岩下正明

岩下 正明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県揖宿郡頴娃町(現:南九州市
生年月日 (1955-01-14) 1955年1月14日(69歳)
身長
体重
172 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1979年 ドラフト4位
初出場 1980年4月6日
最終出場 1988年8月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

岩下 正明(いわした まさあき、1955年1月14日[1] - )は、鹿児島県揖宿郡頴娃町(現:南九州市)出身の元プロ野球選手外野手[2]。左投左打。現役時代は代打の切り札として活躍した[1]

来歴・人物[編集]

鹿児島商工高では、1972年夏の甲子園県予選決勝に進むが、エース堂園喜義を擁する鹿児島商業高に延長17回の末に敗退し、甲子園出場を逸する。

高校卒業後は、社会人野球三菱重工横浜に入社[2]1978年都市対抗野球東芝の補強選手として出場し、決勝では日本鋼管木田勇からチームの初優勝を決める適時打を打つ。

1979年のプロ野球ドラフト会議ヤクルトスワローズから4位指名を受け入団[1]

1980年から一軍に上がり、外野手として75試合に出場。

1984年には杉浦享小川淳司らと併用され48試合に先発出場、三番打者としても15試合に起用された。

1985年には主に一番打者として67試合に先発、同年は.316の高打率を残した。

1986年マーク・ブロハードの入団、栗山英樹の台頭もあって出場機会が減る。

1987年オフに平田薫との交換トレード横浜大洋ホエールズに移籍した[2]

1988年限りで現役を引退した[2]

守備に難があり、幼少期の事故で左手人差し指が短いこともあり肩も弱かったが[2]、勝負強い代打の切り札的存在として、1982年には4月6日の対広島戦で代打サヨナラ満塁本塁打を打つなど[2]、1シーズン3度の代打サヨナラ打を記録した。

現役引退後は、日本料理店やステーキハウスでの修行を経て、1991年2月に神奈川県横浜市青葉区に「ステーキハウス岩下正明」オープンし営んでいる[2]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1980 ヤクルト 75 122 108 15 32 7 2 2 49 18 2 2 0 0 10 1 4 19 0 .296 .377 .454 .831
1981 67 91 81 6 18 1 0 1 22 8 2 0 1 0 3 0 6 10 2 .222 .300 .272 .572
1982 92 192 161 18 40 2 1 3 53 17 2 1 3 0 18 3 10 24 2 .248 .360 .329 .689
1983 82 108 90 9 22 1 0 0 23 6 6 0 0 0 14 1 4 14 0 .244 .370 .256 .626
1984 106 226 194 28 46 9 3 3 70 24 4 1 6 3 16 0 7 26 0 .237 .314 .361 .674
1985 112 292 269 37 85 12 0 5 112 34 5 1 3 1 17 1 2 30 3 .316 .360 .416 .776
1986 73 103 96 8 19 3 1 0 24 6 1 1 0 0 7 1 0 16 2 .198 .252 .250 .502
1988 大洋 16 15 14 1 2 0 0 0 2 2 0 0 0 0 1 0 0 7 0 .143 .200 .143 .343
通算:8年 623 1149 1013 122 264 35 7 14 355 115 22 6 13 4 86 7 33 146 9 .261 .337 .350 .688
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37(1980年 - 1987年)
  • 41(1988年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P57。
  2. ^ a b c d e f g 代打の“切り札”妻の誕生日は出塁率10割!”. zakzak (2011年9月21日). 2012年3月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]