松永幹夫

松永幹夫
第84回優駿牝馬(オークス)パドック
(2023年5月21日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県合志郡西合志町
(現・熊本県合志市
生年月日 (1967-04-10) 1967年4月10日(57歳)
身長 162cm(騎手引退年)
体重 49kg(騎手引退年)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 栗東山本正司(1986年 - 引退)
初免許年 1986年3月1日
騎手引退日 2006年2月28日
重賞勝利 69勝(中央54勝、地方交流15勝)
G1級勝利 11勝(中央6勝、地方交流5勝)
通算勝利 12416戦1400勝(中央)
143戦28勝(地方)
2戦0勝(国外)
調教師情報
初免許年 2006年(2007年開業)
重賞勝利 39勝(中央22勝、地方交流14勝、国外3勝)
G1級勝利 7勝(中央6勝、地方交流1勝)
通算勝利 4729戦484勝(中央)
経歴
所属 栗東T.C.(2006年 - 現在)
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松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する元騎手、現調教師熊本県合志市(旧・菊池郡西合志町)出身[1]

1986年に騎手デビュー。同年最多勝利新人騎手となるなど早くから頭角を現す。1991年にイソノルーブル優駿牝馬(オークス)GI競走を初制覇したことをはじめとして牝馬限定競走で顕著な成績を挙げ、「牝馬の松永」の異名を取った。また、1980年代後半に勃興した第2次競馬ブーム期にあっては、端正な容姿と相俟って多くの女性ファンを獲得し、「ミッキー」の愛称と共にアイドル的な人気を博した[2]。騎手通算成績は12607戦1428勝、うちGI競走11勝を含む重賞69勝(地方競馬成績含む)。

2007年より調教師に転身。GI・JpnIに優勝した管理馬には2009年の秋華賞優勝馬レッドディザイア、2019・2020年エリザベス女王杯連覇などGI・4勝を挙げたラッキーライラックなどがいる。2015年度JRA優秀技術調教師

経歴[編集]

デビューまで[編集]

1967年、熊本県西合志町に生まれる[1]。県の畜産試験場に勤務していた父親が馬好きだったことから、幼少の頃より父親に連れられて近郊の荒尾競馬場を訪れ、また同じ九州出身の騎手吉永正人の活躍などに触れて、将来の目標に騎手を志した[1]。中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第2期生として入学。同期には横山典弘熊沢重文らがいる[1]。1期下には後に中央競馬の通算最多勝利記録を樹立する武豊がいたが、武は先輩である松永の様子を見て「あの人は勝ちまくるだろう」と考えていたという[3]。卒業後は栗東トレーニングセンター山本正司厩舎に所属。以後松永は引退まで山本厩舎に所属を続ける[4]

騎手時代[編集]

2000年エリザベス女王杯
(騎乗馬:ファレノプシス

1986年3月1日に騎手デビュー。同23日に騎乗馬ツルマイスワローで初勝利を挙げる[5]。初年度は夏の北海道開催から成績を伸ばし始め[6]、新人としては加賀武見の58勝(1960年)、小屋敷昭の41勝(1981年)に次ぐ史上3位の記録(当時)となる40勝を挙げて関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)を受賞した[5]。3年目の1988年9月、サザンビーナスで函館3歳ステークスを制し、重賞初勝利を挙げる[7]。以後も順調に成績を上げ、翌1989年には初出場したワールドスーパージョッキーズシリーズに優勝[8]。年間では88勝を挙げ、武豊に次ぐ関西2位(全国4位)を記録した[9]。この頃、松永と武は関西の女性ファンの人気を二分し[10]、特に京都競馬場では入場人員が14年ぶりに10万人を突破するという集客効果ももたらした[11]

