小渕岩太郎

小渕岩太郎(おぶち いわたろう)は、日本の軍人実業家・政治運動家。元光山社代表取締役会長、日本工業大学後援会会長。群馬県吾妻郡中之条町出身。

来歴・人物[編集]

群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)から東京外国語学校西語(スペイン語)科に進学する。その後、1942年豊橋予備士官学校を卒業する。1943年陸軍中野学校に入校する。戦局の悪化に伴い、台湾に出征する。終戦を戦地で迎え、1946年に台湾から復員する。実兄の小渕光平が創業した光山社グループに入社した。1949年、光平の衆院選出馬に伴い、運動員として活動したが、公職選挙法違反容疑で逮捕された。のち光山社役員となり、長く経営の実権を握り、実業界で活躍した。1976年日本工業大学後援会第6代会長に就任する。選挙参謀として甥の小渕恵三を支え、地盤が脆弱だったにもかかわらず12回連続当選に導いた。

エピソード[編集]

作家の大下英治が甥の小渕恵三を描いたノンフィクション小説「小説早稲田大学 都の西北」の中で、「おじがいたが、戦争で死んだ」と、勝手に殺されたことがある。

主な出演[編集]

登場作品[編集]

  • 自民党の若き獅子たち
  • 経世会竹下学校
  • 小渕恵三全人像

ほか