潘基文

潘基文
반기문
潘基文(2016年2月)
生年月日 (1944-06-13) 1944年6月13日(79歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 忠清北道陰城郡遠南面上唐里杏峙村
出身校 ソウル大学校
ハーバード大学
宗教 非公表[1]
サイン

在任期間 2007年1月1日 - 2016年12月31日

在任期間 2004年1月17日 - 2006年11月10日
元首 盧武鉉
テンプレートを表示
潘基文
各種表記
ハングル 반기문
漢字 潘基文
発音: バン・ギムン
日本語読み:

はん きぶん

ばん きぶん
2000年式
MR式
英語表記:
Ban Gimun
Pan Kimun
Ban Ki-moon
テンプレートを表示

潘 基文(バン・ギムン[2]、ばん きぶん[3]韓国語: 반기문, ラテン文字転写: Ban Gimun英語: Ban Ki-moon1944年6月13日[4] - )は、韓国政治家。第33代大韓民国外交通商部長官、第8代国際連合事務総長などを歴任。第11回ソウル平和賞(2012年)受賞者[5]

生い立ち[編集]

忠清北道陰城郡遠南面朝鮮語版杏峙村に生まれる。本貫は光州潘氏[6]。その後、家族は忠州市近くの町に移住し、そこで育つ。父親は大問屋で働いていたが、店が倒産し、一家は中流的な生活水準を失った。

外交官[編集]

潘基文とコンドリーザ・ライス米国務長官(2006年1月当時)

1970年2月にソウル大学校外交学科を卒業し、同月高等外交官試験に合格、3月に外交部に入部した。1972年の駐インド韓国大使館副領事を初め、1974年同二等書記官など主に海外勤務畑を歩み、1980年に外交部国際組織条約局国連課長に就任した。

その後外交部派遣によりハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、1985年4月に修了、修士号を取得した。1985年4月に首相外交儀礼担当秘書、1987年7月には駐米大使館総領事、1990年6月に外交部米州局局長、1992年2月に外相特別補佐官、1992年7月に駐米公使、1995年2月の外交部副長官を経て、1996年11月には金泳三の外交安全保障担当大統領特別秘書となった。

その後2000年1月に外交通商部副長官、2001年5月に国連大使、2002年2月に無任所大使を経て、2003年2月、大統領盧武鉉(当時)の外交政策補佐官、2004年1月からは外交通商部長官(外務大臣)に任命されている。

盧武鉉政権下では、大統領府主導で政策決定が行われていたため、潘基文は大統領府と外国政府の板ばさみになって大いに苦労した。太陽政策進展に尽力したが、自らの発言の数日後にその発言と反する内容の大統領発言があるなどの出来事もあった。

国連事務総長[編集]

国連事務総長への立候補[編集]

2006年2月、国連事務総長選挙に立候補することを表明した[7]。他の有力候補にはインド人国連事務次長(広報局長)シャシ・タルールタイ王国の副首相スラキアットスリランカの元国連事務次長(軍縮局長)ジャヤンタ・ダナパラの名が挙げられたが、7月24日に行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による予備投票において潘基文は最も多くの票を獲得し、有力候補の一人となった[8]

2006年10月2日、国連安全保障理事会は4度目の予備投票を行った。この結果、拒否権を持つ常任理事国5か国が一致して潘を支持し(安保理全体では14か国の支持)、当選が確実となった[9]

潘基文は厳しい日韓関係の中でも、外務大臣麻生太郎(当時)との会談で信頼関係を醸成した点など、“外交のプロ”と言われ、日本外交当局の評価も高かった[9]。国連大使の大島賢三は「アジアの優れた候補から選出するという目的に沿った方向で事態は動いている。日本政府としての態度を最終決定した上で、正式投票に臨む」と語った[10]

潘はアメリカ合衆国と縁が深く、アメリカ政府との関係も良好と見られる。10月3日、潘の当選が確実となった予備投票の結果を受けて、アメリカの国連大使ジョン・ボルトンは「米国はこの結果を歓迎する」と述べた[11]

2006年10月20日ソウルを訪問した麻生太郎は、潘が次期国連事務総長に当選したことについて「我々もアジアとしても大変誇らしい」と祝福した。これに対して潘は「日本は国連で活動を活発にしている重要な国だ。安保理議長国として努力していることを評価する」「事務総長に就任したら、日本と緊密に連携、協調していきたい」と述べた [12]

2006年10月14日、国連事務総長に当選する。2007年1月1日から5年間、事務総長職を務める。

2011年UNの加盟国192か国の全会一致で2012年1月1日から5年間、再び務めることになった。

事務総長として[編集]

国連本部で潘基文(右)と朴槿恵韓国大統領(2013年5月)
ジョン・ケリー国務長官(右)と潘基文(2013年2月)

台湾の国連加盟問題について「台湾は中華人民共和国の一部(一つの中国)」という見解を示している。2007年7月19日に陳水扁中華民国総統は「台湾」としての国連加盟を求める親書を潘基文宛に送付した。23日、国連事務総長報道官は中華人民共和国の代表権を認めた「アルバニア決議」を理由に、この親書を返却した[13]。アメリカおよび日本は台湾が国家としての条件を備えておらず、国連加盟には反対であるとしながらも、アルバニア決議には台湾単独での国連加盟を妨げる表現は存在しないと抗議している[13]

2013年9月3日、潘基文は記者会見の場で、「軍事力の行使は国連憲章51条に基づく自衛のため、もしくは国連安全保障理事会が承認したときにのみ合法」との立場を明確に示し、シリア内戦に対する軍事的介入(人道的介入)を計画するアメリカを牽制した[14]。この立場は、2005年10月の国連首脳会合成果文書において確認された「保護する責任」の軍事行動の正当化要件に合致する。潘基文はかねてから「保護する責任国連事務総長特別顧問」の新設を提案するなど、「保護する責任」の概念を擁護していた。

