日産・シルビア

日産・シルビア
5代目 S13型
1988年〜1993年
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1965年-1968年(初代)
1975年-2002年(2~7代目)
ボディ
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル(5代目、7代目)
3ドアハッチバック(3~4代目)
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
テンプレートを表示

シルビアSILVIA)は、日産自動車が1965年から2002年まで生産・販売していたクーペ/コンバーチブル/ハッチバック普通乗用車(2代目及び3代目のクーペは日産では公式には「ハードトップ」と呼称[1][2])。

概要[編集]

初代はダットサン・フェアレディ、2、3代目はサニーをベースとしたスペシャルティカーである。サニーのFF化に伴い、4代目以降は910型系ブルーバードスカイラインローレルなどとコンポーネントを共用しながら、シルビアは生産終了まで一貫してFRレイアウトを採用していた[3][4][5]

3代目と5代目(S13型)は当時のデートカーとして商業的に大ヒットしたことで知られる。また、4代目(S12型)でスポーツカーとしてのポテンシャルが注目を集めるようになり、5代目(S13型)以降のモデルはドリフト走行チューニングカーのベース車種として根強い人気を誇っている。

初代 CSP311型(1965年 - 1968年)[編集]

日産・シルビア(初代)
CSP311型[6]
概要
販売期間 1965年4月 - 1968年6月[6]
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ[6]
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン R型[6] 直列4気筒 1.6L OHV
最高出力 90 ps/6,000 rpm[7]
変速機 4速MT[7]
サスペンション
ダブルウィッシュボーン式[7]
半楕円リジッドリーフ式[7]
車両寸法
ホイールベース 2,280 mm[7]
全長 3,985 mm[7]
全幅 1,510 mm[7]
全高 1,275 mm[7]
車両重量 980 kg[7]
その他
ブレーキ 前:ディスク[7]
後:ドラム[7]
最高速度 165 km/h[7]
テンプレートを表示

1964年(昭和39年)の第11回東京モーターショーに「ダットサン クーペ1500」として出品された。デザインは、当時日産デザイン室に在籍した木村一男が、ドイツ人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツによる助言を採り入れながらデザインしたものとされるが、木村は後に「エクステリアスケッチは1963年3月にはほぼ完成しており、ゲルツと日産の契約(同年5月)よりも前」「ゲルツはクレイモデルをリファインした程度」と語っている[8][9]

木村によれば、本車の開発のきっかけは、1962年のトリノモーターショーに出品された日野・コンテッサ900スプリントが話題になったことだという。当初は1963年の東京モーターショーに出品する予定でヤマハ発動機と共同で開発を行っていたが、そもそも上層部の許可を取らずに開発を行っていたため、開催直前になって当時の川又克二社長から咎められ、同年は出品に至らなかった。しかし川又は木村に「(出品したければ)生産計画を持ってこい」と伝え、これにより事実上社長の許可を得た格好になったため、木村は生産計画を立案し、1964年の出品に至ったという。しかしこの計画立案の過程で、日産とヤマハとの関係が解消されたため、以降の製作は殿内製作所(現在の株式会社トノックス)が請け負う形に変更された[9]

1965年(昭和40年)4月に正式に発売。ダットサン・フェアレディ(SP310型)のシャーシにSUツインキャブ付R型1,600 cc OHVエンジンを載せ、クーペボディを架装して作られた。同社の車種としては初採用のフロントディスクブレーキ、および4速フルシンクロトランスミッションクリスプカットと呼ばれた美しいデザイン、継ぎ目を極力減らしたボディパネルなど意欲作であったが、美しいルックスには不釣合いなタフな乗り心地や120万円という高価格(当時のサニーの2倍に相当)もあり、商業的には成功したとは言えなかった。そのため、1968年(昭和43年)6月に554台[6]のみで生産を終了、一旦は絶版となった。新車販売価格は、119万1000円だった[7]

社団法人自動車技術会の「日本の自動車技術180選」(現・330選)に選出されている[10]。また、トヨタ博物館の3階にも展示されている。

1965年(昭和40年)に最高速度80 km/h、片側三車線の第三京浜道路が全線開通したことに合わせ、国内初のスポーツカー型ハイウェイ・パトロールカーとして神奈川県警察交通機動隊に2台が配備された。この2台は1.8Lエンジンを搭載する特別仕様だった。

2代目 S10型(1975年 - 1979年)[編集]

日産・ニューシルビア(2代目)
S10型
概要
販売期間 1975年10月 - 1979年3月[11]
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 2ドアハードトップ[12]
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン L18 直4 1.8L シングルキャブ
L18E 直4 1.8L インジェクション
最高出力 105PS/6,000rpm(L18)[12]
115PS/6,200rpm(L18E)[12]
最大トルク 15.0kgf·m/3,600rpm(L18)[12]
16.0kgf·m/4,400rpm(L18E)[12]
変速機 3速AT/4速MT/5速MT[12]
サスペンション
マクファーソンストラット式[12]
半楕円リジッドリーフ式[12]
車両寸法
ホイールベース 2,340mm[12]
全長 4,135mm[12]
全幅 1,600mm[12]
全高 1,300mm[12]
車両重量 990kg[12]
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ドラム
最高速度 170km/h(LS Type X 4MT)
テンプレートを表示

2代目シルビアは当初、500cc×2ローターのロータリーエンジンを搭載し、1973年(昭和48年)秋頃の発表が予定されていた[13][出典無効]。しかし直前に勃発した中東戦争によるオイルショックを受け、日産は燃費の悪いロータリーエンジンを搭載しての発売を断念。設計変更を経て、既存のL18型レシプロエンジンを搭載し、2年越しのデビューにこぎつけた。

1975年(昭和50年)10月、A-S10型発売。日本国内の車名は「ニューシルビア」で、エンブレムにも「NEW」の文字が見られる。このエンブレムは最後まで「NEW Silvia」と書かれており[14]、前期型のエンブレムはCSP311型シルビアと同じ字体だった[14]。コンセプトは初代とはうって変わり、北米市場向けの「セクレタリーカー」として開発された。うねりの強いスタイリングから、「ハマグリ」の愛称を持つ。イメージ・キャラクターには、当時人気だった女優シルビア・クリステルを起用していた。

