女人禁制

女人禁制(にょにんきんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにんきんぜい[1][7])とは、日本において、寺院や霊場等の特定の場所への女性の立ち入りを禁止する風習、習俗。また、その制度や地域のこと。

概要[編集]

特定の場所への女性の立ち入りを禁止するもので、特に、聖域社寺霊場、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する風習がみられる[3][4]。この意味で隔絶された区域結界[* 1])を女人結界(にょにんけっかい)といい[8][9]、「女人禁制」と同義で用いられる[5][8]

この原義から派生して、一般に女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習も指す(歌舞伎などに見られる)。

月経中の女性を不浄とみなし寺社などに一時的に立ち入りを禁じる風習は、キリスト教イスラム教ヒンドゥー教などにも見られるが、恒常的なものではない[10]日本仏教の女性差別・女性排除はインド仏教から引き継いでいるとはいえ、女性そのものを穢れとして聖地や寺社から恒常的に排除する女人禁制は日本仏教独自で、日本で作られた独特のものである[11][12]

由来[編集]

日本における霊山などへの女人禁制は、修験道の伝統に基づくとされているものが多い。修験道は仏教(主に密教)に、日本の古来の神道や大陸由来の道教などが習合して成立したものであるため、女性の入山を禁止し始めた理由を明確に知ることは難しい。

仏教の戒律に由来する理由[編集]

本来の仏教には、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。和僧道元の『正法眼蔵』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然親鸞なども女人結界には批判的であった。

しかし、仏教は、性欲を含む人間の欲望を煩悩とみなし、智慧をもって煩悩を制御する理想を掲げている。そのため出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい戒律がある。

修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある(八斎戒の一つ)。それらの目的を達成するために、修験道では、男性の修行場から女性を排除する必要性があったと考えられる。逆に女性出家者が入る尼寺は(女性出家者を性暴力などの被害から守る理由で)元々、僧寺(男性出家者の施設)に付属する施設と規定されており、そのため男性を厳格には排除しづらかった。

また仏教では本来、破戒僧が自分の愛人を出家させて身辺に置くことを防ぐため、仏陀を除く出家者は異性の出家者を弟子として得度することは禁じられている。(僧を得度できるのは僧のみ。尼を得度できるのは尼のみ)

日本仏教の黎明期に善信尼ら女性出家者はいた。その後、戒壇の設置に朝廷の許可が必要であった奈良時代以降、鎌倉時代くらいまで、戒壇の設置を許された東大寺延暦寺などの戒壇が全て男性僧侶を対象としており、女性(尼)の授戒得度が困難であった点との関連も考えられている。

一方で、仏教学者のローリ・ミークスによると、平安後期(12世紀)では、旧仏教の学僧たちが女性に対して想像以上に寛容であり、女性であっても仏道修行が入念に行われていた[13]。仏教の戒律は、上記のように出家者、修行者、在家で求められる戒律がそれぞれ異なり、戒律の内容や解釈、厳格さも各宗派で異同がある。そのため「男子禁制」の尼寺や、山岳部にあっても女人禁制が取られていない寺院も存在する。

神道の血穢による理由[編集]

仏教伝来以前の日本での女性の不浄観は、出産、月経を「血の穢れ(血穢)」とみたもので、日本仏教は神道の穢れ観の影響を受けたと考えられる[11][14]。しかし、元々神道での扱いは、月経中、出産期間の女性や、こうした「穢れ」に触れた人は一時的に神社参拝や神事に関われないというもので、恒常的なものではなく、日本仏教のような女性性・女性の身体の全面否定ではなかった[15]

道教や密教などの神通力信仰[編集]

一説には古代日本においては、主に道教や密教の影響で、僧侶に対し加持祈祷による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには、持戒の徹底が必要であると考られていた。

性欲を起こすと仙人が神通力を失う話としては、『今昔物語』にある久米仙人の話が有名である。

中世における神仏習合[編集]

上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。

また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『華厳経』を出典とする俗説あり)[要出典]や『法華経』の「又女人身猶有五障[16]を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)

これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、日蓮といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。

その他に、女人禁制の由来と思われる理由[編集]