人事問題[編集]

元国連大使の崔英鎮を駐コートジボワール国際連合事務総長特別代表に任命するなど、国連の主要な役職に韓国人を起用したことから、縁故主義であるとして潘に対し国連内部から反発が生じていることが報じられている[15]。これに対して潘は、元々国連への財政負担の割に極端に職員数が少なかった韓国人職員の数が増えたに過ぎない、と反論している[16] 。ただし、韓国は国連分担金のうち、10個国際機関分担金1100億ウォン(1億1600万USドル)を滞納しており、2007年に387億ウォン(4100万USドル)、2008年に713億ウォン(7500万USドル)を投入して滞納を皆解消する計画を示してはいたが、この発言の時点では完済していない[要出典]。2007年には潘の娘婿のインド人を国際連合イラク支援ミッション (UNAMI) の官房長に抜擢して世界各国に『過去最低の国連事務総長』と叩かれた。国連職員組合は「親類縁者や友人を頼った求職」を批判する文書を2007年12月に採択する事態となっている[17]

事務総長としての中立性[編集]

国連事務総長は複数国家の代表として、職務の中立性が求められる。しかし、潘は事務総長就任以来、上記の縁故採用問題などの他に下記にあるような事務総長としての中立性を保っていないとされる出来事を起こしている。

2007年10月24日の「国連の日」においては、毎年この日に恒例行事として国連本部で行われる事務総長主催のコンサートが開催された。加盟192か国の大使や外交官ら約1600人が出席した。この日、潘の意向によって母国のソウル・フィルハーモニー管弦楽団が公演を行い、ソウル市と韓国国連代表部がコンサートを後援した。

このコンサートの場において、韓国国連代表が作成した「Welcome to KOREA」と題された、日本海を「東海」と表記した英文のパンフレットが式次第とともに配られた。事務総長が主催する国連コンサートでこうしたパンフレットを配布するのは過去に例がなく、国連側はその場で回収するなどの措置も取らなかった。韓国側は地名の表記方法などについて話し合う国連地名標準化会議で、日本海の呼称を「東海」と併記するよう求めており、加盟国大使らが多数出席するコンサートの場を利用して自らの主張の定着を狙ったものとみられる[誰?]。翌日、日本の国連代表部は国連事務局と韓国国連代表部に対し、文書などで抗議を行った[18][19]

2008年7月3日、 事務総長就任後初めて訪韓した際に、訪韓の感想を問われて、「韓国人の国連事務総長として韓国の国力伸張に貢献できるようベストを尽くす」と述べた[20]。一方で2008年になると、韓国国内の政治の混乱、また国際社会において韓国が自ら果たすべき役割の規模が小さ過ぎるという現状に対し、メディア等で苦言を呈する場面も出てきている[要出典]

2011年11月30日、釜山にある国連軍の兵士などを埋葬したUN記念公園を事務総長として初めて訪問した[21]

2011年、安重根が日本の元老である伊藤博文を暗殺するミュージカルがニューヨークリンカーン・センターで公演されると、ニューヨーク滞在の各国国連大使を招待した[22]

2013年8月26日、前任の事務総長までの慣習である「歴史を消し去ることはできない」との言及をやめ、「『日本政府や政治指導者ら』は、とても深くみずからを省みて、国際的で未来志向のビジョンを持つことが必要だ」と中立的立場をとらない対日批判を行った[23][24][25]。なお国連憲章100条1には「事務総長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる政府からも又はこの機関外のいかなる他の当局からも指示を求め、又は受けてはならない。」との記載があり、この規定に抵触する可能性が指摘されている[26][27]中国外務省はこの発言に対して「『積極的に』評価する」と支持表明し、韓国との共闘をアピールした[28]

2015年5月9日ロシアによるクリミアの併合に抗議して西側諸国が欠席する中で行われたロシアモスクワ対独戦勝記念式典に出席[29]。同年9月3日北京で行われた中国の「抗日戦争勝利70年」記念式典と軍事パレードにも出席[30]。日本の菅義偉内閣官房長官が8月31日の会見で「国連には190か国以上が加盟しており、国連はあくまでも中立であるべきだと思う」と述べ、国連内でも出席に疑問を持つ声が上がるなど、中立性に疑問が呈された[30][31][32]2015年9月4日、この日本側の抗議に対し、潘は中国中央テレビのインタビューにおいて、「国連は中立的な機関(neutral body)ではない」と正面から反論した[33]。また、人道に対する罪戦争犯罪ジェノサイド罪の容疑で国際刑事裁判所から訴追されているスーダンオマル・アル=バシール大統領が同席していたことに自ら国連加盟国に逮捕状執行を呼びかけていた潘が何ら行動しなかったことも非難された[34]

評価[編集]

ニューズウィーク』は「潘基文(バン・キムン)事務総長の無能ぶりは際立っている」と批判し、潘は大きな失敗を犯したわけではないが、核問題や難民問題にも関心を示さず、「世界中で名誉学位を収集して歩き、見事なまでに何も記憶に残らない声明を発表し、事務総長として影響力を発揮できたかもしれない貴重な機会を無駄にすることに費やしている」と批判した[35]

潘基文(2014年2月)