プラットフォームはB210型サニーをベースとしており[注釈 1]、サスペンションはフロントがストラット式、リアがリーフリジッド式を採用している。ハードウエアの面でも初代との繋がりは全くない。

エンジンは、昭和50年排出ガス規制対応のための排ガス対策システムであるNAPSを備えた、シングルキャブレターのL18型(105PS)を搭載。

1976年(昭和51年)5月、NAPSを備えた電子制御式燃料噴射のL18E型(115PS)を搭載したLSEシリーズが追加。従来のキャブ仕様のLSシリーズもそのまま併売され、全車が昭和51年排出ガス規制対応となる。この時からLS・LSEともに型式がB-S11型に変更された。

1977年(昭和52年)8月、マイナーチェンジ。フロントグリルの意匠変更とフロントバンパー四隅へ対衝撃ゴムが配置された後期型へ移行。エンブレムの書体もこの時から新デザインへ変更。最上級グレードであるType Gも設定された。

1977年(昭和53年)9月、専用ツートンカラーにアクセントストライプ、ボディ同色フェンダーミラー、専用シート(綾織生地)、専用バッジなどを装備した限定車「セレクトモデル」を追加設定。

直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に、北米受けを狙った2灯式ヘッドランプやスタイリングは日本の顧客には共感を得られず、国内販売台数は月2,000台ほどと、ライバルのトヨタ・セリカには遠く及ばず不振だった[15]

この世代の北米向けモデルはDatsun 200SXを名乗っており、初めてSXのサブネームが使われた。通称5マイルバンパーと呼ばれる大型バンパーを前後に装着している。

販売終了前月までの新車登録台数の累計は4万8438台[11]

3代目 S110型(1979年 - 1983年)[編集]

日産・シルビア(3代目)
S110型
ハードトップ[2] (1979年3月発売型)
ハッチバック(1979年3月発売型)
ハードトップ[2] (1981年5月発売型)
概要
別名 日産・ガゼール(初代)
販売期間 1979年3月 - 1983年8月[16]
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 2ドアハードトップ[17]
3ドアハッチバック[17]
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン Z18 直列4気筒 1,770 cc
Z18E 直列4気筒
Z18ET 直列4気筒ターボ
Z20 直列4気筒 1,952cc
Z20E 直列4気筒
FJ20E 直列4気筒 1,990cc
(エンジン型式にEがついているものはインジェクション仕様)
変速機 3速AT/4速MT/5速MT[17]
サスペンション
マクファーソンストラット式[17]
4リンクリジッドコイル[17]
車両寸法
ホイールベース 2,400mm[17]
全長 4,400mm[17]
全幅 1,680mm[17]
全高 1,310mm[17]
車両重量 1,105kg[17]
その他
ブレーキ 前:7.5インチマスターパック付ディスク
後:ディスク
データモデル ハードトップ 2000ZSE-X 5速MT(1979年型)
テンプレートを表示

1979年(昭和54年)3月発売。シャシーB310型サニーA10型バイオレットと共通。ボディタイプはハードトップと呼ばれた[2]ノッチバッククーペに加え、同年8月にハッチを持つ3ドアファストバックが追加された。なお3ドアファストバックには大型バンパーおよび日本初のフロントシングルアームワイパーが全てのグレードに標準装備されていた。

角型4灯式ヘッドランプやセンターピラーレス・ボディ(ハードトップのみ)等当時の流行を押さえたデザインのため[14]、月4000台を上回る販売台数を記録するヒット作となった[18]。このモデルと次のS12型にはモーター店の取扱車種として姉妹車ガゼールが設定された。

先代の輸出仕様車である初代200SXの手応えから、さらにアメニティーに振ったコンセプトとなり、日本初のドライブコンピューターをはじめ、ダッシュボード上の横一杯に並んだワーニングランプやフェードアウトする足元灯など、アメリカ車並みのムーディーな室内イルミネーションを採用。なお、米国仕様車の名称は200SXを継承している。

グレードは当初、1,770ccのZ18型を搭載したLS(ハードトップのみ)/LS-L/LS-X(インジェクション仕様はLSE-L/LSE-X)、1,952ccのZ20型を搭載したZS-L/ZS-X(インジェクション仕様はZSE-L/ZSE-X)が設定される。

1981年(昭和56年)5月のマイナーチェンジで内外装の変更を行い、Z18ET型を搭載したターボZSE/ZSE-Xが追加された。

1982年(昭和57年)4月、FJ20E型を搭載したRS/RSエクストラが追加された。これはR30型スカイラインRS用に開発されたDOHCエンジンである。同年、生産拠点を九州工場(現・日産自動車九州)へ移す。

1983年(昭和58年)8月、モデルチェンジにつき生産・販売終了。累計販売台数は約12万台[16]

米国向け200SXのほかにメキシコ向けにはSAKURA[注釈 2]のネーミングで販売されていた。

4代目 S12型(1983年 - 1988年)[編集]

日産・シルビア(4代目)
S12型
クーペ 前期型 RS-X (フロント)
クーペ 前期型 RS-X (リア)
ハッチバック 後期型 R-X
概要
販売期間 1983年8月- 1988年5月[19]
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 2ドアクーペ
3ドアハッチバック
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン CA18DE型 直列4気筒 1,809cc
CA18E型 直列4気筒
CA18DET型 直列4気筒ターボ
FJ20E 直列4気筒 1,990cc
FJ20ET 直列4気筒ターボ
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
マクファーソンストラット式[20]
セミトレーリングアーム式[20]
車両寸法
ホイールベース 2,425mm[20]
全長 4,430mm[20]
全幅 1,660mm[20]
全高 1,330mm[20]
車両重量 1,140kg[20]
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:ディスク
姉妹車 日産・ガゼール(2代目)
テンプレートを表示

1983年8月、発売。このモデルからリアサスペンションがセミトレーリングアーム式サスペンションの独立式となる。また、リトラクタブル・ヘッドライトが採用された。機能面では、日本初のチルトアップ機構付き電動ガラスサンルーフが搭載された。日本国外への輸出ではこのモデルから日産ブランドでの輸出となっている(名称は200SXのまま)。

