山形テレビ

株式会社山形テレビ
Yamagata Television System Inc.
本社・演奏所(山形市城西町)
種類 株式会社
略称 YTS
本社所在地 日本の旗 日本
990-8511
山形県山形市城西町五丁目4番1号
設立 1968年12月27日
業種 情報・通信業
法人番号 6390001002067 ウィキデータを編集
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送事業
代表者 代表取締役社長 横沢善則[1]
資本金 3億7845万円
売上高 30億9159万9000円(2022年度)[2]
営業利益 1億2123万5000円(2022年度)[2]
経常利益 1億4423万5000円(2022年度)[2]
純利益 9375万6000円
(2022年度)[2]
純資産 43億3452万8000円
(2023年03月31日時点)[2]
総資産 51億4569万8000円
(2023年03月31日時点)[2]
主要株主 テレビ朝日ホールディングス 23.5%
朝日新聞社 18.6%
(2020年7月1日時点)[3]
外部リンク https://www.yts.co.jp/
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山形テレビ
英名 Yamagata
Television System Inc.
放送対象地域 山形県
ニュース系列 ANN
番組供給系列 テレビ朝日ネットワーク
略称 YTS
愛称 YTS
呼出符号 JOYI-DTV
呼出名称 YTSやまがた
デジタルテレビジョン
開局日 1970年4月1日
本社 990-8511
山形県山形市城西町5丁目4番1号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 5
デジタル親局 山形 18ch
アナログ親局 山形 38ch
ガイドチャンネル 38ch
主なデジタル中継局 鶴岡 18ch・新庄 21ch
米沢 34ch・小国 38ch
主なアナログ中継局 鶴岡・酒田39ch
米沢・新庄58ch
ほか放送チャンネルの項を参照
特記事項:
1970年4月1日から1993年3月31日までは、フジテレビ系列FNNFNS)に属していた。
1993年4月1日に、テレビ朝日系列ANN)にネットチェンジ。
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株式会社山形テレビ(やまがたテレビ、: Yamagata Television System Inc.)は、山形県放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者

山形県におけるANN・テレビ朝日系列局。略称YTSコールサインJOYI-DTV

概要[編集]

テレビ朝日をキー局としたANN加盟の放送局のひとつ。かつては山形新聞および山形放送(YBC)とも結びつきが深かったが、2007年平成19年)6月に山新グループを脱退。

山形県におけるUHF帯での第2波割当に際して19件の申請があり、旧山形2区選出の松沢雄蔵衆議院議員(当時)が調停役となり一本化調整を行い新聞社系など6者に各7%、9者に各2.5%、3者に各2%、県議会関係で計10%、調停役の松沢が役員となる外部人材への分配を視野に入れた保留株を含める「一任分」として19.5%の出資比率としたが、その後松沢が一任分19.5%の所有権を主張し裁判に発展し1974年昭和49年)に一任分の大半を地元銀行4行に中立株として配分し和解に至った[4]

本社・支社[編集]

  • 本社・演奏所:山形県山形市城西町5丁目4-1(990-8511)
城西町は「しろにしまち」と読む。
開局当初の住所は、山形市砂塚70番。

以前は鶴岡市新庄市にも支局を開設していた。

ロゴマーク[編集]

1970年昭和45年)の開局以来使用されているロゴマークは、小文字の「y」を具現化した社章、略称の「YTS」のロゴマークも全角と半角状のロゴマークをそれぞれ使用[注釈 1]。社名のロゴマークは、山新グループ時代の名残でグループ共通の明朝体調のロゴタイプを使用。なお、1990年代まで自主制作のニュース番組[注釈 2]では、独自仕様の略称のロゴマークが使用されていた。

また、1996年平成8年)10月から2003年(平成15年)9月末までは、テレビ朝日ネットワークのシンボルマークを略称及び社名のロゴマークに併記していた。

地上デジタル放送の画面上におけるウォーターマークは、「YTS 5ch」で表示している。

イメージキャラクター[編集]

1999年平成11年)9月1日、翌2000年(平成12年)4月の開局30周年を控えて、イメージキャラクター「みるるん星人(みるるにあんず)」が誕生した。

核となる緑のみるるん星人の名前は「みるるん@あっと」で、「みるるん星」からやってきた宇宙人という設定である。なお「みるるん星」は宇宙の彼方Y38星雲にあることになっており、男女の区別もない。他に仲間として、妖精型の「みにみる」達(「みにみる@ちゃっと」、「みにみる@どっと」、「みにみる@さいと」、「みにみる@ひっと」)、アニマル型の「みるるん@みるぽっち」が設定されている。キャラクター群は、金曜23時10分から放送されている「みないと」の紙芝居形式のコーナー「みるるん@劇場」で起用されているほか、番組公式サイトでも紹介されている。関連商品としては飲料水「みるパインサイダー」(山形県酒類卸株式会社)や、菓子「たべてみるるん」(杵屋本店)などが販売されている。

沿革[編集]

本社・演奏所(2011年8月27日撮影)

ネットワークの移り変わり[編集]

