滝田洋二郎

たきた ようじろう
滝田 洋二郎
滝田 洋二郎
2009年、首相官邸にて
生年月日 (1955-12-04) 1955年12月4日(68歳)
出生地 日本の旗 日本富山県高岡市
(旧:福岡町
身長 175 cm
職業 映画監督
ジャンル 映画
活動期間 1974年 -
活動内容 2008年:アカデミー外国語映画賞(『おくりびと』)
配偶者 あり
事務所 A-team
公式サイト プロフィール
主な作品
僕らはみんな生きている
秘密』/『陰陽師』シリーズ
壬生義士伝』/『おくりびと
天地明察』/『北の桜守
 
受賞
アカデミー賞
外国語映画賞
2008年おくりびと[1]
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
2009年『おくりびと』
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
日本映画監督賞
2008年『おくりびと』
報知映画賞
作品賞
1986年コミック雑誌なんかいらない!
高崎映画祭
最優秀作品賞
1988年木村家の人びと
紫綬褒章
2014年
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滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年昭和30年)12月4日 - )は、日本映画監督富山県高岡市(旧福岡町)出身。

来歴[編集]

富山県立高岡商業高等学校卒業。俳優山田辰夫は高校時代の同級生。高校卒業後、知り合いの国会議員の秘書から「就職を世話してやる」と[2]東急不動産東映の名が挙がったため[2]、派手そうで良いなという理由から東映を選択する[2]。だが実際は、東映の下請けである[2]東映セントラルフィルムポルノ東映ポルノ)を製作していた向井プロ(のち、獅子プロ)[2]だった。1974年(昭和49年)、同社に事務職として入社[2]高倉健ヤクザ映画は観ていたものの特に映画好きではなかったため当初は戸惑ったが、撮影現場の面白さに惹かれ助監督に転ずる[2]向井寛山本晋也稲尾実梅沢薫監督らの下で低予算ポルノ(ピンク映画)の助監督を務めた[2]一般映画では、1979年(昭和54年)の『下落合焼とりムービー』で助監督を務めている。1981年(昭和56年)、『痴漢女教師』で監督デビュー[2]。以降、1982年(昭和57年)2本、1983年(昭和58年)4本、1984年(昭和59年)8本と倍のペースでメガホンを握り[2]、"邦ピン・ニューエンタテイメントの旗手"などと称された[2]脚本家高木功とのコンビで成人映画の監督として話題作を連発し耳目を集める。

1985年(昭和60年)、主演と脚本を務めた内田裕也に指名され、初の一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』を監督し、高い評価を得る。同作はニューヨークロサンゼルスの一部映画館でも公開され話題となった。以降、コンスタントに話題作を発表し続けている。当初はコメディが目立ったが、次第にシリアスな大作を数多く手がけるようになった。現在では不羈奔放な演出で沸かせたピンク時代とは大きく異なる端正な作風となっている。

2001年(平成13年)の『陰陽師』は、実写日本映画ではトップクラスのヒットとなった[3]2004年(平成16年)には『壬生義士伝』で日本アカデミー賞最優秀作品賞。

2008年(平成20年)公開の『おくりびと』は大作ではなかった[4]ものの、ロングランされると、翌2009年(平成21年)の日本アカデミー賞で最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。その後、第81回アカデミー賞では日本映画初の外国語映画賞を受賞した[1]

2009年(平成21年)3月18日高岡市のホテルニューオータニ高岡にて富山県初となる県民栄誉賞と、こちらも初となる高岡市民栄誉賞[5]が贈られた[6]

2011年(平成23年)に映画芸術科学アカデミー会員に選出される。

2014年(平成26年)に紫綬褒章受章。

作風[編集]

ミステリ喜劇「痴漢電車・下着検札」からハードサスペンス「連続暴姦」まで、非常に幅広い作風を示す。「下着検札」は、竹中直人(当時は竹中ナオト)が松本清張・松田優作の物真似のみで全編演じており、満州事変秘話から密室トリック殺人、人形アニメで締めくくるラストなど凝った演出で話題を呼んだ。「痴漢電車・極秘本番」では、現代と大阪城夏の陣をタイムスリップで往還する、メジャー大作では扱わないSFスラップスティックコメディにまで挑んでいる。「痴漢電車・聖子のお尻」の終盤では密室トリックの嗜好を如何なく発揮。5分間セリフなしでラヴェルの「ボレロ」だけを流し、視覚のみで仕掛けを解明する映像で気を吐いた。これらのほとんどで主演した螢雪次朗とは、今も盟友関係が続いている。ピンク映画の末期にはにっかつ配給作品も数本手掛けたが、ほとんどが獅子プロ製作の買取作品で撮影所が使用できなかった。のちに「木村家の人々」で組んだにっかつ出身の山田耕大プロデューサーは、滝田から当時のにっかつへの強い敵意を感じたという。滝田は一般映画進出を果たすまで、予算・撮影日数ともに、にっかつロマンポルノの数分の一にすぎないピンク映画業界で手腕を発揮し続けた。

所属した向井プロ(獅子プロ)が新宿南口にあり[2]西新宿超高層ビル群を毎日眺め、頻繁に作品へ取り入れた[2]

監督作品[編集]

一般作品[編集]

成人作品[編集]

  • 痴漢女教師 (1981年)
  • 痴漢電車シリーズ
    • 痴漢電車 もっと続けて (1982年)
    • 痴漢電車 満員豆さがし (1982年)
    • 痴漢電車 ルミ子のお尻(1983年)
    • 痴漢電車 けい子のヒップ(1983年)
    • 痴漢電車 百恵のお尻(1983年)
    • 痴漢電車 下着検札(1984年)
    • 痴漢電車 ちんちん発車(1984年)
    • 痴漢電車 極秘本番(1984年)
    • 痴漢電車 聖子のお尻(1985年)
    • 痴漢電車 車内で一発(1985年)
    • 痴漢電車 あと奥まで1cm(1985年)
  • 官能団地 上つき下つき刺激つき (1982年)
  • 連続暴姦(1983年)
  • グッバイボーイ(1984年)
  • OL24時 媚娼女(1984年)
  • 真昼の切り裂き魔(1984年)
  • 痴漢保健室(1984年)
  • ザ・緊縛(1984年)
  • 桃色身体検査(1985年)
  • 痴漢通勤バス(1985年)
  • 絶倫ギャル やる気ムンムン(1985年)
  • ザ・マニア 快感生体実験(1986年)
  • 痴漢宅配便(1986年)
  • はみ出しスクール水着(1986年)
  • タイム・アバンチュール 絶頂5秒前(1986年)

助監督作品[編集]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 外部リンクに映像
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 秋本鉄次「滝田洋二郎インタビュー 『今、タキタが面白い。ニューエンタテイメントの旗手としてピンクの枠を超える29歳』」『シティロード』1985年4月号、エコー企画、16頁。 
  3. ^ 日本映画製作者連盟
  4. ^ 公開時は約220スクリーン。文化通信.com
  5. ^ 名誉市民”. 高岡市. 2022年8月14日閲覧。
  6. ^ 滝田監督「凱旋」に熱狂
  7. ^ 滝田洋二郎による中国映画が8月に中国で公開、ポスターは黄海がデザイン(2019年7月29日)”. 映画ナタリー. 2021年1月24日閲覧。
  8. ^ 日本棋院
  9. ^ 春の褒章684人・23団体 ソチ五輪金メダル羽生さんら”. 日本経済新聞 (2014年4月28日). 2023年5月11日閲覧。

外部リンク[編集]