機銃掃射

機銃掃射(きじゅうそうしゃ)は、機関銃で敵をなぎ払うように射撃すること[1]歩兵部隊要塞陣地船舶航空機などが装備した機関銃機関砲を使用して、地上または海上の目標を連射・速射により攻撃する方法である。

概要[編集]

機関銃が実用化し始めた19世紀後半のインディアン戦争普仏戦争北越戦争の頃から実戦投入されはじめ、日露戦争では日露両軍においてその制圧力を証明した。機銃掃射は、それまでの小銃単発射撃と比較し、制圧範囲が格段に広く[2]、特に密集隊形の歩兵部隊に対しては大きな戦果を挙げた[3]

航空機が兵器として確立してからは、航空機に搭載された機関銃で上空から地上および海上の目標を攻撃するようになり、第二次世界大戦以降は小型軍用機の積載力が向上したため、ロケット弾や小型爆弾による爆撃を併用するようになった。

航空機による機銃掃射[編集]

F-16 ファイティングファルコンによる機銃掃射機動

基本的に航空機は、低速の機体であっても地上や海上を移動する物体よりも速いことが多いため、一度狙われたら十分な強度を持つものの陰に隠れるか、対空機関銃砲高射砲地対空ミサイルなどの対空兵器で返り討ちにする以外に振り切ることは困難である。航空機による機銃掃射は地上銃撃地上砲撃とも呼称される。

戦闘機を筆頭とする軍用機が携行できる航空機関銃砲砲弾の数量は、機種にもよるが1銃砲あたり大口径弾100-300発、小口径弾で500発程度であり[4]、発射速度が高く携行数に限りがある航空機関銃砲ゆえに、掃射時間は連続時間にして数秒-数十秒程度である。しかし、大口径の対物対人弾による機銃掃射は制圧力が非常に高く、軽装甲の戦闘車両列車輸送船舶や待避壕などの装甲は容易に貫通するうえ、人体に命中すれば致命傷を負わせることになり、効果は非常に高い。

また、操縦士が航空機関銃砲で破壊できると判断したものは全て掃射の目標になり、ロケット弾などのより強力な攻撃手段を有する場合、移動しない状態にある物体や移動できない物体は、格好の攻撃目標になる。なお、7ミリメートル (mm)クラス程度の火器では、撃たれることを前提にして重要部分が装甲化された攻撃機型の軍用機に対して十分に対抗することは難しい[5]

トーチカなどの重防護設備などは銃砲弾の貫徹力不足があり攻撃対象には向いていないが、軽装甲・非装甲のもののほか、戦車であっても上面装甲は薄いために機銃掃射の対象となる。また、心理的制圧力などから、必ずしも目標物の破壊や殺傷を目的としない機銃掃射も盛んに行われる。

第二次世界大戦中においては、特に機銃掃射を重視した機体としてB-25G/H ミッチェルが開発され、太平洋戦線に投入された。B-25Hは、前方に向けた75mm砲1門のほか、12.7mm機銃8丁を装備し、B-25Jも12.7mm機銃6丁を装備し、日本軍の地上部隊艦船攻撃に威力を発揮した[6]

機銃掃射の絶好の攻撃目標は、燃料タンクや燃料輸送車両・輸送船団・製油所・パイプラインなどであり、あるいは武器弾薬輸送部隊や補給基地・備蓄倉庫など引火性・爆発性のある攻撃対象には極めて有効である。そのほかにも移動する物体の中で特に狙われやすいものを以下に掲げる。

列車
列車は、基本的にレール上しか移動せず、ジグザグ走行や急激なハンドル操作などの自動車や戦車が当然のように行う回避行動ができないため、移動中であっても移動先を簡単に予測して見切り射撃ができることから、航空機が兵器として確立して以来、機銃掃射で狙われやすい目標になった。
第二次大戦時までは装甲列車列車砲なども用いられており、列車輸送が兵站の中心でもあった。このことから、連合軍は防空力の低下したドイツおよび日本の勢力圏内において、機関銃の他にロケット弾を使用して積極的に列車を牽引する動力となる機関車を破壊し、列車の足を止めた上で路線を不通にしたり、積荷や客車などへの攻撃を行った。
列車側は、編成に組み込んだ対空兵器を積載した貨車から応戦しながら、トンネルに逃げ込むなどの方法がある。
船舶
船舶は、小型の高速ボートであっても一般に考えるより回避能力が小さいため、機銃掃射の目標になりやすい。また、潜水艦に対しても機銃掃射を仕掛けているケースもある[7]。外洋では隠れる場所がないため、複数機により、空中戦のロッテ戦術の要領で反復して攻撃された場合は、敵機が弾切れや燃料切れを起こして帰還するまで逃げ回るか、船舶に装備された機関銃などの武器撃墜する以外には、なす術がない[6]
特に輸送船のように防御力の低い艦船は、ブリッジを攻撃されて機能を失った場合は撃沈の憂き目を見ることにつながりかねない。また、たとえ対空戦闘能力を有し、防御力のある戦闘艦艇であっても、対空砲の砲座などに対する機銃掃射は有効であり、第二次世界大戦中のアメリカ海軍では、航空機が日本海軍の軍艦を相手にする際は、事情が許す限り、雷撃などの本格的な攻撃を繰り出す前に対空機銃座に向かって機銃掃射とロケット弾による攻撃を行うことによって、対空機銃座を沈黙させるのが常であった。
なお、日本海軍の駆逐艦如月」のように、アメリカ海軍のF4F ワイルドキャット艦上戦闘機12.7mm弾の機銃掃射が「撃沈」の一因となった例もある(魚雷ないし爆雷の誘爆)。
人間
兵士民間人に対する恐怖攻撃として実施するもの。人間は、車両・船舶に比較して標的が小さいものの、開けた場所を動き回る人間は、低空まで降下した航空機のパイロットの目には非常に目立つため、これも機銃掃射の目標となる。
特にアメリカ軍は、太平洋戦争において日本軍に対して航空機の機銃掃射による対人攻撃を積極的に行った。輸送船などの防御力の低い艦船やその乗員、地上に展開する兵士への攻撃が繰り返された結果、有効な対空兵器をほとんど装備していなかった日本軍が受けた被害は甚大なものとなった。