また修験道の修行地が、険しい山岳地帯であったためとの見方がある。

古代においては山は魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。

民俗学者の柳田國男姥捨山とされた岩木山青森県)の登山口にも姥石という結界石があることに着目。結界を越えた女性が石に化したという伝説を『妹の力』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石や境界石の向こうは他界(他界#山上他界)であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。

また、石長比売女神であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた地域も多い。女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。たとえば『遠野物語』に登場する遠野三山伝説では、早池峰山と六角牛山はそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また熊野三山周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。

また別の説では巫女イタコにみられるように「女性には霊がつきやすい」ため、荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。

女人禁制の理由については、上記のような様々な由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すことは困難と言える。

祭祀における女人禁制[編集]

なお、祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことと考えられ、『古事記』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。

一例として、日本神道の祖形を留る琉球神道の範疇に属する信仰では、沖縄の女性は「神人(かみんちゅ)」、男性は「海人(うみんちゅ)」とされ、おなり神の関係にあるとされる。現代でも女性が祭祀を取り仕切る観念は都市部以外では特に根強く、墓の手当てや風葬のあった時代には洗骨までもが一家の女性の役割であった。

ノロなどの神職が祭祀を行う御嶽(うたき)では、女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれており、現在でも御嶽や拝所(うがんじょ)に祈りを捧げたり祭祀を行うのは厳格に男子禁制である。(ただし、単に拝んだり立ち入りまで禁止されている訳ではない)。

「女人禁制」に対する反対[編集]

明治政府[編集]

明治5年3月27日(1872年5月4日)、明治政府は、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[17]により、江戸幕府や寺社が仏教の不邪淫戒(五戒の一つ)や儒教の「男女七歳にして席を同じゅうせず」(『礼記』内則)などを根拠として社会の多くの分野で過剰に徹底していた「女人禁制」を、欧米列強に伍していこう(肩を並べよう)としている近代国家には論外の差別(「陋習」)の一つであるとして禁止した[18]

この結果、「御一新」された「皇国」(明治日本)では、ほとんどの神社仏閣が過剰な「女人禁制」を解除することとなった。関所の廃止とも相俟って、外国人女性を含め女性も日本国内を自由に旅行・観光・参詣できるようになった。

日本相撲協会の土俵における「女人禁制」[編集]

女性が行う相撲の由来・課題

一部の神事として行われる女相撲、江戸時代から昭和30年代頃まで興行が行われていた女相撲[* 2]と、現在において近代スポーツとして行われている女子相撲は由来が異なる。アマチュア相撲を国際的に普及し五輪競技とするには女子への普及の実績が必要であることから、日本相撲連盟が1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟(後の日本女子相撲連盟)を発足させた。そういった経緯から、アマチュア相撲の大会の土俵に女性が上がることができる。

日本相撲協会の由来・問題

日本相撲協会(大相撲)の由来は、江戸時代からの寺社建立・修繕の費用を集めるための「勧進大相撲」であり、もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われていた。そのため、土俵上だけでなく観客席含めて全てが「女人禁制」で興行されていた。その後、明治五年に太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[17]により神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁、女性客が大相撲を観戦することが可能となった[19]。日本相撲協会は現在も観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」としているが、通常の観客である限りにおいて直接の不利益を被ることが少ないこともあり女性ファンによる反対運動には至っていない[* 3]。女性差別として問題視される事案の発生も発生している[20][21][22][23]ことについては、一部の報道人・政治家・相撲ライターなどが差別禁止の日本国憲法第14条1項を根拠として『伝統』という曖昧な理由で女性を不浄視せず男性と等しく扱うよう求めている[24][25]

奈良県大峰山の「女人禁制」に対する反対運動[編集]

明治5年3月27日(1872年05月04日)布告の明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス[17]、および、明治5年9月15日(1872年10月27日)布告の明治五年太政官布告第273号「修験宗ヲ廃シ天台真言ノ両本宗へ帰入セシム[26](いわゆる『修験道廃止令』)にも拘わらず、奈良県南部の大峰山(大峯)の山上ヶ岳の修験者およびその協力者たち(地元住民・信者)は、修験道の霊場であるという事を理由として「女人禁制」を掲げ続けた。

女性の入山解禁を求める運動が起こっており、過去に密かにまたは強行登山が行われている[18]

