松下元芳

松下 元芳(まつした げんほう、1831年天保2年) - 1870年1月10日明治2年12月9日))は、江戸時代末期(幕末)から明治初期にかけての医師慶應義塾教員福澤諭吉の書簡では「松下芳庵」。名は寿太郎。

経歴[編集]

天保2年(1831年)誕生。筑後国久留米藩に藩医として仕えた。

広瀬淡窓儒学中島泰民蘭学を学び、嘉永7年(1854年)5月に適塾に入り、九代目の塾頭に就任。更に慶応年間に久留米藩から派遣されて江戸に出て、福澤諭吉の慶應義塾に入って学んだ。この江戸滞在時に、鶴田仙庵村田蔵六(大村益次郎)箕作秋坪高橋順益島村鼎甫石井謙道松木弘安(寺島宗則)と交遊した。

その後、江戸医学館の教授となるが、明治2年(1870年)に死去した。

参考文献[編集]