  • 1969年(昭和44年)10月27日 - 取締役会席上で執行部がフジテレビジョン(フジテレビ)をネット局にすると決定[10]
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - フジテレビ系列のフルネット局として開局。当初はNETテレビ(現:テレビ朝日)系列局として開局する予定だった。そのNETテレビおよび、東京放送(現:TBSテレビ)の番組の一部が、YBCから移行。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月31日 - 関西地区の腸捻転解消に伴い、朝日放送(ABC)制作の番組がTBS系列扱いからNETテレビ系列扱いに、毎日放送(MBS)制作の番組がNETテレビ系列扱いからTBS系列扱いにそれぞれ変更される。当時の山形県にはどちらのフルネット局もなかったため、引き続き編成に応じてYBCと共有した。
    • 4月 - ANNに加盟[11]
  • 1979年(昭和54年)- 3月31日に『ANNニュースライナー』のネットを打ち切り、翌日よりYBCにネット移行。
    • YBCがテレビ朝日とネットワーク業務協定を組み、7月1日に『ANNニュースセブン』のネットを打ち切り、翌日よりYBCにネット移行。これによりANNを実質上の脱退となり、翌日よりニュースはFNNフルネットとなる。
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - テレビ朝日の番組の大部分が、代わりにANNへ正式加盟したYBCに移行したが、一部の番組は引き続き放送。フジテレビ系単独局に戻るが、YBCから日本テレビ系の一部番組が移行する。
    • なお、従前からTBS系列および、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組もYBCと分担して放送していたため、権利切れの再放送番組も含めて、1989年9月までの9年半は日本の民放テレビ5系列すべての番組を放送していた[注釈 4]
  • 1989年(平成元年)10月1日 - テレビユー山形(TUY)の開局に伴い、TBS系列の番組が移行。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - フジテレビ系からテレビ朝日系に変更し、テレビ朝日系のフルネット局となる(FNN・FNSを脱退してANNに再加盟)。それ以降、さくらんぼテレビジョン(SAY)開局前日の1997年(平成9年)3月31日まで[注釈 5]大半のフジテレビ系の番組[注釈 6]が山形県内テレビ局で放送されず、ごく一部のフジテレビ系番組(『サザエさん』など)が、TUYに移行された程度であった。
    • YTSで放送されていた日本テレビ系の番組の全てがYBCへ移行。逆に、テレビ朝日系の番組がYBCとTUYから移行し、すでにYTSで放送されていた番組(『徹子の部屋』など)とあわせて一本化された。
    • ネットチェンジするにあたり、移行された番組の割合はYBC=9:TUY=1。ただし、YBCの9割のうち4割はYBCからYTSへ移行して再びYBCへ再移行されたものである。そのため、正式な割合はYBC=5:YBC→YTS→YBC=4:TUY=1となる。

TUY開局前のプライムタイムの番組編成(1989年9月)[編集]

  • ★ → 時差ネット
月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
18:00 フジ
YTSニュース スーパータイム
フジ
YTSニュース スーパータイム
フジ
ひみつのアッコちゃん
18:30 フジ★
さんまのまんま
フジ
サザエさん
19:00 フジ★
ピーターパンの冒険
フジ
まんが名作劇場 サザエさん
フジ
ドラゴンボールZ
フジ
クイズなっとく歴史館
フジ★
キテレツ大百科
フジ
所さんのただものではない!
YTV
鈴木健二の人間テレビ
19:30 フジ
青春オーロラ・スピン スワンの涙
フジ
火曜ワイドスペシャル
フジ
クイズ!年の差なんて
フジ
金曜おもしろバラエティ
フジ
らんま1/2
日テレ
すばらしい世界旅行
20:00 フジ
志村けんのだいじょうぶだぁ
フジ
鬼平犯科帳
フジ
ゴメンドーかけます
フジ
オレたちひょうきん族
日テレ
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
21:00 日テレ
TIME21
日テレ★
火曜ロードショー
フジ
夜のヒットスタジオDELUXE
フジ
とんねるずのみなさんのおかげです
フジ
男と女のミステリー
フジ
ゴールデン洋画劇場
関テレ
花王名人劇場
22:00 関テレ
月曜夜10時枠の連続ドラマ
MBS★
世界まるごとHOWマッチ
日テレ
オシャレ30・30
22:30 日テレ★
巨泉のこんなモノいらない!?
23:00 フジ
ニュース最終版
関テレ
ねるとん紅鯨団

フジテレビ系列末期(1993年3月)[編集]

  • ★ → 時差ネット

出典:[12]

月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
18:00 フジ
YTSニュース スーパータイム
フジ
YTSニュース スーパータイム
フジ
ツヨシしっかりしなさい
18:30 関テレ★
さんまのまんま
フジ
サザエさん
19:00 フジ★
まぼろしまぼちゃん
フジ
まんが名作劇場 サザエさん
フジ
ドラゴンボールZ
フジ
クイズ!年の差なんて
フジ
スターはポチだ!
フジ
たけし・逸見の平成教育委員会
YTV
おしえて!ガリレオ
19:30 フジ★
キテレツ大百科
フジ
火曜ワイドスペシャル
フジ
タモリのボキャブラ天国
フジ
金曜ファミリーランド
日テレ
日立 あしたP-KAN気分!
20:00 フジ
志村けんのだいじょうぶだぁ
フジ
鬼平犯科帳
フジ
ボクたちのドラマシリーズ
お願いダーリン!
フジ
ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!
日テレ
天才・たけしの元気が出るテレビ!!
21:00 日テレ
スーパーテレビ情報最前線
日テレ★
火曜ロードショー(金曜ロードショー
フジ
振り返れば奴がいる
フジ
とんねるずのみなさんのおかげです
フジ
金曜ドラマシアター
フジ
ゴールデン洋画劇場
関テレ
花王ファミリースペシャル
22:00 関テレ
月曜夜10時枠の連続ドラマ
フジ
MJ -MUSIC JOURNAL-
フジ★
木曜劇場
並木家の人々
日テレ
オシャレ30・30
22:30 日テレ★
知ってるつもり?!
23:00 フジ
FNN NEWSCOM
フジ
うれしたのし大好き
関テレ
ねるとん紅鯨団

