田中王堂

田中王堂(1899年、後列右端)

田中 王堂(たなか おうどう、慶応3年12月30日1868年1月24日〉 - 1932年昭和7年〉5月9日)は、日本哲学者評論家。王堂、王堂学人はで、本名は喜一(きいち)。早稲田大学文学部教授。

シカゴ大学ジョン・デューイの教えを受け、ウィリアム・ジェームズジョージ・サンタヤーナの影響を受ける[1]プラグマティズムを基にして、評論活動をおこなう。

略歴[編集]

家族[編集]

妻の孝子
  • 実父・田中七郎 - 富岡村の名主を務めた素封家だったが、侠心が多かったため産を傾け、王堂が生まれた頃は貧しかった[2]
  • 兄・田中泰司 - 埼玉農工銀行取締役、富岡村村長[3][4]
  • 妻・田中孝子(旧姓高梨) - 千葉県野田の醤油屋高梨孝右衛門とおき(伊藤八兵衛六女)の娘。義伯父(母の姉の夫)に渋沢栄一がおり、日本女子大学在学中に栄一に随行して渡米実業団に参加。帰国後は社会学者として活動し、母校の教授となり、1933年には東京市結婚相談所を創設、初代所長を務めた[5]。王堂の多くの著作の口述筆記をした[2]

影響[編集]

早稲田大学の講義は難解であったといわれるが、石橋湛山関与三郎杉森孝次郎大杉潤作らは影響を受けた[6]

著作[編集]

単著[編集]

収録作品[編集]

共著[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 鶴見俊輔『期待と回想』ちくま文庫、2022年、62-3頁。 
  2. ^ a b 田中王堂『日本英雄伝. 第6巻』菊池寛 監修[他] (非凡閣, 1936)
  3. ^ 『所沢市史 通史編 下』所沢市、1979年
  4. ^ 田中泰司 『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  5. ^ 渡米実業団の若手メンバー『青淵』No.724 2009(平成21)年7月号
  6. ^ 松岡正剛 (2002年10月1日). “『湛山回想』石橋湛山”. 松岡正剛の千夜千冊. 2011年1月22日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]