1991年、松永はイソノルーブルとのコンビで牝馬クラシック戦線に臨む。クラシック初戦・桜花賞では1番人気に支持されたが、スタート前に馬の右前脚の蹄鉄が外れ(イソノルーブル落鉄事件)、再装着できないまま発走した結果、5着に敗れた[12]。この出来事に松永はかつてなく落胆したが[12]、二冠目の優駿牝馬(オークス)で桜花賞の雪辱を果たし、デビュー6年目でGI初制覇を果たした[13]。これは逃げきりでの勝利であったが、松永は勝因について「桜花賞でのアクシデントで、イソノルーブルという馬は、馬場に出たら蹄鉄の履き替えもさせない気性の激しい馬だというイメージができあがっていたと思う。ほかの馬に乗っていた騎手にもそのイメージはあったはず。イソノルーブルが逃げても、どうせ引っかかって自滅する、そう見られていたので、楽に逃がしてもらえたのでしょう」と述べ、「桜花賞の落鉄があったから、オークスは勝てたのだと思う」としている[13]

1996年3月には、重賞勝ち馬ゼネラリストの調教に臨む際に落馬し、同馬に腹部を蹴られて左腎臓の半分の摘出しなければならなくなる重傷を負った[14]。しかし秋には復帰すると、ファビラスラフインで当年新たな牝馬三冠最終戦として創設された秋華賞を制してGI2勝目を挙げた[14]。翌1997年にはキョウエイマーチに騎乗して桜花賞を制し、オークス、秋華賞と合わせ、騎手として嶋田功河内洋に次ぐ史上3人目の「牝馬三冠」を達成[15]。年間では自己最高となる101勝を挙げ[7]、全国3位を記録した[16]

2000年にはチアズグレイスで桜花賞2勝目を挙げたほか、秋には古牝馬混合競走のエリザベス女王杯で、これを最後に引退が決まっていた二冠牝馬ファレノプシスに騎乗、自身が「ジョッキーとして会心のレース」と語る好騎乗で勝利に導き、同時に騎手として史上初の「牝馬四冠」も達成した[12]。また同年8月27日には、騎手として史上15人目となるJRA通算1000勝を達成している[17]

2000年代には、所属する山本厩舎の管理する馬でも活躍し、レギュラーメンバーカネツフルーヴに騎乗して地方交流路線のGI競走を制した[7]ほか、2005年には牝馬ヘヴンリーロマンスに騎乗し、中央競馬発足後初の天覧競馬となった天皇賞(秋)に優勝。所属厩舎での中央GI初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬による天皇賞制覇に加え、3連単の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった[18]競走後にはスタンドで観戦する天皇皇后に向かい、松永がヘルメットを胸に抱えて馬上から最敬礼を行った[19]。ライターの片山良三は、「立ち居振る舞いに華がある松永だったからこそ最高の絵になった」とこれを評している[12]

同年、2006年度の調教師免許試験の受験が報じられ[4]、これに合格したことから38歳で騎手を引退した[2]。師匠の山本が翌年に70歳で定年引退を迎えるため、これに合わせての引退という見方があったが、松永によればそれは理由の一つに過ぎず、最大の理由は自らの技術の衰えと、それに伴う騎乗依頼馬の質の低下にあったという[20]。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・阪急杯ブルーショットガンに騎乗し、出走15頭中単勝11番人気という評価を覆し勝利。重賞最終騎乗での勝利は、1975年に目黒記念を勝った野平祐二以来2人目の記録であった[21]。さらに続く最終12競走もフィールドルージュで勝利。最後の騎乗でJRA通算1400勝を達成し、有終の美を飾った[21]。引退式で挨拶に立った松永は、今日1日は、自分のところに競馬の神様が降りてきてくれたような気がします」などと述べた[21]

なお、松永は引退までに中央競馬のGI競走で6勝を挙げたが、そのうち5勝が牝馬限定戦で、唯一の混合戦である天皇賞(秋)も牝馬によるものだった。騎手時代に牝馬限定GIで未勝利の競走は、阪神ジュベナイルフィリーズのみである。このように牝馬限定重賞で活躍することが多いため「牝馬の松永(ミキオ)」と呼ばれることがあった[18][2]。一方で松永自身は「牝馬に強い、と言われるのは牡馬で勝っていないからそう言われるだけで、うれしくはありません。だって、牡馬でもチャンスはあったんですから」と述べている[12]

調教師時代[編集]

