槇文彦

槇文彦
生誕 (1928-09-06) 1928年9月6日(95歳)
東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾幼稚舎
慶應義塾普通部
慶應義塾大学工学部予科
東京大学工学部建築学科学士
クランブルック美術学院修士
ハーバード大学デザイン大学院修士
職業 建築家
受賞 日本建築学会賞(1962、84年)
毎日芸術賞(1969年)
芸術選奨文部大臣賞(1974年)
ウルフ賞芸術部門(1988年)
紫綬褒章(1989年)
プリツカー賞(1993年)
UIAゴールドメダル(1993年)
朝日賞(1993年)
村野藤吾賞(1998年)
フランス芸術文化勲章オフィシエ(1998年)
高松宮殿下記念世界文化賞(1999年)
日本建築学会賞大賞(2001年)
旭日中綬章(2007年)
AIAゴールドメダル(2011年)
日本芸術院賞恩賜賞(2013年)
横浜文化賞(2020年)
所属 槇総合計画事務所
建築物 ヒルサイドテラス
前沢ガーデンハウス
スパイラル
幕張メッセ
東京体育館
著作 見えがくれする都市

槇 文彦(まき ふみひこ、1928年昭和3年〉9月6日 - )は、日本建築家一級建築士)。文化功労者日本芸術院会員。

経歴[編集]

1928年(昭和3年)、東京都生まれ。母方の祖父は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門1941年(昭和16年)慶應義塾幼稚舎卒業。慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学工学部予科を中退し、建築学科のある東京大学工学部建築学科に入学、1952年(昭和27年)卒業。

丹下健三の研究室で外務省庁舎のコンペを担当した後、アメリカ合衆国に留学。クランブルック美術学院およびハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ハーバード大学院時代はホセ・ルイ・セルトスタジオで学ぶ。1954年(昭和29年)に、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、翌1955年(昭和30年)には、セルト・ジャクソン建築設計事務所に勤務。その後はセントルイス・ワシントン大学とハーバード大学で都市デザインを講じた。

1965年(昭和40年)に槇総合計画事務所を設立。1979年(昭和54年)から1989年(平成元年)に東京大学教授を務めた。渋谷区のヒルサイドテラスは旧山手通り沿いで数次にかけて実施したプロジェクトであるが、10m軒線を守り、用途地域が変わった第六期では、10m以上の部分をセットバックさせている。

2010年3月3日マサチューセッツ工科大学教授石井裕(中央)、槇総合計画事務所副所長亀本ゲイリー(右)と

家族・親族[編集]

受賞・栄典[編集]

作品[編集]

建築作品[編集]