備考[編集]

  • TUY開局前は(毎日新聞の経営危機まで)、毎日新聞の資本があった関係でTBS系列(主に毎日放送制作)の番組も一部放送されていた。『世界まるごとHOWマッチ』は、いびつなネット関係の隙間を突いて遅れネットから一時期同時ネットになった例である。また、一部番組は遅れネットでもマイクロにて準キー局からネットされていた。『ヤングおー!おー!』は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)から一時期マイクロ送りだった。(当時の公式番組表による。)

資本構成[編集]

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[13][14][15][16]

概要[編集]

山形テレビの主要株主は、テレビ朝日・朝日新聞。ほかに毎日新聞読売新聞、かつてはフジテレビ系列[注釈 7]だったことから産業経済新聞社→フジテレビジョンの資本も入っている。以前は山形新聞が筆頭株主だった時代もあったが、マスメディア集中排除原則による行政指導などの理由で山形新聞が原則を超えて保有していた分はテレビ朝日、朝日新聞を中心に売却された。

しかし、山形新聞は山新グループ離脱後も原則の上限いっぱいである発行済み株式の10%を引き続き保有、また山形放送とも株式の持ち合いを行っている。

2021年3月31日[編集]

出典:[2]

資本金 発行済株式総数 株主数
3億7845万円 75,690株 14
株主 株式数 比率
テレビ朝日ホールディングス 17,810株 23.53%
朝日新聞社 14,100株 18.63%
山形新聞社 07,560株 09.98%
カメイ 06,000株 07.92%
荘内エネルギー 05,870株 07.75%
山形放送 05,720株 07.55%
前田製管 05,200株 06.87%
山形銀行 03,780株 04.99%
荘内銀行 03,000株 03.96%

過去の資本構成[編集]

ネットチェンジ[編集]

1993年平成5年)4月1日、YTSはフジテレビ系列(FNNFNS)からテレビ朝日系列(ANN)へネットチェンジした。

ネットチェンジに至るまでの経緯[編集]

山新グループを率いていた「山形の首領」(ドン)・「山形のヒトラー」こと服部敬雄は、1989年平成元年)に開局したエフエム山形テレビユー山形(TUY)の開局に関しては郵政省(現・総務省)の調停案に猛反発したため、当初は反対の立場を示していた[注釈 8][注釈 9][注釈 10]。しかし、服部の意向とは関係なく、開局へと至った2局への対抗も兼ねてバブル期に実施した新規事業が軒並み失敗したことやフジテレビが提示した経営再建策にYTSが猛反発したことがネットチェンジの直接的な引き金と見られる。

ハリウッド映画『リ・アニメーター2(死霊のしたたり2)』『グランド・ツアーへの約14億円の出資、1985年昭和60年)7月には、YTS・山形新聞社山形放送 (YBC) ・山形交通(現・ヤマコー)・山形相互銀行(現・きらやか銀行)との5社で設立した「バイオ科学研究所」、開局15周年記念で発行したクルーガーランド金貨のぞみウィッチィズにおけるOVA版の製作関与など、様々な事業に手を出したものの、軒並み損失を出す結果となり、収益が悪化[22][23]。結果、バイオ科学研究所は約15億円の債務超過を抱えて、1992年(平成4年)4月解散[24][25]。1991年度の決算は売上高約52億円のうち、バイオ科学研究所の解散に伴う債務負担、ハリウッド映画2本の業績不振と投資の未回収などもあり、開局以来黒字経営が一転して赤字に陥り、負債総額は約40億円前後に膨らんだ。当時の今野秀孝社長(YBC出身)は、経営再建と出資したハリウッド映画の放送権を購入するようフジテレビ[注釈 11]に求め、フジテレビ[注釈 11]側はフジサンケイ系の株の増資と恒久的なネットワーク協定を求めた[26]。しかし、6月24日の臨時社員総会で水井寅三郎会長とともに今野も引責辞任。後任の社長には専務だった後藤久弥(YBC出身)が選出された[26]

そして、1992年(平成4年)9月24日に行われた臨時取締役会席上では、上記の経営悪化を踏まえて、取締役13人のうち12人の圧倒的多数で、テレビ朝日(ANN)系列へのネットチェンジが決定[23][24]、先述の条件を求めたフジテレビ[注釈 11]サイドにとっては反旗を翻される結果となった。翌25日には、後藤社長と佐藤邦男東京支社長(当時)が東京河田町にあったフジテレビ本社を訪問するも、経営悪化とネットチェンジとの因果関係を一切伝えないまま[注釈 12]、フジテレビ(FNN・FNS)系列を離脱して、テレビ朝日系列へネットチェンジする旨を伝え、アークヒルズにあったテレビ朝日本社を訪れ、ネットワーク加盟申し入れを行った[27]

フジテレビ[注釈 11]は、何度もネットチェンジに反対して、撤回を要請したほか、1992年(平成4年)12月31日付でYTSをFNN/FNSから除名することも示唆したが、YTSの意思は固いことから、1992年(平成4年)10月16日にFNS理事会名で役員引き上げなどを内容とする「最終通告書」を送付。これによれば、ネットチェンジを認めた一方、その報復として1992年(平成4年)12月より4か月間、FNN/FNSの全てのネットワークセールス番組のスポンサーとの交渉をYTSだけ単独で行わせる個別交渉のペナルティ[注釈 13]を科して、翌年3月31日にFNN/FNSを脱退し、フジテレビ系列の番組を全て打ち切った[注釈 14]。翌4月1日にANNに正式加盟、秋田朝日放送 (AAB) に次いで19局目のテレビ朝日系列フルネット局として再スタートした。