ボディタイプは2ドアノッチバックと3ドアハッチバックの二車種。センターピラーを持つようになったためノッチバックボディは「ハードトップ」から「クーペ」に名称が変わった。エンジンはデビュー当初、1,800ccのCA18型3種(キャブレター/EGI/EGIターボ)と2,000ccの自然吸気エンジンであるFJ20E型(150PS)、ターボを搭載したFJ20ET型(190PS)が設定された。

なお当初は新開発のCA18型エンジンの搭載を前提でデザインされていたところ、デザイン決定後にFJ20エンジン搭載モデルも設定されることとなり、背の高いエンジンを収めるためにボンネットを切り抜きバルジを設けることで解決した。このバルジには吸気口が開けられていないが、デザイン上は開口しているように見せるためか「4VALVE DOHC TURBO」のロゴが入った黒色ステッカーが貼られている(インタークーラーを搭載していないため、機能上でも吸気口を設ける必要がない)。

「ターボR-X・G」には「キーレスエントリーシステム」なる装備があった。これは、後世におけるリモコンドアロックやインテリジェントキーシステムとは異なり、ドアハンドルに内蔵されたキーパッドで暗証番号を入力して施錠・解錠を行うものであった。同年11月には特別仕様車「50アニバーサリーバージョン」発売。

1984年2月、1800ターボR-L FISCO追加。中級グレードのターボ・R-LにFJ20E/ET搭載車とほぼ同一のサイズのタイヤ(195/60R15 88H)、アルミホイール(15×6.5J)等を装備したもの。9月、CA18ET車のターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。

1986年2月、マイナーチェンジ。FJ20E/FJ20ET型エンジン搭載車が廃止され、全車CA型エンジン搭載車となった。トップグレードにはCA18DET型ツインカム・ターボエンジンが搭載された(これ以後、DOHCからTWINCAMという表記になる)。同時に兄弟車のガゼールが廃止。このため、日産モーター店では代替としてシルビアを扱うことになった(北米モデルの200SXにはVG30E型3,000ccエンジンを積む大排気量車が追加)。イメージソングはポール・モーリアrain rain

1987年2月、クーペに「ホワイト RS-X」追加。同年8月、クーペに「R-X ホワイトセレクト」、「フルホワイト R-X」を追加しツインカム ターボRS等一部車種を廃止。

1988年に生産・販売終了。販売終了前月までの国内新車登録台数の累計は2万9686台[19]

5代目 S13/PS13型(1988年 - 1993年)[編集]

日産・シルビア(5代目)
S13型
前期型クーペ
後期型クーペリア
コンバーチブル
概要
販売期間 1988年5月 - 1993年10月[21]
ボディ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン J's/Q's
CA18DE 直列4気筒 1.8L NA
SR20DE 直列4気筒 2.0L NA(1991年1月-)
K's
CA18DET 直列4気筒 1.8L ターボ
SR20DET 直列4気筒 2.0L ターボ(1991年1月-)
最高出力 J's/Q's
135PS/6,400rpm(CA18DE)
140PS/6,400rpm(SR20DE)
K's
175PS/6,400rpm(CA18DET)
205PS/6,000rpm(SR20DET)
最大トルク J's/Q's
16.2kgf·m/5,200rpm(CA18DE)
18.2kgf·m/4,800rpm(SR20DE)
K's
23.0kgf·m/4,000rpm(CA18DET)
28.0kgf·m/4,000rpm(SR20DET)
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
ストラット式
マルチリンク式
車両寸法
ホイールベース 2,475mm
全長 4,470mm
全幅 1,690mm
全高 1,290mm
車両重量 1,120kg
その他
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル K's 1800cc 5MT(前期型)
テンプレートを表示

1988年5月17日発売。このモデルから2ドアクーペのみとなり、先代S12型まで存在した3ドアハッチバック仕様は姉妹車として、1989年4月に「180SX」として独立した。

当時のデートカー市場で大人気を誇っていたホンダ・プレリュードの対抗馬として開発され、未来的なエクステリアデザインや、CMや雑誌広告のコピーでも「アートフォース・シルビア(ART FORCE SILVIA)」と表現し[22]グッドデザイン大賞を受賞した。その流麗なスタイルから女性の人気を集めただけでなく、当時すでに少なくなっていた手頃な価格の後輪駆動車で、特にターボ車はパワーが充分にありスポーツ走行にも適した設計であったため、アフターマーケットにおいてスポーツ走行用の様々な改造パーツが開発され、特に走り屋の若者を中心に大きな人気を博した。販売台数は約30万台と、歴代シルビアの中で最多を記録した[22]

最大のライバルと想定されたプレリュードとは異なりFRレイアウトを採用しているが、これは低いボンネットのデザインを実現するのに適したFF用コンポーネントを日産が持ち合わせていなかったという先代S12型の時と同じ理由であった。しかしそれが幸いし、当時でも希少となりつつあった5ナンバー枠のFR車として高い人気を獲得することとなる。日産のマーケティングとしては、プレリュードのライバルたるデートカーとして企図されたモデルであったが、前述の通りスポーツ走行に適した設計のため、次第にサーキットや峠などで走るための車として使用されることが多くなり、それは時に公道での無謀な暴走行為に及ぶこともあった。その傾向は後継モデルであるS14型やS15型も同様である。

CA18DEツインカム16バルブエンジン

搭載エンジンは、デビュー当初は1,800cc、自然吸気エンジンのCA18DE型(135PS)とターボのCA18DET型(175PS)であった。1991年のマイナーチェンジ後は2,000ccのSR20DE型(140PS)とSR20DET型(205PS)に変更された。使用燃料は、前期型・後期型共にNAが無鉛レギュラーガソリン、ターボが無鉛ハイオクガソリンである。グレードは自然吸気エンジン搭載のJ's、Q's、ターボエンジン搭載のK'sの3種で、特別仕様車の名称も含めてトランプを意識した構成になっていた。

足回りには新開発のリアマルチリンクサスペンションが採用された。

1988年7月、オーテックジャパン製の「コンバーチブル」を追加発売。K'sを改造したものであり、製造はオープン構造の車の生産を得意とする高田工業に委託されていた。