潘は2009年7月にはアウンサンスーチーとの面会のためミャンマー入りしたが、彼女との面会を果たさぬままミャンマーを去った[36]。これを受けてオスロ合意締結に尽力したノルウェーモナ・ユール(当時次席国連大使、夫のテリエ・ロード・ラーセン英語版は潘の下でレバノン問題特使を務めていた)は、本国政府宛の公電において潘のミャンマー訪問を「指導力を見せようともがく事務総長を象徴する成果のなさ」と批判し、スリランカ情勢をめぐっても潘は「非力な傍観者」でしかなかったと批判した[36]。『ニューズウィーク』はこのユールの公電について報道し「潘は国連事務総長になるべきでなかった」と批判した[37]。潘はノルウェー訪問中にユールの公電に対し「わたしたちはみな異なるバックグラウンドと異なるリーダーシップのスタイルを持っている」と反論した[38]

ヒューマン・ライツ・ウォッチ』は2011年1月24日に発表した年次報告書において、潘について「人権侵害を繰り返す国々に対して、国際的な地位がそれほどでもない国々に対しては、強い批判を口にするが、中国のような大国に対しては何もしない」と批判した[39][40]。また、2016年6月に国連が公表した「子供と武力紛争」報告書で、内戦状態にあるイエメンの項目において「子供を殺傷したり少年兵として徴用したりしている組織や国」として指摘された「サウジ主導の連合軍」の記述が、サウジアラビアなどの資金面での圧力によって削除されたため、ヒューマン・ライツ・ウオッチなど20を超える国際人権団体は抗議文を提出した。これについては「あしき先例を作った。これがまかり通ると、貧困国しかリストに載らないことになる」と批判の声が上がった[41]

世界連邦運動世界政策研究所のウィリアム・ペイス専務理事によれば、潘基文は人権や途上国の開発分野において優れた功績を残していると述べている[42]。一例として、2015年から2030年までの世界の貧困削減目標を定めた『持続可能な開発目標』の採択におけるリーダーシップを挙げ、この採択は過去20年間で最も成功した国家間交渉の一つだと述べている[42]。国連の組織運営については、潘に最も近しい人たちの話として、潘が国連組織を適切に運営できるようになるまで2年以上かかったと述べている[42]。しかしながら国連人権高等弁務官の任命過程は適切で、また、人事や職務上の不正をしていないことは今日の世界では特筆すべきことだと述べている[42]。スーダンにおけるダルフール危機、リビアやシリアにおける内戦、イスラム国の拡大などの事態について、潘のリーダーシップの欠如を批判する声もあるが、事務総長はスケープゴートにされているだけで、主たる責任は安保理の常任理事国5か国にあると述べている[42]。ペイスは潘基文を総評して、「カリスマ性は無いが遺産を残したリーダー」と述べている[42]

2016年4月13日、アメリカのボブ・コーカー英語版上院外交委員長PKOの要員らによる性的暴力が多発している問題に対処できていないとして潘基文を「無能」と厳しく批判している[43][44]

2016年5月21日、イギリスの『エコノミスト』誌は改めて潘基文を「失敗した事務総長であり、歴代最悪の事務総長の一人」「行政能力でも統治能力でも失敗した事務総長とみられている」「話が下手で手続きに執着し、懸案への素早い対応能力や業務の深さも不十分だった」「大国に対抗することを嫌った最も活気のない、最悪の総長の一人」と酷評した。また『ニューヨーク・タイムズ』も「力のない傍観者」「どこにいるのか分からない男」と潘基文を非難している[45]

しかし、韓国国内では「世界大統領」[46][47]と呼ばれるほど人気を博しており、大統領選挙では潘基文待望論もあった[46]

外交専門誌『フォーリン・ポリシー』は、シリアやウクライナの紛争で、役割をまともに果たせなかった、名ばかりの最高指導者だったと評した。また、歴史上、最も親米的な国連事務総長としている[48]。また、先述の中国の抗日式典への出席などから親中的とも評されているが[49]、潘が国連事務次長に起用した中国の沙祖康英語版との確執も報じられていた[50]。沙は当初から「中国のボルトン[50]と呼ばれるなどタカ派的な言動で批判されており[51]、2012年に潘によって同じ中国の呉紅波英語版と国連事務次長を交代させられた[52]

内部査察室事務次長との確執[編集]

国連内部査察室トップのインガ=ブリット・アレニウス英語版事務次長は、2010年7月の退任時に潘基文事務総長に50ページにわたる報告書を提出し、その中で「国連は活動の透明性も説明義務も果たしていない」、「事務総局は腐敗しつつあり、戦略なき無責任な運営は、国連の改革をもたらさないどころか国連の弱体化を招いている」と述べ、「彼の行動は嘆かわしいだけでなく厳しく非難されるべきだ」と潘基文を真っ向から批判した[53]。同報告書では、潘事務総長が会計監査報告の公開や犯罪とみられる行為の告発を拒んだり、空席状態が続く調査部門責任者の人事を却下したり、業務を阻むような行動を取っていたと指摘している。この2人の確執は以前から知られており、調査部門の人事をめぐっては、アレニウスが米検察官のロバート・アップルトンRobert Appleton)を2度推挙したが、潘はまともに取り合わなかったという[54]。このことに関してアップルトンは、潘事務総長が本来中立であるべき監察室の人事に政治的な介入を行い、不当に採用を阻まれたとして、国連不服審判所に150万ドル相当の損害賠償などを求める訴えを起こしている[55]

退任[編集]

2016年12月31日の退任を前にした12月30日、潘はニューヨーク国連本部でスピーチし、「この10年間、声なき人の声として、自分の身を守れない人の擁護者として働いてきた。皆さんが引き継いでほしい」と呼びかけた[56]。また、国連本部で職員らを前にした別れのあいさつで、「シンデレラのような気分。あすの夜12時ですべてが変わる」と冗談を飛ばした[57]

退任後[編集]

2017年6月、国際オリンピック委員会倫理委員会の委員長に指名される[58]

2018年4月、福田康夫の後任でボアオ・アジア・フォーラムの理事長に就任した[59]

