田中清明

田中 清明(たなか きよあき、1912年明治45年〉- 2000年平成12年〉[1])は昭和時代の日本の軍人[2]残留日本兵[3]。熊本県出身[2]第二次世界大戦フィリピンジャワなどを転戦後、1944年(昭和19年)マレーシアの日系企業、日南製鉄に勤める[1][2]。同僚の橋本恵之とともにマラヤ共産党に入党しジャングルで反・反マレーシア政府闘争を続行[2]。田中、橋本によれば名前のわかるだけでも少なくとも20人の日本人がゲリラに参加していた[3]。和平成立により1990年(平成2年)1月13日に46年ぶりに帰国した[3][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 原不二夫「マラヤの武装闘争に加わった日本人」『アジア太平洋討究』第14号、早稲田大学アジア太平洋研究センター、2010年3月、89-107頁、ISSN 1347149XNAID 120002206067 
  2. ^ a b c d e 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “田中清明とは”. コトバンク. 2020年11月27日閲覧。
  3. ^ a b c 原不二夫「マレーシアの残留日本兵」『アジア研究』第38巻第1号、アジア政経学会、1991年、79-94頁、doi:10.11479/asianstudies.38.1_79ISSN 0044-9237NAID 130004689623