第四次朝鮮スパイ事件

第四次朝鮮スパイ事件(だいよじちょうせんスパイじけん)とは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)によるスパイ事件[1][2][3]1958年昭和33年)10月30日摘発(検挙)[1][2][3]。北朝鮮内務省系のスパイ組織が在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部と接触して工作員候補の獲得、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部の動向監視、朝鮮大学校建設資金の使途状況、在日アメリカ軍自衛隊の情報を収集していたことが発覚した[1][3][4]

概要[編集]

青山京一こと姜乃坤は3カ月間のスパイ訓練を受けた後、1957年(昭和32年)10月、偽造された外国人登録証、北朝鮮本国から支給された工作資金を携行して、石川県加賀市の小塩浜から日本に密入国した[3][4][注釈 1]。密入国後は、大阪市東淀川区に居住する秘密組織員・金基健方に宿泊する一方、大阪市港区二条通で質屋を営む新井こと朴南圭、大阪市天王寺区小橋元町の綿布商・山田こと李勝喜を用いて米ドルを1ドル=385円のレートで換金し、神奈川県川崎市の朝鮮人の紹介で東京都北区田端町のアパートに入居して、表向き「不動産屋の店員」として本格的な活動を開始し[4]

  • 朝鮮総連幹部の動向監視
  • 朝鮮大学校建設資金の使途状況調査
  • 在日米軍・自衛隊に関する情報収集

などの任務を行っていた[3][4]。なお、姜乃坤は北朝鮮「内務省の高級幹部」と称されていた[4][注釈 2]

警視庁は、1958年10月30日、姜乃坤(当時38歳)を逮捕した[2][3][4]。さらに、12月中旬までに日本人を含む7人を逮捕した[4]

1959年(昭和34年)9月3日東京地方裁判所は、姜乃坤に対し、出入国管理令外国為替及び外国貿易法違反で懲役1年、執行猶予4年、罰金10万円の判決を下した[3]。姜は1960年(昭和35年)、帰還船で北朝鮮に出国した[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 工作資金は米ドル5,000ドル(当時の為替レートで180万円=現在の貨幣価値で約4,000万円)および日本円40万円(現在の貨幣価値で約900万円)であった[4]
  2. ^ 姜乃坤は継続的な工作資金を得るため、町田市在住で北朝鮮本国に実弟がいる柳に対し、北朝鮮から持ってきた実弟からの手紙を見せて脅迫し、土台人として協力させた[4]。すなわち、姜乃坤は工作資金の一部69万円を柳に投資して柳はこの資金を基に1958年3月、大阪市生野区パチンコ店を開店した[4]。ただし、このパチンコ店は営業不振に陥ったため、柳は「保険金詐欺」を計画、かつての使用人朴に店を放火させて保険金の一部・345万円をだまし取った[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c 清水(2004)p.218
  2. ^ a b c d 高世(2002)pp.304-305
  3. ^ a b c d e f g 『戦後のスパイ事件』(1990)pp.53-54
  4. ^ a b c d e f g h i j k 特定失踪者問題調査会特別調査班 (2021年5月30日). “第4次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史9)”. 調査会ニュース. 特定失踪者問題調査会. 2021年12月20日閲覧。

参考文献 [編集]

  • 清水惇『北朝鮮情報機関の全貌―独裁政権を支える巨大組織の実態』光人社、2004年5月。ISBN 4-76-981196-9 
  • 高世仁『拉致 北朝鮮の国家犯罪』講談社〈講談社文庫〉、2002年9月(原著1999年)。ISBN 4-06-273552-0 
  • 諜報事件研究会『戦後のスパイ事件』東京法令出版、1990年1月。 

関連文献[編集]

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

外部リンク[編集]