小作制度

小作制度(こさくせいど)とは、農民が生産手段としての土地をもたず、その土地の所有者や占有者から土地の使用権を得て農作物の生産に従事する制度[1]。小作制度は土地の性格あるいは所有権や占有権の性格の差異によって多様な様相をもつ[1]

分類[編集]

直接小作と間接小作[編集]

小作制度のうち小作人が直接地主に対して小作料を支払う場合を直接小作といい、地主と小作人との間に第三者(中間の小作人やブローカー)が介在する場合を間接小作という[2]

間接小作は、又小作、仲小作、鍬先小作、底地小作などと呼ばれることもある[2]

定額小作と不定額小作[編集]

小作制度は小作料を納入する額の観点から定額小作と不定額小作に分けられる[2]

定額小作には年期小作(普通小作)、永小作、又小作が属する[2]。また、不定額小作には分益小作(刈分小作)が属する[2]

  • 定額小作
    年期小作(普通小作)には小作契約期間があるが、永小作には小作契約期間がない[2]。又小作は間接小作に属する[2]
  • 不定額小作
    不定額小作に属する分益小作では一定の刈分標準をもとに豊作か凶作かによって小作料が変動する[2]

歴史[編集]

古代ローマ[編集]

南米[編集]

日本[編集]

小作料その他のことで小作人と地主との間では小作争議が起こり、第一次世界大戦後の経済恐慌をきっかけに激増する。争議件数は大正末期に一時減少、昭和恐慌のころからふたたび増加したが、戦時体制の中で衰退した[3]

大日本帝国滅亡に伴う米軍施政に由り農地改革が実施され、「農村では, 地主と小作人との関係を根本から改める農地改革が行われた。村に住んでいない地主(不在地主)の全耕地と在村地主の約1ha(北海道は4ha)以上の耕地は国が買い上げて, もとの小作人に安く売りわたした。」[4]「農地改革については, 日本政府が策定した第1次改革は不徹底で, GHQ勧告により, 在村地主の所有限度を小作地1町歩(北海道は4町歩)・自作地と小作地の合計3町歩(北海道は12町歩)に制限し, それをこえる分を政府が買収し, 小作人に売り渡す第2次改革が実施され, 1950年に終了した。」[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b 大塚史学会『郷土史事典』朝倉書店、1969年、198頁。 
  2. ^ a b c d e f g h 中沢弁次郎『最近の小作問題』巌松堂書店、1924年、88-91頁。 
  3. ^ 小項目事典,世界大百科事典内言及, 精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,山川 日本史小辞典 改訂新版,世界大百科事典 第2版,旺文社日本史事典 三訂版,ブリタニカ国際大百科事典. “小作争議(こさくそうぎ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月21日閲覧。
  4. ^ 『中学社会 歴史』(文部省検定済教科書。中学校社会科用。教育出版。平成8年2月29日文部省検定済。平成10年1月20日発行。17教出・歴史762)p273
  5. ^ 『日本史B 新訂版』(文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用。実教出版。平成9年3月31日検定済。平成14年1月20日印刷。平成14年1月25日発行。7実教 日B582)p 335