岩崎一高

岩崎一高

岩崎 一高(いわさき かずたか、慶応3年2月15日[1]1867年3月20日) - 昭和19年(1944年3月22日)は、日本の衆議院議員立憲政友会)、松山市長

経歴[編集]

伊予国松山伊予松山藩士岩崎一正の子として生まれる[1]1886年明治19年)、専修学校(現在の専修大学)を卒業。卒業後は松山に戻って、海南新聞社の経営に加わり、自由民権思想の普及に尽力した。

1919年大正8年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選[1]。翌年の総選挙には落選したものの、1923年(大正12年)に松山市長に選出された。さらに道後湯之町を務め、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に当選した[2]

その他、松山高等商業学校(現在の松山大学)の理事を務めた[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『愛媛県人物名鑑』p.1
  2. ^ a b 『衆議院要覧』

参考文献[編集]

  • 『愛媛県人物名鑑 第一輯』海南新聞社、1923年。 
  • 『衆議院要覧(乙)昭和三年』衆議院事務局、1928年。