騎手引退後は師の山本のもとで技術調教師(研修中の状態)として過ごし、うち1カ月間は森秀行厩舎でも学んだ[20]。2007年2月で引退した山本の後を継ぎ、3月1日に厩舎を開業[22][23]。管理馬の初出走は3月4日、阪神競馬第8競走のダノンシャトルで5着[24]。初勝利は同年3月25日中京競馬第7競走のアグネススピリッツで[24]、騎手は松永と同期の横山典弘だった[25]

2009年8月2日、ダンスアジョイ小倉記念に勝ち、馬ともども重賞初制覇[26]。騎手時代に重賞勝ちがなかった小倉競馬場での達成となった[26][20]。同年10月18日、レッドディザイア秋華賞で勝利。騎手時代にファビラスラフインで制した競走で、調教師としてのGI初制覇を果たした[27][20]。同馬は翌2010年3月にアラブ首長国連邦・ドバイで行われたマクトゥームチャレンジラウンドIII(G2)を制し、日本国外の重賞初勝利も挙げている[28]

2014年12月13日、中山大障害レッドキングダムが優勝し、JRA障害GIレースで初勝利した[29]

2015年には年間284回の出走で重賞6勝を含む44勝、勝率1割5分5厘、獲得賞金9億4249万7000円という成績を残し、1馬房あたりの成績から決定される優秀技術調教師のタイトルを獲得。調教師としてJRA賞(年度表彰)を初受賞した[30]

2017年にデビューしたラッキーライラックは3連勝で12月10日に行われた阪神ジュベナイルフィリーズを制覇、JRA最優秀2歳牝馬のタイトルも獲得した。

翌2018年もラッキーライラックは始動戦のチューリップ賞を制覇したが、クラシック戦線では3冠牝馬アーモンドアイに敗れ、結局この年はG1タイトルを手に入れられなかった。

2019年、春シーズンはヴィクトリアマイルで1番人気に支持されるなどしたが1勝も挙げられずにもがいた。しかし、秋には鞍上にC.スミヨンを迎えたエリザベス女王杯で優勝、1年11ヶ月ぶりのG1タイトルを手にした。

2020年、ラッキーライラックが大阪杯を制覇、秋には前年に続きエリザベス女王杯を連覇した。

2021年6月20日、札幌競馬第5Rで管理馬のグランアプロウソが1着となり、JRA通算400勝を達成した[31]

人物[編集]

騎手時代から「爽やか、穏やかで人間味のある人物」との評があり[32]、松永を慕う者は一般ファンのみならず厩舎関係者、マスコミ関係者にも多かったという[33]河内洋が引退してから自身が引退するまでの3年間は日本騎手クラブ関西支部長を務めたが[4]、河内は「僕がジョッキーをしているときから真面目で人当たりのいい男だった。僕が乗り役を引退した後、関西騎手クラブの会長を次いでくれたのは自然の流れだっただろう」と述べている[33]

フリーランスになる騎手が増えていった時代にあって、デビューから20年間、山本正司厩舎を離れることがなかった。松永は自身の騎手人生について「山本先生のおかげでこれだけ勝たせていただいたと思います。よその厩舎だったら、こんなに勝てなかったと思います[4]」「よその厩舎に騎乗馬がいると、うちの馬の予定をずらしてまで『乗れ』と言ってもらえた。そんな先生、いませんよね[20]」と、その後援態勢についての感謝の念を述べている。一方で山本は松永の騎乗ぶりについては厳しく監督し、またB級馬の依頼を受けたあとにA級馬の依頼があったとしても、最初の依頼を反故にし信用を失うことのないよう言い含めていたともいう[20]。松永は調教師転身に当たり、「機会があれば騎手を育ててみたい。ただ、山本先生みたいにはできない」とした[4]。それは成績が管理馬房数に直結するメリット制があるため「弟子を育てる前に自分が苦しくなる」からだといい、「これからはやりたくてもできないですよ。(中略)昔の環境でも、なかなかできないですよ。だから、感謝しています」と述べた[4]

騎手成績[編集]

