正保

正保しょうほうは、日本元号の一つ。寛永の後、慶安の前。1644年から1648年までの期間を指す。この時代の天皇後光明天皇江戸幕府将軍徳川家光

改元[編集]

なお、改元の背景に江戸幕府の意向があったとする説がある[2]

  • 寛永の飢饉を受けた幕政の立て直しを図っていた時期と重なる[3]
  • 摂政二条康道が勘文が出揃ったら、幕府の提示を受けてその判断を受けてから作業を進めることを主張していること[4]
  • 将軍徳川家光は「年号は天下共に用いることなれば、武家より定むべき事勿論なり」として、年号は諸家の勘文から武家が定めると述べたと、林鵞峯の『改元物語』に記されている

なお、この「正保」という元号は以下の理由から不評であった。

  • 「正保(しょうほう)」は「焼亡(しょうぼう)」と音が似ている
  • 「正」の字が「一にして止まる」、「保」の字が「人口木」とそれぞれ読める
  • 「正保元年」と書き記すと、かつて大乱があった元号「保元」より、「正(まさ)に保元の年」と読め、再び大乱が起こる兆しがある

このような批判が京都から始まり、ついには本当に良くない兆しを持つ元号ではないかという世論が高まってしまったため、結局短期間で改元されることになった。

出典[編集]

尚書』正義の「先正保衡佐我烈祖、格于皇天」から。

物事を公平公正にして、そしてその状態を保つという意味である。

なお、時の将軍徳川家光は、年号は諸家の勘文から武家が定めるべきであり、「公家武家の政は正しきにしくはなし、しくしてたば大吉なり」として「正保」を定めたと、林鵞峯の『改元物語』に記されている。

正保年間の出来事[編集]

3年

誕生[編集]

死去[編集]

西暦との対照表[編集]

※は小の月を示す。

正保元年(甲申 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1644/2/8 3/9 4/7 5/7 6/5 7/4 8/3 9/1 10/1 10/31 11/30 12/29
ユリウス暦 1644/1/29 2/28 3/28 4/27 5/26 6/24 7/24 8/22 9/21 10/21 11/20 12/19
正保二年(乙酉 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 閏五月※ 六月 七月※ 八月 九月 十月※ 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1645/1/28 2/26 3/28 4/26 5/26 6/24 7/23 8/22 9/20 10/20 11/19 12/18 1646/1/17
ユリウス暦 1645/1/18 2/16 3/18 4/16 5/16 6/14 7/13 8/12 9/10 10/10 11/9 12/8 1646/1/7
正保三年(丙戌 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1646/2/16 3/17 4/16 5/15 6/14 7/13 8/11 9/10 10/9 11/8 12/7 1647/1/6
ユリウス暦 1646/2/6 3/7 4/6 5/5 6/4 7/3 8/1 8/31 9/29 10/29 11/27 12/27
正保四年(丁亥 一月 二月※ 三月 四月※ 五月 六月※ 七月※ 八月※ 九月 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1647/2/5 3/7 4/5 5/5 6/3 7/3 8/1 8/30 9/28 10/28 11/27 12/26
ユリウス暦 1647/1/26 2/25 3/26 4/25 5/24 6/23 7/22 8/20 9/18 10/18 11/17 12/16
正保五年(戊子 一月 閏一月※ 二月 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1648/1/25 2/24 3/24 4/23 5/23 6/21 7/20 8/19 9/17 10/17 11/15 12/15 1649/1/13
ユリウス暦 1648/1/15 2/14 3/14 4/13 5/13 6/11 7/10 8/9 9/7 10/7 11/5 12/5 1649/1/3

脚注[編集]

  1. ^ 寛永から正保への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1645年1月13日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。正保元年は西暦1645年1月13日から同1月27日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、寛永21年=正保元年=西暦1644年、正保2年=西暦1645年となって実際とはずれが生じる。
  2. ^ 久保、1998年、P62-63.
  3. ^ 北原章夫「家光の朝儀粛正と正保改元」『日本歴史』281、1971年
  4. ^ 高埜 利彦「江戸幕府の朝廷支配」『日本史研究』319、1989年
  5. ^ 日光例幣使道とは”. 栃木市. 2022年8月6日閲覧。

参考文献[編集]

  • 久保貴子「朝廷の再生と朝幕関係」第三節〈改元制度にみる幕府権力〉『近世の朝廷運営』岩田書院、1998年 ISBN 4-87294-115-2 P57-70.(原論文は『民衆史研究』38号、1989年)