三本山(聖護院醍醐寺金峯山寺)と五護持院(龍泉寺、喜蔵院東南院桜本坊竹林院)は、2000年の役行者1300年遠忌を期して、女人結界を解く意向があった。しかし、1997年の信者・地元との話し合いで猛反発に遭い、1999年に奈良県教職員組合の女性が強行登山を行ったことで、協議は中断となったという[27][28][29]

2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーは、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。

日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所[編集]

山岳・霊場[編集]

仏教・山岳修験道系[編集]

神道系やその他の山岳信仰系[編集]

神道系の祭[編集]

特殊技能者のメンバーシップに基づくもの[編集]

女人禁制とされている(されていた)芸能[編集]

日本以外の類似したタブーがある(あった)場所[編集]

男子禁制[編集]

女人禁制とは反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。

信仰[編集]

宗教、信仰における事例として、沖縄の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。

現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いが、それも観光向けの措置である(斎場御嶽など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。

沖縄の一般家庭に多い「ヒヌカン」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。

このような男子禁制は、そもそも母系制社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある(卑弥呼おなり神ヒメヒコ制など)事に由来すると言われる。

参考文献[編集]

  • パトリシア=ウベロイ、タリニ・バハドゥー「中年期の女性の身体-社会文化的・医学的な東西比較-」『生涯を通じた女性の健康づくりに関する研究』、厚生科学研究費補助金 総合的プロジェクト研究分野 子ども家庭総合研究事業、1999年、314-332頁。 
  • 源淳子仏教の女性性否定」『印度學佛教學研究』第38巻、日本印度学仏教学会、1989年、323-327頁、CRID 1390001205376947840doi:10.4259/ibk.38.323 
  • 鈴木正崇著『女人禁制』吉川弘文舘、2002年。
  • 源淳子編著『「女人禁制」Q&A』解放出版社、2005年。
  • 鈴木正崇女人禁制と山岳信仰」『哲學』第149巻、三田哲學會、2022年3月、145-179頁、CRID 1050011620171862144 
  • 荒井美月「仏教における女性研究の変遷 : 仏典の研究から実態の研究へ」『現代社会研究科論集 : 京都女子大学大学院現代社会研究科紀要』第016巻、京都女子大学、2022年3月15日、93-114頁、CRID 1050573803642137856 

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 元々「結界」は仏教用語であるが、神道などでも用いられるので、「女人結界」も仏教に限った用語ではない。
  2. ^ 興行として昭和30年代後半まで続いた女相撲は、終戦後の娯楽の多様化や女子プロレスの登場により廃れている。
  3. ^ 実際に女性が土俵に上がる可能性が考えられるのは、断髪式で国技館の使用を許される力士の断髪式・優勝力士の表彰(知事)・地方巡業での勧進元挨拶・ちびっこ相撲などである。なお、相撲部屋でのイベントや豊ノ島杯(高知県・富山県)などでは女子の参加は受け入れられている。
  4. ^ 女性が参詣できた同じ真言宗の室生寺が「女人高野」と呼ばれた。

出典[編集]