名称 所在地 状態 備考
せんとるいすわしんとんたいかくすたいん/ セントルイス・ワシントン大学
スタインバーグホール
1960年 ミズーリ州セントルイス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
なこやたいかくとよた/ 名古屋大学豊田講堂 1960年 23愛知県名古屋市 日本の旗 日本
ちはたいかくきねん/千葉大学医学部記念講堂 1964年 12千葉市中央区 日本の旗 日本
りつしようたいかくくま/立正大学熊谷校舎1期 1967年 11埼玉県熊谷市 日本の旗 日本
おおさかりんかいせんた/ 大阪臨海センタービル 1967年 27大阪府堺市 日本の旗 日本 現存せず
りつしようたいかくくま/立正大学熊谷校舎2期 1968年 11埼玉県熊谷市 日本の旗 日本
ひるさいとてらすえい/ ヒルサイドテラスA・B棟 1969年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本 2000年日本建築家協会25年賞[7]
もくさたんちちゆうしんしせつ/ 百草団地中心施設 1969年 13東京都日野市 日本の旗 日本
せんりちゆうおう/ 千里中央地区センタービル 1970年 27大阪府豊中市 日本の旗 日本
はくはうすしろかね/ パークハウス白金 1970年 13東京都港区 日本の旗 日本
せんほくこうこしりよう/ 大阪府立泉北考古資料館 1970年 27大阪府堺市 日本の旗 日本
よこはましかなさわくそうこう/ 横浜市金沢区総合庁舎 1971年 14神奈川県横浜市金沢区 日本の旗 日本 現存せず
へるていしよとくそう/ ペルー低所得層低層住宅 1972年 リマ ペルーの旗 ペルー
こくさいせいまり/ 国際聖マリア学院 1972年 13東京都世田谷区 日本の旗 日本
おおさかふりつりんかいすほ/ 大阪府立臨海スポーツセンター 1972年 27大阪府高石市 日本の旗 日本
かとうかくえん/ 加藤学園初等学校 1972年 22静岡県沼津市 日本の旗 日本 加藤学園暁秀初等学校
ひろおほむす/ 広尾ホームズ・広尾タワーズ 1972年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
さいふらしるにほん/ 在ブラジル日本大使館 1972年 ブラジリア ブラジルの旗 ブラジル
ひるさいとてらすしい/ ヒルサイドテラスC棟 1973年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
ういんさはうすいつき/ ウィンザーハウス1期 1973年 13東京都港区 日本の旗 日本
のはようちえん/ 野庭幼稚園 1974年 14神奈川県横浜市港南区 日本の旗 日本
つくはたいかくたいいく/ 筑波大学体育芸術専門学群中央棟・図書館 1974年 08茨城県つくば市 日本の旗 日本
とよたくらかいけ/ トヨタ鞍ヶ池記念館 1975年 23愛知県豊田市 日本の旗 日本
おきなわかいようはくらんかいすい/ 沖繩海洋博覧会水族館 1975年 47沖縄県本部町 日本の旗 日本
さいにちおすとりあ/ 在日オーストリア大使館 1976年 13東京都港区 日本の旗 日本
ひるさいとてらすてい/ ヒルサイドテラスD・E棟 1977年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
こたきなはるすほつ/ コタキナバル・スポーツコンプレックス 1977年 サバ マレーシアの旗 マレーシア
よこはましりつなみき/ 横浜市立並木第一小学校 1978年 14神奈川県横浜市金沢区 日本の旗 日本
まきてい/ 槇邸(自邸) 1978年 13東京都 日本の旗 日本
いわさきひしゆつかん/ 岩崎美術館 1978年 46鹿児島県指宿市 日本の旗 日本
かなさわしさいとたうん/ 金沢シーサイドタウン 1978年 14神奈川県横浜市金沢区 日本の旗 日本
さいにちてんまく/ 在日デンマーク大使館 1979年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
シユンアシタサロン/ ジュン・アシダ・サロン 1979年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
ういんさはうすいつき/ ウィンザーハウス2期 1979年 13東京都港区 日本の旗 日本
たかなわのいえ/ 高輪の家 1980年 13東京都港区 日本の旗 日本
よこはましりつかわわ/ 横浜市立川和中学校 1980年 14神奈川県横浜市都筑区 日本の旗 日本
とらのもんえぬえぬひる/ 虎ノ門NNビル 1981年 13東京都港区 日本の旗 日本
きようとくらふとせ/ 京都クラフトセンター 1981年 26京都市左京区 日本の旗 日本
いそのふとうさんひろお/ 磯野不動産広尾ビル 三菱東京UFJ銀行広尾支店 1981年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
けいおうきしゆくとしよかんしんかん/ 慶應義塾図書館新館 1981年 13東京都港区 日本の旗 日本
まえさわかてんはうす/ 前沢ガーデンハウス 1982年 16富山県黒部市 日本の旗 日本