GI・JpnI競走勝利

重賞競走勝利

開催 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
中央 1400 1272 1208 12416 .113 .215
地方 28 25 16 143 .196 .371
国外 0 0 0 2 .000 .000
総計 1428 1297 1224 12561 .114 .217
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順 出典
初騎乗 1986年3月1日 1回阪神3日1R 4歳未勝利 インターアビリティ 13頭 7 12着 [45]
初勝利 1986年3月23日 2回阪神2日7R 5歳上900万下 ツルマイスワロー 10頭 2 1着 [45]
重賞初騎乗 1986年8月17日 1回函館6日9R 函館記念 トーホウカムリ 12頭 4 2着 [7][46]
重賞初勝利 1988年9月25日 2回函館8日9R 函館3歳S サザンビーナス 11頭 3 1着 [7][47]
GI初騎乗 1987年4月12日 2回阪神6日10R 桜花賞 オカノアスティー 18頭 11 10着 [7][48]
GI初勝利 1991年5月19日 3回東京2日10R 優駿牝馬 イソノルーブル 20頭 4 1着 [7][49]
勝利数 騎乗数 勝率 表彰
1986年 40 352 .114 関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)
1987年 44 455 .097 優秀騎手賞(勝利度数部門)
フェアプレー賞
1988年 61 556 .110
1989年 88 596 .148 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
1990年 53 535 .099
1991年 79 633 .125 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1992年 60 562 .107 フェアプレー賞
1993年 65 595 .109 フェアプレー賞
1994年 73 614 .119 フェアプレー賞
1995年 88 646 .136 優秀騎手賞(勝利度数部門)
1996年 24 316 .076
1997年 101 662 .153 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)
1998年 90 730 .123 フェアプレー賞
1999年 70 689 .102 フェアプレー賞
2000年 99 782 .127 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門)
フェアプレー賞
2001年 93 769 .121 フェアプレー賞
2002年 63 739 .085
2003年 68 710 .096
2004年 83 728 .114 フェアプレー賞
2005年 48 653 .074
2006年 10 94 .106
中央 1400 12416 .113
1989年 0 1 .000
1996年 2 4 .500
1997年 3 17 .176
1998年 3 19 .158
1999年 1 18 .056
2000年 2 10 .200
2001年 7 20 .350
2002年 3 13 .231
2003年 4 17 .235
2004年 2 18 .111
2005年 1 5 .200
2006年 0 1 .000
地方 28 143 .196
国外 2 .000
  1. 出典:日本中央競馬会公式サイト・引退騎手名鑑「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
  2. 競走名太字はGI競走。

調教師成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順 出典
初出走 2007年3月4日 1回阪神4日8R 4歳上500万下 ダノンシャトル 14頭 3 5着 [24]
初勝利 2007年3月25日 1回中京8日7R 4歳上500万下 アグネススピリッツ 11頭 3 1着 [24]
重賞初出走 2007年3月11日 1回阪神6日11R フィリーズレビュー ハギノルチェーレ 16頭 5 3着
重賞初勝利 2009年8月2日 2回小倉6日10R 小倉記念 ダンスアジョイ 18頭 16 1着 [26]
GI初出走 2007年4月8日 2回阪神6日11R 桜花賞 ハギノルチェーレ 18頭 11 8着
GI初勝利 2009年10月18日 4回京都4日11R 秋華賞 レッドディザイア 18頭 2 1着 [27]
開催 勝利数 出走数 勝率 重賞勝利馬(勝利競走) 表彰
2007年 中央 16勝 175回 .090  
地方 3勝 6回 .500
19勝 123回 .104
2008年 中央 16勝 287回 .056  
地方 1勝 6回 .167
17勝 293回 .058
2009年 中央 26勝 286回 .091 ダンスアジョイ(小倉記念)
サンダルフォン(北九州記念)
レッドディザイア秋華賞
地方 2勝 8回 .250
28勝 295回 .095
2010年 中央 33勝 291回 .113 レッドディザイア(マクトゥームチャレンジラウンド3
セレスハントサマーチャンピオン[50]
地方 4勝 10回 .400
国外 1勝 4回 .250
35勝 305回 .125
2011年 中央 19勝 241回 .079 セレスハント(東京スプリント[51]
地方 4勝 16回 .250
23勝 257回 .089
2012年 中央 24勝 268回 .090 フラガラッハ(中京記念)
セレスハント(北海道スプリントカップ[52]
地方 2勝 10回 .200
26勝 278回 .094
2013年 中央 19勝 263回 .072 フラガラッハ(中京記念)
セレスハント(北海道スプリントカップ[53]
地方 2勝 14回 .143
21勝 277回 .076
2014年 中央 38勝 288回 .132 レッドキングダム中山大障害
地方 1勝 10回 .100
39勝 298回 .131
2015年 中央 41勝 279回 .147 ヴァンセンヌ(東京新聞杯)
アムールブリエエンプレス杯[54]ブリーダーズゴールドカップ[55]名古屋グランプリ[56]
アウォーディー(シリウスステークス)
サナシオン東京ハイジャンプ
JRA賞優秀技術調教師
優秀厩舎賞(関西)1位
地方 3勝 5回 .600
44勝 294回 .155
2016年 中央 26勝 238回 .109 サナシオン(阪神スプリングジャンプ
アウォーディー(名古屋大賞典アンタレスステークス日本テレビ盃JBCクラシック[57]
アムールブリエ(エンプレス杯[58]
ラニUAEダービー[59]
優秀厩舎賞(関西)4位
地方 6勝 11回 .545
国外 1勝 4回 .250
33勝 253回 .130
2017年 中央 21勝 257回 .082 ラッキーライラックアルテミスステークス阪神ジュベナイルフィリーズ)
地方 0勝 4回 .000
国外 0勝 3回 .000
21勝 264回 .080
2018年 中央 35勝 261回 .134 ラッキーライラック(チューリップ賞)

