姫路殿

姫路殿(ひめじどの、? - 寛永18年5月8日1641年6月16日))は、安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀吉側室

生涯[編集]

織田信包長野藤定の娘との間に誕生する。

天正5年(1577年)の中国征伐の頃に豊臣秀吉の側室となる[1]清洲城主であった父により、差し出されたとも伝わる。

生母・長野氏は秀吉が姫路殿を側室にした際、身分の低い秀吉を嫌い、信包の屋敷へ引き取り一時期返さなかった[2]

姫路殿の称は、秀吉が築城し、姫路殿の住まった播磨国姫路城に由来する。

秀吉の寵愛は深かったものの、子女に恵まれることは無かった。

寛永18年(1641年)5月8日に死去した。戒名は妙勝院殿性岩寿真大姉

登場作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『織田信包女年十四歳ノ時秀吉公へ御奉公ニ御出候然トモ御手カ、リ不申候』にあるように、もしも天正5年(1577年)に嫁ぎ、数え14歳と考えると永禄7年(1564年)に誕生したと考えられる。
  2. ^ 『信包の妻、身分上口惜しとて引取る』伊勢国司伝記より。

参考文献[編集]