稲村ヶ岳

稲村ヶ岳
西の観音峯から望む大日山と稲村ヶ岳
標高 1,726.1 m
所在地 奈良県吉野郡天川村洞川
位置 北緯34度14分15秒 東経135度55分25秒 / 北緯34.23750度 東経135.92361度 / 34.23750; 135.92361座標: 北緯34度14分15秒 東経135度55分25秒 / 北緯34.23750度 東経135.92361度 / 34.23750; 135.92361
山系 紀伊山地
稲村ヶ岳の位置(日本内)
稲村ヶ岳
稲村ヶ岳 (日本)
稲村ヶ岳の位置(奈良県内)
稲村ヶ岳
稲村ヶ岳 (奈良県)
プロジェクト 山
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稲村ヶ岳(いなむらがたけ)は、奈良県吉野郡天川村にある大峰山脈標高1,726.1m関西百名山の一座。女人大峯、稲邑ヶ岳とも記される[1]

地理[編集]

天川村の東部、大峰山脈の北部、山上ヶ岳の南西に位置し、山域は吉野熊野国立公園の指定区域内にある。三等三角点「稲村岳」(標高1,725.9m)が設置されている。尾根伝いの北東に山上ヶ岳、東に大普賢岳、南東に行者還岳、南に弥山八経ヶ岳、西に観音峯、北に大天井ヶ岳があり、山頂展望台から各ピークを望むことができる。天候が整えば奈良盆地生駒山金剛山額井岳釈迦ヶ岳などを遠望できる[2]

山頂部は北の大日山(だいにちさん)と南の稲村ヶ岳からなる。大日山と稲村ヶ岳の間には鋭いキレットがあり、西側の谷へと落ち込む断崖になっている。鋭い岩峰を持つ大日山を古くは稲村ヶ岳と呼び、こちらが本峰である[3][4]。北側から見るその山容が、刈り取った後の稲を積み上げた稲叢(いなむら)に似ていたことが山名の由来である[4][5]。大日山の標高は1,689m。山頂に大日如来を祀るがあり、地元の村が干害に悩まされると、村人は雨乞いを行うために岸壁をよじ登り祈祷を行ったという[6][7]。女性修験者のための行場として女人大峯(にょにんおおみね)の別名でも知られる。山頂付近はハシゴや鎖場、ロープが設置されている。

南にある稲村ヶ岳は標高1,726.1m[8]。三等三角点が置かれ、奈良県が1968年に整備した鉄骨製展望台がある[9]。稲村ヶ岳を含む大峰山脈の年間降水量は約3500mmであり、夏は多雨、冬は積雪が多く、冬期は山頂付近で樹氷が見られる[10][11]。稲村ヶ岳近辺の地層は砂岩チャートを主体とする礫岩層からなり、これを稲村ヶ岳礫岩層という[12]

稲村ヶ岳を源流とする河川はいずれも新宮川水系であり、北に山上川、東に川迫川(こうせがわ)が流れる。東の神童子谷(じんどうじたに)や南西のモジキ谷を流れる川迫川の渓流は沢登りの名所となっている[13][14]

周辺の山[8]
画像 名称 標高(m) 方角と距離(km)
山上ヶ岳 1,719.1 北東 2.5
大天井ヶ岳 1,439 北 7
観音峯 1,347 西北西 5
バリゴヤノ頭 1,580 南 1.5
大普賢岳 1,780 東 5

参考画像・稲叢

稲村ヶ岳周辺の山容

生態系[編集]

稲村ヶ岳

稲村ヶ岳の山腹はブナなど広葉樹林が広がり、山頂付近はブナ・ウラジロモミコメツガトウヒの混合林となる[15]シャクナゲやオオミネコザクラ、コケモモなど多くの高山植物が生育する[16][17]。特にシャクナゲは5月下旬から6月上旬にかけて山頂一帯で花を咲かせる。稲村ヶ岳付近はコマドリコノハズクミソサザイニホンシカイノシシニホンカモシカツキノワグマなどの野生動物が生息する[18]

登山・観光[編集]

稲村小屋

洞川温泉から奈良県道21号大峯山公園線を清浄大橋方面へと東進し、洞川エコミュージアムセンター駐車場付近に登山道入口がある。登山道は五代松鍾乳洞を経て、法力峠を過ぎ、山上辻で山上ヶ岳から続く道と合流する。この登山道を五代松新道(ごよまつしんどう) と呼び、赤井五代松親子が1929年から1936年までに開削整備したものである[19]。登山道は山上辻から大日山へ続き、稲村ヶ岳へと至る[20]

