10-0とリードを広げた。コルツの攻撃はパントに終わったのに対してネイマスは4本のパスで40ヤードを獲得、再びターナーの30ヤードのFGが決まりジェッツのリードは13-0となった。このドライブ中にネイマスは右手親指を負傷し控えQBのベイブ・パリリが数プレー代役を務めた。ネイマスは第3Q終わりにフィールドに戻り第4QもQBを務めた。

ターナーの2本目のFGが決まり第3Q残り4分となったところでコルツのヘッドコーチ、ドン・シュラはモラルを下げてひじの負傷でシーズンの大部分を欠場していたジョニー・ユナイタス[7]をリリーフさせたがファーストダウンを獲得できずにパントに終わり、ネイマスがソウアーに39ヤードのパスを決めてコルツ陣内2ヤードまで攻め込んだ。ここでコルツのディフェンスはタッチダウンを許さずターナーのFGで16-0となった。

続くコルツの攻撃でユナイタスは3回連続パス不成功に終わったが第4ダウンに17ヤードのパスを成功させ、ジェッツの3回の反則もあり10プレー後、残り時間3分19秒にヒルの1ヤードランで16-7と点差をつめた。コルツはオンサイドキックをリカバーし3本連続でパスを成功させてジェッツ陣内19ヤードまでボールを進めた。しかしその後パス3本が失敗に終わり逆転の目はなくなりジェッツがランプレーで残り時間を費やし残り8秒でコルツは攻撃権を得たが得点できず試合は終了した。

マット・スネルによるとコルツの選手たちは疲れとショックから呆然としており祝福の言葉を述べにくる選手は一人もいなかったという。フィールドから去る際にネイマスが指をつきあげてNo.1のサインをしているのを見たという。

数年後モラルは「楽勝すると思っていた。我々は過去30試合で2敗しかしていなかった。オレンジボウルで起きた敗戦については未だに信じられない。」と述べた。

ネイマスはパス28回中17回成功しタッチダウンパスはあげなかったもののMVPに選ばれた。なおスーパーボウルMVPに選ばれたQBで彼以降にタッチダウンパスをあげなかったものは現在まで現れていない。スネルは30回のボールキャリーで121ヤードを走り1タッチダウンをあげ、パスレシーブでも4回で40ヤードを獲得した。ソウアーは8回のレシーブで133ヤードを獲得、ビバリーはスーパーボウル史上最初に2インターセプトをあげた選手となった。モラルはパス17回中6回しか成功できず3インターセプトと散々だった。第4Qしかプレーしなかったもののユナイタスはモラルより数字を残し11回のパス成功、110ヤードを獲得したが1インターセプトを喫した。コルツのトム・マットはわずか11回のボールキャリーながら116ヤード(平均10.5ヤード)を走り2回のレシーブで30ヤードを獲得した。コルツはジェッツより4回多くターンオーバーを喫し、5回中4回は敵陣深くでのミスであった。

ジェッツのドライブ
# ドライブ TOP 結果
プレー ヤード
1 5 20 4:05 パント
2 6 21 2:28 パント
3 3 9 1:44 ファンブルロスト
4 12 80 5:06 タッチダウン(ラン)
5 7 46 2:24 41ydフィールドゴール失敗
6 3 5 1:17 パント
前半終了
7 8 8 4:17 フィールドゴール成功
8 10 45 4:06 フィールドゴール成功
9 7 61 3:58 フィールドゴール成功
10 7 45 4:32 42ydフィールドゴール失敗
11 6 7 2:13 パント
コルツのドライブ
# ドライブ TOP 結果
プレー ヤード
1 11 54 5:22 27ydフィールドゴール失敗
2 3 3 1:07 パント
3 3 6 1:05 インターセプト
4 5 34 2:26 46ydフィールドゴール失敗
5 4 65 2:13 インターセプト
6 2 1 0:43 インターセプト
前半終了
7 1 0:35 ファンブルロスト
8 3 -2 2:04 パント
9 3 5 1:34 パント
10 7 48 2:20 インターセプト
11 14 80 3:15 タッチダウン(ラン)
12 5 37 0:53 第4ダウン失敗
13 2 15 0:08 試合終了

最終スタッツ[編集]

[8]

スタッツ比較[編集]