ジェニアルメシドール賞

地方 1勝 5回 .200
国外 1勝 5回 .200
37勝 271回 .137
2019年 中央 42勝 293回 .143 リオンリオン青葉賞セントライト記念)
グルーヴィット(中京記念)
ラッキーライラック(エリザベス女王杯)
優秀厩舎賞(関西)5位
地方 0勝 2回 .000
42勝 293回 .142
2020年 中央 27勝 287回 .094 ラッキーライラック(大阪杯エリザベス女王杯)

モントライゼ京王杯2歳ステークス

地方 0勝 6回 .000
海外 0勝 1回 .000
27勝 294回 .092
2021年 中央 28勝 318回 .088
地方 0勝 5回 .000
28勝 323回 .087
2022年 中央 40勝 351回 .114 ギルデッドミラー武蔵野ステークス
地方 0勝 0回
40勝 346回 .114
2023年 中央 31勝 329回 .094
地方 1勝 7回 .143
32勝 336回 .095
2024年 中央 マテンロウスカイ中山記念
地方
  1. 出典:日本中央競馬会公式サイト・調教師名鑑「松永幹夫」。掲載されていない情報については個別に出典を付す。
  2. 競走名太字はG1またはJpn1競走。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 木村(1998)pp.204-212
  2. ^ a b c 競馬の神様に愛された男 松永幹夫”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
  3. ^ 島田(1997)pp.131-141
  4. ^ a b c d e f 『優駿』2006年4月号、pp.44-46
  5. ^ a b 『優駿』1987年2月号、p.176
  6. ^ 『優駿』1987年2月号、p.38
  7. ^ a b c d e f g 特別企画 松永幹夫騎手 引退メモリアル”. 競馬道Online. 競馬ブック. 2015年6月13日閲覧。
  8. ^ 『優駿』1990年1月号、p.33
  9. ^ 『優駿』1990年2月号、p.121
  10. ^ 『優駿』1989年6月号、pp.82-85
  11. ^ 『優駿』1990年1月号、p.68
  12. ^ a b c d e 『Number』738号、pp.38-41
  13. ^ a b 『優駿』1991年7月号、pp.33-34
  14. ^ a b 木村(1998)pp.384-389
  15. ^ 『優駿』1997年6月号、p.149
  16. ^ 『優駿』1998年2月号、p.156
  17. ^ 『優駿』2000年10月号、p.71
  18. ^ a b 『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。
  19. ^ 『優駿』2005年12月号、pp.4-5
  20. ^ a b c d e f 『優駿』2009年12月号、pp.38-43
  21. ^ a b c 『優駿』2006年4月号、p.56
  22. ^ “東西で7調教師、明日厩舎開業”. ラジオNIKKEI. (2007年2月28日). http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-140019.html 2015年6月13日閲覧。 
  23. ^ The G-Files 060 松永幹夫騎手 現役最終日の重賞勝利 勝利の美酒をともに ブルーショットガン”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
  24. ^ a b c d 2015年6月13日現在。JRA調教師調教師情報「ま行」→「ま」→「松永 幹夫」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
  25. ^ “松永幹夫調教師がJRA初勝利!”. ラジオNIKKEI. (2007年3月25日). http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-140415.html 2015年6月13日閲覧。 
  26. ^ a b c “松永幹師ダンスで重賞初V/小倉記念”. 日刊スポーツ. (2009年8月3日). https://web.archive.org/web/20090803215005/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20090803-526540.html 2015年6月13日閲覧。 
