小田急山のホテル

小田急山のホテル
芦ノ湖からホテルを望む
芦ノ湖からホテルを望む
ホテル概要
正式名称 小田急山のホテル
設計 大成建設
施工 大成建設
運営 小田急リゾーツ
所有者 小田急リゾーツ
階数 地下1 - 地上4階
レストラン数 2軒
部屋数 92室
敷地面積 135,609 m²
建築面積 4386.8 m²
延床面積 10,714 m²
駐車場 100台
開業 1948年6月1日
改装 2015年4月21日[2]
最寄駅 桃源台駅
最寄IC 芦ノ湖大観インターチェンジ
所在地 〒250-0522
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80
位置 北緯35度12分16.7秒 東経139度1分17.8秒 / 北緯35.204639度 東経139.021611度 / 35.204639; 139.021611座標: 北緯35度12分16.7秒 東経139度1分17.8秒 / 北緯35.204639度 東経139.021611度 / 35.204639; 139.021611
公式サイト 公式サイト
補足 特記のない限り、『日本ホテル名鑑2009年版』による[1]
テンプレートを表示

小田急山のホテル(おだきゅうやまのホテル、Hotel de Yama)は、神奈川県箱根町元箱根にある、小田急グループ小田急リゾーツ)のホテルである。

概要[編集]

ツツジ園と芦ノ湖

箱根神社の西隣で、芦ノ湖を南に臨む湖畔にあり、全客室が芦ノ湖に面している。敷地は、1911年明治44年)に建てられた岩崎小弥太の別邸(別荘)跡で、諸橋轍次が「見南山荘」と名付けた石碑が残る[3]。なお、現在の建屋は1978年に建て替えられたものである。岩崎は訪欧時にスイスの美しい高原風景に魅せられて箱根を「日本のスイス」にしたいと考え別邸を置き、三代目である現在のホテル建物も「レマン湖のほとりにある古城」をイメージして設計されている[3]

敷地内には、約15万平方メートルの庭園があり[1]、岩崎が力を入れて収集した30種約3,000株のツツジや300株のシャクナゲが植えられている[4][5]。また、2002年には閉園となった、小田急グループの向ヶ丘遊園からバラも移植された。

沿革[編集]

1948年(昭和23年)当時の建屋

(特記のない限り、小田急リゾーツ公式サイト内「山のホテルの歴史」[6]による)

出典[編集]

  1. ^ a b 『日本ホテル年鑑』オータパブリケイションズ、2009年。ISBN 9784903721170全国書誌番号:00050491 
  2. ^ a b 山のホテルの歴史”. 小田急リゾーツ. 2015年10月12日閲覧。
  3. ^ a b c [別荘物語](中)上流階級の箱根 大衆化へ/三菱財閥の山荘などホテル転身読売新聞』朝刊2023年5月3日(文化面)
  4. ^ “美の競演 箱根・小田急山のホテルのツツジがほぼ満開”. 朝日新聞』朝刊神奈川版: p. 2. (2000年5月18日) 
  5. ^ “芦ノ湖、いつもの彩り 警戒続く一方、にぎわう観光客 箱根”. 『朝日新聞』朝刊: p. 1. (2015年5月11日) 
  6. ^ 山のホテルの歴史”. 小田急リゾーツ. 2015年10月12日閲覧。
  7. ^ 箱根寮”. 成蹊学園. 2015年10月12日閲覧。
  8. ^ “小田急グループ、国際観光の「山のホテル」完成で箱根地区の建て替え完了。”. 日経産業新聞: p. 9. (1978年4月17日) 
  9. ^ “コラム 西武鉄道と小田急の連携で箱根は復活するか:復活せよ!国内旅行地域発の集客改革"街づくり"発想で成功した「オブセ」の神話 37”. 週刊東洋: p. 37. (2014年1月24日) 
  10. ^ 小田急箱根高速バスの歴史”. 小田急箱根高速バス. 2015年10月12日閲覧。
  11. ^ “小田急山のホテル、「癒やし」がテーマ、新施設を開業。”. 日本経済新聞』神奈川版: p. 26. (2006年8月11日) 
  12. ^ 小田急&西武、宿泊で"握手":山のホテルとザ・プリンスが、2施設連泊プラン”. タウンニュース. 2015年10月12日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]