時報イーグルス

時報イーグルス
会社名 時報育樂股份有限公司
創設 1990年(プロリーグ加入は1993年
解散 1998年
所属リーグ
中華職業棒球聯盟
歴代チーム名

  • 黒鷹棒球隊(1990年 - 1991年)
  • 時報イーグルス(1991年 - 1998年)
本拠地
屏東県立棒球場
屏東県の旗 屏東県
獲得タイトル
リーグ優勝(1回)
1997年前期
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー 余紀忠
運営母体 中国時報集団
監督 李瑞麟(1993-1997前期)
林信彰(1997後期)
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時報イーグルス
各種表記
繁体字 時報鷹
拼音 shíbàoyīng
英文 China Times Eagles
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時報イーグルス(じほうイーグルス、中国語: 時報鷹)は、かつて中華職業棒球聯盟に所属していたプロ野球チーム。

概要[編集]

前身は1990年に結成された「黑鷹棒球隊」であり、翌1991年に中国時報集団の後援を受け、時報鷹隊となった。「暴力鷹」の愛称を持つ。チームカラーは黒色と白色。歴代の監督は李瑞麟及び林信彰中国語版であり、代表的な選手としては「棒球王子(野球王子)」廖敏雄中国語版、「不良」曾貴章中国語版、「神奇小子(マジックマン)」黄裕登中国語版、「盗俠(スチール・ガイ)」張耀騰中国語版が挙げられる。

1997年前期にリーグ優勝したが、翌1998年「黒鷹事件」と呼ばれる野球賭博事件に関連したため解散した[1]。現在も中国時報集団の系列企業である中天電視公司の支援の下、球団在籍者で「時報鷹棒球教練隊」(時報イーグルス野球コーチ団)が組織され活動している[2]

沿革[編集]

  • 1988年 - 鉅聲公司の責任者(負責人)周子玉が「瘋馬大力士趣味棒球隊」を結成する。
  • 1990年 - 周子玉が正式に「黒鷹棒球隊」(ブラックイーグルス)を設立する。
  • 1991年 - 台東農工青棒隊等と提携する。また、甲組球隊の資格を取得する。チームが中国時報に身売りし時報イーグルス(時報鷹隊)となる。
  • 1992年 - ヤクルトスワローズに在籍していた郭建成と契約し、プロ参入の準備を始める。
  • 1993年 - 広島東洋カープと技術交流の契約に合意。中華職業棒球聯盟に加盟、プロ野球に参入する。
  • 1997年 - 前期優勝したが、尤伸評張耀騰中国語版を除く台湾人選手全員が野球賭博に関わっていたため、前期優勝記念パーティーの直後から出場停止の処分を受けた(黒鷹事件)。新規に選手を募集するとともにリーグ参加の他チームから白昆弘中国語版等替わりの選手を受け入れることで後期リーグの日程に参加した。この時に参加した選手を二代鷹と呼ぶ。初参加の台湾シリーズ味全ドラゴンズに2勝4敗で敗れた。シーズン終了後に一年間の参加停止と全ての球団関係者との契約解除が発表された。
  • 1998年9月16日 - 球団が正式に解散した。
  • 2004年10月23日 - 「時報鷹棒球教練隊」が結成された。
  • 2013年10月2日 - 広島東洋カープに所属していた菊地原毅が現役引退表明。これにより時報イーグルスに在籍経験のある選手は全て現役引退した事となった[3]

過去に在籍していた選手[編集]

監督

コーチ

投手

野手

年度別成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

年度 監督 順位 試合数 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 備考
1993 李瑞麟 5 90 36 52 2 .409 18.0
1994 李瑞麟 3 90 46 43 1 .517 18.5
1995 李瑞麟 3 100 49 50 1 .495 13.5
1996 李瑞麟 2 100 56 41 3 .577 4.0
1997 李瑞麟・林信彰 6 96 41 51 4 .446 18.5
合計 476 228 237 11 .490

台湾シリーズ[編集]

日本のプロ野球との関係[編集]

広島東洋カープと技術交流契約を結んでおり、広島球団がドミニカ共和国に設立したカープアカデミー出身の選手を多く受け入れていた。また広島球団在籍中の選手を一時的に移籍させ出場させたりもしており、永射保堀井恒雄福富邦夫がコーチとして、川島堅矢野和哉池田郁夫菊地原毅鈴木健千代丸亮彦が選手として入団した。

脚注[編集]

関連項目[編集]