要因[編集]

当時、テレビ朝日系列へ加盟する理由は、一般視聴者やスポンサー、キー局のフジテレビやテレビ朝日はおろか、郵政省(現・総務省)に対しても、YTS幹部は「経営再建」「株主の意向」「クロスネットの解消」と説明するのみで、明確な説明は一切されることはなかった[28]

1992年平成4年)当時、YTSの筆頭株主だった相馬大作元酒田市[注釈 15] によれば、開局直前までは日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)系列になる予定だった[注釈 16][29]。それを前提として朝日新聞読売新聞毎日新聞産経新聞系列等の免許申請社が19社存在していたが、そのうち山新グループ内がダミーにあたる9社で免許申請を行っていた[30][31]。そこに旧山形2区選出の自民党松沢雄蔵衆議院議員(当時)が調停人として選ばれ、郵政省の行政指導を理由に山新グループを排除し[32][33]、さらには松沢が19.5%の株を収めてYTSを支配しようとしたため、服部側が反発し、5年に及ぶ訴訟問題にまで発展[31][34]。また、役職員数が24人に放送関係者が3人しかおらず、開局準備が進まない状況に前島憲平社長(鐵興社(現・東北東ソー化学)出身)が服部に調整を持ちかけ、元来関係が乏しかった山新グループに入り、山形新聞とYBC両者から15人がYTSに移籍[35][33]。さらに服部と鹿内信隆フジテレビ会長との間の個人的な関係[31][36]や、1969年昭和44年)当時のNETテレビ(現・テレビ朝日)が教育専門局であったこと[注釈 17]、YTSが朝日新聞系列になることを恐れたこと、1969年(昭和44年)当時のYBCでのフジテレビのネット比率も最も少なかったこともあり[35]、服部の「鶴の一声」でフジテレビ系列となった。相馬は免許申請時は朝日新聞派で、清野幸男(米澤新聞社長)は酒田市の前田製管社長だった前田巌山形県議会議員(当時)とともに毎日新聞と連携[37]1970年代終盤に経営悪化のために毎日新聞社の7.21%の株式が朝日新聞関係者にわたったため[38]、同社の株主の多くが朝日新聞系となりテレビ系列と新聞社比率のいびつな関係が残った。

その後、1990年(平成2年)10月に鹿内が、1991年(平成3年)3月に服部が相次いで死去。いわゆる天皇と言われた2人がいなくなり、さらに1992年(平成4年)に鹿内宏明フジサンケイグループ議長を辞任し、フジサンケイグループから鹿内家の影響力が排除されたその状況下において、多額の負債保証をテレビ朝日や系列局が肩代わりする交換条件として開局時に系列入りを予定していたテレビ朝日系列へのネットチェンジができるとなれば[39]、当然の選択肢とも言える。

ネットチェンジを決定した当時の役員は、「株主の意向」、「クロスネットの解消」、「経営再建のため」と理由を説明している[25]

ネットチェンジの実施[編集]

ネットチェンジを行った1993年平成5年)3月31日までの新聞のYTSのテレビ欄には、完結していないドラマ・アニメも含め、フジテレビ系列の全ての番組に(終)マークが並ぶこととなった[40]。自社製作番組やテレビ東京系列番組など、一部は継続し、山形テレビで放送していた日本テレビ系列の番組も、NNN・NNS単独ネット局となったYBCへ移行。ネットチェンジはYBCの協力もあり、スムーズに遂行された。唯一、東海テレビの昼ドラ(当時は『正しい結婚』)のみ、先行して3月31日に最後の3日分(本放送と最終2話)の放送が実施された。31日深夜、同時ネット最終番組「プロ野球ニュース」、そしてテープネット最終番組「夜鳴き弁天」が放送され、フジテレビ系列局としての放送を終えた。

また、3月15日朝からネットチェンジ前日まで放送していたフジテレビ系列や日本テレビ系列の番組宣伝CMが姿を消し、4月からのテレビ朝日系列の番組宣伝CMに切り替えた。

そして1993年(平成5年)4月1日、朝6時の『CNNデイブレイク』からテレビ朝日系列局へネットチェンジ[41]。5時58分から放映されたオープニング映像では「山形テレビでは、きょうからテレビ朝日系の番組をお送りします。どうぞおたのしみください。」と表示された字幕スーパーが挿入された。『モーニングショー』・『人間探検!もっと知りたい!!』・『こんにちは2時』・ 『ステーションEYE』・『ニュースステーション』においてYTS発で全国中継を実施。『やじうまワイド』では、4月5日開始の『スーパーモーニング』を担当する若林正人川瀬眞由美テレビ朝日アナウンサー(当時)が『山形新聞』朝刊紙面を山形から紹介。さらに、4月1日には、5時間15分に及ぶ生放送の特別番組『サンライズYTS』[注釈 18]が放送され、若林・川瀬も生出演した[41][42]

1993年(平成5年)4月1日付の『山形新聞』朝刊紙面などでは、「山形テレビの新しい門出をお祝いします。」「本日、YTS山形テレビはテレビ朝日系列として生まれかわります。」などの文章とテレビ朝日系列フルネット局の略称・局名一覧[注釈 19][注釈 20][注釈 21]が掲載された全面広告が出稿された[43]。なお、この上記文章の末文には「末筆となりましたが、これまでテレビ朝日系列の番組を放送いただいた山形放送と視聴者の皆さまに、深く感謝いたします」というYBC側へのメッセージも記されていた[43]