1988年10月、昭和63年度の通産省選定グッドデザイン大賞を受賞。

1988年11月、一部改良。セットオプションの組み合わせをユーザーが選ぶ「パーソナルオーダー」導入。新塗色にスーパーブラック(KH3)追加。

1988年12月、'88〜89年日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。

1989年2月、一部改良。ATシフトロックをPレンジ保持機構付きに変更。同年10月にはビスカスLSDのオプション設定をQ'sに拡大。

1990年2月、「ダイヤセレクション」シリーズを追加発売。Q's、K'sをベースにそれまでの販売実績から人気の高いオプションを標準化しながら価格上昇を最小限に抑えたお買い得仕様。内容はオートエアコン、アルミホイール、CDプレーヤー(ソニー製)、アーム式シートベルトガイド、電動格納式ドアミラー、プロジェクターヘッドランプ、リアスポイラー、スーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)、専用エンブレム(銀地にQ'sあるいはK'sと書かれ左右にトランプのダイヤのマークが入る)、アクセントモール。なお、ダイヤセレクション専用オプションとしてレザーバージョン(本革シート、ステアリング、シフトノブのセット)が設定される。

1991年1月、マイナーチェンジ。エンジンが1,800ccのCA18DE/CA18DET型から2,000ccのSR20DE型(140PS)とSR20DET型(205PS)に変更された。姉妹車の180SXも同時期にSRエンジンに変更されたが、名称は180SXのままであった。そのほか、4輪操舵のHICAS IIがSUPER HICASに変更され、タイヤサイズが195/60-15から205/60-15にサイズアップされた。さらにトランクリッド後端中央のキーホールカバー形状を逆台形から楕円形に変更、リアスポイラーを飛行機の翼をモチーフにした新形状に変更、その内蔵ハイマウントストップランプには横一列配列のLEDを採用、サイドドアビームの追加、プロジェクターヘッドランプが4連からフォグランプも含めた6連に変更、アルミホイールの形状変更、トランク裏にトリム(内装)が追加されるなどの細かい点も変更が行われている。内装はシートの形状が変更され、リア3点式シートベルトが採用され、ワイパーの間欠時間調整が追加(Q's系、K's系)、ファッションキー(キーヘッドが丸で中に「SILVIA」のロゴが入る)の採用、前期型で多かった女性ユーザーからの要望により従来の助手席側に加え運転席側にもバニティミラーを追加(Q's、K's系)。ダイヤセレクションは廃止されたが、ダイヤセレクションの内容からCDデッキと専用エンブレムを省いた仕様のメーカーオプション「ダイヤパッケージ」が設定された。また、内装のオプションとして「レザーセレクション」(本革シート、ステアリング、シフトノブ専用内装地。スーパーハイキャスとセットオプション)とアートテリアセレクション(大理石模様のスウェード調生地のシート、内装地)を追加している。CMキャッチコピーは「Now Its New 2000」。

1992年1月、「クラブセレクション」と「Q'sSC」追加発売。クラブセレクションは先のダイヤセレクションと同等の仕様。相違点はCDデッキがソニー製からクラリオン製に変更、アルミホイールが標準車と違いシルバーポリッシュ(光輝仕様)タイプとなる、専用の銀地の楕円型グレードエンブレムの文字色が濃赤になり、左上にトランプのクラブのマークと下に「club」のロゴが入る点。「Q'sSC」はQ'sにオートエアコンとシルバーポリッシュのアルミホイールを装備しながら価格上昇を抑えた質実剛健型グレード。なお、SCとは「スペシャルカード」の意である。

同時に一部仕様変更が行われ、シートベルト警報&警告灯を装備。これはエンジン始動時にメーター内の警告灯が点滅し、同時に運転席ベルト未装着の場合は警報がいずれも8秒間作動する仕組みになっていた。これに伴いメーターの変更が行われ、オートエアコンのデジタル化も行われた。CMキャッチコピーは「悦楽のマテリアル」。

1992年5月、「Q's2」(Q'sスクエア)限定発売。同時期の日産主力車種と同様、乗用車生産4000万台突破を記念した期間限定車。ベースはQ'sSCでランバーサポート付きの運転席や専用ヨーロピアンインテリア、リアスポイラーなどを追加装備したもの。ボディカラーは1月に追加されたパールホワイトと既存のスーパレッド、スーパーブラックの3色。

1992年12月、「オールマイティ」追加発売。モデル末期に入り、廉価なお買い得版による販売力強化を図った仕様。ベースはJ'sでマニュアルエアコン、アルミホイール、パワーウインドー、カセットデッキ付きチューナー&4スピーカー、電動格納式カラードドアミラー等J'sには標準では未装備の快適装備が追加された。またこのモデルのみベロア調ニットを使った専用シート地が装備される。なお、この内装は180SXの中期型の黒ヘッド仕様にも用いられる。専用エンブレムも装備されるが、楕円ではなく長方形で銀地に黒で「A」マークとトランプのスペードのマークが入った仕様となる。これに伴いベースとなったJ'sと年頭に追加されたQ'sSCが廃止される。

モデル末期には、そのころ発足したばかりの全日本GT選手権のGT2クラス(後のGT300クラス)に参戦し、クラスチャンピオンを獲得している。

1993年9月[23] 、 生産終了[出典無効]。在庫販売体制に入る。

1993年10月、S14型シルビアの登場に伴い販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は30万2329台[24]

輸出仕様車として、北米仕様の貨物車用の2,400ccエンジン(前期型はKA24E、後期型はKA24DE)を搭載した240SXと、欧州仕様の200SX(搭載エンジンは日本仕様と同様、初期型が1,800ccのCA18DE/CA18DET型、後期型が2,000ccのSR20DE/SR20DET型)とが存在する。北米仕様の240SXは、現地のヘッドライト位置の法規に対応するため、フロントのデザインに180SXと同様のリトラクタブルライトを採用している。こちらは1996年まで生産が続行された。

他メーカーによる改造車として、光岡自動車がS13型シルビアをベースにクラシックカーのようなボディに換装した初代ラ・セードを発表している。

またユーザーの私的改造として、180SXをベースにフロントセクションをS13型シルビアのものに換装した通称シルエイティ(後に一部の日産系ディーラーで正式に販売された)、逆にS13型シルビアをベースにフロントセクションを180SXのものに換装したワンビアアメリカ仕様車においては保安基準の関係上、純正で同様の仕様になっていた)が存在する。

なお、S13型シルビアのボディは、ニュルブルクリンクにて開発中のスカイラインGT-R (BNR32) をテストする際に、偽装用ボディパネルとしても使われた。

6代目 S14型(1993年 - 1999年)[編集]

