平維将

 
平維将
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明[注 1]
氏族 桓武平氏国香流
父母 父:平貞盛平繁盛[1]
兄弟 維叙[2]維将維敏維衡[3]
藤原雅正[4][5][注 2]
維時[6]
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平 維将(たいら の これまさ/これゆき[5])は、平安時代中期の武将

経歴[編集]

北条氏の遠祖に当たる人物[注 3]天延元年(973年)右衛門尉から左衛門尉に転じ、相模介となり、正暦5年(994年)盗賊捜索の功により翌年肥後守に任じた[5]。居宅は左京二条万里小路にあった[5]

平繁盛の実子であるとする系図が存在する[1]

維将の娘[編集]

角田文衞の説によれば、維将の娘は紫式部の親友である"筑紫へ行く人のむすめ"である[7]。『紫式部集』によると二人は同時期に姉妹を亡くしており、お互いを「あね」「いもうと」と呼び合った。筑紫の女は父の任官で肥前国に移り住むことになり、別れの際には贈答歌を詠んでいる。筑紫の女が維将の娘とする根拠としては、父の赴任の時期が重なるのに加え、紫式部と維将の娘は従姉妹だからである(維将の妻は式部の伯母)。また、筑紫の女は紫式部と再会することなく肥前で亡くなった。

系譜[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『尊卑分脈』には天元4年(981年)卒とあるが誤りか。
  2. ^ 紫式部の父方の伯母。
  3. ^ 自称であり、最近の研究では北条氏が桓武平氏の子孫とする説は疑問視されている。

出典[編集]

  1. ^ a b 野口実『中世東国武士の研究』(戎光祥出版、2020年)
  2. ^ 藤原 1904, 平氏15頁.
  3. ^ 藤原 1904, 平氏22頁.
  4. ^ 上田ほか 2001, 1083頁.
  5. ^ a b c d 阿部 2009, 409頁.
  6. ^ 藤原 1904, 平氏16頁.
  7. ^ 2005, p. 354.

参考文献[編集]

  • 藤原公定 撰『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 11』吉川弘文館〈故実叢書 第3輯〉、1904年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991593 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617 
  • 上原作和『紫の上 第六巻』、勉誠出版、2005年。