| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "本庄時長" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年5月) |
本庄 時長(ほんじょう ときなが、? - 永正6年(1509年))は、戦国時代の武将。本庄房長(三河守)の子。本庄弥次郎、本庄房長(大和守)、本庄盛長、小川長資の父。本庄繁長の祖父にあたる。
揚北衆秩父党の一派本庄氏の当主。臥牛山に本庄城を築城したことで知られる。守護代の長尾為景が守護の上杉房能を倒し下克上すると、竹俣氏、色部氏と共に反抗しこれに抵抗したが、為景方の中条藤資、築地忠基らの攻撃により居城を落とされ降伏、その後に時長は本庄城の支城であった猿沢城に蟄居したが、間もなく没している。この戦いで嫡男の弥次郎を失ったために、時長の後は房長が継いでいる。