日産・シルビア(6代目)
S14型
前期型(1993年10月-1996年6月)
後期型(1996年6月-1999年1月)
概要
販売期間 1993年10月 - 1999年1月[25]
ボディ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドアクーペ
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン J's/Q's
SR20DE 直列4気筒 2.0L NA
K's
SR20DET 直列4気筒 2.0L ターボ
最高出力 J's/Q's
160PS/6,400rpm(SR20DE)
K's
220PS/6,000rpm(SR20DET)
250PS/6,400rpm(SR20DETオーテック仕様)
最大トルク J's/Q's
19.2kgf·m/4,800rpm(SR20DE)
K's
28.0kgf·m/4,800rpm
(SR20DET)
変速機 4速AT/5速MT
サスペンション
ストラット式
マルチリンク式
車両寸法
ホイールベース 2,525mm
全長 4,520mm
全幅 1,730mm
全高 1,295mm
車両重量 1,240kg
その他
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル 2.0 K's 5MT(後期型)
テンプレートを表示

1993年10月、発売。プラットフォーム及びエンジンの基本は先代の物を流用しているが、ボディサイズは拡大され全車3ナンバーとなった。ボディが大型化されたことで軽快感が失われたことに加え、スペシャルティカーの市場がワゴン等のRV車に押されていた時期と重なってしまったため、先代のような人気を得られないままに販売台数が減り、一般市場では不評のままに終わった。

エンジンは自然吸気、ターボ共に改良され、SR20DE型は160PS、SR20DET型は220PSにパワーアップした。先代の自然吸気はレギュラーガソリン仕様だったが、ハイオク仕様に変更された。

ホイールのPCDは、ターボ車が114.3mm×5H、NA車が114.3mm×4Hである[注釈 3]

1994年2月、特別仕様車「Q'sエアロスポーツ」発売。同年9月特別仕様車「K's TYPE K1」発売。

1995年5月、一部改良、「エアロ」シリーズと「Q'sクラブセレクション」を追加発売。一部改良により運転席エアバッグを全車標準化した他、グリルを変更し、従来フロントグリルとリアフェンダー上のグレードエンブレム下にあった「Silvia」エンブレムが廃止され、トランク上にあったエンブレムの位置もセンターから左端に移動された。Q's、K'sにはエアロフォルムバンパーやナバーン製分割式リアスポイラー、アルミホイール、ホワイトメーター、革巻きステアリング&シフトノブ等を装備したエアロシリーズが追加された。またQ'sをベースにエアロフォルムバンパーや15インチホイール(鉄製)を装備したQ'sクラブセレクションを追加。

1996年6月、後期型へマイナーチェンジ。前期形では曲線基調だったヘッドランプ形状を、いわゆる「吊り目」の角ばった形状に変更するなど、主にフロント周りのデザインを一新し、全体的にシャープなルックスに見えるように外観が変更された。優美な雰囲気だった前期型から一変して攻撃的な雰囲気となった後期型のフロントデザインや角ばった形状のリアスポイラーは、当時のユーザーの嗜好に合わせた販売側からのテコ入れ要請の結果であったが、丸みを帯びたキャビンとの整合性が取れなくなるなどデザインのトータルバランスとしては綻びが垣間見えるものであった。なおS14型の愛好者は、区別のために前期型を「たれ目」、後期型を「吊り目」と呼ぶことがある。

1997年10月、「オーテックバージョン K's MF-T」が追加。オーテックジャパンによって各部をファインチューニングされており、特にエンジンはチューニングされたSR20DET型に石川島播磨重工業製の専用ターボチャージャーを組み合わせ、藤壺技研工業製の専用エキゾーストシステムと相まって、最高出力250PS/6,400rpm、最大トルク28.0kgf·m/4,800rpmを発生した。外観上の特徴は、大型リアスポイラー、専用フロントバンパー、アローエンタープライズ製の16インチアルミホイール。215/50R16・90VのブリヂストンポテンザRE710Kaiを履き、専用スポーツサスペンションを装着していた。内装はホワイトメーター、 電圧・油圧・ブーストの3連ホワイトメーター、MOMO社製SRSエアバッグ付きスポーツステアリング、本革巻シフトノブ、専用シート地、専用ドアトリムクロスが装着されていた。CMキャラクターは宝生舞

1998年12月[26]、生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

1999年1月、7代目と入れ替わって販売終了。販売終了前月までの新車登録台数の累計は8万5316台[25]

輸出仕様車としてS13型と同様、欧州仕様車と北米仕様車が存在した。欧州仕様は、日本仕様と同様のSR20DE/SR20DET型エンジンを搭載したモデルが新型200SXとして販売された。北米仕様車は1996年にS14型の240SXへとモデルチェンジした。エンジンは引き続きKA24DE型(155PS)が搭載された。

後期型リア

7代目 S15型(1999年 - 2002年)[編集]

日産・シルビア(7代目)
S15型
オーテックバージョン
spec.S
spec.Rエアロ (純正エアロ装着車)
概要
販売期間 1999年1月 - 2002年11月[27]
ボディ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドアクーペ
2ドアコンバーチブル
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン spec.S
SR20DE 直列4気筒 2.0L NA
spec.R
SR20DET 直列4気筒 2.0L ターボ
最高出力 spec.S
160PS/6,400rpm(AT)
165PS/6,400rpm(MT)
spec.R
225PS/6,000rpm(AT)
250PS/6,400rpm(MT)
最大トルク spec.S
19.2kgf·m/4,800rpm(AT)
19.6kgf·m/4,800rpm(MT)
spec.R
28.0kgf·m/4,800rpm
変速機 spec.S
4速AT/5速MT
spec.R
4速AT/6速MT
サスペンション
ストラット式
マルチリンク式
車両寸法
ホイールベース 2,525mm
全長 4,445mm
全幅 1,695mm
全高 1,285mm
車両重量 1,240kg
その他
ブレーキ 前:ベンチレーテッドディスク
後:ディスク
データモデル 2.0 スペックR 6MT
テンプレートを表示

