愛子盆地

愛子遠景(2014年1月)

愛子盆地(あやしぼんち)は、宮城県仙台市青葉区仙台市都心部から青葉山丘陵を越えた西側にある盆地である。大部分は広瀬川中流の河岸段丘で、東西約10キロメートル、南北約5キロメートルに広がる。

宮城町の中心部があり、都心部とは国道48号仙台西道路あるいは旧道)やJR仙山線などでつながる。

位置と範囲[編集]

奥羽山脈に発する広瀬川は、中流部で両岸に河岸段丘を作りながら東へ流れ下る。その途中、丘陵に両岸を狭められる箇所があり、そのうちの二つにはさまれて区切られたのが愛子盆地である。東西約10キロメートル、南北は広いところで4キロメートル程度。広瀬川による段丘面の北東には、それより一段低く芋沢川が隣り合わせで幅500メートルほどの谷を開いている。そこまで含めれば南北は広いところで約5キロメートルになる。

北の左岸が芋沢地区、南の右岸が愛子にあたる。盆地の西端付近で北から大倉川が合流しており、その西は熊ヶ根地区である。西の端は熊ヶ根地区と作並地区の間を区切る鳳鳴四十八滝あたり、東の端は青葉山丘陵権現森が作る峡谷で区切られる。東側には折立地区の丘陵を挟んで小規模な郷六盆地がある[1]

盆地の南側の西半分は、約350メートルで高さをそろえた七ツ森[2]が塞ぐ。その東に続くのは蕃山丘陵で、やはり300メートル台の山塊である。北側の権現森丘陵は西では約300メートルだが、東にいくにつれて低くなり最終的に130メートルくらいになる。ただし、北岸で東を塞ぐ権現森は300メートル前後ある。

愛子盆地の段丘[編集]

本郷。林は本文中2番目の段丘の斜面を覆って縁取るもので、その段丘上は水田である。比高は約50メートル。川は広瀬川(2010年7月)

芋沢では4段の段丘が良く発達しており、芋沢川の支流によって東西方向の谷が刻まれている。もっとも古く高いのは、高野原や赤坂がある段丘で、北西で標高約270メートル、東になだらかに傾斜して約140メートルになる。

数十メートルの段丘崖で南と西に隣り合わせるのが、大竹原、中山、青野木がある段丘で、北西で約240メートル、東では約100メートルになる[3]。この層の下には埋没谷らしき厚い堆積があり、段丘形成の前(約5万年前)にはここに広瀬川が河谷を刻んでいたかと思われる[4]

さらに南西、大倉川左岸に沿った苦地に、すぐ上で記した段丘の南と西に隣り合わせて、標高200メートルから170メートルの段丘がある[5]

最も低いのは、そこから数メートルの段丘崖で下がり、大倉・広瀬両川の合流点から川下1キロメートルほどを占めるのみの狭い段丘である。

芋沢の最低位の段丘は、対岸の愛子の段丘の全部に相当する。愛子の段丘面はこの一つだけで、斉勝川が西から東に流れるものの、刻む谷はめだたない。つまり、愛子盆地は広瀬川をはさんで北側が高く、古く、起伏に富み、南側が低く、新しく、平坦な地形である。

段丘の形成時期については、高いほうから9万年前、5万年前、2万6千年前、1万9千年前とする推測がある。仙台市中心部の広瀬川段丘にあてはめると、台原段丘は1番目、仙台上町段丘は3番目、中町段丘は4番目の段丘に相当するという[6]

脚注[編集]

  1. ^ 北上山地の地形学的研究 其一 河岸段丘 A 仙台近傍の河岸段丘(財団法人斎藤報恩会出版、1933年4月25日発行)p.32-p.34
  2. ^ 近くの大和町にある七ツ森とは別。
  3. ^ 田村他「広瀬川流域の地域環境特性」93頁には100から140mとあるが、同書の91頁図4を2万5千分の1地形図と照らし合わせ、100から240mの誤りと見た。
  4. ^ 田村他「広瀬川流域の地域環境特性」93-96頁。
  5. ^ 最低標高が上の段丘より高いのは、こちらの段丘の延長が短いせいである。この段丘が標高170メートルで終わる所では、上の段丘の標高はもっと高い。
  6. ^ 田村他「広瀬川流域の地域環境特性」93-94頁。

参考文献[編集]

  • 田村俊和、小岩直人、岩船昌起、安齋秀樹、鈴木収二、ベボスリ・チャタリジ、相沢裕子、堀内恒雄「広瀬側流域の地形環境特性」、仙台市環境局環境計画課『広瀬川流域の自然環境』、仙台市、1994年。

外部リンク[編集]