  1. ^ a b 石田瑞麿『例文仏教語大辞典』小学館、1997年2月、848頁。ISBN 978-4095081113 
  2. ^ 『日本国語大辞典』 14巻、小学館、2003年1月10日、6頁。ISBN 978-4095219011 
  3. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『女人禁制』 - コトバンク
  4. ^ a b 世界大百科事典 第2版『女人禁制』 - コトバンク
  5. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『女人禁制』 - コトバンク
  6. ^ 『歴史民俗用語よみかた辞典』日外アソシエーツ、1998年8月。ISBN 978-4816915185 
  7. ^ 大辞典. 第二十卷”. 平凡社. pp. 96,97. 2017年5月7日閲覧。
  8. ^ a b 『大辞泉』
  9. ^ 『大辞林』第3版
  10. ^ ウベロイ, バハドゥー 1999, pp. 317–318.
  11. ^ a b 源 1989, pp. 326–327.
  12. ^ 荒井 2022, p. 97.
  13. ^ 日本の僧侶および尼寺の歴史・思想研究”. KAKEN. 2022年12月8日閲覧。
  14. ^ 鈴木 2022, pp. 326–327.
  15. ^ 源 1989, p. 147.
  16. ^ 大正蔵9巻35頁下”. 2018年4月7日閲覧。
  17. ^ a b c 明治五年-法令全書-内閣官報局 コマ番号007/768 および コマ番号097/768 国立国会図書館デジタルコレクション (2018年04月28日(土)閲覧)
  18. ^ a b c DeWitt, Lindsey (2015). A mountain set apart : female exclusion, Buddhism, and tradition at modern Ōminesan, Japan. https://hdl.handle.net/1854/LU-8636501. 
  19. ^ 「勧進大相撲」の誕生 東京都立図書館 "ただし、女性の見物は出来ず、許されるようになったのは明治時代に入ってからのことでした。"(2018年04月28日(土)閲覧)
  20. ^ a b 女性に「土俵降りろ」の放送、八角理事長「不適切な対応」 春巡業、救命処置の女性に感謝 2018年04月05日(木)08時28分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  21. ^ a b 女性相撲ファンからも「差別的」 巡業先の宝塚市女性市長は「平等」求める 2018年04月05日(木)22時03分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  22. ^ ちびっこ相撲で女子排除 静岡巡業、相撲協会が「遠慮して」要請 例年は参加 2018年04月12日(木)10時59分『産経新聞』(2018年04月28日(土)閲覧)
  23. ^ a b DeWitt, Lindsey E. (2021-09). “Japan’s Sacred Sumo and the Exclusion of Women: The Olympic Male Sumo Wrestler (Part 1)” (英語). Religions 12 (9): 749. doi:10.3390/rel12090749. https://www.mdpi.com/2077-1444/12/9/749. 
  24. ^ (社説)大相撲の伝統 「女人禁制」を解くとき:朝日新聞デジタル”. archive.is (2018年4月28日). 2021年5月12日閲覧。
  25. ^ 論点:大相撲の「女人禁制」”. 毎日新聞(2018年4月27日). 2021年5月12日閲覧。
  26. ^ 明治五年-法令全書-内閣官報局 コマ番号011/768 および コマ番号154/768 国立国会図書館デジタルコレクション (2018年04月28日(土)閲覧)
  27. ^ 「女人禁制」撤廃への対応が、土俵と酒蔵で分かれる理由”. ダイヤモンド・オンライン (2021年6月3日). 2022年9月8日閲覧。
  28. ^ 活動報告|宮城泰年さん(本山修験宗管長・聖護院門主)との話し合い”. www.on-kaiho.com. 「大峰山女人禁制」の開放を求める会 (2012年8月1日). 2022年9月8日閲覧。
  29. ^ 「大峰山女人禁制」の開放への歴史をひもとけば「大峰山女人禁制」の開放を求める会(2018年04月28日(土)閲覧)
  30. ^ 『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者:長野県佐久市教育委員会、全434頁中83頁、昭和53年11月15日発行
  31. ^ (英語) World Cultural Heritage and women’s exclusion from sacred sites in Japan. Routledge. (2020-04-02). doi:10.4324/9780429265976-4. ISBN 978-0-429-26597-6. https://www.taylorfrancis.com/chapters/edit/10.4324/9780429265976-4/world-cultural-heritage-women-exclusion-sacred-sites-japan-lindsey-dewitt 
  32. ^ (英語) Island of Many Names, Island of No Name : Taboo and the Mysteries of Okinoshima. Bloomsbury Academic. doi:10.5040/9781350062887.ch-004. https://doi.org/10.5040/9781350062887.ch-004 
  33. ^ 【そこが聞きたい】世界遺産がブームですが?/島本来の姿守りたい 鹿児島県屋久島町長・荒木耕治氏毎日新聞』朝刊2018年1月15日
  34. ^ 女人禁制よ さらば 山古志・牛の角突き 17年ぶり女性入場新潟日報』モア(2018年5月5日)
  35. ^ 新潟・長岡の闘牛場、女性の立ち入りOKに 会員増加で:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル(2018年5月4日). 2020年2月19日閲覧。
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  37. ^ 【ぷらすアルファ】「女人禁制」伝統に変化/増える女性杜氏 近代化・若返り進み『毎日新聞』朝刊2018年4月14日(くらしナビ面)
  38. ^ 三段目格行司の木村昌稔が辞職 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2018年7月3日). 2020年2月24日閲覧。

関連項目[編集]