1999年1月19日発売。プリンス系サニー系チェリー系各販売会社で取り扱いが始まった。S14型で拡大され不評だったボディサイズをダウンサイジングし、再び5ナンバー枠に戻している。また、グレードの変更が行われ、S13型からS14型までの「J's」「Q's」「K's」から、NAモデルの「spec.S」とターボモデルの「spec.R」となった[28]。S15型登場に合わせて180SXは生産・販売が終了している。

ただ、極僅かに1998年12月登録の個体があるということを風間靖幸が証言している。[29]

S15型では左ハンドル仕様が開発されなかったため、輸出はオーストラリアニュージーランド向けの少数に留まっている。

SR系エンジンはさらに改良され、スペックSのSR20DE型ではMT車が165PS、AT車が160PSであるのに対し、スペックRのSR20DET型ではMT車が250PS、AT車が225PSとなっている。

スタイルの特徴はサイド面のプレスラインがリアフェンダー、リアトランクにかけて徐々に絞り込まれる「深絞りプレス成型」を採用したリアフェンダーである。ヘッドライトはボンネットに回り込んだ「吊り目」デザイン、テールランプもトランクに回り込んだ大型のものが採用された。

ホイールのPCDは、ターボ車・NA車ともに114.3mm×5Hに統一された。

内装面では、メーカー純正としては珍しい運転席側Aピラー部分に設置された径52mmのブースト計(spec.R系)・油圧計(spec.Sエアロのみ)[28]や、運転席中央部にポップアップ式5.8インチ液晶モニターをオプションで採用する。また、エアロ系グレードには「インテリアパッケージ」と言うオプションが選択可能で、フロントシートとドアトリムが専用のオレンジ色のスエード調布地となる(リアシートは他グレードと同じ)[28]

また、ターボモデルであるスペックRにはアイシンAI(現:アイシン)が製造した6速MTが装備され、更にターボチャージャーにはS14型から引き続きボールベアリングタービンが採用され、レスポンスアップを図りつつ、低速回転からもストレスなく回る仕上がりになっている(ただし、生産終了間際のモデルにおいてはボールベアリングではなくフローティングメタルが採用されている)。アイシンAI(現:アイシン)製6速トランスミッションはシフトフィールに優れず、元来マツダ・ロードスター用に開発されたものをベースとしていたため容量的な余裕がなく、エンジンパワーを上げるとトラブルが多発した。

1999年10月、グレード追加によりスペックR/Sに「bパッケージ」が登場。豪華さとファッション性に重きを置いたグレードで、内装はフロントシート/ドアトリムが専用のブルーのスエード調クロス地になる(リアシートは他グレードと同じ)、ステアリングのステッチが他グレードと異なり専用のブルー糸になる、本革巻シフトノブ採用(スペックS・bパッケージMT車のみ、スペックR系はもとより標準のため)、キーレスエントリーの標準化(通常グレードにオプションで付けた場合と異なりアンサーバックがハザードで行われる)、スペックS・bパッケージ専用装備としてスペックR系車両と同一のチタン調のメーターパネルが付く。外装ではフォグランプが標準化され、スペックR・bパッケージ専用装備としてクローム調の専用アルミホイールが装備される。また、bパッケージ専用外装色として「ライトブルーイッシュシルバー」が追加される(2000年一部改良時にエアロ系グレードを除きライトブルーイッシュシルバーが選択可能となる)。

同時にオーテックジャパンが開発を手がけた「オーテックバージョン」を追加。スペックSをベースとして各部にファインチューニングを行い、自然吸気エンジンのNVCS付きSR20DE型専用エンジンは、圧縮比アップによる燃焼効率の向上や背圧低減による高回転域の排気効率向上、狙いのトルク特性を引き出すためバルブタイミング、リフト量のチューニング等、内部を見直す一方、藤壺技研工業製の専用エキゾーストマニホールドを採用し、最高出力200PS/7,200rpm、最大トルク21.8kgf·m/4,800rpmを発生した。ボディ補強、前後ブレーキ、6速MT、リヤヘリカルLSDなどはスペックRと共通である。外観上はボディサイドエンブレム程度の相違しかなく、内装も専用シルバーメーター、赤ステッチ入りの専用フロントシート・ドアトリム生地など、控えめなものであった[30]

2000年5月、国産初のフルオープンタイプ電動メタルルーフのオープンカー(クーペカブリオレ)の「ヴァリエッタ」を発表。ベースとなったのは、1999年の第33回東京モーターショーに出品された、オーテックジャパンと高田工業の共同開発車である。同年7月に発売開始。搭載エンジンはSR20DE型のみで、5速マニュアル車は165PS、4速AT車は160PSであり、エンジン詳細はスペックSに準ずる。

2000年10月、オーテックジャパンにより内外装に手を加えた「style-A」を追加。搭載エンジンはSR20DET型およびSR20DE型の2種。DET型には6速マニュアル、DE型には5速マニュアル、両方に4速ATと合わせて全4種をラインナップした。前後バンパーに専用デザインのエアロパーツを採用したほか、テールランプにはボディ同色の縁取りが施されている。内装にはベージュの素材をアクセントに採用。単色の本革シートや黒とコンビの本革巻きステアリングを装備し、ダッシュボード下面からセンターコンソールかけてとドアトリムには合皮の素材が使われている。

同2000年には光岡自動車がS15型をベースに、2代目ラ・セードを発表している。

2001年9月、レーンキープアシストがオプションで装備可能に。(価格は9万5000円)

2002年1月24日、最終特別限定車「Vパッケージ」を発売。専用フロントシート・ドアトリム生地、MD・CD一体型電子チューナーラジオ、プライバシーガラス、キセノンヘッドランプなどを標準装備しつつ、価格を従来車から据え置いた。なお、この追加によりVパッケージのベースとなったスペックS・Gパッケージ、スペックR及びスペックR/S・bパッケージ、スペックR・Type-Bが廃止されグレードが整理される。02年1月に製造されたエンジンから、SR20DETのコンロッドエクストレイルのSR20VETと共通のコンロッドに変更され、それに併せてピストンの設計も変更されている。[31]

2002年8月[32]、折からのクーペ市場の縮小や平成12年排ガス規制の影響を受け、R34スカイラインGT-Rとともに生産終了。在庫対応分のみの販売となる。

2002年11月、在庫分が完売し販売終了。これによりシルビアは37年の歴史に幕を閉じた。販売台数は4万3,147台[33]。販売期間は3年11か月と、歴代モデルでは最短であった。

