稗方弘毅

稗方弘毅

稗方 弘毅(ひえかた こうき、1887年明治20年)9月20日 - 1973年昭和48年)3月8日)は、日本の内務官僚教育者。官選秋田県知事

経歴[編集]

熊本県下益城郡海東村南海東小園に、海東村長・稗方惟一の長男[1]として生まれる。熊本県立中学済々黌第五高等学校を経て、1913年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し熊本県属となる[2]。以後、大正4年(1915年)に山口県警視、大正6年(1917年)に山口県佐波郡長、大正7年(1918年)に宮城県理事官、大正10年(1921年)に福岡県理事官から内務省に異動し国勢院書記官となり、大正13年(1924年)11月に山梨県書記官・内務部長となり、その後、神奈川書記官・内務部長などを歴任[1]1930年6月、官選第32代秋田県知事に就任[1][3]。県財政の赤字のため、緊縮財政を徹底して推進した[1]1931年12月18日、知事を休職[4]1932年1月29日、依願免本官となり退官した[5]

政変に巻き込まれて官界を去った後、横浜で弁護士を開業するとともに、東京九段にあった和洋裁縫女子専門学校の経営に当たった[6]。大学園に育て上げ、和洋女子大学学長、私立大学協会長、大学設置審議会委員などを歴任。1965年(昭和40年)、勲二等叙勲。1973年(昭和48年)没[7]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』177頁。
  2. ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、205頁。
  3. ^ 『海東小学校創立百周年記念誌』
  4. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  5. ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
  6. ^ 『九州人国記』427頁。
  7. ^ 『熊本県大百科事典』674頁。

参考文献[編集]

  • 『海東小学校創立百周年記念誌』宇城市立海東小学校、1971年。
  • 『九州人国記』熊本日々新聞社、1966年。
  • 『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年。
  • 小川町史編纂委員会編纂『小川町史』小川町役場(熊本県)、1979年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。