てんつうかんさい/ 電通関西支社 1983年 27大阪市北区 日本の旗 日本
しろかねたいのいえ/ 白金台の家 1983年 13東京都港区 日本の旗 日本
とえいたまにうたんみなみ/ 都営多摩ニュータウン南大沢住宅 1984年 13東京都八王子市 日本の旗 日本
せたすとんひら/ セダ・ストーン・ヴィラ 1984年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
かてんふらさひろお/ ガーデンプラザ広尾 1984年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
ふしさわしあきはたい/ 藤沢市秋葉台文化体育館 1984年 14神奈川県藤沢市 日本の旗 日本
けいおうきしゆくひよし/ 慶應義塾日吉図書館 1985年 14神奈川県横浜市港北区 日本の旗 日本
けいおうきしゆくたいかくたいかくいん/ 慶應義塾大学・大学院棟 1985年 13東京都港区 日本の旗 日本
こくさいかかくきしゆつ/ 国際科学技術博覧会Aブロック外国展示館 1985年 08茨城県つくば市 日本の旗 日本
すはいらる/ スパイラル 1985年 13東京都港区 日本の旗 日本 2011年日本建築家協会25年賞[8]
きようとこくりつきんたい/ 京都国立近代美術館 1986年 26京都市左京区 日本の旗 日本
いわさきこうけいかん/ 岩崎美術工芸館 1987年 46鹿児島県指宿市 日本の旗 日本
ひるさいとふらさ/ ヒルサイドプラザ 1987年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
つたほる/ 津田ホール 1988年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本 現存せず
たいとうきようかさい/ 大東京火災新宿ビル 1989年 13東京都新宿区 日本の旗 日本 あいおい損保新宿ビル
てひあ/ テピア 1989年 13東京都港区 日本の旗 日本
まくはりめつせ/ 幕張メッセ 1989年 12千葉市美浜区 日本の旗 日本
とやましみんふら/ 富山市民プラザ 1989年 16富山県富山市 日本の旗 日本
とうきようたいいく/ 東京体育館 1990年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
けいおうきしゆくたいかくしようなん/ 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC) 1990年 14神奈川県藤沢市 日本の旗 日本
ひるさいとてらすとえふ/ ヒルサイドテラスF・G・N棟 1992年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
わいけいけいあるあんと/ YKK R&Dセンター 1993年 13東京都墨田区 日本の旗 日本
やーばぶえな/ ヤーバブエナ芸術センター 1993年 サンフランシスコ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
なかつしりつおはた/ 中津市立小幡記念図書館 1993年 44大分県中津市 日本の旗 日本
きりしまおんかく/ 霧島国際音楽ホール 1994年 46鹿児島県霧島市 日本の旗 日本
とうきようきりすと/ 東京キリストの教会 1995年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本 ドラマ「協奏曲」で木村拓哉が設計した教会の舞台となった
さんとやくひん/ サンド薬品筑波総合研究所 1995年 08茨城県つくば市 日本の旗 日本
いさるひゆろはく/ イザール・ビューロ・パーク 1995年 ミュンヘン ドイツの旗 ドイツ
ふくおかたいかくろく/ 福岡大学60周年記念館 1996年 40福岡市城南区 日本の旗 日本
うかふけきしよう/ 浮かぶ劇場 1996年 フローニンゲン オランダの旗 オランダ
かなかわたいかくしゆう/ 神奈川大学16号舘 1997年 14神奈川県横浜市神奈川区 日本の旗 日本
かせのおかさいしよう/ 風の丘葬斎場 1997年 44大分県中津市 日本の旗 日本
よこはまししのはらちくせん/ 横浜市篠原地区センター・ケアプラザ 1997年 14神奈川県横浜市港北区 日本の旗 日本
まくはりめつせしんてんししよう/ 幕張メッセ新展示場・北ホール 1998年 12千葉市美浜区 日本の旗 日本
なとりふんかかいかん/ 名取市文化会館 1998年 04宮城県名取市 日本の旗 日本
ひるさいとうえすと/ ヒルサイドウエスト 1999年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
とやまこくさいかいき/ 富山国際会議場(大手町フォーラム) 1999年 16富山県富山市 日本の旗 日本
ふくしまけんたんしよきよう/ 福島県男女共生センター 2000年 07福島県二本松市 日本の旗 日本
まきそりていあ/ マキ・ソリティア 2001年 デュッセルドルフ ドイツの旗 ドイツ
あいえぬひてい/ INB邸  2002年 13東京都 日本の旗 日本