シルビアのモータースポーツ活動[編集]

S110型[編集]

  • 1980年(昭和55年)11月、マカオグランプリ・スーパーサルーンクラスおよびギア100に参戦。スーパーサルーンクラスでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。ともにドライバーは星野一義
  • ハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーン・クラフト製のカウルをまとうスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。
  • メインスポンサーは一貫して日本ラヂヱーター(カルソニックカンセイ)。スーパーシルエットクラスレースには、同じ形状のカウルで1982年(昭和57年)、1983年(昭和58年)と連続参戦した。
  • 1983年(昭和58年)後半には、同年S110型からS12型にフルモデルチェンジした関係で、外装パネルをS12型ハッチバックへ意匠変更した。但し、エンジン及びシャーシ類は、大きな変更を受けていない。
  • シルエットフォーミュラのエンジンは1981年(昭和56年)度は直列4気筒DOHCのLZ20B型ターボ、1982年(昭和57年)度はサファリラリー等で活躍したPA10型「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T(2,082cc 570PS/7,600rpm、55kgf·m/6,400rpm)型だった。
  • 日産側の意向により、同様のレーシングカーが存在する。兄弟車種であるS110型ガゼール(ハッチバック)の他にスカイライン(KDR30型)及びブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見昌弘柳田春人がドライブし、ターボ三羽烏として知られた。
主な戦歴
1981年(昭和56年)3月 富士GC 第1戦 富士300キロスピードレース大会 優勝
1982年(昭和57年)3月 富士300kmスピードレース GCクラス 優勝
1982年5月 富士グラン250kmレース GCクラス 2位
1983年(昭和58年)5月 富士グラン250kmレース 優勝
240RS
240RS

1983年(昭和58年)、日本国外ラリー競技向けにS110型ベースの「240RS(BS110)」というホモロゲーションモデルが登場。当時グループBで争われていたWRCに参戦した。ボディタイプはハードトップ[2] が選ばれた。生産台数は200数台といわれている。1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)まで参戦したWRCでの最高成績は2位。

240RSのホモロゲーションマシン及びカスタマー・スペック車に使われたのは2,400ccのFJ24型(240PS)である。さらに、240RSのワークスカーにはFJ24改(275PS)を搭載するエボリューションモデルが存在した。FJ24型は国内で販売されていたFJ20E型とは設計・構造が大きく異なるため、共通パーツがほとんどなく競技専用エンジンだった。

2006年(平成18年)のNISMOフェスティバルでは、経年経過によって劣化されたワークスマシンを日産自動車の有志の手で稼働出来るよう修復することに成功し、デモランを行った。2007年(平成19年)現在、この車両は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に動態保存という形で厳重に保管されている。また、ローカル競技ではあるが、240RSは日本のあるエンスージアストの手により近年のタルガ・タスマニア・ラリーに参戦し、好成績を収めている。

240RS以前には、第30回サファリラリーLZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。

S12型[編集]

ニチラ シルビア スーパーシルエット
スーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボ

シルエットフォーミュラにも引続き参戦したが、車両自体は先代S110型のシルエットフォーミュラ仕様のボディパネルをS12風に変更したモデルである。現存しているシルビアのシルエットフォーミュラ仕様車はこのS12風カウルをまとったもので、2005年(平成17年)のNISMOフェスティバルでは、新品に近い状態にまで修復されたこのマシンを当時のドライバーである星野一義が運転した。

主な戦歴
1983年(昭和58年)9月 富士GC 第3戦 富士インター200マイルレース大会 2位
1983年(昭和58年)10月 スーパーカップレース SSクラス 優勝
1988年 サファリラリー仕様車
WRC・グループAクラスへの参戦

S12型の北米向けモデル200SX(RVS12型)には、V6・3,000ccのVG30E型を搭載するモデルも存在した。日産はこれをベースにラリー仕様車を製作、1987年(昭和62年)と1988年(昭和63年)の2年間、WRCのグループAクラスに参戦した。WRCにおける最高成績は1988年アイボリーコーストラリーの優勝。

主な戦歴
1987年(昭和62年) 第35回サファリラリーに北米向け200SXをベースとするグループA仕様車が参戦
1988年(昭和63年) 第36回サファリラリーに参戦。総合2位・A4クラス優勝および総合3位を獲得
1988年(昭和63年) アイボリーコーストラリーに参戦。総合優勝。WRCで最後に優勝したFR車となる。

S13型[編集]

ワンメイクレース・GTI(JGTC以前のカテゴリー)への参戦

『デートカー』などの軟派なイメージが先行されたS13型も、軽量化のため内装を全て剥ぎ、ロールケージを張り巡らされ、外装ノーマルでエアロパーツが一切不可、さらにはSR20DEのメカチューンを搭載したスパルタンな車両が若手レーサーの激戦区でもあったワンメイクレースにて活躍。また、1993年(平成5年)に国際級レースにNISMOよりグループA仕様のGT-RベースにしたカルソニックGT-Rと共にシルビアワンメイクレースのN2仕様のスーパーシルビアに大型エアロパーツを装着、モディファイした車両が参戦している。

S14型[編集]

1998年 Xanaviシルビア
JGTC・GT300クラスへの参戦

S14型は全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスに前期型と後期型が共に参戦した。1997年シーズン、織戸学/福山英朗組の駆る後期型フェイスのRS・Rシルビアがチームタイトルを獲得した。

1998年シーズンではザナヴィ・インフォマティクスがメインスポンサーとなった。後部のサスペンションをダブルウィッシュボーン式に変更したほか、エンジンはレースカー用のチューニングを施して、320馬力以上の最高出力を発揮した。レースでは、近藤真彦/青木孝行組がゼッケン15番のザナヴィシルビアで、第3戦の仙台ハイランドレースウェイで2位入賞を果たし、シリーズランキング6位の戦績を残した[34]

NISMO 270R
NISMO 270R

S14型には前期型をベースにNISMOがチューニングを行った「NISMO 270R」というコンプリートカーが存在した。ボディカラーはスーパーブラック(#KH3)のみ。開発にはレーシングドライバーの木下隆之が関与した。車名はNISMOの手でファインチューニングされたSR20DET型エンジンの最高出力である270PSにちなんでいる。

