恵俊彰

めぐみ 俊彰としあき
生年月日 (1964-12-21) 1964年12月21日(59歳)
出身地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
血液型 O型
身長 170 cm
方言 鹿児島弁
最終学歴 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了
コンビ名 ホンジャマカ
相方 石塚英彦
芸風 コントツッコミ
立ち位置
事務所 ワタナベエンターテインメント
活動時期 1987年 -
同期 石田靖
浅草キッド
勝俣州和
辻本茂雄
現在の代表番組 ひるおび
過去の代表番組 MUSIC FAIR
他の活動 司会者
ニュースキャスター
俳優
配偶者 松本美貴
公式サイト 公式プロフィール
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恵 俊彰(めぐみ としあき、1964年昭和39年〉12月21日 - )は、日本お笑いタレント司会者俳優スポーツ科学者学位修士スポーツ科学)(早稲田大学2023年[1]。お笑いコンビ・ホンジャマカツッコミ担当。相方は石塚英彦鹿児島県鹿児島市出身。ワタナベエンターテインメント所属。

来歴[編集]

鹿児島大学教育学部附属小学校鹿児島市立甲南中学校鹿児島県立甲南高等学校卒業。早稲田を目指すも不合格(慶應大学には合格)大学入試3浪後に、東放学園専門学校に就職。

1986年、当時渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメントの親会社)が立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAYビッグサースデー」のオーディションに合格し、芸能界に入る。1988年6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する。1989年、「ホンジャマカ」のメンバーが次々と脱退していく中で唯一残った石塚英彦と改めてコンビを結成し、再デビューを果たす。なお脱退メンバーの中には、後に恵の妻となる松本美貴がいた。

元々は「小デブ」として売り出しており、相方の石塚と区別が付かないほどだった。しかし、友人の岸谷五朗に太っていることを貶されるなどの理由から、20時以降は何も食べないなどしてダイエットをした結果、20kgの減量に成功。それ以来は「痩せている方」と言われるようになった。相方の石塚はこの事について「恵ちゃんが食べなくなったので、その分自分が食べて余計に太った」などとネタで話すことがある。

岸谷五朗がパーソナリティを務めるTBSラジオ岸谷五朗の東京RADIO CLUB』では、リスナーから絶大な支持を集めた。今や若者言葉として定着した「てゆ〜か〜」「ぶっちゃけ〜」「正直」などを使い始めた先駆けである。

その当時から恵個人でのソロ活動はしていたが、1998年にフジテレビロケットパンチ! MUSIC DELIVERY』で司会を担当したのを皮切りにソロでの司会業が増えていった。現在はTBSテレビ制作番組への出演が多く、特に2009年3月からは同系列局で平日に生放送情報ワイドショー番組ひるおび』の総合司会を、八代英輝弁護士)と共に務めている。その他に俳優としても活動しており、『毛利元就』や『サラリーマン金太郎』シリーズなどに出演している。

2022年4月、『ひるおび』の不定期コメンテーター原晋青山学院大学教授陸上競技部長距離ブロック監督)からの勧めで、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科(修士課程)に入学した[2][3]

2023年3月26日、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を修了。研究テーマは「情報番組がスポーツを伝える役割」であった[4]

人物・エピソード[編集]

父の恵知雄は大島紬の工場(恵大島紬織物)を経営していた職人で、白く染める泥染めの「白恵泥」で特許を取得している。母は京都府京都市出身。

3男1女の父親。妻は、11人体制時代のコントユニット「ホンジャマカ」のメンバーであった松本美貴

趣味はパソコン。ホンジャマカライブのポスターを自分でデザインしたこともある。その他には映画鑑賞、音楽鑑賞、ゴルフ、ビリヤードなどを趣味に持つ。『ひるおび』のホームページのマイブームの欄に「ゴルフクラブを眺めること・ゴルフクラブの角度調整をすること」と書いていたこともあり[5]、2017年にはチャリティゴルフ大会「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」の著名人の部で優勝した[6]