2019年2月、「より良い未来のための潘基文財団」を設立することが明らかになる[60]

2019年3月、当時韓国国内で顕在化していた大気汚染問題を専門に取り扱う新組織「粒子状物質解決のための汎国家的機構」が創設されることとなり、文在寅大統領の要請で潘はそのトップである委員長職を引き受け、環境面での中国の努力に対して韓国は取り組みが足りないとして問題の責任をめぐって中国と応酬していた韓国国内での論調を叱責した[61]。また、文政権の北朝鮮に対する宥和政策についても6か国協議など過去に非核化を反故にされた例を挙げて「2度騙されたら騙された人間が愚か」と苦言を呈した[62]

2019年4月、中国を訪れて習近平国家主席と会見し[63]、潘を委員長とする国家気候環境会議が設立された[64]

韓国大統領選[編集]

2016年5月末に韓国へ一時帰国した時、潘は「韓国の市民として何をしなければならないのか、(今年末に任期が終了する事務総長職を辞めた後に)悩み、決心する」と発言した。韓国では、この発言が大統領選出馬の意思表示とされた[65]。この帰国が、事実上の選挙運動ともされ、事務総長の職にあるのに選挙の準備をして良いのかと批判された[66]

国連では、1946年に「国連事務総長は退任直後に政府職を務めてはならない」という決議が採択されており、潘基文が大統領選に出馬することは、この決議に反するのではとの指摘がある。しかし、決議案に法的拘束力は無いという指摘もあり、また決議が定めているのは「政府職」であり、大統領のような「選出職」は該当しないとの見方もある。なお、ステファン・ドゥジャリク英語版国連事務総長報道官は記者からこの決議に関する質問に対し「もちろんだ。彼(潘総長)はその決議を知っている」と回答している[67]

2016年6月に行われた韓国ギャラップの調査では、次期大統領選の有力候補の中で、支持率1位となった[68]。2016年9月15日には、事務総長の任期の後に韓国へ戻ると発言した。具体的な帰国時期を明かしたのは大統領選に出馬する意思表示と受け止める見方がある[69]

2016年12月20日、潘は「私が10年間国連事務総長を務めながら学び、見て、感じたことが韓国の発展に役立つならば、この身を燃やしてでも努力する用意がある」と発言。事実上、来年の韓国大統領選出馬を宣言したものと報じられた[70]

2017年1月12日、韓国に帰国し、仁川国際空港の到着ロビーにて会見を開き、「人をけなして手段を選ばずに権力を奪い取ろうとするのが権力志向なら、私は権力志向ではない」と語り、「ひとえに国民と国家のために身を燃やす意思があるか、その意思があるなら私はいくらでもみなさんと共にする」と述べた[71]

潘基文が大統領選に出馬するにあたり、「10年間海外にいた」という点が韓国の公職選挙法に違反しているのではとの指摘がある。また、「国連事務総長が退任後に政務職へ就くのは国連決議違反」という問題も指摘されている。これらの問題について、 2017年1月13日、韓国の選挙管理委員会は「出生後5年以上居住してさえいれば資格がある」「ここでいう政府職とは、政府の業務を担当する任命職をいうと通常は解釈しており、選出職は該当しないというのが一般論」として、潘の出馬に問題ないと表明した[72]

財閥改革などを訴え、安全保障については朴槿恵政権のTHAADミサイル配備と韓米同盟重視を支持するとしている[73]

次期大統領の最有力候補と目されていたが、朴槿恵大統領の親友らによる国政介入疑惑(崔順実ゲート事件)の発覚を受け、支持率が急落した。国連総会出席などのためニューヨークを訪問した朴槿恵を潘が毎回手厚くもてなしていたことがよく知られており、朴槿恵に近い後継候補とのイメージを持たれたことが影響したと思われる[74]

2017年2月1日国会内で記者会見を開き、次期大統領選への立候補を断念する考えを明らかにした[75]

その後の動向[編集]

2019年10月、世界平和統一家庭連合(旧:世界基督教統一神霊協会〈統一教会〉)から鮮鶴平和賞中の創設者特別賞(賞金50万ドル)を受賞[76]、その後、2021年5月に世界平和統一家庭連合のフロント組織である「天宙平和連合」(UPF)の主催する「第6回希望前進大会」にメッセージを寄せ[77]、2022年2月やはりUPFの主催する「ワールドサミット2022・韓半島(朝鮮半島)平和サミット」に共同組織委員長としてフン・センカンボジア首相と名を連ねるなど、世界平和統一家庭連合と関わりを持つようになっている[78]

2020年9月には日本の鳩山由紀夫田中眞紀子スペインハビエル・ソラナらとともに核兵器禁止条約支持と22カ国の現役の政治指導者に条約への参加を求める公開書簡を出した[79]

日本との関連[編集]

潘基文(オーストリアウィーン、2012年2月)

潘は外交通商部長官就任後、マスコミとの会見においては、小泉純一郎首相の靖国神社の参拝強行、日本政府の「歴史歪曲」や竹島に対する領有権主張などによって日韓関係が冷え込んでいると主張、日韓関係改善には日本が歴史問題を正しく認識すべきであると主張した[80]

一方で、潘は小泉の首相時代の靖国神社への参拝で日韓関係が冷え切った中でも関係改善に努力していた点から、日本の外務省にもいい印象を与えている。北朝鮮の核問題などをめぐる交渉で知己を得た、アジア大洋州局長の佐々江賢一郎は「バランスが取れ、よく考える人だ。何より日本への偏見がないのがいい」と評価する[81]

