登龍門

後漢書』李膺伝より

登龍門(とうりゅうもん)は、成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ。「登竜門」とも書かれる。

特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。

壁画に描かれた李膺

「膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす」。

この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった(党錮の禁を参照)。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉はになるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。

なお「龍門」とは夏朝の君主・がその治水事業において山西省黄河上流にある龍門山を切り開いてできたとの伝説がある陝西省韓城市山西省河津市の間を流れる急流のことである。

名詞化した「登龍門」[編集]

日本では「登龍門」は関門そのものを示す言葉としてしばしば名詞化し[1]、例えば「芥川賞は文壇への登竜門だ」[2]のように使われることがある。

評論家の呉智英は、関門を表すのは「龍門」であり、「登龍門」はその関門を通り抜ける行為を意味するのだから、先のような文例であれば「芥川賞の受賞は文壇への登龍門だ」と書くべきだと述べている[3][注釈 1]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 精選版 日本国語大辞典『登龍門』 - コトバンク
  2. ^ デジタル大辞泉『登竜門』 - コトバンク
  3. ^ 『言葉につける薬』双葉社、1998年1月30日、49-52頁。 なお原文では強調は傍点による。

注釈[編集]

  1. ^ 呉は同書で、こうした漢文本来の用法を無視した誤用の背景として、日本人から漢文の素養が失われていることを指摘している。ただし呉は「盲導犬」のように熟語として定着した言葉が漢文の用法から逸脱していることに対しては「漢字の組み合わせや解釈はかなり自由でいいのではないだろうか」と容認しているが、「登龍門」については「背後に故事や原典がある場合」は別であるとしてその誤用を咎めている。