他に奈良県道21号大峯山公園線の終点から林道へ入り、レンゲ辻へ上り、山上辻を経て稲村ヶ岳へ至る登山道がある。こちらは急勾配かつ岩が多く、鎖場やハシゴを含む上級者向けのルートである[2][17]。レンゲ辻は山上ヶ岳・山上辻の間にあるが、レンゲ辻の東側には大峯山寺の女人結界門があり、女性は通行を締め出されている[21]

レンゲ辻、山上辻を通過し、稲村ヶ岳で折り返して五代松新道を経て洞川へ下山するルートは、1984年のわかくさ国体山岳競技成年男子T1 (縦走) で使用されたコースの一部である[22]。その他、大峯奥駈道からレンゲ辻を経るルートがある。

稲村ヶ岳は第二次世界大戦後に女性の入山が認められていたが、1960年7月10日に洞川龍泉寺と時を同じくして女人解禁が正式に確認され、以降女性による登山がさかんに行われるようになった[23][24][25]。同年、奈良県は山上辻に避難小屋の稲村小屋を建設した[26]。稲村小屋は4月下旬から11月下旬の土日のみ営業を行なっている。

脚注[編集]

  1. ^ 徳久ほか(2011, p.84)
  2. ^ a b 森沢(2002, p.36)
  3. ^ 平凡社(2001, p.911)
  4. ^ a b 山と溪谷社(1992, p.566)
  5. ^ 小島(2016, p.26)
  6. ^ 山と溪谷社大阪支局(1998, p.122)
  7. ^ 山と溪谷社雑誌編集部(2016, p.78)
  8. ^ a b 地理院地図 稲村ヶ岳 国土地理院 2018年6月7日閲覧。
  9. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.373)
  10. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.502)
  11. ^ 山と溪谷社大阪支局(2005, pp.13-14)
  12. ^ 志井田ほか(1989, p.47)
  13. ^ 吉岡(1994, p.142, p.150)
  14. ^ 樋上(2003, pp.35-42)
  15. ^ 天川村史編集委員会(1981, pp.505-507)
  16. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.1121)
  17. ^ a b 小島(2016, p.27)
  18. ^ 天川村史編集委員会(1981, pp.558-561)
  19. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.1128)
  20. ^ 山と溪谷社大阪支局(2005, pp.34-35)
  21. ^ 山と溪谷社雑誌編集部(2016, p.80)
  22. ^ 日本体育協会(1984, pp.38-40)
  23. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.374)
  24. ^ 銭谷(2012, pp.196-197)
  25. ^ 日本山岳会(2016, p.1396)
  26. ^ 天川村史編集委員会(1981, p.372)

参考文献[編集]

  • 『天川村史』 天川村史編集委員会(編)、天川村、1981年
  • 『日本の歴史地名大系 奈良県の地名』 平凡社、1981年
  • 『第39回国民体育大会秋季大会山岳競技プログラム』 日本体育協会、天川村・上北山村連合実行委員会、1984年
  • 『地域地質研究報告 : 5万分の1地質図幅 京都(11)』第83号「山上ヶ岳地域の地質」 志井田功・諏訪兼位・梅田甲子郎・星野光雄、地質調査所、1989年
  • 『日本の山1000』 山と溪谷社、1992年
  • 『近畿の山日帰り沢登り』 中庄谷直・吉岡章、ナカニシヤ出版、1994年
  • 『関西百名山』 山と溪谷社大阪支局(編)、山と溪谷社、1998年
  • 『奈良80山』 森沢義信、青山社、2002年
  • 『大峰の沢』 樋上嘉秀、ナカニシヤ出版、2003年
  • 『大峰・台高 大台ケ原』 山と溪谷社大阪支局(編)、山と溪谷社、2005年
  • 『日本山名事典』改訂版 徳久球雄・石井光造・武内正、三省堂、2011年
  • 『大峯今昔』 銭谷武平、東方出版、2012年
  • 『新日本山岳誌』 日本山岳会(編著)、ナカニシヤ出版、2016年
  • 『奈良県の山』 小島誠孝、山と溪谷社、2016年
  • 『大きな地図で見やすいガイド 関西南部』 山と溪谷社雑誌編集部(編)、山と溪谷社、2016年

外部リンク[編集]