東京市電運転手連続殺傷事件

東京市電運転手連続殺傷事件(とうきょうしでんうんてんしゅれんぞくさっしょうじけん)は、1921年(大正10年)6月3日東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)で発生した大量殺人事件。

事件の発端[編集]

この事件の犯人Rは事件の2年前に東京市電運転手となった朝鮮人だった。在住していた借家の家賃が高かったため、同僚一家を同居させて家賃を分担することになったが、民族の違いによる習慣の違いからか両家は反目しあうようになり、特に犯人の妻と同僚の妻はことあるごとに対立した。

1921年5月29日、Rの妻が手拭が無くなったと言い出して同僚の妻が犯人だと主張し、Rの妻と同僚の妻が言い合いになり大喧嘩になった。この時は近所の住人が仲裁に入り事なきを得たが、翌日もその翌日も喧嘩となり、Rは同僚一家を窃盗傷害淀橋警察署告訴した。

Rは睾丸を締め上げられたと主張したが外傷が認められず、手拭の盗みについても確たる証拠が無いため、警察署でも宥めすかすに留まった。Rは「自分が朝鮮人だから日本の警察も同僚の肩を持って、訴えを聞き入れてくれない」とますます感情を鬱積していった。

事件の概要[編集]

1921年(大正10年)6月3日の夜中、遂にRは殺人を思い立ち、理性を無くすためにを飲み、手始めに同僚一家を殺害した。その後、引き止めようとした自分の妻も殺害し、「自分の上司の一家も皆殺しにする」と叫び、上司一家にも押し入り4人を殺害、1人に重傷を負わせた。その間、通行人にも襲い掛かり5人に重傷を負わせた。最終的には7人を殺害、10人を負傷させるという大量殺傷事件となった。

通報を受けて駆けつけたS巡査を見てRは逃走したが、追跡中にS巡査が転倒したのを見て逆襲に転じ、左肩に重傷を負わせた。しかし更に一撃を加えようと近づいたところで足をすくわれ、抜刀した巡査に「持ち物を全部捨てろ、手向かいすると斬り殺すぞ!」と一喝されたことから、犯人も遂に観念し捕縛された。

東京地方裁判所は、Rに対して無期懲役を言い渡した。

参考文献[編集]

  • 警視庁史編さん委員会 編『警視庁史 大正編』警視庁史編さん委員会、1960年、545-549頁。 NCID BN14748807