とらいあと/ TRAID 2002年 20長野県安曇野市 日本の旗 日本
ふくいけんりつとしよかん/ 福井県立図書館・福井県文書館 2002年 18福井県福井市 日本の旗 日本
ろれつくすとうよう/ ロレックス東陽町ビル 2003年 13東京都江東区 日本の旗 日本
てれひあさひ/ テレビ朝日本社ビル六本木ヒルズ 2003年 13東京都港区 日本の旗 日本
ときめつせ/ 朱鷺メッセ 2003年 15新潟市中央区 日本の旗 日本
よこはまあいらんとたわ/ 横浜アイランドタワー 2003年 14神奈川県横浜市中区 日本の旗 日本
とうきようたいかくほうかくけいきよういく/ 東京大学法学系教育棟 2004年 13東京都文京区 日本の旗 日本
きゆうふしきんこうよこはましてん/ 旧富士銀行横浜支店 映像文化施設 2005年 14神奈川県横浜市中区 日本の旗 日本
こくりつこくこけん/ 国立国語研究所 2005年 13東京都立川市 日本の旗 日本
しまねけんりつこたいいつも/ 島根県立古代出雲歴史博物館 2007年 32島根県出雲市 日本の旗 日本
せんとるいすわしんとんたいかくさむ/ セントルイス・ワシントン大学
サム・フォックス視覚芸術学部
2007年 ミズーリ州セントルイス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミルドレッド・レーン・ケンパー美術館およびアール・E&マートル・E・ウォーカー・ホール
しんかほるりこうけい/ シンガポール理工系専門学校キャンパス 2007年 ウッドランド シンガポールの旗 シンガポール
みはらしけいしゆつふ/ 三原市芸術文化センター 2007年 34広島県三原市 日本の旗 日本
いすまいりいままつとき/ イズマイリ・イママット記念館 2008年 オンタリオ カナダの旗 カナダ
へんしるへにあたいかくあねんはく/ ペンシルベニア大学
アネンバーグ・パブリックポリシーセンター
2009年 ペンシルバニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ろれつくすなかつ/ ロレックス中津ビル 2009年 27大阪市北区 日本の旗 日本
のはるていすきやんはすすくえあ/ ノバルティス・キャンパス・スクエア3 2009年 バーゼル スイスの旗 スイス
みつとめていあらほ/ MITメディアラボ新館 2009年 マサチューセッツ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
まくはりめつせへてすとりあん/ 幕張メッセ ペデストリアンブリッジ 2009年 12千葉市美浜区 日本の旗 日本
かなかわたいかくしようなんひらつか/ 神奈川大学湘南ひらつかキャンパス11号館 2009年 14神奈川県平塚市 日本の旗 日本
にほんゆたやきようたん/ 日本ユダヤ教団 2009年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
とうきようてんきたいかくとうきようせんしゆきやんはすたいいつき/ 東京電機大学 東京千住キャンパス第一期 2012年 13東京都足立区 日本の旗 日本
まちたしやくしよ/ 町田市役所 2012年 13東京都町田市 日本の旗 日本
しすおかししみすふんか/ 静岡市清水文化会館 2012年 22静岡市清水区 日本の旗 日本
4わるととれとせんた/ フォー・ワールド・トレード・センター 2013年 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ふいふていわんあすた/ 51アスタープレイス 2013年 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
あかかんみゆしあむ/ アガ・カーン ミュージアム  2014年 オンタリオ カナダの旗 カナダ
すりはんとれっとふおていふあいふいすと/ 345イースト・ヴィレッジ・プロムナード 2014年 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
すかいらいん/ スカイライン@オーチャード ブールバード 2015年 オーチャード シンガポールの旗 シンガポール
はとなひはる/ パトナ ビハール博物館 2015年 ビハール インドの旗 インド
しんかほるめていあこふ/ シンガポール・メディアコープ 2016年 ワンノース シンガポールの旗 シンガポール
なかのしやくしよ/ 長野市役所第一庁舎・長野市芸術館 2016年 20長野県長野市 日本の旗 日本
とうきようてんきたいかくとうきようせんしゆきやんはすたいにき/ 東京電機大学 東京千住キャンパス 第2期計画
5号館
2017年 13東京都足立区 日本の旗 日本
つたしゆくたいかくせんたかやきやんはす/ 津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス アリス・メイ
ベル・ベーコン記念館
2017年 13東京都渋谷区 日本の旗 日本
しんせんかいしようふんかけいしゆつ/ 深圳海上世界文化芸術中心 2017年 深圳市 中華人民共和国の旗 中国
とうけんはくふつ/ 刀剣博物館 2017年 13東京都墨田区 日本の旗 日本
主な作品・外観画像

