宗像徹

宗像徹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県田村郡
(現・田村市[1]
生年月日 (1974-03-27) 1974年3月27日(50歳)
身長 156.0cm(2011年)
体重 48.0kg(〃)
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 堀宣行(美浦)
初免許年 1993年
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2011年10月31日
重賞勝利 1勝
経歴
所属 笹倉武久(1993 - 1998) →
フリー(1998 - 2007.10.31) →
水野貴広(2007.11.1 - 2008.2.28)[2]
フリー(2008.3.1 - 2010.12.31)[3]
堀宣行(2011.1.1 - 10.31)
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宗像 徹(むなかた とおる、1974年昭和49年)3月27日 - )は、福島県田村郡(現・田村市)出身の現調教助手・元騎手

遠戚に障害専門騎手として活躍した三浦堅治がいる[4]

来歴[編集]

中学3年次の1989年に母方の祖母が亡くなり、通夜に行ったところ、そこにたまたま三浦の父が来ていた。三浦の父は最初は兄に「ジョッキーになれ」と勧めていたが、兄は高校へ通っていて、就職も決まっていてということで、隣にいる宗像を見て「ジョッキーっていう職業があるよ」と勧める。宗像はそれまで競馬のことは全然知らなかったが、三浦の父から言われたのがきっかけで競馬に興味を持つ。真剣に勧められてから少しずつテレビで競馬を見るようになり、最初に見たレースは第9回ジャパンカップであった[5]

この時は競馬学校の試験期間が過ぎていて試験を受けられず、卒業後は1年間高校に通った。中学の頃は特に何をやりたいというのが無く、ラジオなどを分解したりするのが好きで、漠然と機械系の仕事をしたいとは思っていた。運動神経はどちらかと言うと悪い方で、足は遅いし、球技も特別上手いわけではなかった。乗馬経験はほとんど無い状態で、中学生の時に牧場へ行って馬に跨って散歩する程度であった[5]

競馬学校に両親と一緒に行って2次試験の面接を受けた時は緊張し、宗像一人に対して面接官が10人ほどいた。親は宗像が騎手になるのを賛成とも反対とも言わなかった。2次試験の結果が発表された時は学校にいて、地元の新聞記者が学校に取材に来た。そこで初めて受かったってことが分かり、いきなり校長室に呼ばれたが、その頃は校長に会ったことも無かった[5]

1993年に競馬学校騎手課程を第9期生として卒業し、美浦笹倉武久厩舎所属騎手としてデビュー。同期には伊藤直人飯田祐史小林徹弥や、後に競馬学校世代で史上初の学士騎手となった川合達彦らがいる。

1年目の同年には平地障害双方で勝ち鞍を挙げ、重賞にも騎乗。同年の新潟記念をはじめ、2011年まで平地重賞に12レース騎乗し、この中には所属していた笹倉厩舎の代表管理馬であるツインターボへの騎乗も2レース含まれている。なお平地重賞での最高着順は2001年クリスタルカップ4着となっている。

減量騎手から外れてからもしばらく平地での騎乗を続けていたが、2年目の1994年の325レースをピークに年々騎乗機会が減少したため、1999年には騎乗数確保のためにデビュー年以来乗っていなかった障害競走への騎乗を再開する。

再開後も平地への騎乗は並行して続けていたが、2003年から2004年にかけ障害でのOP特別勝ちや重賞勝利を記録するなど、障害競走での成績は平地のそれを上回るようになり、それにともない騎乗の場は徐々に障害へと移行。

2010年2月1日に結婚式を挙げる[6][7]。2月6日東京第8競走、春麗ジャンプステークスでマイネルネオスに騎乗し落馬、右肩脱臼骨折、右大腿骨骨折の重傷を負った[8]。9月5日にレースに復帰した。

2011年10月31日をもって引退し、堀宣行厩舎の調教助手に転身した[9]。騎手通算成績は2580戦105勝(JRAのみ)であった。

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1993年3月7日 2回中山4日1R 4歳未勝利 オーツベッド 14頭 9 12着
初勝利 1993年5月16日 1回新潟8日1R アラブオープン ハクサンツバメ 9頭 2 1着
重賞初騎乗 1993年8月29日 3回新潟6日11R 新潟記念 エプソムジョーオー 13頭 12 10着

初騎乗 1993年3月28日 3回中山2日5R 障害400万下 スバルボーイ 8頭 4 2着
初勝利 1993年9月12日 4回中山2日5R 障害400万下 スバルボーイ 6頭 2 1着
重賞初騎乗 1993年10月23日 4回東京5日10R 東京障害特別(秋) スバルボーイ 11頭 11 3着
重賞初勝利 2004年8月21日 3回新潟3日10R 新潟ジャンプステークス デモリションマン 14頭 2 1着
JGI初騎乗 1999年12月18日 5回中山5日10R 中山大障害 エーピーランド 15頭 5 4着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1993年 2 6 5 156 .013 .051 .083 1 1 2 10 .100 .200 .400
1994年 15 15 17 325 .046 .092 .145 -
1995年 10 6 18 274 .036 .058 .124 -
1996年 7 8 6 202 .035 .074 .104 -
1997年 5 7 9 202 .025 .059 .104 -
1998年 5 5 6 161 .031 .062 .099 -
1999年 0 4 4 129 .000 .031 .062 1 2 2 23 .043 .130 .217
2000年 1 2 2 126 .008 .024 .040 6 5 2 38 .158 .289 .342
2001年 4 1 4 100 .040 .050 .090 1 0 3 27 .037 .037 .148
2002年 2 3 2 136 .015 .037 .051 4 5 3 43 .093 .209 .279
2003年 4 4 3 104 .038 .077 .106 2 4 2 29 .069 .207 .276
2004年 0 1 2 51 .000 .020 .059 9 4 7 53 .170 .245 .377
2005年 2 2 1 21 .095 .190 .238 2 4 3 37 .054 .162 .243
2006年 0 0 0 16 .000 .000 .000 5 4 6 50 .100 .180 .300
2007年 0 0 0 15 .000 .000 .000 3 2 8 55 .055 .091 .236
2008年 0 0 0 9 .000 .000 .000 5 7 5 65 .077 .185 .262
2009年 0 0 0 5 .000 .000 .000 6 7 4 61 .098 .213 .279
2010年 0 0 0 1 .000 .000 .000 1 2 0 18 .056 .167 .167
2011年 0 0 0 6 .000 .000 .000 2 2 2 32 .063 .105 .188
中央 57 64 79 2033 .028 .059 .098 48 49 49 541 .089 .179 .270
地方 2 3 2 58 .034 .086 .120  

主な騎乗馬[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 週刊競馬ブック 2011年11月20日号
  2. ^ 宗像徹騎手、水野貴広厩舎所属に”. ラジオNIKKEI. 2023年7月17日閲覧。
  3. ^ 増沢騎手など5人がフリーに”. ラジオNIKKEI. 2023年7月17日閲覧。
  4. ^ 別冊宝島競馬騎手読本 ISBN 4-7966-9290-8
  5. ^ a b c | 第17回 宗像徹調教助手 | うまスクエア
  6. ^ 『優駿』2010年11月号、142頁。 
  7. ^ 宗像徹騎手が結婚、5月には第1子誕生”. ウマニティ. 2023年7月15日閲覧。
  8. ^ 高野和馬、宗像徹騎手が落馬骨折”. 競馬ラボ. 2023年7月15日閲覧。
  9. ^ 高橋 智大騎手・宗像 徹騎手が引退 日本中央競馬会公式ウェブサイト

関連項目[編集]