ニューヨーク・ジェッツ ボルチモア・コルツ
ファーストダウン 21 18
ランによるファーストダウン 10 7
パスによるファーストダウン 10 9
反則によるファーストダウン 1 2
ラン獲得ヤード 142 143
パス試投 29 41
パス成功 17 17
インターセプト-ヤード 4-9 0-0
パス獲得ヤード 195 181
合計獲得ヤード 337 324
パント-平均 4-38.8 3-44.3
ファンブル-ロスト 1-1 1-1
反則-ヤード 5-28 3-23

スターティングラインアップ[編集]

ジェッツ ポジション コルツ
オフェンス
ジョージ・ソウアー・ジュニア
George Sauer, Jr.
SE ジミー・オーア
Jimmy Orr
ウィンストン・ヒル
Winston Hill
LT ボブ・ボーゲル
Bob Vogel
ボブ・タラミニ
Bob Talamini
LG グレン・レスラー
Glenn Ressler
ジョン・シュミット
John Schmitt
C ビル・カリー
Bill Curry
ランディ・ラスムッセン
Randy Rasmussen
RG ダン・サリバン
Dan Sullivan
デイブ・ハーマン
Dave Herman
RT サム・ボール
Sam Ball
ピート・ラモンズ
Pete Lammons
TE ジョン・マッキー[3]
John Mackey
ドン・メイナード
Don Maynard
FL ウィリー・リチャードソン
Willie Richardson
ジョー・ネイマス
Joe Namath
QB アール・モラル
Earl Morrall
エマーソン・ブーザー
Emerson Boozer
RB トム・マット
Tom Matte
マット・スネル
Matt Snell
RB ジェリー・ヒル
Jerry Hill
ディフェンス
ジェリー・フィルビン
Gerry Philbin
LE ババ・スミス
Bubba Smith
ポール・ロチェスター
Paul Rochester
LT ビリー・レイ・スミス・シニア
Billy Ray Smith Sr.
ジョン・エリオット
John Elliott
RT フレッド・ミラー
Fred Miller
バーロン・ビグス
Verlon Biggs
RE オーデル・ブラアセ
Ordell Braase
ラルフ・ベイカー
Ralph Baker
LLB マイク・カーティス
Mike Curtis
アル・アトキンソン
Al Atkinson
MLB デニス・ゴーバッツ[3]
Dennis Gaubatz
ラリー・グランザム
Larry Grantham
RLB ドン・シニック
Don Shinnick
ジョニー・サンプル
Johnny Sample
LCB ボビー・ボイド
Bobby Boyd
ランディ・ビバリー
Randy Beverly
RCB レニー・ライルズ
Lenny Lyles
ジム・ハドソン
Jim Hudson
LS ジェリー・ローガン
Jerry Logan
ビル・ベアード
Bill Baird
RS リック・ボルク
Rick Volk
スペシャルチーム
ジム・ターナー
Jim Turner
K ルー・マイケルズ
Lou Michaels
カーリー・ジョンソン
Curley Johnson
P デビッド・リー
David Lee
ヘッドコーチ
ウィーブ・ユーバンク
Weeb Ewbank
ドン・シュラ
Don Shula

天候[編集]

  • 屋内、気温23℃(73°F)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g Cassady, Steve (1980). SUPER BOWL Pro Football's Greatest Games. SCHOLASTIC BOOK SERVICES. ISBN 0-59031784-9 
  2. ^ a b c The Luckiest Football Game Ever Won:The True Story of Super Bowl III”. 2010年6月20日閲覧。
  3. ^ a b c John Mackey Feature”. NFL (2007年8月16日). 2010年6月20日閲覧。
  4. ^ Chris Stephano (2015年11月9日). “NY Jets: Top 30 greatest moments in franchise history”. 2022年5月24日閲覧。
  5. ^ TV SPORTS; Two Generations of Reminiscences by Gowdys Richard Sandomir”. ニューヨーク・タイムズ (1995年1月24日). 2010年6月18日閲覧。
  6. ^ この年のAFCチャンピオンシップゲームではインディアナポリス・コルツとニューヨーク・ジェッツという第3回スーパーボウルと同じ対戦になった。
  7. ^ Super Bowl III”. NFL. 2010年6月20日閲覧。
  8. ^ The NFL's Official Encyclopedic History of Professional Football, (1973), p. 141, Macmillan Publishing Co. New York, NY, LCCN 73-3862

外部リンク[編集]