山田達也 (ミュージシャン)

山田達也
出生名 山田達也
生誕 (1962-12-29) 1962年12月29日(61歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都千代田区
ジャンル ロック
ジャズ
職業 ミュージシャン
ドラマー
音楽プロデューサー
担当楽器 ドラム
活動期間 1980年 -

山田 達也(やまだ たつや、1962年12月29日 - )は、日本ミュージシャンドラマー音楽プロデューサー[1]東京都千代田区出身。血液型はB型。

来歴・人物[編集]

9歳からドラムを叩き始める。15歳の時にルーツ音楽院にて須永ひろしに師事。

16歳よりメイト音楽院にて5年間、佐藤節雄に師事。そこでジャズドラムと音楽理論を学ぶ事となる。

18歳の時に川崎麻世のサポートとして、初めてドラマーとしての仕事を請け負う事となる。

1981年から1983年までの間、三宅裕司の率いる劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」にて音楽プロデュースを担当。

1987年、七福神のメンバーとしてニューヨークパワーステーションにてレコーディングを実施。翌1988年バップレコードからアルバム「SHICHI-FUKU-JIN」にてメジャーデビュー

1988年亀田誠治等と共に、黒沢ひろみのツアーサポートミュージシャンとしてツアーに同行。

1989年から1991年にかけて、本城未沙子大塚純子The gardens)のツアーサポートミュージシャンとしてツアーに同行。

同時期に、本城未沙子、東京パフォーマンスドール深津絵里などに楽曲を提供、サウンドプロデュースも行なっている。

1991年、鎌田マサロー、伊東正、平野健多の三人と出逢い、テレピアスというバンドを結成。同年、ビクターよりメジャーデビュー。
1993年までに同バンドにて計アルバム3枚とシングル1枚をリリース。同バンドの3rdアルバム「Dream is over」収録曲の「虹の橋」は、OVA作品「幻想叙譚エルシア」のエンディングテーマとしても使用された。

1993年から1994年にかけて、ZIGGYのギタリスト、松尾宗仁のユニットZNX鈴木トオルのツアーサポートミュージシャンとしてツアーに同行。

同じ時期に鈴木トオルやToshlX JAPAN)へ楽曲を提供。

1994年、モデルの高橋由妃と山田を中心メンバーとして、そこに上述の伊東正と平野健多が加わり、MODEを結成。同年、ファンハウスよりメジャーデビュー。

1996年までの期間でアルバム2枚、シングル6枚をリリースしている。また、この頃、名古屋ZIP FMにてナビゲーターを約1年半務めている。

1997年相川七瀬のライブツアー「LIVE EMOTION 97'」のツアーサポートメンバーとして全国ツアーに参加。
同年、米良治彦、レンジー・クロスビー、丸山史朗(FLYING KIDS)らとToo muchを結成。

1998年北島健二FENCE OF DEFENSE)のソロアルバム「WILD FLOWeR」を共同プロデュース。1999年の「WILD FLOWeR」発売記念LIVE以降、翌2000年までサポートを務める。

2001年、東京青空楽団(ブルースカイオーケストラ)のメンバーとして、カナダ・デュモリエ&モントリオール国際ジャズフェスティバルの野外メインステージに出演。

日本に帰国後、T-SQUARE PLUSのサポートドラマーを担当[2][3]

2002年から2003年にかけて、梅垣義明WAHAHA本舗)のサポートドラマーとして、ツアーに同行。

2002年12月、橋本良彦、川嵜淳一、小藤田康弘をはじめとした前述のジャズフェスティバルに出演したメンバーらとSPANK-A-FUNKを結成。映画「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!」の劇中にて、バンド役として出演[4]

2003年6月14日6月15日赤坂BLITZで開催された緒方恵美の「アイタイ。2003 ~Coming out!~」にてライブサポートを務めている。

同年9月26日ZEPP TOKYOにて開催されたパパイヤ鈴木プロデュースによるイベント「ソウルばかによる、ソウルばっか!」に、SPANK-A-FUNKとして出演。

2004年2月、アムステルダムへ渡蘭。この渡蘭はFOCUSのドラマー、Pierre van der Linden(ピエール・ファン・デァ・リンデン)と会うためであり、この際のピエールとの長時間に渡るディスカッションが、山田自身の音楽人生にも大きな影響を与えていると語っている[5]。この数年後にも再び渡蘭しており、FOCUSの面々と更なる親睦を深めている。