一方で、1993年(平成5年)3月31日の『山形新聞』朝刊紙面での全面広告では、左上に小さい文字で『長い間フジテレビ系の番組をごらんいただきましてありがとうございました。あすからテレビ朝日系の番組をお送りいたします。どうぞご期待ください。』とメッセージが添えられていた[44]

ネットチェンジの功罪[編集]

ネットチェンジにより山形県においてテレビ朝日の看板番組であった『ニュースステーション』がスタートした[注釈 22]。また、YBCでは時差ネットを余儀なくされた番組がネットチェンジにより同時ネット化された[注釈 23]。また、上記のようにYBCの協力によりネットチェンジされたため、1980年昭和55年)からYBCとYTSの間で続いていた変則的なクロスネット状態は解消された。

しかし、当時のテレビ朝日は視聴率でフジテレビに完全に水をあけられている状態にあり、「人気番組」もそう多くなかった[注釈 24][注釈 25][45]

山形地区視聴率調査においても、全日の平均視聴率は1992年(平成4年)12月期まではTUYと僅差でYBCに次いで2位を記録したものの、1993年(平成5年)4月期以降はTUYにも抜かれて3位に転落した[27][注釈 26][注釈 27]

CM提供していた地元スポンサーの一部が撤退するなど[注釈 28][注釈 29]、経営改善の為のネットチェンジであったにもかかわらず逆にYTSの経営やステーションイメージが一時的に悪化する事態を招いた[注釈 30]

またネットチェンジに伴いフジテレビは1993年(平成5年)4月1日に、山形県内のFNNの取材拠点としてフジテレビ山形支局を開設した。

山形県内で放送継続したフジテレビ系列の番組[編集]

ネットチェンジによって山形県はフジテレビ系列の空白地域となり、フジテレビはYTSとネットチェンジに協力したとみなしたYBCに対しても、フジテレビ制作番組はもちろんのこと、関西テレビ(KTV)制作番組などフジテレビ系列局各局制作番組も含めて、一部の例外(下記)を除くフジテレビ系列全体の番組販売を拒否し[要出典]、「フジ1局に対しローカル局3局、山形県側絶対優位」とみていた業界を驚かせた[46]

そのため、1993年平成5年)4月1日からさくらんぼテレビが開局する前日の1997年(平成9年)3月31日までの4年間、フジテレビ系の番組は下記の例外を除いてTUYのみが購入(一部の番組はスポンサードネット)して深夜および午後のローカル枠にて放送していたが、編成上の都合などの関係から『サザエさん』など一部の番組しかネットされず、特に平日昼の『森田一義アワー 笑っていいとも!』が山形県ではさくらんぼテレビ開局まで遅れネットさえ実施されなかったことで、YTS、YBC、TUYをはじめ、フジテレビにも苦情が相次いだ。[要出典]

この結果、YTSのネットチェンジ以降におけるYTSとYBCの2局における系列外番販ネットはテレビ東京独立放送局、芸能事務所・レコード会社・通販会社などの外部企業、系列の垣根を越えた制作委員会方式番組のみとなった。

ネットチェンジする8日前の3月24日、生放送内で視聴者からのFAX紹介をしていた『MJ -MUSIC JOURNAL-』へ「山形県での放送が打ち切られることになったため、どうしても見たいのに見られなくなる」「近隣県の系列局で見なければならない」などのメッセージが多数送られ、それが紹介されるという事態が発生した。

ネットチェンジ以降には、ケーブルテレビなどで隣県のフジテレビ系列局(仙台放送秋田テレビ福島テレビ新潟総合テレビ)が受信出来た場合のみ、引き続きフジテレビ系列の番組を視聴することができた。

ネットチェンジ後も例外的にYTS・YBCで放送したフジテレビ系列の番組

フジテレビ系列制作分のみ記載し、フジテレビがキーステーションであるものの民放各局の共同制作である番組[注釈 31]は除外とする。

さくらんぼテレビジョン開局から現在[編集]

ネットチェンジ後も、「裸の大将放浪記」や「振り返れば奴がいる」など過去のドラマ・アニメの一部についてはYTS・YBCの両局で再放送されていた。これはフジ系時代にYTSでの放送実績があり、なおかつフジテレビ・FNSの優先放送権が失効していたため、販売拒否の対象から外れたことが放送できた原因と思われる[注釈 38]

その後、1993年平成5年)夏にYTS元社員が中心となって「フジテレビ系民放第四局を作る会」が設立[注釈 39][47][48]。街角での署名運動、柿崎工務所や山本製作所を中心とした山形財界の熱意にフジテレビが動き、日枝久フジテレビ社長(当時)、高橋和雄山形県知事(当時)、佐藤幸次郎山形市長(当時)や東北地方のフジテレビ系列局(岩手めんこいテレビ仙台放送秋田テレビ福島テレビ・新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ))の後押しもあり、1997年(平成9年)4月1日に念願のフジテレビ系列局・さくらんぼテレビジョン (SAY) が開局[注釈 40][47][48]。なお、さくらんぼテレビ開局後の同年7月に放送された『疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャルXI真夏の27時間ぶっ通しカーニバル 〜REBORN〜』(『FNS27時間テレビ』)において、笑福亭鶴瓶がさくらんぼテレビのことを「うそやん!あれ?山形テレビちゃうの?それ?元々?」「違うの?」と発言し、出演したさくらんぼテレビアナウンサーが鶴瓶の発言をフォローする一幕があった。