2006年10月20日にソウルを訪問した麻生太郎との会談で、潘は北朝鮮による日本人拉致問題に触れ、「拉致問題では国連事務総長として特別の関心を払いたい。協力していきたい」と述べた[82]。潘は11月6日に訪日し、再び麻生と会談、日本人拉致事件について「拉致問題に関する日本の関心は誰よりも承知している。事務総長としてできる協力をしたい。役に立つことがあるのではないか」と述べた[83]

一方で、慰安婦問題に対しては米国下院の決議案を支持する姿勢を堅持したり、自身主催の国連本部開催でのコンサート上で日本海を「東海」に変更すべきだというパンフレットを来場者に配布したり[18]と、現在の日本政府の立場とは相容れない部分もある。2015年12月28日に結ばれた慰安婦合意では、「朴槿恵大統領がビジョンを持って正しい勇断をしたことを歴史が高く評価するだろう」と支持する姿勢を示した[84]

以上の日本への対応から、一部では「潘が事務総長である間は日本の常任理事国入りは叶わない」ともされている。ただし潘自身は、国連安保理の拡大の必要性を認めている[85]

2010年8月6日、広島で開催された広島平和記念式典に国連事務総長として初めて出席した。また、それに先立つ8月5日には長崎を訪問し、被爆者との面会や爆心地公園での演説を行った。長崎への訪問も歴代国連事務総長では初めてである。

2015年8月12日安倍談話に対して中立性に欠ける韓国擁護発言をしたとされる[86]

2016年11月28日、南スーダンPKO任務にて、自衛隊南スーダンへの派遣を「深く感謝している」と述べ、PKO協力法改正で可能となった「駆け付け警護」を念頭に「より大きな貢献をしようとしていることについて完全に支持する」と強調した[87]

韓国で行われた統一教会主導の安倍晋三の韓国葬において主催者に名を連ねた。

人物[編集]

国際連合事務総長では唯一、自分の信仰している宗教の有無を明言していない。

2015年12月14日、ニューヨークで開かれた国連報道協会英語版の忘年会で、自分がいかに過酷な勤務を行っているかを説明するPVを発表した。一日の睡眠時間は2時間未満、食事やトイレの最中も事務を行い、スーツのまま就寝するという内容だった[88]

家族[編集]

2017年1月10日マンハッタンアメリカ合衆国連邦裁判所は潘基文の弟とその息子(潘の甥)を中東の当局者に賄賂を贈ろうとした罪で起訴した[89]。ただ、仲介人となるはずだったアメリカ人の男が着服したため、実際に賄賂が支払われることはなかったという。アメリカ在住の甥は逮捕されたが韓国在住の弟は所在が不明のため[90]、現在アメリカ政府が韓国側に対し逮捕を要請している[91]

発言[編集]

「(日本に)金を返してやらねばならない」[編集]

大統領である朴槿恵による「崔順実ゲート」疑惑によって大統領選の前倒しが指摘される中、潘は有力な大統領候補として名が挙がるようになった[92]。その後、2016年12月30日に釜山の日本総領事館において慰安婦像の設置問題が発生し、日韓両国の関係が緊迫化[93]。2017年1月12日には民団からも像の撤去を求める声が上がった[94]。こういった中、国連事務総長時代は慰安婦問題日韓合意を歓迎[95]していた潘は同日、韓国に移動する飛行機内で中央日報記者に対して、次のような強気な発言を行った[96]

「10億円が少女像の撤去と関連したものなら、(合意は)間違ったものだ。それならいっそ金は返してやらねば。話にならない」:

なお日本政府側は、官房長官の菅義偉が、日韓の合意が最終的かつ不可逆な合意であったことを前提に合意の着実な実施を求め、釜山の慰安婦像がウィーン条約に違反するとの立場を表明した[97]

参考文献[編集]

  • 辛雄鎭 著、足立康、辛美鎭 訳編 編『努力の証―第八代国連事務総長 潘基文物語』ダイヤモンド社、2008年。ISBN 978-4-478-00686-3 

脚注[編集]

