松本烝治

松本 烝治まつもと じょうじ
生年月日 (1877-10-14) 1877年10月14日
出生地 日本の旗 日本 東京府
没年月日 (1954-10-08) 1954年10月8日(76歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学卒業
第一高等学校卒業
前職 商法学者
南満州鉄道副総裁
称号 勲一等旭日大綬章
法学博士
親族 松本荘一郎(父)
田中耕太郎(女婿)

日本の旗 国務大臣
(憲法問題調査委員会委員長)
内閣 幣原内閣
在任期間 1945年10月9日 - 1946年5月22日

日本の旗 第10代商工大臣
内閣 齋藤内閣
在任期間 1934年2月9日 - 1934年7月8日

日本の旗 貴族院議員
選挙区 (勅選議員)
在任期間 1924年1月2日 - 1946年6月25日

内閣 第2次山本内閣
在任期間 1923年9月2日 - 1924年1月7日
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松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年10月14日 - 昭和29年(1954年10月8日)は、日本法学者。専門は商法東京府士族[1]学位法学博士[1]。戦後、憲法草案(松本試案)を作成したことで知られる。松本荘一郎の子。岡野敬次郎に師事[2]。弟子に田中耕太郎田中誠二など。

来歴[編集]

日本全国に鉄道を敷設することに尽力した松本荘一郎の長男[1]として東京府に生まれる。

1888年(明治21年)に高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1894年に高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。旧制一高を経て、東京帝国大学卒業。帝大ではマラソン選手として著名であった[3]

農商務省参事官を経て帝大に戻り1903年(明治36年)に助教授となる。

その後1906年から09年(明治39–42年)にかけてヨーロッパへ留学し、帰国後の1910年(明治43年)に東京帝大教授となる。

1919年(大正8年)に満鉄理事に就任、副総裁を務めた後、1923年(大正12年)に第2次山本内閣法制局長官を務めた。1924年(大正13年)1月2日に貴族院勅選議員に勅任される[4]1946年6月25日まで在任[5])。また、帝国学士院会員に選ばれる。さらに、この年関西大学学長に就任し、1928年(昭和3年)まで務めた。1934年(昭和9年)に斎藤内閣商工大臣を務めた。

1945年(昭和20年)に幣原内閣が成立すると、憲法改正担当の国務大臣として入閣、自ら中心となって憲法草案(松本試案)を作成した。しかし、作成した草案の内容が保守的すぎるとして、GHQに却下された。1946年(昭和21年)、満鉄監事を理由に公職追放となった[6]

その後は学究活動の傍ら、米国のローファームのような企業法務専門の法律事務所を日本にも根付かせたいと考えて、日本工業倶楽部ビル内に松本烝治法律事務所を開設[7]、幾つもの会社で顧問弁護士監査役を務めた。晩年には東京交響楽団設立委員会会長も務めた。

1954年10月8日午前11時頃、東京高等裁判所民事第一号法廷で弁護人として弁論終了後、廊下の椅子で休憩していたところ脳溢血により意識不明となった。駆け付けた医師により裁判所の廊下で手当てを受けたものの、意識が回復しないまま同日午後7時過ぎに死亡した[8]

死去に際して勲一等旭日大綬章を追贈される。墓所は東京の多磨霊園。影響を与えた弟子に女婿の田中耕太郎、孫弟子に鈴木竹雄などの商法学者がいる。友人の一人に柳田国男がおり、柳田の「故郷70年」によると、1911年に松本の誘いで二人は旅にでて、南方熊楠宅を訪れている。

人物[編集]

趣味は自転車読書。自転車は健康法の一つとして数十年間にわたり乗り続けた。読書の対象はコナン・ドイル江戸川乱歩などの探偵小説も含まれていた[9]

家族・親族[編集]


関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 長次郎は日本近代製鉄の礎を築いた釜石製鉄所初代所長・横山久太郎の長男で、欧州留学中の烝治のもとを従兄弟の田中長一郎と共に訪れている[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下マ一六九
  2. ^ 田中耕太郎「岡野敬次郎先生の人と業績」”. ndlonline.ndl.go.jp. 2023年7月17日閲覧。
  3. ^ 長井善三 1921.
  4. ^ 『官報』第3408号、大正13年1月4日。
  5. ^ 『官報』第5836号、昭和21年6月29日
  6. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、328頁。NDLJP:1276156 
  7. ^ 岡田錫淵「松本烝治法律事務所の由来」『ジュリスト』1155号 (1999年)
  8. ^ 「松本烝治博士急逝 東京高裁で弁論終了後」『日本経済新聞』昭和29年10月9日
  9. ^ 所信に強い篤学者、松本新商相『大阪毎日新聞』昭和9年2月9日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p247 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  10. ^ a b c d 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク立風書房、2001年(平成13年)7月5日第1刷発行、472頁 - 483頁、ISBN 4-651-70079-9
  11. ^ a b 日本放送協会 編 『再現ドキュメント 日本の戦後(上)』 日本放送出版協会、1977年(昭和52年)12月10日第1刷発行、64頁
  12. ^ 松本烝治関係文書目録” (PDF). 国立国会図書館憲政資料室. p. 5/101. 2023年2月24日閲覧。
  13. ^ 松本正夫コトバンク
  14. ^ 『現代の系譜: 日本を動かす人々』東京中日新聞出版局、1965、p295
  15. ^ 島家鉄道三代島安次郎・秀雄・隆系図現近代系図ワールド
  16. ^ 『人事興信録』38版下、1995、三田正樹の項
  17. ^ 『再現ドキュメント 日本の戦後(上)』、89頁
  18. ^ a b 三辺 金蔵Bibliographical Database of Keio Economists
  19. ^ NHK. “NHK特集 日本の戦後 第 2回 サンルームの2時間 憲法GHQ案の衝撃 -NHKオンデマンド”. NHKオンデマンド. 日本放送協会. 2023年1月30日閲覧。
参考文献

外部リンク[編集]