一方で、ネットチェンジの苦境を乗り越えたYTSは平成新局の多いテレビ朝日系列、特に東北ブロックにおいて老舗局としてノウハウを提供、制作力底上げに貢献している。2007年(平成19年)には山形新聞グループを脱退し、名実ともに朝日新聞系列の仲間入りを果たした。2017年(平成29年)には、テレビ朝日ホールディングスの持分法適用関連会社の1社にもなり現在に至っている。

ホームページの会社概要欄や過去を振り返る番組などでは、ネットチェンジに関する事柄は一切触れられておらず事実上のタブーと化している[注釈 41][注釈 42]。ただし、FNSのホームページの沿革欄には、「山形テレビがネット解消を通告」と書かれている[49]

山形テレビのネットチェンジ顛末については、小田桐誠著『テレビ業界の舞台裏』(三一書房刊)、『2000年のテレビジョン』(角川書店)に詳しく書かれている。

なお製作委員会方式であるため事情は異なるものの、その後2023年令和5年)には関西テレビ(KTV)が製作参加社に名を連ねるアニメ『ダークギャザリング』がYTSで放送されている。これを関西テレビ制作番組と解釈した場合は、上述の例外を除けばネットチェンジ以来約30年ぶりのフジテレビ系列局制作番組の放送ということになる[注釈 43]

チャンネル[編集]

テレビ朝日系列のリモコンキーID地図

親局[編集]

国内のローカル局において初めて、西蔵王テレビ・FM放送所にYBCと共同で地上デジタル放送対応の送信所を建設、2003年に運用を開始した。運用開始当初はアナログ放送機と送信アンテナ、電源装置のみ設置し、後にデジタル送信機も設置された。UHF送信アンテナと鉄塔は既存のアナログ放送のものを継続使用している。

中継局[編集]

物理チャンネル順。2010年12月現在

アナログ放送[編集]

2011年7月24日停波時点

親局[編集]

中継局[編集]

チャンネル順

番組[編集]

2023年4月現在。

自社制作[編集]

テレビ朝日系列番組[編集]

制作局の表記のない番組はテレビ朝日制作。

太字は同時ネット。

再放送[編集]

テレビ東京系列番組[編集]

再放送枠[編集]

  • ドラマな2時間(水曜 - 金曜 13:45 - 15:40)
  • ドラマ再放送枠(月曜 - 金曜 15:43 - 16:40)

その他[編集]

アナウンサー[編集]

現職[編集]

男性[編集]

女性[編集]

かつて在籍していたアナウンサー[編集]

男性[編集]

女性[編集]

かつて在籍していたアナウンサー以外の著名な社員[編集]

主なイベント[編集]

  • YTS沖縄遊・YOU塾(毎年3月下旬開催。対象は小学校4年生 - 中学校3年生)
  • YTSマンモスフリーマーケット(毎年4月下旬開催。会場は山形ビッグウイング