進行中のプロジェクト[編集]

構想・都市計画[編集]

  • 新宿副都心ターミナル再開発(大高正人・ミド設計研究所と) 1960年
  • サンフランシスコ再開発競技設計案 1961年
  • 堂島再開発計画 1961年
  • ローゼンバーグ部庭園計画・ボストン 1966年
  • 後楽園総合開発計画 1967年-1968年
  • 立正大学熊谷キャンパス総合計画 1965年-1967年
  • 環境整備計画(大阪府高石市) 1967年
  • 羽衣駅周辺都市改造事業計画(大阪府高石市) 1968年
  • 百草団地センター 1968年-1969年
  • ウィーン国際会議場・国連事務機構都市国際設計競技応募案・群造形 1969年
  • 国連ペルー低所得者層集合住宅国際指名競技設計 1969年
  • 泉北大蓮公園計画(大阪府堺市) 1969年
  • 横浜市海の公園基本構想 1969年-1970年
  • 小田原駅前再開発計画の協力 1970年
  • ボストン市交通網計画
  • 筑波大学キャンパス計画

著作・作品集[編集]

  • 見えがくれする都市(SD選書:鹿島出版会) 
    日本の都市・建築の「奥」について述べている。槇事務所スタッフの若月幸敏、大野秀敏高谷時彦[注釈 4]も一章ずつ執筆している。
  • 記憶の形象(筑摩書房ちくま学芸文庫
  • 槇文彦(新建築社JAの作品集)
  • 現代の建築家槇文彦 1~4(鹿島出版会) 
    4でのヒルサイドテラスの特集では、槇が隅入りや円柱について述べている。当時は進行中のプロジェクトであったテレビ朝日なども掲載されている。
  • 槇事務所のディテール(鹿島出版会)
  • ヒルサイドテラス+ウエストの世界(鹿島出版会)
  • 建築から都市を、都市から建築を考える(岩波書店) 聞き手松隈洋
  • 漂うモダニズム(左右社)
  • 残像のモダニズム(岩波書店
  • アーバニズムのいま(SD選書:鹿島出版会)

その他[編集]

  • 山本圭介元倉眞琴栗生明高谷時彦などは槇総合計画事務所の出身である。コンペの審査員などでは、東京国際フォーラム公開コンペの審査委員長などを務めた。
  • 槇事務所は現在、ヒルサイドウエストにある。
  • 富永譲長谷川逸子伊東豊雄など1960年代に大学を卒業した建築家たちを、主を持たず、権力も求めない野武士に例えたこと[10]でも知られる。
  • 2010年(平成22年)にフランスから公表されたスイスのHSBCプライベート銀行からリークされた顧客情報[11]に1987年(昭和62年)からの顧客として名前があがっていた。

新国立競技場関連[編集]

槇は、国立競技場のザハ案の建設計画に早くから 反対してきた[注釈 5]

槇グループとしては、大野秀敏中村勉元倉眞琴山本圭介古市徹雄らも反対活動に加わった[14]。なお、槇も2012年(平成24年)の国際デザインコンペの応募資格を満たしていたが、応募しなかった。逆にほぼ著名建築家しか応募できないという条件への疑問、そして第一には敷地が広くないところでその10倍の施設をつくるという設計条件をミスマッチだと直感的に感じたためと述べている[15]。「コンペへの不参加声明を出して、メッセージを出してもよかったのでは」という意見[注釈 6]もあった[16]