  1. ^ Transcript of Press Conference by Secretary-General-Designate Ban Ki-moon At United Nations Headquarters”. un.org (2006年10月13日). 2007年12月15日閲覧。
  2. ^ 東京新聞など一部のメディアでは「バン・キムン」と表記される
  3. ^ 潘基文”. 日本大百科全書. 2022年9月22日閲覧。
  4. ^ Warren Hoge (2006年12月9日). “For New U.N. Chief, a Past Misstep Leads to Opportunity”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2006/12/09/world/asia/09ban.html?_r=3&ref=world&oref=slogin&oref=slogin&oref=slogin 
  5. ^ “潘基文国連事務総長、韓国人初の「ソウル平和賞」受賞者に”. 中央日報. (2012年6月14日). http://japanese.joins.com/article/723/153723.html 
  6. ^ ≪새만금일보≫ 반기문과 광주반씨(光州潘氏)”. 새만금일보 (2016年6月3日). 2022年7月14日閲覧。
  7. ^ "Minister Ban to Run for Top UN Job" The Korea Times, 02-14-2006
  8. ^ "予備投票で韓国トップ 安保理、次期事務総長", 産經新聞 07/25
  9. ^ a b "国連事務総長に潘氏当選確実 常任理事国一致して支持", 産經新聞 10/03
  10. ^ "潘基文・韓国外交通商相、次期国連事務総長に当確", 読売新聞 10/03
  11. ^ "Council Backs South Korean for U.N. Secretary General", New York TImes 10/03
  12. ^ "北朝鮮制裁「強要しない」 麻生外相、韓国大統領と会談", 朝日新聞 2006/10/20
  13. ^ a b 竹内孝之「台湾の国際参加」p126-127
  14. ^ 安保理決議なしの攻撃は違法 潘総長、米政権を牽制朝日新聞、「「安保理経ない攻撃は違法」潘事務総長、米を牽制
  15. ^ Colum Lynch (2007年10月21日). “Under U.N. Chief, Koreans in Key Posts: Ban Ki-moon Denies Playing Favorites” (英語). ワシントンポスト. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/10/20/AR2007102001008.html 2007年10月23日閲覧。 
  16. ^ 李泰勲 (2007年10月22日). “主要ポストに韓国人起用、国連内で反発相次ぐ=米紙”. 朝鮮日報. http://www.chosunonline.com/article/20071022000003 2007年10月23日閲覧。 
  17. ^ ““潘流”人事? 事務総長就任1年 韓国人職員25%増”. 産経新聞. (2008年1月2日). https://web.archive.org/web/20080105141033/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/080102/asi0801021916002-n1.htm 2008年1月2日閲覧。 
  18. ^ a b 日本海→「東海」表記のパンフ 韓国が国連行事で配布(cache)”. 産経新聞. 2010年8月5日閲覧。
  19. ^ 週刊文春2007年11月29日号
  20. ^ “潘国連事務総長「韓国の国力伸張に最善尽くす」”. 聯合ニュース. (2008年7月3日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2008/07/03/0200000000AJP20080703002700882.HTML 2008年7月3日閲覧。 
  21. ^ Ban, Ki-Moon (November 30, 2011). "Remarks at UN Memorial Cemetery in Korea [as delivered]". Ban Ki-Moon's speeches. UN News Center.
  22. ^ 中央日報 2012年8月29日 【コラム】「安重根」ミュージカルが日本で公演されるには(2) [1]
  23. ^ 国連事務総長 歴史認識巡り異例発言NHK 2013年8月26日
  24. ^ “潘国連事務総長の発言、真意ただす考え…菅長官”. 読売新聞. (2013年8月27日). https://web.archive.org/web/20130830163513/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130827-OYT1T00939.htm 2013年8月27日閲覧。 
  25. ^ 読売新聞 2013年8月28日朝刊 14版 3面 「社説:潘国連事務総長 資質問われる偏向『介入』発言」
  26. ^ 潘氏発言は「国連憲章違反の恐れ」産経新聞 2013年8月27日
  27. ^ “潘総長、国連憲章違反の疑い 中立守るべき立場で日本批判 室谷氏「ふざけるな」”. 夕刊フジ. (2013年8月27日). http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130827/frn1308271535004-n1.htm 2013年8月27日閲覧。 
  28. ^ 中国、潘国連事務総長の発言「積極的に評価」読売新聞 2013年8月28日
  29. ^ Russia stages WW2 victory parade as Ukraine bristles
  30. ^ a b “自民、国連事務総長の中国・抗日式典出席に抗議へ”. TBS News i. (2015年9月3日). http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2578565.html 2015年9月3日閲覧。 
  31. ^ “国連は「中立性」を放棄したのではないか 潘事務局長が「抗日戦争勝利70周年」行事参加”. ジェイ・キャスト. (2015年9月1日). https://www.j-cast.com/2015/09/01244171.html 2015年9月3日閲覧。 
  32. ^ “事務総長の抗日式典出席、国連内に疑問視も”. 読売新聞. (2015年9月2日). https://web.archive.org/web/20150904183838/http://www.yomiuri.co.jp/world/20150902-OYT1T50085.html 2015年9月3日閲覧。 
  33. ^ “国連・潘事務総長「国連は中立的な機関ではない」、日本の抗議に反論=韓国ネット「これ以上ない完璧な答え」「日本への当て付けで無理に出席?」”. Record China. (2015年9月5日). https://www.recordchina.co.jp/b118383-s0-c30-d0052.html 2015年9月5日閲覧。 
  34. ^ “潘国連総長、軍事パレードで“戦争容疑者”と「同席」めぐり“大恥””. ZAKZAK. (2015年9月4日). https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150904/frn1509041700014-n1.htm 2016年9月20日閲覧。 