  27. ^ a b 【秋華賞】(京都)~レッドディザイア 激戦制してブエナに雪辱 - ラジオNIKKEI 2009年10月18日(2015年3月22日閲覧)
  28. ^ 『優駿』2010年11月号、pp.76-79
  29. ^ 【中山大障害(J・GI)】(中山)~ディープインパクト産駒レッドキングダムがGI初制覇 - ラジオNIKKEI 2014年12月20日(2015年3月22日閲覧)
  30. ^ 『優駿』2016年2月号、p.66
  31. ^ 松永幹夫調教師、JRA通算400勝達成 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年6月20日閲覧。
  32. ^ 木村(1998)pp.383-390
  33. ^ a b 『優駿』2006年4月号、pp.28-29
  34. ^ 『優駿』2001年3月号、p.144
  35. ^ 『優駿』2001年12月号、p.146
  36. ^ 『優駿』2002年8月号、p.138
  37. ^ 『優駿』2003年3月号、p.145
  38. ^ 『優駿』1997年12月号、p.131
  39. ^ 『優駿』1998年2月号、p.133
  40. ^ 『優駿』1998年12月号、p.132
  41. ^ 『優駿』2001年11月号、p.152
  42. ^ 『優駿』2002年2月号、p.151
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  44. ^ 『優駿』2004年12月号、p.75
  45. ^ a b 引退騎手情報 松永 幹夫 (マツナガ ミキオ)”. JRA. 2015年6月13日閲覧。
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  47. ^ 第20回函館3歳ステークス(G3)”. netkeiba. 2015年6月13日閲覧。
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  50. ^ 『優駿』2010年10月号、p.119
  51. ^ 『優駿』2011年6月号、p.163
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  54. ^ “2015年3月4日(水)13回川崎3日”. JBISサーチ. (2016年3月26日). http://www.jbis.or.jp/race/result/20150304/221/11/ 2016年6月11日閲覧。 
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  59. ^ “ラニが日本調教馬初のV! ユウチェンジも3着に/UAEダービー”. netkeiba.com. (2016年3月26日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=108622 2016年3月27日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4896912985
  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 稀代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)ISBN 4087831094
  • 『優駿』1989年6月号(日本中央競馬会、1989年)
    • 「杉本清の競馬談義#51 松永幹夫騎手」
  • 『優駿』1990年1月号(日本中央競馬会、1989年)
    • 「杉本清の競馬談義#58 幡新洋介理事」
  • 『優駿』2005年12月号(日本中央競馬会、2005年)
    • 「天皇皇后両陛下が東京競馬場へ行幸啓される」
  • 『優駿』2006年4月号(日本中央競馬会)
    • 「CLOSE UP 06年度新規調教師&騎手 松永幹夫・岩田康誠」
    • 「杉本清の競馬談義#251 松永幹夫調教師」
  • 『2007年プロスポーツ年鑑』(財団法人日本プロスポーツ協会、2007年)ISBN 978-4-9901009-6-4
  • 『Sports Graphic Number(738)』(文藝春秋、2009年)
    • 片山良三「松永幹夫と名牝物語」
  • 『優駿』2009年12月号(日本中央競馬会、2009年)
    • 河村清明「松永幹夫 試行錯誤、その先に待つもの」
  • 『優駿』2010年11月号(日本中央競馬会、2010年)
    • 「杉本清の競馬談義#306 松永幹夫調教師」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]