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 全角の略称ロゴは、鹿児島テレビ「KTS」と似たロゴタイプである(1979年(昭和54年)4月から)。
  2. ^ YTSニュース」、「YTSテレビ夕刊」→「YTSニュース ワイド60」→「YTSニュース スーパータイム」→「YTSステーションEYE」。
  3. ^ テレビ朝日系列局以外の企業ではかつて「NETニュース」を制作していた朝日テレビニュース社の合弁会社の一つである東映もテレビ朝日ホールディングスの持分法適用関連会社、かつ筆頭株主であると同時に、同社も東映の持分法適用関連会社、かつ第二位株主である[8]
  4. ^ YTSに限らず、1970 - 90年代には、当時の民放3局以下の地域において、本来の系列局で放送しきれない特定の系列の番組が、同地域の競合局に放映権移譲された結果、権利切れの再放送番組も含めて、民放5系列すべての番組を編成していたことのある地方局は少なからずあった。
  5. ^ 厳密には、サービス放送開始前日の1997年(平成9年)3月14日まで。
  6. ^ 若い土』と『民謡お国めぐり』はスポンサー(前者は農林水産省、後者はクボタ)との関係上、引き続きYTSで放送された。
  7. ^ 現在はさくらんぼテレビジョンがフジテレビ系列。
  8. ^ 服部は山形アドビューロの設立を条件にTUYとFM山形の開局を容認した。
  9. ^ 山形県の民放テレビ第3局の割り当て時には山形新聞がダミー申請を行った。TUYの設立祝賀会には山形新聞、YBC、YTSの幹部が出席したほか、山形新聞はサービス放送初日から全国紙に先駆けてTUYの番組表を掲載した。
  10. ^ 服部はFM山形の本社をYTSの本社に併設する構想を計画していた。FM山形の初代社長は田中哲(YTS出身)が就任したほか、FM山形の開局特番には服部が出演した。
  11. ^ a b c d 実際にはYTSを除くフジネットワーク(FNS)各局で構成された、FNS協議会。
  12. ^ 実際には株主の意向という、虚偽の理由を伝えていた。
  13. ^ 通常ネットワークセールス番組はネットワークのキー局が代表して系列局分も含めてスポンサーとの交渉を行うため、キー局の支援無く単独で行わせることは系列局に負担を強いることになる。余談だが、経営危機だった時期の岡山放送(OHK)も、フジテレビ役員受け入れを断ったため、一定期間個別交渉を強いられたことがある。
  14. ^ ただし、『若い土』と『民謡お国めぐり』については、いずれもフジテレビ系列の番組(前者はフジテレビ制作、後者は秋田テレビ制作)であるものの、スポンサーの事情によりネットチェンジ後も打ち切られず、YTSに残留した。特に『民謡お国めぐり』は、さくらんぼテレビの開局後も同局に一度も移行されず、最終回までYTSで放送された。
  15. ^ 1971年(昭和46年)から1991年(平成3年)まで酒田市長を歴任。酒田市長時代は酒田大火からの復興、酒田北港庄内空港の整備などに尽力した。
  16. ^ 開局前のYTS社員の研修もNETテレビ(現・テレビ朝日)や毎日放送(MBS)で行っていた。
  17. ^ NETテレビ(現・テレビ朝日)と東京12チャンネル(現・テレビ東京)が教育専門局から一般局に移行したのは1973年(昭和48年)である。ただ、NETが教育専門局であることからネットチェンジや加盟はするもののクロスネットにすることを選択する局は少なくなく、大阪の朝日放送腸捻転解消を拒否し1975年(昭和50年)までJNN系列であり続けたのもこのため。
  18. ^ 1部は(9:30 - 11:45)「どきどきチャンネル」。2部(15:00 - 16:55)は、「クイズ山形新発見」。3部(17:00 - 18:00)は、100人アンケート「ザ・サラリーマン」。司会は、黒須英之・山川裕子アナウンサー(当時)。
  19. ^ 当時、1993年10月1日開局予定だった山口朝日放送(yab)と大分朝日放送(OAB)も掲載された。
  20. ^ 静岡朝日テレビ(SATV)は半年後の1993年10月1日に社名変更したため、静岡けんみんテレビ(SKT)での表記。
  21. ^ 岩手朝日テレビ(IAT)、愛媛朝日テレビ(eat)、琉球朝日放送(QAB)は1993年当時は未開局だった。
  22. ^ 選挙ステーション』や1991年1月の湾岸戦争時、1993年1月19日皇太子妃雅子の婚約が内定した際、臨時にYBCにて23時前まで『ニュースステーション』をネットした経験がある(『テレビ業界の舞台裏』、182頁)。
  23. ^ ミュージックステーション」も、YBCではそれまで水曜23時55分から時差ネットしていたが、ネットチェンジにより同時ネット化。また、YTSにて平日10時15分から放送されていた「徹子の部屋」もネットチェンジにより同時ネット化されている。
  24. ^ 1993年(平成5年)当時のフジテレビの視聴率はキー局1位だったのに対し、テレビ朝日の視聴率はNETテレビ時代も含めて、一時期を除きキー局4位が定位置だった。
  25. ^ 21世紀に入る前後までのテレビ朝日は『万年4位』や『3強1弱1番外地』(3強…日本テレビTBS、フジテレビ、1弱…テレビ朝日、1番外地…テレビ東京)とも揶揄されていた。テレビ朝日系列の番組に人気番組が増えるのは、21世紀(特に2000年代半ば頃)に入ってからのことである。
  26. ^ 1993年(平成5年)4月から、山形地区視聴率調査が日記式から機械式へ変わった影響もあった。
  27. ^ フジ系時代のYTSの視聴率はYBCとほぼ互角だった。
  28. ^ 後にSAY開局後にYTSでのCM提供を再開した地元スポンサーも多い。
  29. ^ ネットチェンジの時点では撤退せずYTSでのCM提供を続けたものの、その後の不況失われた30年)で廃業・倒産した地元スポンサーや経営状況の悪化でYTSでのCM提供を取り止めた地元スポンサーもある。
  30. ^ 朝日放送(ABC)も腸捻転解消直後の数年間は視聴率低下や減収に悩まされたが、自社の番組制作(全国・ローカル問わず)や系列内外への営業の強化と、西日本地域を中心とした系列局への支援などの企業努力により克服した。
  31. ^ 2020年(令和2年)1月24日に『一緒にやろう2020』の一環として、フジテレビをキーステーションに独立局を除く全民放局で放送された『民放同時放送 一緒にやろう2020 大発表スペシャル』が該当。
  32. ^ テレビ朝日系列局へのネットチェンジ後も、フジテレビ系列当時のネット局(秋田テレビ仙台放送福島テレビ新潟総合テレビ)のまま放送終了までネット継続。岩手県は岩手放送(現・IBC岩手放送)でのネット。
  33. ^ 日本テレビ制作だった1977年(昭和52年)2月放送分まではYBCで放送された。一時中断後1981年(昭和56年)10月からフジテレビ制作で再開された。
  34. ^ YTSのネットチェンジ後はもとより、さくらんぼテレビ開局後も移行されず、最終回までYTSで放送した。
  35. ^ 東北地方ブロックネット番組』に該当する番組は、『新・サンデートーク』と『今、きらめいて』。後継番組である『ぼくらの時代』は、さくらんぼテレビでネットされた。
  36. ^ この当時、同番組でフジテレビ系列で参加している局は福島テレビのみだった。
  37. ^ テレビ朝日が幹事だが、フジテレビ系では福島テレビと沖縄テレビが参加。
  38. ^ 再放送番組の一部には、フジクリエイティブコーポレーション(前身のフジエイトを含む)など制作会社から権利業務を受託しているフジテレビおよびFNS系列局の関連企業を通しての購入となったものもある。
  39. ^ さくらんぼテレビ設立にあたり、会のメンバーはYTSから移籍した。
  40. ^ 同時に山形県の民放4局化も達成
  41. ^ さくらんぼテレビ(SAY)への配慮と思われる。
  42. ^ 『新版山形県大百科辞典』(山形放送、1993)のYTSの項目には、1993年平成5年)4月にフジテレビ系列局からテレビ朝日系列局に変更したと記述されている。
  43. ^ 関東地区ではTOKYO MXで放送されている。
  44. ^ 2019年にはYTS開局50周年として、3か月毎月放送(全3回)2019年 われらラーメン王国 YTS開局50周年!厳選50杯 3カ月連続放送”. 山形テレビ. 2019年2月18日閲覧。
  45. ^ 2021年は、7月24日に行われる決勝戦については、東京五輪の中継がテレビ朝日系列で中継することから生中継できず、7月26日13時45分から録画中継した。なお、YouTubeによるライブ配信は例年通り行った。
  46. ^ 5:50 - 6:00は全国ネット(『ANNニュース』を放送)。
  47. ^ テレビ朝日と同時刻だが遅れネット。
  48. ^ 2021年3月までは同時ネットで放送されていた。同年4月から北陸朝日放送では放送時間が変更になったが、当局では従来の放送時間を維持したまま、遅れネットに降格した。