実例[編集]

日本本土空襲において、非戦闘員が機銃掃射を受けた実例

個人の体験
  • 大和ハウス工業会長の樋口武男は、国民学校(小学校)1年生だった1945年6月1日尼崎市で、低空飛行していた米軍のP-51 マスタングから機銃掃射を受けたが、家の近くの防空壕に飛び込み命からがら助かった[9]
  • 一橋大学名誉教授の野中郁次郎は、小学校4年生だった1945年に疎開していた富士市で、グラマン(F4F ワイルドキャットF6F ヘルキャットかは不明)から機銃掃射を受けた。隠れていたが激しく撃たれる直前に木から飛び出し九死に一生を得た。その時、パイロットの笑っている顔が見えた[10]
  • 開高健は、第二次世界大戦終戦間近のまだ少年の頃に、低空飛行する米軍の戦闘機から機銃掃射を受けた。逃げ回っているうち、見上げると米軍機の乗務員が笑っているのが見えた[11]
  • 小澤征爾は、立川市の柴崎小学校の生徒だった第二次大戦中に、空襲警報を無視して弟と庭で遊んでいる時に、米軍機から機銃掃射を受けた。低空飛行だったので操縦士の顔が見えた。これが西洋人を見た最初だった[12]
  • 岸惠子は、1945年5月29日の横浜大空襲の時に、自宅の近くの山手公園の曲がり角の松によじ登っていると、米軍機が地を這うような超低空飛行で機銃掃射してきた。機体の窓からパイロットの顔が見えた[13]

そのほか多数

米軍の戦闘機の翼には、戦果を記録するためにガンカメラが設置されており、機銃引き金を引くと同時に録画が開始される仕組みになっていた[14]2015年3月9日TBSで、米国の公文書館に保存され、大分県宇佐市の地域おこし団体である「豊の国宇佐市塾」によって場所や日時が特定された日本各地での機銃掃射を記録したガンカメラの映像が多数紹介され、機銃掃射を受けて生き残った日本人や、機銃掃射を行った米軍パイロットの証言によって、日本の民間人に対する機銃掃射の実態を検証するドキュメンタリー「戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった」[14]が放送された。

文献情報[編集]

  • 「全国戦災都市別被害状況表」財団法人太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ 三省堂 大辞林(第二版)
  2. ^ ドイツ軍機関銃戦術 歴史群像2007年12月号
  3. ^ 歩兵の戦術
  4. ^ これは、第二次世界大戦時のP-40から最新鋭のF-22までさほど変化はない。戦闘爆撃機としても活躍したP-47は比較的多く1銃あたり425発、8銃で最大3,400発を携行した
  5. ^ 第二次大戦時のIl-2九九式襲撃機などは、コックピット全体やエンジン下部など各要部に装甲を施しており、現代のA-10 サンダーボルトIIはさらなる重装甲を施し、エンジンの位置を工夫することによって損害を抑える配慮がされている
  6. ^ a b 「エア・アパッチ」歴史群像76号 2006年4月
  7. ^ Submarines Sunk by Patrol Squadrons During World War II P697
  8. ^ 「戦跡を歩く(2)養老小学校(市原市) 児童襲った機銃掃射」 東京新聞 千葉版 2013年8月15日
  9. ^ 樋口武男「私の履歴書日本経済新聞、2012年3月3日
  10. ^ 野中郁次郎「私と経営学 05」三菱総研倶楽部 Vol.5 No.5、2008年5月
  11. ^ 「開高健の問い 3」(張競「詩文往還」)日本経済新聞 2013年8月25日
  12. ^ 私の履歴書日本経済新聞 2014年1月4日
  13. ^ 私の履歴書日本経済新聞 2020年5月3日
  14. ^ a b 戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった TBS

関連項目[編集]

外部リンク[編集]