立川興

立川 興(たちかわ さかん、1852年嘉永5年10月[1])- 1906年明治39年)11月25日[1])は、明治時代の政治家銀行家醸造家衆議院議員(2期)。

経歴[編集]

水戸藩の郷士・立川直行の子として常陸国久慈郡太田村(茨城県久慈郡太田町を経て現常陸太田市)に生まれる[2]漢籍を修める[1]。久慈郡書記を経て、茨城県会議員に当選[1]。同副議長を歴任した[1]。財界では、家業の醤油醸造業のほか、太田銀行頭取、茨城県農工銀行監査役などを務めた[1]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第2区から出馬し当選[1]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[1]

親族[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]