出典[編集]

  1. ^ “山形テレビ人事(6月25日付)”. 朝日新聞デジタル. (2020年5月27日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14490715.html 2020年5月27日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、273頁。 
  3. ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ
  4. ^ 放送局免許をめぐる一本化調整とその帰結~裁量行政の変遷と残された影響~ - NHK放送文化研究所
  5. ^ a b c d e 山形テレビホームページ 会社概要 沿革(2000年6月23日)より(2016年2月5日閲覧)。
  6. ^ YTS タワー・放送センター”. 本間利雄設計事務所. 2022年9月10日閲覧。
  7. ^ 株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ テレビ朝日ホールディングス,2017年10月6日,テレビ朝日ホールディングス
  8. ^ 「株式の取得(持分法適用関連会社化)に関するお知らせ」,テレビ朝日ホールディングス,IRニュース,2019年12月9日
  9. ^ YTS山形テレビ SDGsの取り組み”. 2022年9月10日閲覧。
  10. ^ 山形テレビ社史編纂委員会編『時を刻んで 山形テレビの軌跡』(1987年7月発行)より。
  11. ^ 『時を刻んで 山形テレビの軌跡』1987年、191頁
  12. ^ “番組表”. 山形新聞. (1993年3月21日-31日) 
  13. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、253頁。 
  14. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、139頁。 
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  16. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、210頁。 
  17. ^ 当時酒田市
  18. ^ a b c d e f g h 山形テレビ 非常勤取締役
  19. ^ a b c 米澤新聞社 代表取締役社長
  20. ^ 東日本放送 代表取締役社長
  21. ^ 山形テレビ 取締役相談役、元酒田市長
  22. ^ 『2000年のテレビジョン 放送メディア大激変のシナリオ』株式会社角川書店ザテレビジョン、103・105-106頁。
  23. ^ a b 小田桐誠『テレビ業界の舞台裏』三一書房、1994年10月、140-142頁。 
  24. ^ a b 「あの番組はどうなっちゃうの!? 山形テレビ 来春キー局を乗り換え 事業の多角化で経営悪化」『産経新聞』(産経新聞社) 1992年10月6日、朝刊21面。
  25. ^ a b 「山形テレビ 来年4月 フジからテレ朝系へ」『朝日新聞』(朝日新聞社) 1992年10月2日、朝刊29面。
  26. ^ a b 『テレビ業界の舞台裏』三一書房、1994、148-152頁。 
  27. ^ a b 『テレビ業界の舞台裏』 三一書房、1994年、205 - 207頁
  28. ^ 『テレビ業界の舞台裏』三一書房、140-148・154-160・162-166頁。
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  30. ^ 『テレビ業界の舞台裏』三一書房、160・161・171頁
  31. ^ a b c ザテレビジョン編『2000年のテレビジョン』 角川書店発行、1993年、106-108頁
  32. ^ 相澤嘉久治『山形県民に訴える』ぐるうぷ場、1983、151-162頁。 
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  38. ^ 『山形県民に訴える』ぐるうぷ場、1983、175頁。 
  39. ^ 『テレビ業界の舞台裏』三一書房、1994、157-160頁。 
  40. ^ 「山形――山形の民放2局が異例のネット大改編」『とうほく財界 : 東北ビジネスの総合情報誌』第19巻第3号、東日本出版、1993年5月1日、30頁、NDLJP:2886249/18 
  41. ^ a b 『テレビ業界の舞台裏』三一書房、196-199頁
  42. ^ 『山形新聞縮刷版平成5年4月号』20頁(『山形新聞』1993年4月1日、朝刊20面)。
  43. ^ a b 『山形新聞縮刷版平成5年4月号』6頁(『山形新聞』1993年4月1日、朝刊6面)。
  44. ^ 山形新聞縮刷版平成5年3月』山形新聞社、1993、828頁。"『山形新聞』1993年3月31日朝刊10面"。 
  45. ^ 今だから明かせる「テレ朝バラエティー」好調の源流 - 日本経済新聞2013年10月7日
  46. ^ 『メディアのしくみ―新聞に制圧される地方テレビ局 』(南條岳彦著、明石書店、1996)
  47. ^ a b 『そしてフジネットワークは生まれた』扶桑社、2020年1月、321-322頁。 
  48. ^ a b 「民放最後のネットワークをめぐるキー・政・財の思惑」『放送文化』 1997年2月号
  49. ^ FNSのあゆみ・沿革
  50. ^ 山形テレビ『提言の広場』 放送50年の意義振り返る”. 日本民間放送連盟. 2023年3月19日閲覧。

関連項目[編集]

エフエム山形 - 当初は本社を山形テレビ本社に併設する構想があった。

外部リンク[編集]

過去