武豊駅

武豊駅
駅舎と駅前広場(2022年11月)
たけとよ
Taketoyo
CE08 東成岩 (3.0 km)
地図
所在地 愛知県知多郡武豊町字金下
北緯34度51分11秒 東経136度55分16秒 / 北緯34.85306度 東経136.92111度 / 34.85306; 136.92111座標: 北緯34度51分11秒 東経136度55分16秒 / 北緯34.85306度 東経136.92111度 / 34.85306; 136.92111
駅番号 CE  09 
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CE 武豊線
キロ程 19.3 km(大府起点)
電報略号 タト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
697人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1886年明治19年)3月1日
備考
テンプレートを表示

武豊駅(たけとよえき)は、愛知県知多郡武豊町字金下(かなげ)にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線。同線の終着駅である。駅番号CE09

概要[編集]

武豊町内ではJR線唯一の駅である。

開業は1886年明治19年)で、愛知県下で最も歴史の古い駅の一つ。県内最初の鉄道の起点で、開業時は熱田駅まで完成しており岐阜駅を目指して延伸工事中だった。

当初は現在よりも南方の臨海部にあったが、開業6年後の1892年(明治25年)に現在地に移転した。移転前の旧駅はその後貨物駅武豊港駅として開業したが、1965年昭和40年)に廃止されている。

歴史[編集]

武豊線は明治時代に東京と神戸を結ぶ鉄道への資材運搬線として建設された。当時、レールや鉄橋の鉄骨は全て輸入品だった。その起点である武豊駅付近には長さ約140 m・幅約5.5 mの木製桟橋が建設され、資材の陸揚げ基地とされていた[1]。開業当初は武豊港に面した武豊町字里中にあったが、その後現在地に移転している。旧駅の跡地にあたる国道247号(師崎街道)の里中交差点には「武豊停車場跡地」の記念碑が建つ。

年表[編集]

貨物営業[編集]

武豊駅では1886年(明治19年)の開業時から貨物の取り扱いが行われていたが、国鉄時代の1984年(昭和59年)1月10日に廃止された。1974年(昭和49年)の制度改正以降ここでは車扱貨物のみを取り扱っていたが、1975年(昭和50年)11月15日専用線発着のみを取り扱うように縮小されていた[2]。なお、武豊線の他の駅では同日付で貨物営業を廃止しているので、武豊駅は武豊線内で最後まで貨物を取り扱う駅となっていた。

武豊駅に接続する専用線は、1970年(昭和45年)の専用線一覧表[8]によれば、駅の南方に工場を置く豊醤油(現在のユタカフーズ)専用線、町内に工場を持つ日本油脂(元・帝国火薬工業、現在の日油)専用鉄道、同じく町内に工場を持つ中山製鋼所専用鉄道および専用線(ただし使用休止中)があった。

日本油脂専用鉄道[編集]

上記のうち日本油脂専用鉄道は、駅から駅付近にある同社第一工場(現在の衣浦工場)を経て駅から2 km以上離れた第三工場(現在の武豊工場)までを結んでいた。途中には、名鉄河和線南知多道路との立体交差(アンダーパス)もあった。1923年大正12年)に運輸を開始し、1986年(昭和61年)3月に廃止された[9]

同線は直流550 V電化されており、貨物列車電気機関車で牽引され、さらに従業員輸送用の電車も運行されていた[10][9]1979年(昭和54年)時点で、従業員輸送電車は朝夕に2往復、貨物列車はその間に6往復運行されていた[10]

帝国火薬工業時代には専用鉄道を地方鉄道に転換し、さらに内海町まで延伸する計画もあった。三浦逸平を発起人総代とする武豊内海鉄道(旧・知多電気鉄道)が同区間の敷設免許を1927年(昭和2年)6月25日に取得し[11]1928年(昭和3年)7月9日には帝国火薬工業に免許を譲渡したが[12]、計画は進展せず、1935年(昭和10年)6月28日の免許失効により幻となった[13]

1979年(昭和54年)時点で使用されていた車両は以下のとおり[10]

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線の地上駅。ホームに面する線路は1本しかないが、1番線の番号が振られている。

ホームに接さない留置線も2本ある[14]が、架線は東側(駅舎寄り)の線路のみに張られている。現在は3本のいずれもが構内南方(南知多寄り)の車止めで行き止まりとなっている[14]が、以前はすべての留置線が分岐器で1番線とつながっており機回しが可能であった。この線路の短縮に伴い、駅南方にあった主要地方道武豊小鈴谷線との踏切も廃止されている。駅舎は構内東側、ホームに接して設置されている[14]。電化に際して、駅舎と反対の構内西側に変電所が設置された。無人駅ではあるが、夜間滞泊が設定されている。

大府駅管理の無人駅。かつては業務委託駅JR全線きっぷうりばも設置されていた[15][16]が、JR東海は2013年(平成25年)10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)」を導入し、自動券売機自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになり、無人化された[6][7]