2007年2月、日本で初となるドラムによるアンビエント・ジャズロックアルバム「Drums come true」をリリース。

2008年6月、松本道香のアルバム「NOTE」のプロデュースとアレンジを担当。同年、ヤマハミュージックメディアより発売された小島恵理の著書「ボーカルスパイス」にて、リズムアドバイザーとしてメソッドサポート。

2009年、小島恵理、関雅夫、吉野ユウヤと共にJazzeal結成。同バンドは往年の洋楽ロックにおける名曲をJazz Styleにて甦らせる事をコンセプトとしたバンドとしている[6][7][8]フジテレビ系列「情報エンタメLIVE ジャーナる!」内にて、同バンドの楽曲が使用されている。

2010年3月5日渋谷BOXXで行われた西村麻聡のフルアルバム「恋愛パラドックス」発売記念LIVEにて、サポート出演。

2012年にリリースされた小島恵理のアルバム「Nostalgia」に、Co.Producer兼ドラマーとして参加。(同作は2015年に、小島恵理の追悼作品として再リリースされている)

2014年1月に発売された教則本「11人のプロがズバリ解決!ドラムのお悩み58」に、著者の一人として参加[9]

2016年、富山県地産地消ソング「とやまの木で家つくるかい」の作曲・編曲とサウンドプロデュースを担当している。

2021年、富山県のご当地ヒーロー、きときと戦士キットムーンのテーマソング「笑顔の力」の作曲を担当[10]

ドラム講師[編集]

2001年〜現在

個人レッスンを行ないながら、国立音楽院、東京スクールオブミュージックへ特別講師として参加。

その後、フリースピリット音楽芸能学園(旧 東京自由学園)にて、ドラム科及びアンサンブル講師として約8年間勤務。

教え子として、田浦楽(CRYSTAL LAKE)、Natsu(NOCTURNAL BLOODLUST)、彦坂玄(RAMMELLS)、Ko-ki(ViViD)、大野達哉(ex.SEIZE THE DAY、HMCBAND)などがいる。

現在は東京工学院専門学校ミュージック科講師、日本芸術高等学園のドラム講師でもある。

2019年、工藤美桜にドラムのプライベートレッスンも実施している[11]

YAMAHAドラム&ジルジャンシンバルのエンドゥーサーでもある[12]

楽曲提供[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 第45回『ドラマー海原ひろみつの心響音』”. Dream Kingdomラジオブログ (2016年10月16日). 2022年1月22日閲覧。
  2. ^ 発売目前!!「GRAN TURISMO 3 A-spec Reception」レポート 山内氏、「GT」のこれからの構想について触れる”. GAME Watch (2001年4月17日). 2022年1月22日閲覧。
  3. ^ リズム&ドラム・マガジン>2001年09月号”. リットーミュージック. 2022年1月22日閲覧。
  4. ^ 釣りバカ日誌14 お遍路大パニック! | Movie Walker
  5. ^ 山田達也 presents 【オランダプログレバンド「Focus」Tribute】”. 新宿LIVEたかのや - たかのやすたっふぶろぐ (2009年11月22日). 2022年1月22日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞デジタル:Jazzeal LIVE IN OKINAWA ~粋~
  7. ^ ヤマハLMアーティストリレーション担当のつぶやき: Jazzeal Live”. Yamaha ART "BACKSTAGE" (2011年9月28日). 2022年1月22日閲覧。
  8. ^ Jazzeal満員御礼ありがとうございました!”. 小島恵理 ERI WORLD BLOG (2014年11月14日). 2022年1月22日閲覧。
  9. ^ リズム&ドラム・マガジン 11人のプロがズバリ解決! ドラムのお悩み58”. リットーミュージック. 2022年1月22日閲覧。
  10. ^ 私が主題歌を歌わせていただいている、富山の新ヒーローきときと戦士キットムーンのPV動画がついに公開されました!山田達也さん作曲の「笑顔の力」、超絶カッコいい曲に仕上がっています!キットムーンが訪れているそれぞれの富山名所もどうぞお楽しみください!”. しらたまな|Twitter (2021年4月28日). 2022年1月22日閲覧。
  11. ^ 山田 達也(やまだ たつや) 紹介 | リットーミュージック
  12. ^ アーティスト|Zildjian (ジルジャン)|ヤマハミュージックジャパン

外部リンク[編集]