松尾君

松尾君(まつおぎみ、天正10年(1582年) - 寛永12年8月27日1635年10月8日))は、安土桃山時代江戸時代前期の女性。戦国武将服部正就正室徳川家康の養女。父は松平定勝

生涯[編集]

戦国武将松平定勝の次女として生まれる。母は奥平貞友の次女・たつ[1]

はじめは自身の祖母である於大の方に侍女として仕え、その後、姉の阿姫と妹の紀為君と共に徳川家康の養女となり、服部正就の正室となる。正就との間には3男(正幸、正辰、正治)を儲けた[2]

また正就との婚姻後、於大の方への返礼のため登城した夫の正就は、家康より秋廣の刀を賜っている[3]

寛永12年(1635年)8月27日、54歳で死去(没日は寛永13年(1636年)8月17日とする説もある)[4]。戒名は嶺松院殿秀誉利誓大姉[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『三代實錄』(1897年、經濟雜誌社)
  2. ^ 服部半蔵正成の家系図と子孫その後”. 言葉の意味と季節の歳時記. 2017年8月28日閲覧。
  3. ^ 『大日本史:札楽志兵志刑法志陰陽志』(1918年吉川弘文館
  4. ^ a b 『松山市史料集 第2巻』(松山市、1987年)p.1011「松山城主久松氏系譜略」