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 CE 武豊線 上り 大府方面

(出典:JR東海:駅構内図

利用状況[編集]

旅客[編集]

「愛知県統計年鑑」および「知多半島の統計」によれば、1日平均の乗車人員は以下の通りであった。

1日平均の乗車人員の推移
年度 乗車人員 出典
1950年 881 [17]
1951年 1,055 [18]
1952年 1,112 [19]
1953年 1,090 [20]
1954年 1,156 [21]
1955年 1,091 [22]
1956年 1,186 [23]
1957年 1,127 [24]
1958年 1,148 [25]
1959年 1,262 [26]
1960年 1,354 [注釈 1][27]
1961年 1,160 [28]
1962年 1,049 [29]
1963年 1,009 [30]
1964年 996 [31]
1965年 1,047 [32]
1966年 986 [33]
1967年 957 [34]
1968年 926 [35]
1969年 848 [36]
1970年 811 [37]
1971年 740 [38]
1972年 683 [39]
1973年 686 [40]
1974年 760 [41]
1975年 765 [42]
1976年 689 [43]
1977年 582 [44]
1978年 501 [45]
1979年 513 [46]
1980年 501 [47]
1981年 452 [48]
1982年 438 [49]
1983年 442 [50]
1984年 411 [51]
1985年 434 [52]
1986年 433 [53]
1987年 390 [注釈 2][54]
1988年 404 [55]
1989年 420 [56]
1990年 466 [57]
1991年 486 [58]
1992年 526 [59]
1993年 556 [60][61]
1994年 525 [62][61]
1995年 534 [63][61]
1996年 543 [64][65]
1997年 537 [66][65]
1998年 550 [67][68]
1999年 553 [69][70]
2000年 637 [70]
2001年 684 [70]
2002年 718 [71]
2003年 709 [71]
2004年 734 [71]
2005年 765 [72]
2006年 775 [72]
2007年 768 [72]
2008年 759 [73]
2009年 742 [73]
2010年 727 [73]
2011年 710 [74]
2012年 698 [75]
2013年 707 [75]
2014年 693 [76]
2015年 698 [77]
2016年 676 [78]
2017年 666 [79]
2018年 677 [79]
2019年 697 [80]

貨物・荷物[編集]

1950年(昭和25年)度から1983年(昭和58年)度(1984年(昭和59年)2月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年(昭和47年)度から1983年(昭和58年)度(1984年(昭和59年)2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。

貨物取扱量・荷物取扱量の推移
年度 貨物 荷物
発送 (t) 到着 (t) 発送(個) 到着(個)
1950年度 42,055 43,986
1951年度 40,459 44,869
1952年度 43,704 52,106
1953年度 82,632 55,817
1954年度 88,650 75,386
1955年度 77,590 32,411
1956年度 97,068 35,474
1957年度 94,415 36,081
1958年度 85,402 32,297
1959年度 79,453 38,279
1960年度 82,452 40,123
1961年度 75,044 43,176
1962年度 77,015 38,209
1963年度 88,991 38,779
1964年度 88,038 43,602
1965年度 83,666 45,452
1966年度 85,459 37,336
1967年度 96,151 38,659
1968年度 109,320 43,004
1969年度 114,674 45,298
1970年度 110,332 61,793
1971年度 104,588 77,855
1972年度 106,933 77,688 16,655 8,342
1973年度 116,918 70,274 14,917 7,957
1974年度 87,528 54,287 15,591 8,354
1975年度 58,754 34,878 14,623 8,728
1976年度 10,184 12,462 12,873 11,931
1977年度 10,109 10,813 11,762 9,780
1978年度 8,637 9,749 11,197 10,839
1979年度 8,441 8,920 1,110 10,019
1980年度 7,666 7,800 9,713 10,463
1981年度 5,489 6,113 7,666 9,230
1982年度 4,334 6,064 4,691 8,956
1983年度 2,565 3,388 1,866 7,184
※出典は乗車人員の推移に同じ。

停車列車[編集]

終着駅であるためかつて運行されていた快速も含め全列車が停車する。

駅周辺[編集]

周辺の施設[編集]

バス路線[編集]

駅前に「JR武豊駅」バス停留所(バス停)があり、武豊町が2010年(平成22年)7月から運営する「武豊町コミュニティバス」が発着する。

高橋煕君之像[編集]

武豊駅頭に立つ高橋煕の胸像

1953年(昭和28年)9月25日に襲来した台風13号の影響で、当駅と東成岩の間で防波堤が決壊して高潮が発生、線路が流失した[81]。この異変を、進行中の当駅行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手の高橋煕(ひろし)が発炎筒を手に東成岩駅方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、水際まで約400メートル程度のところで非常停止した後、東成岩駅まで後退したため、列車の乗客約30名および乗務員は難を逃れた[81]。しかしながら高橋は武豊駅に戻ることはできず、翌日午後に遺体で発見されたが、その際にも両手で信号灯の容器をしっかり抱いた状態であった[81]