S15型[編集]

JGTC・GT300クラスへの参戦

S15型は全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスにデビュー直後から参戦した。2001年(平成13年)シーズン、大八木信行/青木孝行組のダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトルを獲得している。また、2004年(平成16年)シーズンからは日産のGT300クラスの主力の座をZ33型フェアレディZに譲り、翌年第一戦から退いた。

主な戦歴
2001年(平成13年) JGTC GT300クラスに参戦。チーム・ダイシン・シルビアがチーム及びドライバーズタイトル獲得
全日本ラリー選手権・2輪駆動部門への参戦

2001年(平成13年)、2002年(平成14年)には全日本ラリー選手権2WD部門に参戦した。チームはNRSで、連続で年間ドライバーズタイトルを獲得している。

その他
2019年に撮影されたマシン

S13型からS15型はドリ車としての高いポテンシャルを持っていたことから、そのベース車両としても国内外問わず高い人気を得ていた。生産が終了してもなお、各地のドリフトレースにおいて活躍している場面が多く、アフターパーツも部品メーカー各社から豊富に販売されている。

出場レースなど[編集]

車名の由来[編集]

名前の由来はギリシャ神話に登場する清楚な乙女の名前から。その語源はラテン語で「」を意味する。

取扱販売店[編集]

取り扱いは日産レッドステージと日産ブルーステージ。なお、1999年の販売網再編以前までは日産・サニー店(サニー販売会社)と日産・モーター店(ローレル販売会社)の併売車種だった(但しS13型以降、S12型以前はサニー店の専売車種だった)。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ このプラットフォームは、1999年登場の7代目(2002年生産終了)まで用いられた。Nissan S platform(英語版)を参照。
  2. ^ その後、日本国内では2022年に発売される電気軽自動車の商標名(SAKURA)として採用される。
  3. ^ 後期型NA車(Q's)の15インチアルミホイールはP11プリメーラ後期型2,000ccのアルミホイールとよく似ているが、ホイールのインセットはシルビアは40mm、プリメーラは45mmである。ただし本車種のNA車のアルミホイールのサイズは同じ15×6J 4-114.3であり、本車種のNA車が装着している4穴のアルミホイールをP11プリメーラに流用すること自体は可能である。

出典[編集]

  1. ^ 日産ミュージアム シルビア S10
  2. ^ a b c d e f g h i j 1979年10月のS110シルビアのカタログの表紙、1-8、11-12、24-32、35-36頁より。
  3. ^ 今や希少となったFRスポーツクーペ!日産 シルビアの維持費をご紹介”. 旧車王. 2022年10月28日閲覧。
  4. ^ シルビア(日産)S15系 1999年1月発売モデル|カタログから中古車を探すなら【グーネット】”. www.goo-net.com. 2022年10月28日閲覧。
  5. ^ ソラン, Mr (2022年8月22日). “日産「シルビア」4代目が2代目「ガゼール」と共に登場。リトラクタブルヘッドライトを装備したFRスポーツクーペ【今日は何の日?8月23日】”. clicccar.com. 2022年10月28日閲覧。
  6. ^ a b c d e デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第4号11ページより。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第4号12ページより。
  8. ^ 日本の名車10台に選ばれてもおかしくない1台をデザインしたのは誰だ?|初代シルビア&A550Xをデザインした男 Vol.1 - Nosweb・2020年9月26日
  9. ^ a b 初代シルビアのスケッチはリトラクタブルヘッドライトだった? 幻に終わった「日産の2000GT」をデザインした男と国際的デザイナーの関係|初代シルビア&A550Xをデザインした男 Vol.2 - Nosweb・2020年9月27日
  10. ^ ニッサン シルビアCSP311型”. 日本の自動車技術330選. 自動車技術会. 2020年8月25日閲覧。
  11. ^ a b デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第7号7ページより。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第7号8ページより。
  13. ^ 鬼沢武久「<書評>塚本弥八郎著, 『ファジィ情報論』, 出版社大学教育出版, 発行日2004年4月10日, B5判, 103頁, 1,575円」『知能と情報』第16巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、2004年、427頁、doi:10.3156/jsoft.16.427ISBN 4-88730-573-7ISSN 1347-7986NAID 110002696328 
  14. ^ a b c J's Tipoネコ・パブリッシング2006年9月号、24-25頁、『シルビアを知る。その壱』。
  15. ^ 自動車史料保存委員会 編 『日本の自動車アーカイヴス 乗用車 1975-1981』 三樹書房2010年8月25日初版発行、ISBN 978-4-89522-554-0、12頁。
  16. ^ a b デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第95号13ページより。
  17. ^ a b c d e f g h i j デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第95号14ページより。
  18. ^ 『日本の自動車アーカイヴス 乗用車 1975-1981』、58頁。
  19. ^ a b デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第12号13ページより。
  20. ^ a b c d e f g デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第12号14ページより。
  21. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第7号9ページより。
  22. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p85
  23. ^ シルビア(日産)1988年5月~1993年9月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。[出典無効]
  24. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第7号9ページより。
  25. ^ a b デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第18号7ページより。
  26. ^ シルビア(日産)1993年10月~1998年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  27. ^ シルビア(1999年1月~2002年11月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  28. ^ a b c 新型「シルビア」を発売”. 日産自動車 (1999年1月20日). 2024年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月15日閲覧。
  29. ^ ろで. “若い? 年寄り?”. rodex.blog.fc2.com. 2024年3月3日閲覧。
  30. ^ シルビア オーテックバージョン カタログ オーテックジャパン
  31. ^ ろで. “純正コンロッド加工。”. rodex.blog.fc2.com. 2024年3月3日閲覧。
  32. ^ シルビア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月18日). 2020年1月18日閲覧。
  33. ^ GTR-Registry.com - Nissan Silvia +200SX S15 VIN Table” (英語). gtr-registry.com. 2019年2月3日閲覧。
  34. ^ ザナヴィ・シルビア 1998JGTC No.15”. 日産ヘリテージコレクション. 2024年1月5日閲覧。
  35. ^ a b デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第7号25ページより。
  36. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第75号25ページより。
  37. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第7号25・26ページより。
  38. ^ a b デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第7号26ページより。

外部リンク[編集]