  35. ^ 世界で最も危険な韓国人、潘基文(cache)”. Newsweek. 2010年8月5日閲覧。
  36. ^ a b “潘事務総長は「かんしゃく持ち」ノルウェー公電に波紋”. 朝日新聞. (2009年8月20日). https://web.archive.org/web/20090822025416/http://www.asahi.com/international/update/0820/TKY200908200079.html 2010年8月5日閲覧。 
  37. ^ やっぱり危険な事務総長、潘基文”. ニューズウィーク日本版(cache). 2010年8月5日閲覧。
  38. ^ 「指導力不足」に反論 ノルウェーで国連事務総長”. 共同通信. 2010年8月5日閲覧。
  39. ^ “「中国には何も言わない」 国際人権団体が国連事務総長を痛烈に批判”. (2011年1月25日). https://web.archive.org/web/20110128092336/http://sankei.jp.msn.com/world/news/110125/chn11012509030016-n1.htm 2011年2月11日閲覧。 
  40. ^ 国際人権団体、国連事務総長を名指し批判 - 読売新聞 2011年1月25日
  41. ^ 右往左往の潘基文氏に非難集中 人権めぐる報告書「恥のリスト」からサウジ削除 圧力に屈した?内部からも「悪しき前例」の声産経新聞 2016年6月11日
  42. ^ a b c d e f 潘基文国連事務総長は海外でどう評価されているのか?
  43. ^ “潘国連事務総長は「無能」 米上院委員長が厳しく批判”. 西日本新聞. (2016年4月14日). http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/237848 2016年4月16日閲覧。 
  44. ^ “潘国連事務総長は「無能」 米上院委員長が厳しく批判”. 高知新聞. (2016年4月14日). https://web.archive.org/web/20160421183506/http://www.kochinews.co.jp/article/15354 2016年4月16日閲覧。 
  45. ^ "말 잘 못하고 절차에만 집착..", 뉴욕타임즈 "힘없는 관측자"”. naver news/韓国CBS (2016年5月23日). 2016年5月23日閲覧。
  46. ^ a b “「無能」呼ばわり潘基文国連事務総長が韓国次期大統領の最有力候補になるワケ”. 夕刊フジ. (2016年4月16日). https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160416/frn1604161530002-n1.htm 2016年5月7日閲覧。 
  47. ^ “「世界大統領」は韓国大統領になれるのか…潘基文氏を待ち受ける国内の高いハードル”. 産経ニュース. (2017年1月16日). https://www.sankei.com/article/20170116-JJXSC2KHPBIV7GC3BZKMRNCENI/ 2017年1月16日閲覧。 
  48. ^ “米FP誌 「潘基文氏、歴史上最も親米的国連事務総長」”. 中央日報. (2016年12月30日). http://japanese.joins.com/article/118/224118.html 2017年1月1日閲覧。 
  49. ^ “潘基文・国連事務総長、中国の抗日式典に出席へ 日本の反応は?”. ハフィントン・ポスト. (2015年9月1日). https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/31/ban-ki-moon-chinese-ceremony_n_8063470.html 2017年4月20日閲覧。 
  50. ^ a b “中国人の国連事務次長、夕食会のスピーチで潘事務総長に暴言”. AFP. (2010年9月9日). https://www.afpbb.com/articles/-/2754213?pid=6159721 2017年4月20日閲覧。 
  51. ^ “沙祖康氏が国連事務次長に就任、一部にはタカ派との批判も―国連”. Record China. (2007年6月23日). https://www.recordchina.co.jp/b9085-s0-c70-d0000.html 2017年4月23日閲覧。 
  52. ^ “中国の呉紅波ベテラン外交官、国連事務次長に就任”. 新華網. (2012年8月7日). http://jp.xinhuanet.com/2012-08/07/c_131767068.htm 2017年4月23日閲覧。 
  53. ^ <国連>潘総長を批判した事務次長退任(cache)”. 毎日新聞. 2010年8月5日閲覧。
  54. ^ 前事務次長の総長糾弾、国連「威信」揺らぎ困惑”. 読売新聞. 2010年8月5日閲覧。
  55. ^ 国連総長が不当人事と提訴 元米検察官が1億円超請求”. 産経新聞. 2011年1月31日閲覧。
  56. ^ “国連パン事務総長 最後のスピーチ「声なき人の声に」”. NHK. (2016年12月31日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161231/k10010825321000.html 2017年1月3日閲覧。 
  57. ^ “国連総長、職員にお別れ=「シンデレラの気分」”. 時事ドットコム. (2016年12月31日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016123100056&g=int 2017年1月3日閲覧。 
  58. ^ 潘基文氏のIOC倫理委員長指名 韓国政府が歓迎の意聯合ニュース2017年6月16日
  59. ^ “ボアオフォーラム理事長に潘基文氏”. 産経ニュース. (2018年4月9日). https://www.sankei.com/article/20180409-MZE3KHAIFRN3BAR635A66TE7HU/ 2018年4月11日閲覧。 
  60. ^ 前国連事務総長の潘基文氏 グローバルイシュー扱う財団設立へWoW!Korea
  61. ^ “潘基文氏「中国非難しても粒子状物質問題は解決しない」”. 中央日報. (2019年3月27日). https://japanese.joins.com/article/756/251756.html 2019年3月27日閲覧。 
  62. ^ “潘基文前国連総長が文政権に苦言「北の非核化、2度目はだまされた者が愚か」=韓国ネット称賛”. Record China. (2019年3月28日). https://www.recordchina.co.jp/b698308-s0-c10-d0144.html 2019年3月28日閲覧。 
  63. ^ “潘基文氏、習近平氏と会談 「中国、粒子状物質に対する韓国の懸念をよく知っている」”. 中央日報. (2019年4月3日). https://japanese.joins.com/article/994/251994.html 2019年6月26日閲覧。 
  64. ^ “大気汚染の対策機構発足、韓国”. 共同通信. (2019年4月29日). https://web.archive.org/web/20190626061737/https://this.kiji.is/495514707546866785 2019年6月26日閲覧。 
  65. ^ “次期韓国大統領「有力候補」か 潘基文事務総長に「賛否両論」”. サンデー毎日. (2016年6月26日). http://mainichibooks.com/sundaymainichi/international/2016/06/26/post-941.html 2017年1月3日閲覧。 