この一件は全国に報道され、殉職した高橋の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、日本全国の国鉄職員と小中学生からの募金などにより胸像が建立された[82]

隣の駅[編集]

東海旅客鉄道(JR東海)
CE 武豊線
区間快速・普通
東成岩駅 (CE08) - 武豊駅 (CE09)

かつて存在した路線[編集]

日本国有鉄道
武豊線貨物支線
武豊駅 - 武豊港駅

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1950年度以降最高値
  2. ^ 1950年度以降最低値

出典[編集]

  1. ^ 『武豊町誌』、481-489頁
  2. ^ a b c d e f 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、116頁
  3. ^ 『武豊町誌』資料編三、600頁
  4. ^ 『JR時刻表』1992年11月号と12月号の比較から
  5. ^ 『武豊線物語』、1頁
  6. ^ a b c 武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2013年8月22日。 オリジナルの2016年9月25日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160925014905/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000019252.pdf2020年12月19日閲覧 
  7. ^ a b c 武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2012年11月15日。 オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20160304135832/http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000016734.pdf2020年12月19日閲覧 
  8. ^ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
  9. ^ a b 『武豊線物語』、146・147頁
  10. ^ a b c 「日本油脂専用線近況」『鉄道ファン』通巻215号、130・131頁
  11. ^ 運輸省『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・帝国火薬工業(元知多電気鉄道、武豊内海鉄道…』「工事施行認可申請期限延期ノ件」、1928年7月12日(国立公文書館デジタルアーカイブ)
  12. ^ 「鉄道敷設権譲渡」『官報』1928年7月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1935年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ a b c 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、26・47頁
  15. ^ 「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」『鉄道ジャーナル』通巻469号、78頁
  16. ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
  17. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
  18. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
  19. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
  20. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、306頁
  21. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、304頁
  22. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
  23. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
  24. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
  25. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
  26. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
  27. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
  28. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
  29. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
  30. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
  31. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
  32. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
  33. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
  34. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
  35. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
  36. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
  37. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
  38. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
  39. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
  40. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
  41. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
  42. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
  43. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
  44. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
  45. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
  46. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
  47. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
  48. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
  49. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
  50. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
  51. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
  52. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
  53. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
  54. ^ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
  55. ^ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
  56. ^ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
  57. ^ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
  58. ^ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
  59. ^ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
  60. ^ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
  61. ^ a b c 『知多半島の統計』平成9年版、47頁
  62. ^ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
  63. ^ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
  64. ^ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
  65. ^ a b 『知多半島の統計』平成11年版、47頁
  66. ^ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
  67. ^ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
  68. ^ 『知多半島の統計』平成12年版、47頁
  69. ^ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
  70. ^ a b c 『知多半島の統計』平成15年版、47頁
  71. ^ a b c 『知多半島の統計』平成18年版、115頁
  72. ^ a b c 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
  73. ^ a b c 『知多半島の統計』平成24年版、43頁
  74. ^ 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
  75. ^ a b 『知多半島の統計』平成27年版、43頁
  76. ^ 『知多半島の統計』平成28年版、43頁
  77. ^ 『知多半島の統計』平成29年版、43頁
  78. ^ 『知多半島の統計』平成30年版、43頁
  79. ^ a b 『知多半島の統計』令和元年版、43頁
  80. ^ 『知多半島の統計』令和2年版、43頁
  81. ^ a b c 「SLと共に」編集委員会 1986, pp. 115–118.
  82. ^ 佐々木 & 網谷 1995, pp. 170–178.

参考文献[編集]

  • 愛知県(編) 『愛知県統計年鑑』各年度版
  • 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6 
  • 「SLと共に」編集委員会 編『SLと共に : 蒸気機関車と半生を歩んだ人びとの記録』鉄道科学社、1986年。 NCID BB10436193 
  • 河合由平『武豊線物語』交通新聞社、2009年。ISBN 978-4-330-04609-9 
  • 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6 
  • 佐々木冨泰; 網谷りょういち『続・事故の鉄道史』日本経済評論社、1995年。ISBN 4818808199 
  • 鈴木文彦「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」『鉄道ジャーナル』第39巻第11号(通巻469号)、鉄道ジャーナル社、2005年11月。 
  • 武豊町誌編さん委員会(編)『武豊町誌』武豊町、1984年。 
  • 知多統計研究協議会(編) 『知多半島の統計』各年度版
  • 東海旅客鉄道『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。 
  • 名取紀之「REPORT 日本油脂専用線近況」『鉄道ファン』第19巻第3号(通巻215号)、交友社、1979年3月。 
  • 名取紀之・滝沢隆久(編)『トワイライトゾーンMANUAL』 12巻、ネコ・パブリッシング、2003年。ISBN 978-4-7770-0048-7 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]