2015年(平成25年)7月のザハ・ハディド案の白紙化決定後も、縮小案を提案するなど活動している。8万人でなく、5万 - 6万人規模を推奨する理由として、立地上、災害などで避難誘導するのは難しいと述べている[17]。ただし同月、やり直しとなる国際コンペへ参加することは「'これまで『こうであってはいけない』ということを言い続けてきた。新国立が『こうであるべきだ』とは言うつもりはない」と強く否定して、その審査委員の依頼があっても受けないが口は出すという無責任な姿勢を示した[18]。マスコミが費用面で批判していたが世論受けは良くなく、建築家のヒエラルキートップの槇が反対表明してから他の日本人建築家らが反対しだしたことで世論も白紙撤回支持になったことから、反対表明に加わった建築家曰く「槇さんが反対表明していなかったら、粛々とザハ案で建設された」と語られている[19]。その後、ラグビーワールドカップ2015で奮闘したラグビー日本代表チームを受けてマスコミと世論は手のひら返しで撤回のせいでラグビーワールドカップ2019に確実に間に合わなくなったことを後悔したり、費用対効果を無視してザハ案の必要性に無知だったと反省の声が溢れた。間に合わせろとの報道をし出した日本のマスコミの無責任さを追及する声もあがるなど白紙撤回に反対していたスポーツ関係者から非難の声が上がっているなど反対活動の正当性が疑われている[20][21]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本人で2人目[4]
  2. ^ 世界で4人目[4]
  3. ^ 通称、みやまコンセール。
  4. ^ 後者2名については現在は独立。
  5. ^ 2013年(平成25年)8月の論文[12][13]
  6. ^ 高崎正治

出典[編集]

  1. ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “坪井みどり”. HMV&BOOKS online. 2022年8月31日閲覧。
  2. ^ JP_NAOMI MAKI” (英語). kmdw. 2022年8月31日閲覧。
  3. ^ 槇 哲(読み)マキ アキラ コトバンク
  4. ^ a b 「みどりの森に音楽の響き 「みやまコンセール」きょう開館」『南日本新聞』、1994年7月22日、朝刊、13-14面。
  5. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月20日閲覧。
  6. ^ 平成25年度 文化功労者”. 文部科学省 (2013年11月3日). 2019年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月30日閲覧。
  7. ^ 第3回 日本建築家協会25年賞 (2000年度)日本建築家協会http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2000/main.htm 
  8. ^ 第11回 日本建築家協会25年賞 (2011年度)』日本建築家協会http://www.jia.or.jp/member/award/25years/2011/main.htm 
  9. ^ 槇文彦案がインド新州都の国際コンペで最優秀」日経アーキテクチュア、2016年3月30日。
  10. ^ 槇文彦「総合建築時評:平和な時代の野武士達」『新建築』第54巻第11号、新建築社、1979年10月、195-206頁。 
  11. ^ Explore the Swiss Leaks Data」International Consortium of Investigative Journalists。
  12. ^ 新国立 計画白紙 国動かした建築家の一念」『東京新聞』、2015年7月18日。オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ 槇文彦「志をもった建築を目指して」『JIA MAGAZINE』第306号、日本建築家協会、2014年8月15日、17頁、2023年3月22日閲覧 
  14. ^ 低いキールアーチ構造がコスト高、長工期の原因である」神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会、2015年5月29日。
  15. ^ 新国立競技場を問うシンポ、槇氏の問題提起受け10月11日に〈追加情報あり〉」日経クロステック、日経BP社、2013年9月17日。
  16. ^ 【金曜討論】「新国立競技場案」 五十嵐太郎氏「ランドマークになりうる」、高崎正治氏「あの場所には大きすぎる」」『産経ニュース』、2013年10月11日。オリジナルの2017年8月17日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ 東京五輪:槙氏「新国立競技場は5万〜6万人規模に」訴え」『毎日新聞』、2015年8月6日。オリジナルの2015年11月13日時点におけるアーカイブ。
  18. ^ 槙文彦氏 新国立競技場の審査委員は「やらないよ」」日刊スポーツ、2015年7月30日。
  19. ^ 迷走する新国立競技場。ザハ案になぜ決まり、白紙撤回されたのか」スポルティーバ、集英社、2015年12月1日。
  20. ^ 「やはりラグビーW杯に新国立競技場を間に合わせよう」という素朴な暴論に飛びつく前に”. アスリートナレッジ. 2018年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
  21. ^ 小浦大生「ラグビー活躍で新国立建設にエール」『NEWSポストセブン』、2015年10月14日。オリジナルの2015年10月16日時点におけるアーカイブ。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]