長渕剛三浦春馬のファン。

2001年頃からメジャーリーグに強い関心を持っている。

情報番組で総合司会業を行うことから前日どれだけ多忙でも毎朝5時に起床し、各局の情報番組をチェックするほか移動中もほぼ全ての新聞に目を通している[7]。 TBSの『ひるおび!』開始時、島田紳助から「(当時TBS昼枠視聴率低迷していたため)最下位の球団の監督をやるんやから、勝てるわけはない。FAで誰かをとってこられるわけでもないし。少なくとも1年やれば、視聴率をとることの難しさや、負けることを勉強できる。やるだけやってみればええ」との助言をもらった[8]

爆笑問題太田光からは「嫌い」「つまらない」とネタにされている。この件に関して所属事務所であるワタナベエンターテインメントは抗議しているようである。太田は申し訳なく思っているが困るととっさに恵の悪口を言ってしまうようである[9]。恵自身は太田をそれほどは嫌っておらず、DAIGO北川景子夫妻の結婚式で偶然居合わせて野次を飛ばされた際も普通に受け答えをしている[10]

ホンジャマカ結成前にはTBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』の名物コーナー「おもしろビデオコーナー」で前説を務めていた。2020年に志村けんが死去した際には、「前説でうけたら、本番前なのにステージに出てきてくれました。それが嬉しくて、「志村けん」という日本の喜劇の星と、たとえ前説でもいいから絡みたくて、頑張りました。もっともっとご一緒したかった…」とコメントを発表した[11]

2021年4月28日、東京2020オリンピック聖火リレーにて鹿児島県の最終聖火ランナーに選ばれ、緊急事態宣言下の東京[12]から移動しゴール地点の指宿市営陸上競技場で聖火皿への点火を担った[13][14]

出演[編集]

石塚英彦とのコンビでの出演についてはホンジャマカ#出演を参照。

テレビ番組[編集]

太字は出演継続中の作品。

テレビドラマ[編集]

ラジオ番組[編集]

太字は出演継続中の作品。

CM[編集]

映画[編集]

吹き替え[編集]

舞台[編集]

  • 七人ぐらいの兵士(2000年)

執筆[編集]

書籍[編集]

連載[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 恵俊彰が早大大学院の学位授与式に出席 「スポーツを伝える情報番組の役割」をテーマに修士論文を完成させ「毎日が楽しかった」”. サンケイスポーツ (2023年3月26日). 2023年3月26日閲覧。
  2. ^ 恵俊彰が4月から早大大学院スポーツ科学研究科に入学「心のどこかに忘れ物みたいな感じで」 日刊スポーツ・2022年3月26日掲載
  3. ^ 恵俊彰、早大大学院入学は仕事に生かすため 研究テーマは「情報番組でのスポーツの伝え方」 日刊スポーツ・2022年4月17日掲載
  4. ^ 恵俊彰が書いた早稲田大学大学院での4万7000字の論文「情報番組の新たな可能性に気づいた」 web Sportiva・2023年3月26日掲載
  5. ^ ひるおび
  6. ^ 著名人の部は恵俊彰さんが優勝!「組合わせに恵まれました」
  7. ^ 女性自身』2014年4月15日号、51頁。
  8. ^ 恵俊彰 『ひるおび!』開始時に島田紳助から受けた助言,NEWSポストセブン,2016年2月11日
  9. ^ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201710110000228.html
  10. ^ 【太田上田#36】結婚式について語りましたYoutube 2020年4月23日配信 2023年2月25日閲覧
  11. ^ 恵俊彰、若手時代に志村さん番組で前説担当「日本の喜劇の星と、たとえ前説でも絡みたくて…」
  12. ^ 新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等について(令和3年4月23日発表)
  13. ^ 日本放送協会. “恵 俊彰さん | 聖火ランナー | 東京2020オリンピック聖火リレー | NHK”. sports.nhk.or.jp. 2021年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月31日閲覧。
  14. ^ 聖火リレー、鹿児島を完走 最終ランナー恵さん「多くの応援ありがたかった」 希望のともしび沖縄へ”. 南日本新聞. 2021年6月1日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i j k 恵俊彰 - オリコンTV出演情報
  16. ^ 恵俊彰 - オリコンCM出演情報

外部リンク[編集]