瀬戸電気鉄道テワ1形電車

デワ1形1

瀬戸電気鉄道テワ1形電車(せとでんきてつどうテワ1がたでんしゃ)は、瀬戸電気鉄道1920年大正9年)に新製した木造電動貨車。2両(1・2)が存在した。

概要[編集]

瀬戸電気鉄道は瀬戸の陶磁器瀬戸焼)の出荷、それに必要な燃料(石炭)の運搬があり、貨物輸送が行われていた。当初は二軸単車の電車(テ1形)が7t積みの無蓋車[注 1]を牽引して行っていたが、輸送量増加に伴い専用の電動貨車が必要となり、1920年にテ3・4[注 2]の電装品を流用し、名古屋電車製作所が新製したのが本形式である[1][2]

荷重3t、主電動機出力37HP×2という小ぶりな車両で、車体は、名義上は「有蓋車」で確かに屋根もあったが、無蓋車の上に柱と梁をたてて屋根を設置した形状であり、上部にパンタグラフがあった[注 3]、側面に板や窓は設置されておらず吹き抜け状態で、前後には運転室(扉のない乗降デッキあり)が設置されていた[2]。運転室の正面窓は同時期に新製されたテ28 - 32と同じ3枚窓であるが、テ28 - 32がR曲線なのに対し、本形式はフラットの形状である。

1939年(昭和14年)に瀬戸電気鉄道が名古屋鉄道と合併した後は「名古屋鉄道デワ1形(2代目)」[注 4]となるが、最後まで瀬戸線で運用され続け、晩年は比較的取扱量の多い尾張瀬戸駅(デワ1)と尾張横山駅(デワ2)の入替作業を担当していた。1960年(昭和35年)8月に2両とも廃車にされる[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 瀬戸電気鉄道時代の形式名は不明だが、ト1 - 38(11 - 14は欠番)と番号が振られており。名古屋鉄道に合併後ト1形の1 - 34に番号が改められた。((清水、他2021)p.234「ト1形(1 - 34)」
  2. ^ 付随車されシ3・4となる。
  3. ^ パンタグラフの位置は2パターンあり、1958年のデワ1は片方の動輪上に偏っていたが、1960年のデワ2では車体中央につけられているのが写真で確認できる。((清水、他2021)p.177・178
  4. ^ 名鉄デワ1形の初代は1912(明治45)年に製造された電動貨車だったが、市内用に35両も製造した所、市内の貨物輸送が認められず、余剰になったので22両が速攻電車や電動でない貨車に改造された。残り13両は名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して名古屋鉄道(二代目)になった1935年時点でも全車存続していたが、その後形式消滅で瀬戸電の電動貨車が形式名を引き継いだ。((清水、他2021)p.18-19「(1)名古屋電気鉄道→名岐鉄道」・233「ワフ50形(50 - 62)」

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 清水武・田中義人・澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』株式会社フォト・パブリッシング、2021年。ISBN 978-4-8021-3270-1 
  • 名鉄資料館平成27年秋特別展『名鉄の電気機関車「デキ」写真展』
  • 『せとでん100年』 山田司・鈴木裕幸著 中日新聞社 2005年