  66. ^ “退任後の政府要職就任を制限する国連決議、潘事務総長も熟知”. ハンギョレ. (2016年6月2日). http://japan.hani.co.kr/arti/international/24300.html 2017年1月3日閲覧。 
  67. ^ “国連「潘基文事務総長、退任後の公職制限決議知っている」”. 中央日報. (2016年6月2日). http://japanese.joins.com/article/452/216452.html 2017年1月3日閲覧。 
  68. ^ “潘国連総長が1位 韓国次期大統領選の有力候補支持率”. 聯合ニュース. (2016年6月10日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2016/06/10/0900000000AJP20160610001800882.HTML 2017年1月3日閲覧。 
  69. ^ “潘基文氏の帰国予告に政界騒然 事実上の大統領選出馬宣言?”. 聯合ニュース. (2016年9月19日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/09/19/0200000000AJP20160919002900882.HTML 2017年1月3日閲覧。 
  70. ^ “潘国連総長が事実上の大統領選出馬宣言 「国の発展に身燃やす」”. 聯合ニュース. (2016年12月21日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2016/12/21/0900000000AJP20161221000800882.HTML 2017年1月3日閲覧。 
  71. ^ 潘基文氏帰国「政権ではなく政治交代を」 大統領選に意欲 - (2017年1月12日閲覧) - 聯合ニュース
  72. ^ “韓国大統領選:潘基文氏の出馬に選管「問題なし」”. 朝鮮日報. (2017年1月14日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/14/2017011400394.html 2017年1月15日閲覧。 
  73. ^ “潘基文氏「10億円は日本に返すべき…THAAD配備は支持」(1)”. 中央日報. (2017年1月13日). http://japanese.joins.com/article/639/224639.html 2017年1月16日閲覧。 
  74. ^ 激震・朴政権 “ゴマスリ”が裏目に? 韓国次期大統領有力候補、潘基文事務総長の支持率も下落 産経WEST 2017年1月6日付
  75. ^ 潘前国連事務総長が立候補断念=帰国後3週間で挫折-韓国大統領選時事通信 2017年2月1日
  76. ^ 2020年の鮮鶴平和賞受賞者にマッキ・サル大統領とルター派教会のムニブ・A・ユナン監督”. PR Newswire. PR Newswire 東京オフィス. 2022年11月7日閲覧。
  77. ^ 世界の専門家2000人以上が集う「シンクタンク2022」が発足 〜 第6回希望前進大会 〜”. Universal Peace Federation. ユニバーサル・ピース・フェデレーション ジャパン. 2022年11月7日閲覧。
  78. ^ 朝鮮半島の平和統一テーマに「ワールドサミット2022」開催”. Universal Peace Federation. ユニバーサル・ピース・フェデレーション ジャパン. 2022年11月7日閲覧。
  79. ^ “鳩山元首相らが公開書簡 核兵器禁止条約への参加要求”. 朝日新聞. (2020年9月21日). https://www.asahi.com/articles/ASN9P65Y7N9NUHBI01Q.html 2021年5月29日閲覧。 
  80. ^ "潘基文長官の事務総長出馬は「国連への恩返し」", YONHAP NEWS, 2006/05/24
  81. ^ "人事「次期国連事務総長に潘基文氏」", 五味洋治(東京新聞外報部), 週刊東洋経済, 2006年10月14日, P122
  82. ^ "麻生外相、韓国大統領と会談…対北の日米韓連携を評価", 読売新聞, 2006/10/20
  83. ^ "次期国連事務総長「拉致に積極対応」", 産經新聞, 2006年11月6日
  84. ^ “潘基文国連事務総長「朴大統領の慰安婦妥結勇断、歴史が評価」”. 中央日報. (2016年1月4日). http://japanese.joins.com/article/301/210301.html 2017年1月2日閲覧。 
  85. ^ “「常任理事国拡大は必要」国連・潘事務総長が初めて表明 (cache)”. 朝日新聞. https://megalodon.jp/2008-0709-0827-28/www.asahi.com/international/update/0708/TKY200807080356.html 2010年8月5日閲覧。 
  86. ^ 国連・潘事務総長が異例の発言!「日本は過去史に謙虚な反省を」=韓国ネット「世界の大統領のお言葉だ!」「中立性に欠ける発言をしてもいいの?」”. www.excite.co.jp (2015年8月13日). 2019年11月1日閲覧。
  87. ^ “パリ協定、米残留に期待 潘氏、日本メディアと会見”. 産経新聞. (2016年11月29日). https://www.sankei.com/photo/daily/news/161129/dly1611290007-n1.html 2017年1月2日閲覧。 
  88. ^ "潘国連事務総長が忘年会で激務訴える動画を披露、睡眠は1日80分!?=韓国ネット「寝ないなら仕事しないと」「彼を敬ってるのは韓国だけ」", Record China 12/16
  89. ^ “米司法当局、潘基文前国連事務総長の親族2人を贈賄で起訴”. ロイター. (2017年1月11日). http://jp.reuters.com/article/usa-corruption-idJPKBN14V0MP 
  90. ^ 潘・前国連総長の弟らを訴追 250万ドル贈賄計画容疑 朝日新聞デジタル 2017年1月11日付
  91. ^ 米当局が潘前国連総長実弟の逮捕要請 潘氏は関与否定 朝鮮日報 2017年1月21日付
  92. ^ 潘基文・国連事務総長、韓国大統領選に事実上の出馬宣言 「我が身を惜しまない」ハフィントンポスト 2016年12月22日
  93. ^ 「少女像」問題でアメリカが日韓仲介を模索 ケリー国務長官が電話会談かハフィントンポスト 2017年1月11日
  94. ^ 韓国民団、少女像の撤去求める 「在日同胞共通の考え」朝日新聞 2017年1月12日
  95. ^ “慰安婦:帰国の潘基文氏「合意は完璧ではない」”. 朝鮮日報. (2017年1月12日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/12/2017011203021.html 2017年1月16日閲覧。 
  96. ^ 潘基文氏「10億円返す」「話にならない」と強気発言 慰安婦像撤去問題めぐり産経新聞 2017年1月13日
  97. ^ 釜山の少女像「ウィーン条約に照らしても問題」菅長官朝日新聞 2017年1月5日

外部リンク[編集]

外交職
先代
コフィー・アナン (ガーナの旗)
国際連合の旗 国際連合事務総長
第8代:2007年 - 2016年
次代
アントニオ・グテーレス (ポルトガルの旗)
先代
李承坤
大韓民国の旗オーストリア大韓民国大使
(在スロベニアコソボ大韓民国大使兼任)
兼在ウィーン国際機関大韓民国代表部代表

第11代:1998年 - 2000年
次代
崔尚徳
公職
先代
尹永寬
大韓民国の旗 大韓民国外交通商部長官
第33代:2004年 - 2006年
次代
宋旻淳